健康で文化的な最低限度のチョコレート
細かい経緯は省くが、文明は崩壊した。
何事だと思うかもしれないが、まぁ、色々とあったのだ。異常気象が発生したり、神を名乗る不審者が降臨したり、人類に敵対する生物が現れたり。詳しく話そうとすれば大作小説がけるんじゃないだろうか。
益体も無いことを考えながら、宙に棒状のチョコレートを生成する。軽い音を立てて地に落ちたそれは、右手側に傾いていた。
「次はあっちかな」
いかにも適当な方法で定めた目的地に向かいながら、次は誰かに会えるだろうかと想像する。ほとんどの建物が倒壊し、地下も概ね潰れている景色の中で、人の生活の跡というのは案外分かりやすい。
「前に生きている人と会ったのは……一ヵ月くらい前、だっけ?」
それでもあまり会えないのは、そもそも生きている人が少ないというのが理由だ。
「次に会う人とは、どんな話が出来るかな」
自分がこんなにも人と話したがる性質だったというのは、崩壊してから知った新たな一面だった。元々引きこもり気味の生活ではあったけれど、人と会わないのと人に会えないのは違う、ということなのだろうか。
「独り言も増えた。あれ、これは元からだっけ?」
あまりにも色々とありすぎて、以前はどうだったかと思い出すのが中々に難しい。
「まあ、いいや。増えたってことにしておこう」
どちらだって変わらない。それを知る人も、もういないのだから。
それならば、少しでも話せることを増やしておいた方が良い。いつか、たくさんお話が出来るように。
神様に貰ったこの力は、生きていくために存外便利だ。
不思議とこのチョコレートを食べているだけで健康に過ごせる完全栄養食。どんな理屈なのかは知らないけれど、状況によって味に違いがあるので、欲しい栄養素が含まれたチョコレートになっているのだと思う。
そして単純に食料となるだけでなく、任意の造形物を造り出すことが出来る。全てチョコレート製ではあるのだけど。そのおかげで、金属製品はともかく、強度がそれほど必要ない道具は自由に使うことが出来る。
「あれ、雨だ」
世界が滅んだその後も、天気は変わらず巡っている。私は雨に濡れないように、傘型のチョコレートを造り出す。
「そういえば最初は失敗したっけ」
懐かしい思い出。この能力を得てすぐの時にも、同じようなことがあった。その時も同じように対応して、そして。
「チョコが解け始めて、手がべっちゃべちゃになっちゃったんだよね」
使い捨ての手袋をつける習慣が出来たのは、その教訓があったからだ。
べっちゃべちゃ、べっちゃべちゃ。音の響きが気に入って、意味も無く繰り返す。
どれくらい歩いただろうか。気付けば雨も止んでおり、薄っすらと広がる雲に和らげられた陽射しが辺りをぼんやりと照らしている。
「あ……」
公園だったとわかるその場所に、身を寄せ合う存在を見つける。
「期待は……しない方がいいよね」
もしかして、という思いが無いわけではない。それがありえないことだと理解していても、期待は消えてくれない。確認するまでは、どれほど低くても可能性は――
「まあ……そうだよね」
身を寄せ合う二人の男女。恋人か、あるいは兄妹か。どのような関係性であれ、お互いを想っていたことだけは間違いないだろう。
ちゃんとした埋葬の方法は知識にない。それでも、穴を掘って埋めてやるくらいのことは出来る。荷物からスコップを取り出し、比較的掘りやすい場所を見つけて二人を埋められる広さの穴を掘る。
「なんか手馴れてきたって思っちゃうのは……嫌な気分だな」
軽い自己嫌悪に陥りながらも、こんな気持ちで送り出すのはよくないとかぶりを振る。
この二人は最後まで幸せだったのだろうか。きっと、そうであってほしい。そんな意味のない祈りを捧げ、二人を弔った。
『なんで私なんかが』『あの時死んでいれば』『どうしてお前が』『こんなはずじゃなかった』『もう一度会いたい』『出来もしないことを何時までも』『お前は選ばれた』
『約束だよ、大きくなったら――
嫌な夢を見た。暫く見ていなかったはずの悪夢。
「……あぁ、そういえば昨日は飲み忘れてたっけ」
安眠のためのホットチョコレート。よく眠れるようにと造り出したそれは、夢を見ることもない程に深い眠りを供してくれる。
始めて造り出して以来、寝る前に必ず飲むようにしていたのだが。昨日は埋葬の疲労からそのまま眠ってしまったのだと思い出す。
「大丈夫、私は大丈夫。生きていれば、いつかは」
いつかは……どうなって欲しいのだろうか。取り返しのつかない程に滅茶苦茶になってしまったこの世界は、元に戻すことなど不可能なのに。
チョコレートのルービックキューブを造り出し、手慰みにかちゃかちゃと回す。先ほどまで揃っていた6つの面は、いともたやすく崩壊する。全ての面を揃える方法を私は知らない。0からそれを考えられる程の知能があるわけでもない。それでも、とりあえず動かしていれば、いずれは。全ての面が元通りになるような奇跡も起きるのではないかと。そんな希望的観測を抱きながらキューブを回す。力を入れ過ぎて欠けないように、壊れないように。