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第1話 彼


 向日葵の季節とも言える夏。

 気温は三十度を越える猛暑であった。沢山の太陽を浴び、育った雑草たちは河川敷を生め尽くすかのように無造作に生え広がっている。

 その中心に聳え立つ一本の電信柱の下に彼は居た。膝を抱え込むように座る彼の容姿(見た目)はあまり良いとは言えないものであった。

 縦横無尽に広がる髪を押さえる為と紫外線を防止する為に被られた白いキャップ帽。ラインや柄などは一切プリントされていない無地のものである。

 帽子からはみ出た髪は一度として染色していないことを象徴するかのように黒い色をしている。東洋人の特有とも言える黄味がかった頬は少し痩けており。薄く荒れた唇は微かに紫色に変色していた。光を宿していない瞳は死んだ魚のように朽ちていて。見るからに具合の悪そうな彼は体付きも貧弱なものであった。

 現在の男子高校生平均身長より一回り小さな体。贅肉が無ければ筋肉も無い、骨と皮だけの体形。半袖、短パンを着衣している為、剥き出しになった手足は栄養失調か、と言いたくなる程、細い。骨も薄らだが浮かび上がっていた。

 彼を一言で言うならば拒食症に陥った子ども、だろうか。

 けれども彼はきちんと一日三食食べている。今日のお昼だってご飯を三杯もおかわりするという食べっぷりだ。

 そう、彼は物心付く時から既にこのような体形なのだ。にも関わらず体には何も別状も無い。診断では至って健康だと評価をされている。何とも不思議な身体だ。肥満気味の女子が見たら、さぞ羨ましがるだろう。

 血族上そうなったわけでもない。親はどちらかというと肥満気味である。現在中学生の弟は既に六十キロを越える巨体であった。兄とは真逆の体型である。


 それはさておき、彼は未だ体操座りをしたまま。ピクリとも動かない。膝に顔を埋め、座り込む彼は端から見れば具合の悪い人か徒、寝ているだけのようにしか見えない。


 この状態が数十分経った頃か、ポーン、ポーンとゴムの弾く音が数回鳴った。此処は河川敷。誰かが近くで遊んでいるのだろうと彼は思った。未だ頭を膝に埋めたままぼんやりとしていると今度は澄んだ少年の声が彼の耳に届いた。


「すいませーん、そのボール取って貰えますかー?」


 声をした方向に頭は下げたままだが目だけを向けると、其処には同い年くらいの少年が手を振っていた。

 少年が手を振っている方向には自分しかいない。

もしや僕に頼んでいるのだろうか。漸く自分に頼まれていることに気が付いた彼は重たい頭を上げ、地面を見た。先程までは無かった黄色いボールが自分の足元にあった。彼はそれを細い腕で手に取ると、てっきり投げるのかと思いきや座ったまま地面に転がした。ゆっくりと地面を転がるボールは数十秒掛かって漸く少年の足元へと渡った。

 少年はしゃがんでボールをキャッチすると又、輝かしい笑顔を浮かべ大きな声でありがとうと述べた。彼も小声でどう致しましてと返事をすると少年にも聞こえたらしく、微笑んでいた。

 すると何処からか啓太早くーという掛け声が。多分少年の友人が呼んでいるのだろう。啓太と呼ばれた先程の少年は直ぐに友人の元へと走っていった。だが途中、振り返り彼に再度、手を大きく振ってきた。無邪気な少年だな。と彼は思った。

 遠ざかっていく少年の背中を見送ると彼は再び膝に顔を埋めた。




 あれから数時間が経った。既に日は暮れ落ち、彼の足元には電信柱の細長い影とそれに重なるように彼自身の細い影が出来ていた。

 地面や草木は夕暮れにより橙色に染まっており。川には赤みがかった橙色の真ん丸の夕陽が映えていた。


 突如、冷えた風が彼の横を通り過ぎた。雑草たちが風の進行方向に合わせて靡く。彼はというと微かだが肩を震わせていた。

 喩え今の季節が夏でも夕方になれば冷え込むのは当然である。現に風も徐々に冷気を増し、剥き出しになった彼の手足の体温を奪いとっていた。しかし彼は帰宅しようとはしなかった。それどころか、ずっと膝を抱え込んだ体勢のままなのである。そう、彼は少年に声に掛けられた以降、一度として顔を上げてはいなかった。

 一体どうしてなのだろうか。


 とそこへ彼のポケットから急にクラシック独特の旋律が流れ出した。きっと彼の携帯が鳴りだしたのだろう。因みに流れている曲はソナタ悲愴である。今どきの高校生が聞く曲とは思えないものであった。

 それはそうと、彼は一方に携帯を手にとろうとしない。その為、ソナタ悲愴が永遠と流れている。

 漸く携帯を手に取ったのは丁度曲が一周した時だった。単に彼は最後まで聞きたくて態と携帯に出なかったのかもしれない。


 短く何?と電話口の相手に聞く彼の声は穏やかで静かなものだった。男の声とは到底思えない程のある。


「貴方、今何処に居るの?」


 それとは逆に電話を掛けてきた女性の声は高飛車で気品溢れるものだった。しかし、何処か苛立ちが含まれている声調でもあった。


「一体、今何時だと思ってるの?五時までには帰ってきなさいっていつも言ってるでしょう?」


 会話の内容からして母親のようだ。相当苛立っているのか、早口で話している。彼はというと説教を聞きたくないからか、携帯を耳から離し、溜息を零していた。どうやらこのような会話は日常茶飯事のようだ。



「貴方、聞いてるの?!」


 全く返事をしない彼の態度に更に苛ついたようで母親は金切り声を上げた。余りにも甲高い母親の声に彼は呆れながら携帯を耳元へと戻した。

 聞いてる。と最低限の言葉で答えると母親は先程よりも早い口調で喋りだした。


「だったら今すぐ帰ってきなさい!今すぐよ!分かった?…それに貴方に話さないといけないこともあるの。」


 怒鳴るように話す母親だったが最後の部分だけは冷静で静かなものだった。

 それに対し彼は面倒そうに嗚呼。と相槌を打つと相手の有無を聞かずに電話を切った。そして帽子を脱ぎ頭を何度か掻くとずっと下ろしていた腰を上げた。

 二、三度ズボンを叩くと土やら葉っぱやらがパラパラと落ちる。彼はポケットの中に携帯を突っ込むとゆっくりと歩き出した。


 その時の足取りは鉛でも付いているのかと思わせる程に重たいものであった。



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