【 中 】
【帰宅記録】
スリープマシンのアラーム音で目が覚める。手を伸ばしてカバーに触れると、シュウン、という音を立ててカプセルが開いた。
身体を起こして伸びをしてから、私はゆっくりと立ち上がり、カプセルの外に出た。
療養機能が作動していたようだが、そこに至るまでの経緯が思い出せない。
どうやら自動運転モードが作動し軌道計算を行ってくれていたらしい。スクリーンで外を確認すれば見慣れた大根葉の海が広がっていた。
私はホッとして宇宙船の外に降り立った。わんわん! と吠えながら、味ごはんが駆け寄ってくる。
「よーしよし、お前も無事に帰りついていたべな」
へっへっ、とはみ出っぱなしの舌が乾かぬよう、なみなみとバイオウォーターを注いでやる。
「今日はだいぶ時間を無駄にしてしまったべ。コスモ椎茸をもがねえと」
収穫用の籠を取りに行こうとした私の腹巻に、味ごはんが噛み付いてきた。
「こらっ、何するだ! ニポン製で高かったんだぞ」
わんわんっ!
味ごはんはしつこく私の腹巻を咥えて引っ張った。ぴっ、と端がほつれて口元と繋がる。
と、突然味ごはんが走り出した。腹巻から黄土色の毛糸がもろもろと解けながら一本の長い糸となり伸びてゆく。
「こらぁー! 何するだあ!」
私はカンカンになって味ごはんの後を追いかけた。
ようやく味ごはんが足を止めたのは、衛生グミの木の下だった。
「味ごはん! なんてことするべ! おらの腹巻がヘアバンドになっちまっただよ!」
すっかり糸が解けきってしまい、腹巻は私の腕の太さほどしか残っていなかった。私には毛髪が無い為、残念ながらリサイクルはできそうにもない。
ふと木の幹の向こう側を見て、私は息を呑んだ。
――大根葉色の布を着て、黒い頭に、風船のように膨らんだ胸部。
見覚えのあるニポン人が目の前に立っていたのだ。
「ななな、なーしておめえがここにいるだあッ!?」
腰を抜かして私は叫んだ。
ニポン人は首を傾げ、にこっと笑った。
【接触記録】
ニポン人が何か喋った。相変わらずうにゃうにゃしていて全く聞き取れない。
「ちょ、ちょっと待ってろ! おら翻訳機持ってくっから!」
味ごはんを躾ける時と同じように『待て』のジェスチャーをすると、ニポン人はこっくりと頷いた。
「味ごはん! そこでしっかりとニポン人を見張ってるべよ! いいな!」
自宅に向かうまでの時間がもどかしかった為、長靴に搭載された俊足機能を使った。久しぶりに使ったため最初エラーを起こして時速300㎞に設定され、危うく自宅通過するところであった。
帰宅して、予備の翻訳機を2台掴む。時折異星から畑の視察が入るので翻訳機は欠かせない。
翻訳機をニポン人に渡し自分でも腕に付けて通訳ボタンを押した。ニポン人も装着しようとしていたが、よく分からなかったらしく苦戦している。仕方なく私が彼女の手首を掴み、装着を手伝った。
「あ、かわいー、ここハートマークだぁ♡」
いきなりほわほわした言葉が耳に入ってきた。
甘いものが意味ある言葉になると、このように聞こえるのだろうか。
まるで真空パックで取り寄せたことのある『ニポン島うまいものフェア』のワタシガみたいだと思った。
「おめえ……なしてここにいるだ?」
動揺を誤魔化そうと、私はできるだけぶっきらぼうにニポン人に尋ねた。
「良かったあ、元気になって」
問いかけに答えようとはせずニポン人は私の頭部を優しく撫でた。
「わたしのせいでボクが気絶しちゃったから、心配だったの。気付いたら、何故かここにいて。ワンちゃんがお隣にいたから、寂しくは無かったけど」
「……味ごはん、お前もしかして、ニポン人に衛生グミを食わしてやろうとしてただか?」
私の言葉に、わんわんっ! と元気な返事が返ってきた。
私は衛生グミの実をもいだ。枝葉を揺らす度しゃらしゃらと束ねた金属片を振るような音がする。
「わあ、きれい……」
うっとりと目を細めるニポン人の前に、もいだグミの実の山を見せる。私が口に入れてみせるのを見て、ニポン人も真似をした。
「ひゅっ……ぱ!」
「衛生グミは自律神経の失調症を治す効能があるだよ。宇宙船の移動は高速ワープの繰り返しで、想像以上に身体に負担がかかるべ。船に乗る前と後にこれを食べておくと回復が早くなるから、船乗りが愛食する。
薬を使うよりも天然酵素との相乗効果でグミの方がすっきりするし、負担も少なくておすすめだべ」
「ワンちゃんはその事知ってたのね」
「味ごはんは凄く賢い宇宙犬だべ!」
「まあ、この子『味ごはんちゃん』っていうの? ふふっ、楽しい名前」
ニポン人は口元に手をあてて笑った。
ああ、このニポン人は雌なのかと、私は思った。
私の母星の雌達とは違う姿形をしてはいるが、雌特有の仕草がよく似ている。
【交流記録】
高速ワープは体力を消耗するため、一日以上間隔を置き体力回復に努める必要がある。
そのため、今夜はこの星に彼女を泊めることとなった。
彼女には詫びと共に私が異星人であることを説明した。チ・キュウには惑星規模のコミュニケーションは無い筈だが、意外とすんなり事情を納得してくれホッとする。
「ここって、宇宙人さん以外には、誰もいないの?」
畑仕事の横で待つのは暇だろうということで、夕方までの時間を惑星観光に費やすことにした。とはいってもここは辺境の小さな星、これといった楽しい光景など何も無い。あるのは荒地と水と、私がこつこつと開墾して植えた農作物ばかりである。
「味ごはんがいるべ」
「そうね、味ごはんちゃん、やっほー」
わんわーん。
呼びかけ合った後、
「それ以外では?」
と彼女が尋ねてきた。
「おら一人だ」
「寂しくはないの?」
「おらは宇宙農業協同組合の農業事業者だべ。食料の安定配給のため、こうして作物の育ちそうな星を開墾するのが仕事だ。
だから、寂しいとか寂しくないとかそんなこと言ってられねえだよ。
飢えた子供を一人でも減らすため、開墾して豊かな土地を広げてから、もっと仲間を呼ぶ予定だ」
「今呼ぶのは駄目なの?」
「人手が足りねえだよ、辺境開墾なんて皆嫌がる仕事だ。最低限の人員でやってかなきゃなんねえだ」
ニポン人はしゃがみ込むと、足元に実ったサイバー苺をそっと撫でた。
「――美味しそうな苺。つやつやしていて、大きくて。
あっちの方に生っているオレンジも、それから向こうの大根も。
この星にある作物は、全て、あなたがたった一人で頑張った成果なのね……」
私はサイバー苺を一粒摘むと、彼女の掌に乗せた。
大きな実を口いっぱいに頬張り、「わあ、甘い」と彼女は喜んだ。
「おめえ、なんて名だ?」
何故だか急に、彼女の事を知りたくなった。
「なつみ。両親がホームセンターを経営しているんだけど、土いじりが好きで『菜を摘む』をもじって『なつみ』って付けたんだって」
「ニポンでは名前に意味があるだか」
「そうねえ…呼ぶ時の語感で付ける人も多いけど。
ねえ、宇宙人さんはなんて名前なの?」
「763」
「え?」
「763がおらの名前だ。正しくはNR9-Ⅱ-NO.763」
腹巻に挟んでいた名刺チップを翻訳機にスキャンし情報提示した。
「……なんだか呼びにくいし、覚えにくいわあ」
「そうか?」
「えーっと……」
なつみは足元に積まれた大根を見て、
「『大さん』とか」
と、呟いた。
「うん、大さん……意外といいかも!」
くすくすと楽しそうになつみが笑った。
「大根作りの大さん、大工の大さん、なーんちゃって、ふふっ。
そういえば、腹巻もしているし――って、あら? 何だか会った時より、腹巻が細くなったような……」
「……味ごはんにやられただ」
妙に恥ずかしくなり、私は腹巻をさっと脱いだ。
「これ、ニポン製の子供用腹巻だ。もう捨てるから用無しだべ」
「あ、じゃあ、私が貰ちゃおっかなあ~」
「こんなもん何に使うべ?」
「えっと……」
なつみは腹巻をじーっと見た後、すっぽりと頭から被った。
「――ヘアバンド、とか?」
「!?!?」
まさか自分と同じ発想をするとは思わなかったため、驚いてしまった。
しかし私はチ・キュウ人の美意識などよくは知らないが、黄土色のほつれて汚れた子供用腹巻を頭に飾る雌などいるのだろうか。
「それは……止めた方がいいと思うべ」
「そうかなあ……大さんが着けていたから欲しかったんだけど」
「そっ、そうだか」
「だって、宇宙人とお友達になれるなんて滅多にないんだもの」
「そ、そうだか……」
結局、腹巻はなつみが土産として持ち帰ると言い張ったため、渡す羽目になった。
土産ならば、別にそのようなものでなくとも良いと思うのだが。