【 中幕 】
「きゃあ、ボク、大丈夫~?」
こてん、と力の抜けた相手を揺さぶろうとしかけ、原田なつみは慌てて手を放した。頭を動かさない方がいいと思ったからだ。
黒髪を一つにまとめ、ちょっぴりたぬき顔の大きな目をぱちぱちさせながら、彼女は困った顔で頬に手をあて、辺りを見渡した。
「えっと、救急車呼んだ方が、いいわよね?」
だがなつみは携帯電話を持っていない。彼女は今『原田ホームセンター』と書かれた緑色のエプロンをしており、そのポケットにはハンカチとキャンディしか入っていなかった。
店に戻ろうとしてドアを引いてみたものの、びくともしない。
開け方を訊きたくとも、相手が気絶しているためどうすることもできない。
なつみはボタンが並ぶ機械の前に立ってみた。調べているうちに受話器に似た形のものがあることに気付き、手に取ってみる。試しに耳に当ててみると、ブゥン、と目の前にスクリーンが広がり、大きな黒目の犬が映った。
『わんわーん』
「あっ、さっきのワンちゃん」
嬉しくなり、なつみは画面に手を振った。先程現れたこの犬が骨と皮ばかりの身体でワン・プチに縋りついていたため、自腹で食べさせてやったのだ。
「やっほー」
『わんわーん』
ほのぼのとしたやり取りを終え、なつみは受話器を置いた。
にこにこしながら離れたなつみは、床に倒れた銀色全身スーツ少年(だと思う。女の子なら普通可愛い恰好をしたいだろう)を見て、自分が何をすべきか思い出した。再び受話器を取って、耳にあてる。
『わんわーん』
「ワンちゃん、お電話、他に誰か話せる?あなたの御主人様が大変なの」
『キャイン!』
画面越しに少年が横たわる事に気付いたらしい。
『わわん……わ!』
きゅっと犬の眉間に皺が寄り、高速で前足が動きだす。ボタンを連続で押し計算するような動作だ。
【ピ・――、―――】
音声ガイダンスらしきものが流れたが、なつみには何を言ったか分からなかった。
シュウン!という音と共に、床からカプセルのようなものが浮かび上がった。同時に、天井から幾本もの白いチューブがうねうねと伸び、少年の身体を持ち上げる。
「わあ、ミミズみたい」
感心するなつみの前で、少年はカプセルにそっと寝かせられ、うねうねにより丹念に調べられていった。
やがて少年の身体からうねうねは離れ、透明なカバーがカプセルを覆い、シューッと中に白い霧が溜まっていった。
『わふん』
安心したような犬の声になつみはほっとした。
「よかった。この乗り物、最新の救急車だったのね」
外観も中身も見たことの無い形だが、それならば納得できる。
『くーんくーん』
なんだか悲しそうな顔で、犬がこちらを見ている。
「ワンちゃん、どうしたの?」
不思議に思って尋ねるなつみに、うねうねが伸びていく。白い手足にしっとりした吸盤が吸い付き絡んできたため、なつみは悲鳴を上げて逃れようとした。吸盤が豊かな胸元から首筋へと這い上がってくる。
「や……めてぇ……」
うねうねが床に落ちていたポインターを拾い、動けぬ顔の前で止まる。
ポインターから赤い光の筋が出て、なつみの額を貫いた。
「きゃっ」
驚いたものの、レーザーポインターだから痛くも何ともない。少しばかり拍子抜けだ。
だが。
「……」
なつみの瞳から、すうっと光が消えていく。
だらりと手足から力が抜け、彼女の意識は途切れた。