野うさぎ
昔、この世界には2つの大きな力が存在していた。
炎を司る悪魔と氷を司る悪魔は、1つの石を奪い合い、力尽きたといわれている。
”ルラピス”と呼ばれるこの石は、現在でもメルエル家によって不気味な言い伝えとともに守られている。
『炎と氷の力を持つ者が争い、一方が生き残りし時その者の願いを叶えよう。
両方が倒れし時われは永遠に失われるであろう。』
「ルピスお嬢様、お目覚めですか?」
そう言ってドアをノックする音が聞こえる。フリルの付いた天蓋カーテン付きのベッドの中で少女が眠っていた。
ーガチャッ
「お嬢様。本日はお客様がいらっしゃいます。そろそろお目覚めいただかないと…」
なめらかなワインレッドの髪に映えるサファイアブルーの瞳。執事服を着た男が、少女に声をかける。
「ん~…」
ゆっくりと起き上がった少女は、目をこすりながら男を見た。
「レイル…おはよう…」
「おはようございます、お嬢様。」
優しく微笑む男ーレイルの整った顔立ちは、気品を漂わせる。
「本日の朝食は、木イチゴジャムのパンケーキとミルクティーでございます。」
「…うむ。」
少女が立ち上がると、レイルとかなりの身長差があった。
140センチの身長に足元まで伸びたつややかな金髪。きめ細やかな白い肌とドールのような顔立ちが美しい。長いまつげに縁取られた瞳は、神秘を感じさせるアクアマリンの色をしていた。
少女ールピス・メルエルは”ルラピス”を守るメルエル家の一人娘だった。
「お口に会いますか?」
「今日はレイルが作ったのか…?」
ルピスは小さな口にパンケーキを運びながら、レイルを見上げた。
「よくおわかりで…」
「ふん…今日もおいしいぞ」
レイルはルピスの言葉を聞いて、嬉しそうに笑った。ルピスはそれをちらりと見ただけだった。どこか照れくさそうにミルクティーを飲みながら。
「お嬢様。そろそろキャロルさんが…」
「ルピスーーーーー!!!!!」
ーバンッ!!
大声がした途端、部屋の扉が勢い良く開いた。
「キャロル!」
ルピスは驚いて、目をまんまるくした。
メイド服を着た少女は、なめらかな茶色の巻き髪をツインテールにしている。瞳はローズクォーツを思わせる淡いピンク色。少女ーキャロル・ティングは、ルピスの家のメイドをしている。
「ルピス!まだ朝食中なの!?今日はキース様がいらっしゃる日なのよ!?」
キャロルはルピスの隣にふわりと座った。
「キャロル…落ち着け。今日の予定なら頭に入っている。」
ルピスはめんどくさそうにキャロルを見た。二人は同い年で、お嬢様とメイドでありながらも友人のように接している。
レイルは優しく微笑んで、二人の様子を見ていた。
「もう!それなら早く支度しなさいよ!あぁ…早くキース様にお会いしたいわ!」
キャロルは夢見るような瞳で窓の外を眺めた。
「一応、私の婚約者であることは忘却の彼方か…」
「だってルピス、キース様には全く興味ないでしょう?」
そういって、キャロルはレイルの方を見た。すると、ルピスは焦ったように二人を交互に見た。
「レッレイル!朝食はもういい、キャロルと支度するから…」
「かしこまりました、失礼致します。」
レイルは静かに笑って、すぐに席を外した。
「キャロル!誤解されたらどうするのだ!」
ルピスは怒ったようにキャロルに詰め寄った。金色の長い髪がルピスに合わせてふわふわと揺れる。小さな顔で目一杯頬を膨らますルピスを見て、キャロルはいたずらっぽく笑った。
「素直になりなさい!さあ!お支度整えますわよ!」
「こういうときだけお嬢様扱いするな!」
楽しそうなキャロルはキャビネットから淡い水色のドレスを取り出した。
「ルピスの瞳の色と同じドレスにしよっか」
「…うむ。」
不機嫌そうにルピスが返事をした。金色の長い髪をキャロルが持ち上げると、ルピスは小さな体にドレスを纏っていく。ふんわりと膨らんだスカートは、下からフリルが覗いている。肩が見えるデザインで、小さな頭に白いバラが乗ったドレスと同じ色のミニハットを乗せた。
「ルピス、どう?」
「…うむ、問題ない。ありがとう。」
ルピスはなめらかなドレスを揺らしながら、白いヒールの靴を履いた。
「じゃ、私もキース様をお迎えする準備をしてくるわね!」
「…あぁ。」
キャロルはスキップしながら部屋から出ていった。廊下ではレイルが待っていた。
「キースが来るまで、あとどのくらいだ?」
「15分ほどございます。…お嬢様、その前に旦那様がお呼びでございます。」
「……。」
ルピスはほんの少し瞳を細めたが、何も言わずに歩き出した。
メルエル家の当主ーオズワルド・メルエルは、ルピスの実の父親である。
「お父様、ルピスです。」
「あぁ、入りなさい。」
優しい声が迎え入れた。ルピスと同じ金色の髪を後ろで束ねた男性。瞳の色は黒だった。
ルピスは窓の付近に立っているオズワルドに向かって聞いた。
「何か御用ですか?キースがもうすぐきますが…」
すると、オズワルドは言いにくそうに切り出した。
「ルピス、酷だとは思っている。…しかしこの時代、このメルエル家の長女であるのだから生き抜くにはそろそろキースとの結婚を決意してはくれまいか…」
(またその話か…まぁ、予想はできていたが…)
ルピスはぴくりと眉を動かした。
「お父様・・・その話は前から…」
「ルピス、現状をよく見なさい。お前がたった一人で”ルラピス”を守り抜けると思うのか…”野うさぎ(ジャックラビット)”のお前が…メルエル家はこの意志を守る義務がある。言い伝えに乗せられて”魔狩”どもが狙って来た時、お前に命を落としてほしくはない…」
この世にいるほとんどの人間は、その一族に受け継がれた魔力を持っている。
火や水、雷や風などさまざまなものがあるが、皆の生活のために魔力を使うのが一般的で、魔力が人並み以上のものは人々を守る仕事につくことになっている。
これは魔力が少なくなってしまうと命を落とす危険があるための取り決めであるが、”魔狩”と呼ばれ、他人の魔力を奪う者も存在する。
また、”野うさぎ(ジャックラビット)”とは、どういうわけか魔力を持たずに生まれてしまった者のことを指す言葉である。
「キースは、我が家と同じ水の力を持っている。だからメルエル家の養子として受け入れたのだ。…頼む。」
オズワルドは苦い表情でルピスを見ている。ルピスは窓の外に視線を投げた。
「…キースが来たようです。」
「…お前も母さんに似てきたな…」
オズワルドは軽く笑って、ルピスに下がって良いと合図をした。
ルピスは静かに扉を締めた。
(”野うさぎ”か…それでも私は…守りぬく。キースを嫌いなわけではない…ただ…)
「ルピスお嬢様、参りましょうか。」
レイルが廊下で待っていた。
『私が…命をかけてお守りすると誓います。』
ルピスの頭に、ある記憶が蘇ってきた。
二人は玄関へと歩いていった。