22.火の町、宵の語らい
その夜、部屋の扉が軽く叩かれた。
ユナがそっと扉を開けると、ルカが腕を組んで立っていた。
外套を肩に掛け、いつもより少しだけ落ち着かない様子で、視線を横に逸らす。
「……飲めるか? 酒」
開口一番、少し不器用な声だった。
唐突な問いに、ユナは目を瞬かせる。
「ええ、少しなら。強くはありませんけれど」
「なら……着替えてこい。街へ行く。たまには静かじゃない飯でも、悪くないだろう」
そう言って、ルカはくるりと背を向けた。
その背中に
「では、五分ください」
とだけ告げて、ユナは微笑みながら扉を閉じる。
* * *
フィノアの町は、夜になると焚き火と灯籠の明かりに包まれ、どこか幻想めいた雰囲気を纏う。
祭りでもないのに、どこからか笑い声と笛の音が響いていた。
二人が入ったのは、木造の古びた酒屋だった。店内は木の温もりに満ち、客たちのにぎやかな声が天井に跳ね返っていた。
炉のそばの小さな卓に通され、素焼きの器に注がれた酒と、串焼きや香草の乗った皿が次々と並ぶ。
「……こういうの、久しぶりです」
盃を口に運びながら、ユナは目を細めて言った。
神殿の静けさとはまるで違う、笑い声と湯気の混じった空間。それが妙に懐かしく、あたたかく感じられた。
「たまには、うるさいくらいがいい」
ルカはぶっきらぼうに言いつつも、どこか楽しげだった。
ふたりは最初こそ当たり障りのない話を交わしていたが、酒が少し回るにつれ、言葉がやわらかくなっていった。
「……そういえば」
素焼きの皿に串を置きながら、ルカがふと口を開く。
「お前の……旦那……、娘と妻が揃って姿を消したんじゃ、さすがに心配しているだろ」
思いがけない言葉に、ユナは器の中を見つめ、少しだけ目を伏せた。
「…………私の家族は、あの子だけですから」
静かに、けれどはっきりとした口調だった。
ルカは一瞬黙った後、小さく問いかける。
「……そうか。じゃあ……その、旦那はもう……」
「――そんなところです」
明確な言葉を避けるように、ユナは笑った。
その笑みに、ルカはそれ以上何も言わなかった。
代わりに、静かに酒を一口あおる。
「……ルカ様の家族は?」
ユナの問いに、ルカは盃に酒を注ぎながら答える。
「オレは独り者だ。家族も、いない」
少し言葉を探して、盃を持ったまま視線をテーブルに落とす。
「母親も父親もオレが産まれてすぐ亡くなっている。行くあてのなくなったオレを拾って育ててくれたのが……ノエリア神殿の前神官長、ガルド・セイラン様だった」
ユナはそっと頷いて、その話に耳を傾けていた。
「この神殿が……オレにとっての“家”だった。けど、家族ってやつが、どういうものかは……正直、よく分からない」
それから、少し間を置いて言葉をつなぐ。
「……だから、あの厨房でのあんたの言葉を聞いて……思った。
“母親”ってのは……そんなふうに、子どもを思うものなのかって、な」
ユナは、ふっと笑みをこぼした。
決して哀しさではない、どこか懐かしいような、やさしい笑みだった。
「……あなたがもし家族というものを知らないのなら、これから知っていけばいいんです」
「家族は、血や名前じゃなくて……ただ、そばにいて、思ってくれる人のことを、きっとそう呼ぶのだと思います」
ルカは一瞬だけ目を見開き、そして照れたように鼻先をこすった。
「酒のせいで……しゃべりすぎたな。」
「ふふ……わたしには、いいお酒です」
酒を注ぐ音、串の香ばしい匂い、町の灯のきらめき。
二人はそれからも、祭りのない夜の宴を、他愛もない話と小さな笑い声で静かに埋めていった。




