出立
「あー……ところで、父さん。仕事、とかで、バッヘル公爵家と関わったことは?家具の注文とか……」
「あ?………無かったと思うが……何だ?」
「いや、――別に。あー、母さんも、ないよな?」
「あるわけ無いじゃない。公爵家となんて……」
「だよな………」
リュシーは、なぜかディランと両親の事を以前から知っていたと言っていたのでその事を確認したかったのだが、両親共に心当たりはないようだった。
「……」
気にはなったが、両親もディランも心当たりがないので、ひょっとするとリュシーの勘違いかもしれない。
ディランは、その事について深く考えるのはいったん止めにする事にした。考えることがありすぎて疲れてきたので、棚上げした、とも言える。
しばらくの後、馬車を手配して戻ってきたリカルドに、父と母が挨拶しているのを横目に見ながら、ディランは背中に張りついた妖精ラファにこっそり声をかけた。
「ラファ、ラファ。いるのか?」
「――」
一瞬肩の上に出てきたが、すぐに背中に隠れてしまう。ディラン以外には見られたくないのだろうか。
心配しなくともディランの両親には妖精は見えないのだが、騎士リカルドの方はどうかは分からない。
無理に引っ張り出すのも可哀想なので、後ほど一人になれる時間があればその時に話すことにして、ディランは旅装のマントを羽織った。
ラファはマントの下でディランにくっついて、大人しくしている。
このマントは先ほどリカルドからもらったもので、合わせてバッヘル公爵家の家紋が入った首飾りも手渡された。これはディランがバッヘル公爵家の庇護下にあることを示すものであるらしい。
金属でできた家紋の首飾りは少し重いが、首から下げればそれほど気にならなくなった。
先ほど父にもらった短剣を腰にさし、革袋には旅で必要そうな着替えなどの他に、リュシーと繋がった手鏡をしまった。
ディランが身支度を整え終わると、リカルドから声がかかった。
「ディラン殿、行けますか」
「はい、大丈夫です」
荷物を手に近づいていくと、リカルドがディランの全身を確認し、準備ができていると判断したのか、小さく頷いた。
母は、心配そうに胸の前で両手を握りしめてこちらを見ている。
父は、口をへの字にして母の肩を抱いていた。
親子が無言で見つめ合っていると、リカルドから声がかかった。
「それでは、バッヘル公爵家の名にかけて、ご子息をお預かり致します」
ディランの肩に手を置いての言葉に、両親が揃ってリカルドに頭を下げる。
「よろしくお願いします」
「……お頼みします」
「お任せください。では参りましょうか」
四人揃って家を出ると、リカルドが手配してきた二頭立ての幌馬車があった。
「ディラン殿は、そちらへ」
御者席に座ったリカルドに、ディランは荷台部分に設けられた座席に促された。
乗り込もうとしたが、心配そうにこちらを見る母と目が合い、ディランは振り返った。
「母さん、俺は大丈夫」
「そう、そうね……気をつけてね。リカルド様にも公爵家の方々にもこれからお世話になるのだから良く礼を尽くして。あちらに着いたら手紙を送ってね」
「そうするよ」
母レッテは、ぎゅっとディランを抱きしめると、名残惜しそうに体を離した。
「………気をつけていけ」
口下手な父にも言葉を送られ、ディランは馬車に乗り込んだ。
「行ってきます!」
「では、出発します」
リカルドの合図で馬がゆっくりと走り出す。そのうちにだんだん速足になり、家が遠ざかっていった。
両親は家の前で馬車を見送っていた。手を振る母に振り返していたが、その姿もすぐに見えなくなる。
馬車は速度を上げ、エリスの郊外へ進んでいく。
商人の馬車や旅人たちの流れと共に街を出ると、王都までの街道に出る。
この街道を使って王都に向かうのに、通常ならば馬車で1週間ほどかかる。
王都郊外にあるバッヘル領までは順調ならば5日ほどになるだろうか。
「あの、リカルド様。少しお聞きしてもいいですか?」
「かまいませんよ。私に答えられることならば」
御者席に話しかけると、前を向いたままではあるが、リカルドが返事を返してくれた。
「ええと。その、リュシアンナ様から、俺のことはなんて聞いてますか?」
「……そうですね、お嬢様の部屋の鏡に突然現れたということは伺っておりますよ」
「あー……あはは、それは、あの、本当にすみません」
にこりと笑顔で釘を刺すような返事に、ディランは頭をかいた。リカルドは、平民であるディランにも丁寧で礼儀正しく接してくれているが、好意100パーセント、という態度とは何となく思えない。
とはいえ、こうして話してくれるだけでも有り難い。気を取り直して、ディランは問いかけた。
「あの、他には……何か、聞いてますか?」
リカルドはその切れ長な目を、おどおどと問いかけるディランに少し向けると、すぐに進行方向に目線を戻し、口を開いた。
「ディラン殿はバッヘル公爵家にとって大切なお方であり、その身に危険が迫っている、とお聞きしました。無事にお守りしてお連れせよ、と命じられています」
「……あの、リュシアンナ様に鏡越しに会った時に、俺のことも、家族のことも昔から知ってるって言われたんですが……その事とかは……」
もうひとつ、ディランが気になっていたことを聞くも、リカルドの笑顔のガードは固かった。
「私からお話できることは何も。申し訳ありませんが、お嬢様に直接お聞きください」
「あ、はい……すみません」
話が終わってしまう。何も新しい情報を得られずにしゅん、と小さくなったディランを、リカルドは横目に見ると、しばしの後、口を開いた。
「……さきほどお渡しした首飾りですが」
「え?あ、はい」
「そちらは公爵家の家紋ですから、庇護下にあることを示す品であるのは間違いございません。ですが、とても貴重なものですので、通常ならば誰かに渡されるようなお品ではありません」
「え……」
ぎょっとしたディランは、首から下げた家紋を恐々と見下ろす。
「――そちらは、公爵家の跡取りが代々受け継ぐ品なのです。妖精女王による強い守りの術が施された品で、公爵家の宝です」
貴重な品。
誰かに渡すものではない。
跡取りが受け継ぐ品
妖精女王。
公爵家の宝。
とんでもない言葉の羅列に、ディランの頭は一瞬で真っ白になった。
「――ええっ!?」
遅れて、衝撃がやってきて、悲鳴のような声が出た。