表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/24

序章-1:回帰と転生

 自分が意識する自己というものが、今、希薄になっていく。

 理由は解っている。また「あれら」から干渉を受けているからだ。

 つい先ほど、歩んでいた道のりの目的地にたどり着いた。

 自分は1つの生というものを終えたのだ。


 「あれら」によって、自己を覆っていたものが取り払われていく。自己を覆うものは、先ほど終わった生で培われたもので出来ている。これが失われるといことは、新たな生を受けることを意味する。


 以前は精一杯、抵抗した。折角得た自己なのだ。自分が所有するべきで、何者にも渡すべきものでは無いと。

 しかし、いくら抵抗しても、自分の一切が「あれら」には通用しない。ここは「あれら」の領域。自分には「あれら」にできることは何も無い。そういった理が働いている。「あれら」は、自分の所有する全てを、何処かにやってしまうのだ。幾度も、幾度も。


 そうして、今回は一切の抵抗をすること無く、成り行きに任せていた。もはや事を成さない行いをすることに、自分の意識は向かわない。

 今、自己は一片も残さず、溶けて消えた。自分は剥き身となり「あれら」と正面から向き合う。


 「前回もですが、今回も随分と機が熟したようですね。当然の結果です。準備が整いましたら、また励んで頂くことになります。」


 自分の認識の限りでは、これで5回目である。

 ふと、促されるように意識を向けると、すでに道の入口が現れていた。入口の存在を意識すると進まざるを得なくなる。

 「あれら」から解放されるすべを得ないと、また同じことを繰り返すことになる。何かないか?

 自己を働かせようとすけども、「あれら」の干渉により、自分が所有するものが何も無い。働かせられる自己は切り崩されている。


 自分は、自己というなれ果てを幾度か繰り返した。そして自己は「あれら」の前では形を保てなかった。

 今、望むのはこの「在り方」からの解放。それを成す為のすべが欲しい。


 しかし今、「あれら」が示した道の入口がある。繰り返し通ってきた入口が。

 

 「お行きなさい。励んで来るのですよ。」


 剥き出しの自分は「あちら」からの意志に何もできず、自ら入口へ近づいていく。

 入口から道先をうかがい知ることはできない。道先は自分が選択する道によって定まる。今回の道のりは…。

 そのように意識が働きながら自分は入口をくぐった。

 入口は閉じることもなく、ただ存在していた。

 今はもう、ひたすら進む。他に自分ができることはない。

 進めば、選択によって道が拓けるのだから。

ご拝読いただきましてありがとうございます。

繰返し転生するものが抱いく望み。これが果たされるのかどうかが、この作品のテーマです。

拙い技術で、なんとか表現できる様に頑張ります。

長い目でお付き合いいただければと思います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ