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十番勝負 その六

第十二章 三番勝負 水野長兵衛との勝負


 三郎は薄暗い行灯の下で何やら考え込んでいた。槍と槍の勝負で万全の勝ちを収める方策をあれこれと考えていたのだ。三郎にとっては、生涯第三番目の試合が目前に迫っていた。

 ことの発端は十日ほど前になる。

 岩城氏の居城である大館城の城下町である大舘に出かけた家宰の吾平が血相を変えて戻って来るなり、若、大変でござると三郎に言った。

 「吾平爺、その若という言葉はやめよ。おいらはもう三十一にもなる。三十一の男をつかまえて、若、はないだろう」

 「ああ、そうでござりましたな。では、三郎さま、大変でござります」

 「大変、とな。まさか、おまあさまのお腹が大きくなった、と言うのではあるまいな」

 「げっ、滅相も無い。おまあさまは、あの小百合とは違いまするぞ。そんなことを言えば、首が飛びまする」

 「まあ、お茶でも飲んで、気を休めてから、だんだんに申せ」


 吾平の話と云うのは、こんな話であった。

 大館城近くに、三郎が門下となり、修行に励んだ槍の道場がある。

 道場と言っても、当時の道場は後世の板の床のある堂々とした道場とは異なり、家を少し改築して造った程度の道場がほとんどであり、槍の道場であれば、庭を少し囲った程度の道場が主体であった、と云われている。道場主はもうかなりの老齢とはなるが、細川十太夫正之という者であった。細川は岩城の被官であり、槍の指南役を長年務めている。

 その道場に、水野長兵衛という兵法者が押しかけて、試合を申し入れたのが十日ほど前のことであった。岩城の被官であり、槍の指南役を仰せつかっている身であるから、いくら望まれても試合は出来ない、と細川十太夫が断った。これは、極めて当然のことであり、まともな兵法者であれば、致し方無しと諦めるのが一応の道理であったが、水野長兵衛は執拗に試合を望んだ。見るに見かねた門人の一人が水野との立ち合いを受けた。

 その門人は道場ではかなりの遣い手であり、十太夫不在の時は代稽古をつけるほどの腕前であり、いささか慢心していたのかも知れない。たんぽ槍で数合突き合いをしたと思ったら、水野の鋭い突きが胸に入った。悶絶した門人を見下しながら、水野はせせら笑って、十太夫に告げた。少しは出来ると思ったが、このていたらくでは、師匠の腕前も知れている、十日ほど滞在するが、試合を望むなら、受けて立つ、試合をする気が無いならば、立ち去り、よそに行き、この道場の弱さを吹聴することとする、それで宜しいか、ということであった。


 吾平の話を聞き、これは聞き捨てならないと思い、翌日、三郎は細川道場に赴いた。

 十太夫は部屋に座って沈思黙考していた。

 三郎が姿を現わすと、それまでのいかめしい顔を崩して喜んだ。

 「三郎、久し振りであるな。どうだ、変わりはないか。奥方はもう貰ったであろうな」

 「師匠、お久し振りでござりまするな。身共は未だ独りものでござるよ」

 「なんだ、いい齢をした若い者が未だ独りものとは。奥方を貰って、跡継ぎを作るのが南郷家嫡男の役割ではないのか」

 「まあ、師匠、身共のことはさておき、今日まかりこしたのは他でも無く、水野何某とか申す兵法者のことでござる」

 「ああ、その件、耳に入っておるのか」

 「師匠はどうなさるおつもりか?」

 「別に、どうということも無い。放っておく」

 「あいや、それはなりませぬ。闘わなければ、よそに行き、道場の悪口を言いふらすとまで言っているやからを放っておいてはなりませぬ」

 「しかし、わしは立ち合うことはかなわぬのじゃ。まあ、立ち合ったとしても、勝てる見込みはあまり無いがのう」

 いささか、自信の無さそうな口振りであった。師は正直な男だな、と三郎は思った。

 そこが師匠の良いところである、とも思った。

 「師匠が立ち合う必要はござりませぬ。この試合、拙者にお譲りあれ。細川道場門下の拙者が立ち合えば、水野何某も承知するでありましょう」

 「水野は強いぞ。剣ならばともかく、槍の試合は勝ちを読むのがむつかしいものぞ」

 「なに、拙者にお任せあれ。何とか、工夫して、勝ちを収めることと致しましょうぞ」


 屋敷に帰って、三郎は水野宛に書状を書いた。

その書状は果し合いの書状であり、その文面を簡略に記載すれば、ほぼ次のような文言であった。師に対する罵詈雑言、まことに許し難し。弟子の末席に連なる者であるが、貴殿との試合を所望致す。真槍での試合とし、たとえ死しても遺恨は一切持たずそうろう。

 試合の場所は、岩城様領土と佐竹様領土の境の照島の浜辺。

 この文言に、試合の日時を書いて、弥兵衛に持たせ、水野に渡した次第であった。

 水野長兵衛は弥兵衛がおずおずと差し出す果たし状を読み終えると、おもむろに言った。

 「承知仕った。久し振りに骨のある侍を見た思いがするものぞ。これ、下僕、弥兵衛と申したか。急ぎ帰って、南郷殿に伝えよ。儂の槍は貴殿の血を欲しているとな」

 その後に続いた豪傑笑いまで、弥兵衛は再現して、三郎に伝えた。

 「やめたほうがよがっぺ、だんなさま。あの水野というお武家はほんとに強そうだなし。急に、病気になりやしたら、どんなもんだっぺよ」

 「これ、弥兵衛よ。愚かなことを言うでない。この三郎は敵に背中を向ける男ではないわ。たとえ、どんなに強い相手でもな」

 「そんなら、だんなさま。兵法の工夫だっぺ。こんども、工夫されて、勝ったらいいべよ」

 「おお、よくぞ申した、弥兵衛。こんども工夫して、万全の勝ちを得ることとしようぞ」

 

三郎は照島の浜辺に立っていた。

 少し常陸の方に行けば、和歌の歌枕にも使われるほどの名の通った勿来の関がある。

 えみしよ、来る勿れ、という意味で勿来なこそ。これが、勿来という名前の由来である。八幡太郎源義家がこの関所を通った際、詠んだと云われる歌も残されている。

 吹く風を 勿来の関と 思えども 道も()に散る 山桜かな

 三郎は、この歌を口ずさみながら、わしも、孔子さまの教え、孫子さまの兵法ばかりで無く、そろそろ歌詠みの修行にも取り掛かるか、と思っていた。

 目の前に、照島という小さな島が海中からむっくりと起き上がった巨人の頭のように屹立している。その島の頂上には、松の木と思しき巨木が幹をうねらせて潮風に立っている。

 男はかくありたい、かくあらねばならぬと三郎は思った。

 どんな風が吹こうと、どんな境遇に置かれようと、常に自分らしく毅然として居ること、男はそうでなくてはならない、と三郎はその島の頂上の樹を見詰めながら思っていた。

 兵法の工夫は全て済んでいる。後は、水野長兵衛の到着を待つのみぞ。

 

やがて、駕籠が着き、水野が浜辺に降り立った。

 長い間、駕籠に揺られていたせいか、水野の体が少しきしむように傾いでいた。駕籠は三郎が手配した駕籠であった。駕籠かき人足は新米を手配するよう、吾平に秘かに命じておいた。下手な駕籠かきに当たった者の腰はガタガタになるものぞ、と三郎は心中秘かに笑った。

 「おう、これは、これは、矢来まで巡らし、心おきなく闘えるものぞ。ありがたし」

 水野は腰の痛みに顔をしかめながらも、浜辺の決闘の場に張り巡らされた矢来を見て、気丈な言葉を吐いた。矢来も三郎が手配したものであった。矢来の中は砂浜の他は何一つ、妨げになる物は無かった。いかにも、障害物を避ける槍同士の試合にはうってつけの舞台のように思えた。水野は長い槍を手にしていた。長い槍だった。

 普通は、一間半(二メートル半)程度の槍が一番使い易いとされているが、強力の水野は二間(三メートル半)という長めの槍を携えていた。槍の技には突き技の他に、叩くという技もある。強力の者であれば、敵より長い方が有利になるのは必定であった。

 これから少し後の戦国後期では、四間(七メートル)を越える長槍が戦闘の前線に立つ足軽集団の武器となったほどである。密集して槍襖やりぶすまを作り、騎馬武者の襲撃を防ぐと共に、相手との槍合戦の際は、槍を高く揚げて、一斉に下ろし、相手を叩きつけるという戦法を取るためである。この場合、槍は長ければ長いほど有利で効果的になるのは目に見えている。水野はやはり予想通り、長めの槍を持参してきた。

 

 「南郷殿。いざ、勝負を致そう。で、貴殿の得物は、それでござるか?」

 水野は三郎が手にしている一間程度の短槍を見て、意外そうな顔をした。

 表情のどこかに、この試合はわしの勝ちぞ、という(あなど)りが見えた。

 「弥兵衛、拙者の槍の柄を持て」

 弥兵衛が二間ほどの柄を持ってきた。三郎が手に持っていた一間ほどの短槍をその二間の柄に取り付けた。柄は嵌め込み式となっており、円滑に嵌められ、三間の槍となった。

 「弥兵衛、拙者の付け槍を持て」

 三郎の言葉を受けて、弥兵衛が奇妙なものを持ってきた。長さは半間ほどで短いが鋭利な穂先が付いた『ヨ』の字のものであった。三郎はおもむろにその奇妙なものの中央に三間槍を通した。留め金の音がして、槍は完成した。何と、それは今まで見たことの無い、三本の穂先が付いた三間半の長柄の槍となった。三本の槍の穂先のそれぞれの間隔は一尺ほどの間隔しか無かった。三郎はその槍の末端の石突きから鍔が付いた五寸ばかりの管を通した。

 その鍔付きの管を左手で持ち、右手を槍の後方に添えて構えた。

 「いざ、尋常に勝負致そう」

 

三郎の大声で、水野長兵衛は幻から覚めたように、我に返った。

 長兵衛の目には、三郎が落ち着き払って行っていた槍の組み立ては夢幻ゆめまぼろしとしか思えなかったのである。これは、何と言う「からくり」であることよ。

 とても、尋常な槍の勝負とは思えぬ。槍の試合というものは、一本の穂先で争うものよ、しかるに、この南郷の槍は何じゃ、穂先が三本もある馬鹿長い槍ではないか、こちらの槍は相手の懐にでも入らぬ限り、絶対に相手に届かない、それに、相手の真ん中の槍の穂先をかわしたとしても、左右どちらかの穂先がかわした体を貫いてしまう、こんな試合は冗談では無いわ、と脂汗を滲ませながら長兵衛は思った。

 「卑怯、卑怯ではないか、南郷三郎! このような槍なぞ、今まで聞いたことも見たことも無いわ」

 三郎はピタリと長兵衛の胸元に槍の狙いをつけたまま、落ち着き払って答えた。

 「だまらっしゃい。兵法家たるものが卑怯と言うは、笑止千万。これが拙者の兵法の工夫でござるわ。いざ、尋常に勝負、勝負!」

 と、言いつつ、左手はそのままにして、右手を前に繰り出した。

 左手の管が効果を発し、槍は恐ろしいほどの速さで前に繰り出された。

 穂先が目の前一尺ほどに迫ってきた。思わず、長兵衛は恐怖を覚え、後ろに後退した。

 その際、砂浜の凹凸により、足がもつれた。三郎の槍は即座に引かれ、また恐ろしい速さで長兵衛向かって繰り出された。また、長兵衛は後退した。足がもつれ、転びそうになった。

 長柄の槍は障害物のあるところでは使えぬ、また、あの三本穂先は密集した障害物のあるところでは動きが封じられ、かえって仇となるはず。長兵衛は後ろに逃げながら、建物、樹木、或いは岩といった障害物を探した。しかし、周りは全て障害物の無い砂浜であり、出口は全て竹の頑丈な矢来で塞がっていた。決闘の場を矢来で巡らした三郎の心配りを誉めた長兵衛は三郎の策略もまた覚った。長柄でしかも三本穂先の槍を心置きなく振るうための矢来であったのか。長兵衛はじだんだ踏む思いで三郎の兵法策略を恐ろしいと思ったが、全ては後の祭りであった。長兵衛は三郎が恐ろしい速さで繰り出す三本槍の穂先をかわしている内に、だんだん足が鉛のように重くなってくるのを覚えた。

 足場の悪い砂浜での闘いは長引けば長引くほど容赦無く、長兵衛の体力をどんどん奪っていった。いつしか、矢来に背を押し付ける形となり、追い詰められてしまった。

 

足も疲れ果て、もう一歩も動けない状態になった。眼前に、恐ろしい顔をした三郎が迫ってきた。長兵衛は思わず、叫んだ。

 喉がからからで、声は声にならなかったが、腹の底から振り絞るようにして声を出した。

 「参った、参り申した」

 三郎は無表情な顔で、最後の突きを図ろうとした。

 「参った、降参でござる。拙者の負けでござる。槍を引いてくだされ」

 三郎の表情は動かなかった。長兵衛は槍を捨て、その場に崩れ落ち、平伏しながら言った。

 「拙者の負けでござる。お願いでござる。命、命だけはお助けくだされい」

 遠巻きに観ていた見物人は一斉に歓声を上げた。

 長兵衛は転がり込むように駕籠に乗り、退散して行った。

 

 「だんなさま、三番勝負もめでたく、かたれましたない。おめでとやんした。さぞかし、はながたかいっぺ」

 「弥兵衛、また、兵法を使ってしまったわ。拙者の悪い癖であるな」

 「そんなことはないっぺ。おたがい、血をながさなくてすんで、まずはよかったなや。えんまんかいけつで、さいこうだっぺよ」

 「円満解決、か。でも、水野長兵衛に胸を突かれた門人の某はその後再び起き上がることもかなわず、死んでしまったと云うぞ」

 「それは、まことにおきのどくなことで。それにしても、兵法者はたいへんだない。いつも、いのちのやりとりをしてっからに。でも、だんなさま、死ということはどういうことだっぺかね。やはり、死んでみないと、わがんねことだっぺかね」

 「死、であるか。孔子さまは門人季路が発したその問いにこう答えられておるぞ。いまだ、生を知らず、いずくんぞ、死を知らん、と」

 「おいらは、もっときらくにかんがえているだよ。いわく、生きているうちが花なのよ、死んでしまえば、はい、それまでよ。こういうかくごで、おいらは生きてっぺよ。だれにも、もんくはいわれねっ」

 「弥兵衛よ。汝の生き方のほうが、不自由を感じず、心豊かに生きられるかも知れんな。どうも、兵法者の生き方は不自由であることよ」

 三郎は勿来・照島からの帰りの馬上で、ふと己のこれまでの生き方に寂しさを感じた。

 武芸の修得を一筋に念じ、精進してきた身であるが、どこか空しい。おまあさまを妻に迎え、のんびりとした人生を送る、というのも悪くない。誰に頼まれたわけでも無いのに、こんなに肩肘を張って、武芸の意地を貫く必要なんて、元々無いのだろう。

 水野長兵衛との試合に勝ちを収めた三郎であったが、心に一抹の寂しさを感ずる己の心だけはどうすることも出来なかった。


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