孤独という名の風景画 ver2006
最終更新日:2008/6/2
(確か誤字修正。完成したのは2006年)
見やすくするため、投稿に際し「」前後の空行挿入のみ行いました。
月が、照らしていた。
山林に囲まれた城下町にそびえる城から、突き出るように存在するバルコニー。そしてそこに立つ幽玄な面立ちをした娘を。
すべてのものと同じく、風景に溶け込ませるように。ただやんわりと、包み込むように。彼女が着る純白のドレスすら違和感なく捉えられるほど、美麗に。
「……はぁ」
その神秘的な光に包まれ、娘は嘆息した。優美な口元から吐き出された息が空気となり、風となる。その風が彼女に舞い降り、腰までかかる美しい金色の髪を撫でた。銀色の月光の中で輝く黄金色の光は、さながら精霊が祝福しているようで、それでいて自然だった。
「なぜ私は存在しているのだろう?」
先ほどまで月に向けていた視線を前方に変えたため、髪と同じ色をした瞳が景色を捉える。どこといった目標もない、眼差し。
「せめて少しでも文の才があればよいのに……」
悲哀の色を込めたつぶやき。羨望にも近い瞳が写すのは、それでもやはり風景でしかなかった。
いつからだろうか? ものを見なくなったのは。すべてを自然造形としてのみ受け止めるようになったのは。しかし、それはすでにどうでもよい事だった。
「私は少し、お前がうらやましいよ」
彼女には妹がいる。この国の第二王女であり、自分よりも数倍頭のよい妹が。そして、神が姉に与えた才能は、武と魔だった。
それはおおよそ、王女には必要のない事柄だ。魔法の才はともかく、武術の力はほとんど意味がない。
だから彼女――フェイアーラは、いつしかただの象徴でしかなかった。民から王女様と言われる、それだけの存在。
「本当に、なんのために私がいる?」
疑問だった。せいぜい戦うことでしか意味がないような人間が、なぜ城で、王女として生きているのか。
もちろん何度となく逃げ出そうとした、しかしその度に兵士に捕まり、そして言われる。『何をしていらっしゃるのですか、王女様』と。
「いいじゃないか、私がいたところで何になる」
王女という肩書きが、フェイアーラという小鳥の楔だった。
地面に縫い付けられ、いつしかもがく気力すら失った彼女は、絶望という感情すら切り捨てた。すでに自分が信じられなくなってしまったから。
かつて専属教師はこう言った。――自分を信じるということは、自分の力を伸ばして生かし、何かの役に立つこと。と。
しかし立場上公に訓練を積んでいるとは言えず、夜中にこそこそと行う。それではとても力が伸びるとは言えない。
自分の力が伸ばせないということは、死んでいるのと同義。彼女の思考は常にここに辿りつき、止まる。
「終わりたいよ、でも……」
終われない。王女だから。
楔は小鳥に何をさせることも許さない。すべてに平等であるはずの絶対的な終わりすら、与えない。
「誰か……」
だからきっかけを求めた。終わりをくれる人を待った。
自分で手にできないのなら、他人に頼るしかなかったから。
「はぁ……」
再び息を吐く。叶うはずのない望みを抱くことに意味はない。分かっている。
だから時々こうやって思慮にふけって自分を感じる。そうやって弱音を吐ききって、未練をなくす。
時間がたてば明日が始まるのだから、そのときに今日を残すことはできないから。
「さあ、寝よう」
先ほどとはうって変わって、柔和な顔になる。王女という仮面をかぶった、脆い体躯。
きびすを返し、バルコニーの戸を開ける。
二歩ほど歩いたところで、違和感に気づいた。
首筋に感じる悪寒。ゾクリというより、ちくちくとした断続的な痛み。すなわち、殺意。それもバルコニーにいる間は何もなく、廊下には衛兵の気配もする。察するに、いつの間にか天井裏に潜んでいたようだ。
「明日は何があっただろう」
それでも、ほんの少し右足を空中に止めただけで、何事もなく歩を進める。ここで怪しまれるような行動をとることは、自分を不利な立場へと追い込むだけだと知っていたから。
――来る!
刹那。
フェイアーラはスカートに隠してあったナイフを抜き放ち、身を翻して刃を受け止める。
そのまま侵入者の男に右足を突き入れ……るも、手ごたえは無い。跳び退られたようだ。
しかしそれにも動じず、軸足である左足で背面跳び。ついでにスカートを動きやすい長さに切り裂く。
男は壁際に立ち、何事もなかったように彼女を見据えた。
「……出口は」
右手側に廊下への扉。左がバルコニーの扉。だが、どちらにしても男に追いつかれるだろう。
そこまで考えて、彼女は苦笑した。なぜ自分は、助かろうとしているのか。待ちに待ったきっかけだというのに、どうして。
「体が覚えているというわけね」
ボソリと、誰にも聞こえない声でそう呟く。ひざ上程度に短くなったスカートを見やり、さらにそう思った。
無意識のうちに体が行った反応。神は、どうやらとことん彼女を生かしたいようだ。
「姫様、今の音は……!」
金属の擦れる音を聞いて非常事態と感じたらしく、扉から慌てて二人の衛兵が飛び込んでくる。しかし彼らはすべてを確認する間もなく絶命した。男が――年齢でいえば青年が投げたナイフが正確に喉元を捉え、有無を言わさず。
――沈黙が、流れた。
フェイアーラは特に動こうともせず、ただ自然体で突っ立っている。青年にしてみれば好機中の好機だが、それでも動こうとしない彼女に次第に疑問が生まれる。
殺せ、と、理性が言った。
待て、と、何かが言った。
青年は逡巡し、後者を選択した。
「本来、標的に話しかけるなどという間抜けなことはしないのだが……」
そう断わりを入れてから、青年が口を開く。年相応の、若者らしい声。しかしそれには抑揚がなく、私情はまったく含まれていない。
彼の容姿は一目でその職業が分かる。闇色のマントに、漆黒のマフラー。喋るためか現在は口元を覆ってはいないが、それのおかげで呼吸音を消していたのだろう。その肢体はいかにも筋肉のばねがよさそうで、それでいてしっかりしている。
「お前、何者だ?」
自分は、王女を殺しに来たはずだった。民の象徴として、常に微笑みかけてくる姉の方を。皆にもっとも浸透しているこの国の第一王女を。
だがどうだ。今彼の目の前にいるのは……。
かまわない、殺せ。――理性が叫ぶ。
どこかおかしい、待て。――何かが止める。
これが迷いだと自覚するのに、数秒を要した。その結論が出る直前に、フェイアーラが口を開く。
「何者もないと思いますが」
フェイアーラは、特に動揺もせず、はっきりとそう答えた。普通の人間が見たら思わず悲鳴を上げそうなほどの冷笑を浮かべながら。
「俺が知っている王女は、もっと綺麗な笑みを浮かべるのだが」
ここまできたら、“何か”の声に従うことにした。
彼自身、王女の本当の姿に興味が沸いてきていたから。
ただしそんなものを感じさせないよう、淡々と言葉をつむぐ。
「それは王女としての私。今は、フェイアーラとしての私」
青年は一瞬、彼女が二重人格なのかと疑った。しかしすぐに否定し、結論に達する。
――今目の前にいる彼女が、王女なのだと。民の前に見せる姿は仮初のものにすぎず、その攻撃的な気配が、美しさが、悲愁が、本来あるべきのものであると。そう理解した。
理由は簡単だった、その瞳の奥に、過去の自分と同じものを見たから。
「……同じか」
「え?」
青年が口走った言葉に、フェイアーラが反応する。
「お前、孤独だろう」
「!?」
彼女は絶句せざるをえなかった。それは、今日初めて出会った男に、自分を言い当てられてしまったから。
今まで、彼女を独りだと見抜けた人間はいない。民には当然そうは見えないし、内情を知っているメイドですら分からなかったのだから。家族など、論外だ。
逆に言えば――それだけフェイアーラは他の人間と溶け込んでいた。
そして今は、それを隠しそこねた。
「なぜ、そう思われるのです?」
彼女は搾り出すようにそう聞いた。推測だが、今の自分を見たからそう結論付けた、というわけではないだろう。普通なら二重人格とでも思うはずだ。それくらい考えるだけの頭はある。
「お前は昔の俺と同じ瞳をしている。物事を、風景としか捉えていない」
彼女の体を戦慄が走り抜けた。ひざが支えを失うように震えだすが、気合で保たせる。
そもそも、どこをどう見れば分かるというのか。別に瞳が光を失っているわけでもないというのに。
しかし現実に、この男は気づいた。いや、気づいてしまった。
だからこそ、フェイアーラは恐れる。最悪の現実に目を向けさせられてしまうことを。それを他人に指摘されてしまえば、否応無しに認めさせられてしまう。
逃げ続けてきた、この、虚無を。
「物事を風景として捉えるということは、自分を写さないことだ。なぜなら、景色は自分の目で見るものなのだから。孤独に震える自分を写さないことで、精神の崩壊を防いでいるんだ。
俺も、お前も」
そんな胸中を知ってか知らずか、青年は続けた。彼女が最も恐れることを眼前に突きつける。
避けられない壁として示唆するように。
過去、妹が成長してから自分に書類が回ってきたことがあっただろうか。
現在、自分に両親の目が向くことがあるだろうか。
それらを景色として認識することで、平和な三人家族を見る。自分という投影機を使って捉えた、己の存在しない世界を眺めるために。
「う……ああぁぁ」
ついに耐え切れなくなり、トスンとひざをつく。顔を両手で覆い、泣き崩れる。
今まで堪えてきたさまざまな堤防が決壊し、その瞳から心の声をあふれ出させた。慟哭、悲痛、怨讐、憤慨……その他多種多様な感情が涙となって頬に川を作ってゆく。
「そうよ、どうせ私に公務はできない!」
何を思ったか、立ち上がって青年に詰め寄る。殺そうと思えば簡単にできるが、青年はあえてそれをしなかった。
「父様や母様には何も期待されていない! 武術だって磨けない!」
感情のコントロールができなかった。悲しみが来たと思ったら怒りが来る。理不尽な境遇にあっても今まで支えていたものが、根元から破壊されてしまったから。ものをものとして認識させられてしまったから。
事実を――掲示されてしまったから。
「殺してよ! そのためのあなたでしょう!」
心からの叫び。自身の本心を打ち明けた瞬間。
絶叫とも言えるそれは、青年が作り出した風の結界によって反射し、外には漏れなかった。
「あああぁぁぁぁ……」
悲惨な声で嗚咽するフェイアーラは、青年の胸板に必死に訴える。ひざ立ちし、両のこぶしで叩く。こぼれた涙が床に落ち、小さな水溜りとなっていた。
「……落ち着いたか」
しばらくしてから唐突に、青年は聞いた。同時に彼女を軽く突き飛ばす。
2、3歩ほど後ずらせてから問いかけた。
「事実は、現実は、虚無は……すべて認めなくてはいけない」
フェイアーラは答えない。が、青年はかまわず続ける。
「しかしそのためには、誰かに指摘してもらわないと、いけないんだ」
その言葉に、彼女は顔をあげる。金色の瞳が、青年を捉える。――捉えられた。景色ではなく、ものとして、人として。
そうして、改めて彼を見てみる。
そして知った。青年がなぜ自分を同じと言ったのか。風景としてでは分からなかった、彼の姿が見えたから。
瞳に秘められた、底知れない暗さが感じられたから。
「あなた、もしかして……」
助けてくれたの? そう続けようとして、言葉を切った。言っても、それはあまり意味がない。
――助けられたことは、明白なのだから。
感情がある。それが自覚できる。暗くかすんだ世界が、今はっきりと見える。
彼は見かねてだろうが、助けた。かつての自分と同じ境遇にあるフェイアーラを。その解決方法を知っていたから。
本当にこの男は殺し屋なのかと、疑問に思う。
「変な考えは起こさないことだ。俺がお前を殺すことに違いはない」
彼女はそれでも、あふれてくる雫を止めることはできなかった。一筋のきらめきが、頬に川を作る。しかしそれは、ようやく開放された楔からの羽ばたき。青年に向ける、感佩の意思。
「ありがとうと、言わせて」
それだけつぶやいて、後ろへ大きく跳び退る。右手に魔力を集中して、氷の刃を作り出し、戦闘態勢。
「俺は、その姿が好きだな。その氷雨のような気配を纏う王女が」
どういう意味? などと問う彼女に対して、青年はただ「一市民の意見だ」とだけ答えた。
一瞬の静寂。
「せい!」
先に動いたのはフェイアーラ。
青年はそれをやすやすとかわし、足払いを放つ。
見事にしりもちをついた彼女の左胸の辺りにナイフを静止させ、さらりと言い放った。
「弱いな」
「な……!?」
「初撃をかわしたときは、もう少しできるのかとも思ったが」
体勢を入れ替えたくても、右手を彼の左手で押さえられ、両足はかかとで床と挟み込むように封じられている。体重はつま先と左手で支えているようだが、逃げられず、痛みはないような力加減。
「もう少し強くならなくては、生きてはいけない。せめて一太刀くらいは入れてみろ」
「殺す気で来たくせに」
もっともな意見だが、それを言った瞬間にフェイアーラは思わず吹き出した。くすくすと笑う彼女を開放し、青年はバルコニーに移動する。
「行くの?」
「ああ」
冷たい風が二人を駆け抜ける。
そろそろ見回りがここに来るころだった。
「私はまだ生きているけど」
聞いておきながら、彼女自身なんとなく答えが分かっていたのだが。
「俺は、王女は殺した。ナイフは確かに心臓に刺さったからな」
――本当に、変わった男だ。改めてそう思い直し、ふと疑問が頭によぎる。
「けれども、世間一般では私は生きていますよ?」
この事実ばかりは覆しようがない。暗殺を含め傭兵などの職種は、信頼で生きているようなものだ。
「心配無い。キラーマシンでもしくじることはある」
答えは、あまりにも意外だった。
キラーマシン:殺人機械と呼ばれる彼の姿を見て、生きていた人間はいない。常識として誰もが知っており、王族が最も警戒する人物。まさかそれが、標的に同情するとは誰も考えはしない。
しかし、フェイアーラにはなんとなくわかる。いかに冷徹に刃を振るう人間でも、必ず過去を持ち合わせている。それがあるから、自分を助けてくれたのだろう。
だから、彼女は決めた。この男に、同情と哀れみ以外の感情を抱かせることを。
「あなたの不敗伝説もここまでかしら?」
「バカをいうな。言ったろう、王女は死んだ」
王女は死んだ。
だからそこにいるのはフェイアーラという、人間。
「名前、教えてくれる?」
キラーマシンに出会って生きていた人間もいなければ、名を知っている人間もいない。だから、せめて自分だけでも彼の名前を知っていてあげたい。キラーマシンなどという仮面をつけている暗殺者ではなく、本当の彼という人を。
「……何か意味があるのか?」
その答えに、フェイアーラはやれやれといったような様子でガラスにもたれかかる。おそらく数分前の自分なら、特に疑問にも思わなかったことであるのに。
「聞きたいから聞くまでです」
微量の怒気を含ませた、感情の有り余る言葉。いままでの、どこかぎこちなかった物とは違う、年相応の声色。すべてが、自然と口から出ていた。
フェイアーラの問いに、少し困ったような、考えるようなしぐさをしてから、青年は答えた。
「ゼイ・ニーフォン。再戦したければここに何か印を立てろ」
端的に、それだけ言うと、彼は漆黒の大地へと飛び降りていった。
それ以上は何も言わせないという、彼なりの自己表現だったのかもしれない。
「私は……フェイアーラ・リシテ・メイロード。ゼイ、絶対あなたに一太刀入れてみせる」
彼女はしばらく呆然と下を眺めていたが、そのうち先と同じように月を見上げた。その瞳は天に浮かぶ光をしっかりと捉え、悲哀の変わりに希望が満たされている。
ゼイという、独りの男に、自分を認めさせるという大きな目標を、胸に秘めて。
黒歴史過ぎて死にたい……orz