出て行って!
目が覚めたら陽が傾き始めていた。
起き上がって周りを見ても誰もいない。
うそ。置いていかれた!?
山というには標高が低く、登山というよりハイキングと言った方がしっくりくる。そんな山。
GWになると混むからと、その前に彼氏とやって来た。
平日だったから山で出会った人は少なくて、まだ春が残っている山の景色を二人で楽しんでいたのに、本当に些細な事で喧嘩別れしちゃったんだよね。
「でも、置いて帰る事ないじゃん」
酷い。
もう別れてやる。
謝ったって許してやらないんだから。
ここにいても仕方ないから、さっさっと帰ろう。
服に着いた土や草を払い除けて、歩き出す。
陽が落ちてなくてよかった。ハイキングだから、お弁当とお菓子ぐらいしか持って来てないもの。後は敷物とタオルぐらい。ライトなんて持ってないから暗くなったら大変だったわ。
いくら怒ってたからって、ふて寝するなんて。反省しなきゃ。たとえ人が少なくたって、用心しなきゃいけなかったのに。
「あーあ、朝は楽しかったのになぁ」
変な寝方をしたせいか後ろ頭が痛い。
もぅ、早く帰ってお風呂入って寝ちゃおう。
でも、帰ったら彼氏いるんだろうなぁ。
また喧嘩しちゃいそう。
彼氏のアパート、下の階から火事が起きて住めなくなったんだよね。それが去年の話。
それからうちに転がり込んで来て一緒に住んでる。
一応家賃もらってるけど、八万の家賃で一万しか出さないんだよ。しかも、食費も光熱費も全然私もち。あり得なくない?
もちろん、最初はちゃんと半分こにしてたけど、今月ピンチとかバイト代がまだでとかなんだかんだ理由つけて払わなくなったんだよね。
しかも、バイトも大学もない日はだらだらしてて、家事も手伝わない。
しかも、一緒に出かけた彼女を置いて帰るとかあり得なくない?普通にクズじゃん。
顔が好きだから、だらだらと続いたけど、別れた方がよくない?これ。
よし、別れよう。
帰ったら追い出そう。
泊まるとこ?知らないよ、どうにかするでしょ。子どもじゃないんだから。
面倒見る義務なんて無いし。
最寄りの駅に着いた頃には、隠れそうな夕日が夜を燃やしているように赤く染まっていた。
そんなに時間もかからずに夜になるだろう。
やって来た電車は1両で乗客も少ない。
俯いた老人。窓の外を見ている男の人。膝を抱える男の子。
たくさん空いている席の一つに座る。ボックス席だけだが、人が少ないので相席にはならなそう。
ガタンと動き出して流れていく景色をぼうっと見ながら、帰ってから訪れる修羅場にため息が出た。
アパートの二階にある自室には明かりがついていた。
やっぱり帰ってる。
私の部屋なのに、居候のアイツが何食わぬ顔で寛いでいると思うと怒りしか湧いてこない。腹立つ。
部屋の中からは笑い声が聞こえた。
またお笑い番組でも見てるのかな。
イライラしながら中に入ると、アイツは知らない女と一緒にいた。
「なに、その女。は?私を置いて帰っておいて、なに女といちゃついてんの!?しんじらんないっ!!」
私のベッドに背中を預けてべったりとくっついている二人の前に立つ。
しかも、私のマグカップ使ってんじゃないわよ。
なんなの!?マジでしんじらんない。
「聞いてるの!?今すぐ出て行って!!」
指を突きつけると女はビクッと体を振るわせ、青い顔でアイツに縋りついた。
アイツは「怖がりだなぁ」なんて軽く笑って女の頭を撫でている。
なに笑ってんのよ。今の状況が分かってんの!?修羅場ってんのよ!?
もう、ほんと、サイテーな男。
「ちゃんと!私を!見なさいよっ!!」
私がどれだけ怒ってるか、ちゃんと分かれ!
そして、出て行って!!
部屋の明かりがバチバチと点滅して消えた。
ホラー映画を流していたテレビも消え、真っ暗な部屋の窓から見える街灯だけが明るい。
突然の出来事に、部屋の中で悲鳴をあげる二人。
彼らの前にぼぅと人影が浮かぶ。
肩まで伸びた黒髪はぼさぼさで、俯いた髪から水のような黒いものがびちゃりと滴り落ちている。
ハイキング用の服は泥で汚れている。
「……ひ、な……」
男はガタガタと震えながら名前を呼んだ。
真っ暗なのに、前に立つ女の姿は仄かに見えた。蝋燭の火が揺らめくように、ゆらゆらと形が朧気に浮かび上がる。
俯いた顔がほんの少し持ち上がり、唇がにぃと笑みを刻んだ。
「タ、ッ……ャぁああアア!!!!」
金属を引っ掻くような叫び声がその口から発せられた。
同時に男に引っ付いていた女は悲鳴をあげて、転げるように部屋から飛び出した。
すぐに何かが転がり落ちる音が聞こえた。
それに気を配る余裕もない程、男は顔を真っ青にして女の顔を食い入るように見つめている。
「ぅ、うそだ。嘘だ、嘘、だ。死んだはずだ、陽奈は死んだんだ。ここにいるはずがないっ」
すぅっと滑るように女が近づいてきた。
座り込んでいる男の顔を上から覗くと、髪から滴り落ちた血がべちゃりと男の頬を汚した。
「タツ、ヤ……見タ。みぃタあ。見てル。みぃテぇぇぇるゥゥゥう」
女の両手が男の喉を包み込む。ゾッとする程冷たい手だった。血が通っていない手が男の頸動脈を探る。
表情が抜け落ちた顔はまるで、捨てられた人形のようだった。その唇が動き、掠れた音が言葉となって漏れ出た。
「出て、ケェ……消ェてヨォォおおお」
びちゃり、びちゃりと血が落ちてくる。
三日前のあの日、衝動的に石を掴んで殴りつけた後頭部から流れた血が落ちてくる。
「あ、ぁひ、ひぃひっ……」
震える歯がガチガチと音を立てる。
喉に掛けられた手に力がこもり、爪が食い込む。
殺される。
殺した女に殺される。
遠のく意識の中で見た彼女は泣きそうな顔をしていて、咄嗟に「ごめん」と呟いた。
深夜。彼女を殺してしまったと警察に自白した男はそのまま勾留され、後日、供述通りに後頭部を殴打された女の死体が発見された。
抵抗したのだろう。死体の爪から男の血が検出され、それが犯行の決定打となった。
実刑を受けた男は、刑務所でしばしうなされているらしく。目が覚めると首にあざのようなものができているらしい。
お読みくださりありがとうございました。
ジャンルを固定すると、結末がバレるのであえての「その他」にしてます。