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なし  作者: 織羽 聡之介
Ⅰ 電子の海に舞う花(さくら)
5/8

二〇一二年 一月一三日 一〇時三四分



 冷たい部屋だ。



 浅井 義灘は横開きのドアを開くと、まずそう感じた。

 外の冷気が入ってきているというよりは、部屋の奥からその冷気は浸み出しているような気がした。

 部屋は半分ほどのところでガラスで仕切られている。

 その向こうに、ベッドが置いてある。

 その数は一つ。


 そこに祥子が横たわっていた。


 あの時と同じように、様々な装置が彼女を取り囲み、彼女を生かす努力を続けている。

 祥子の顔は白い。

 命が感じられないほどに。

 表情はほとんどなく、微動だにしない。

 その様は、美術館で来訪客の目を楽しませるために取り澄まして横たわっている彫像のようですらあった。

 浅井は自然と目を奪われ、言葉を失った。


 祥子の眠るベッドの向こうに、大きめの窓が見える。

 そこから遠くの空がよく見えた。


 空は青い。


 雲は白い。


 それは分かった。

 ただ、祥子が何かを想うことができているのか。


 そして――


 生きているのか。



 それは良くわからなかった。




「浅井君か、随分と久しぶりだな」

 部屋の隅にいた白衣の男性が、何故か悲しそうにほほ笑んで言った。

 男性は、安物のパイプ椅子に腰掛けている。

 そして、ひどく疲れて見えた。

「はい、柏木先生もお元気そうで何よりです」

 それでも浅井はそう言った。

 ドアを閉め、部屋の中ほどまで進む。

 中ほどまで来ても、やはりこの部屋は冷たかった。

 柏木に近づいた浅井は、頭を下げた。

 柏木は軽く手を挙げてそれにこたえる。

 ほぼ灰色になった柏木の髪の毛は、恐らく彼を本当の年よりも老いているように見せていた。

 柏木は手にしていたバインダーを傍らのキャビネットの上に置いた。

「元気そう……か。君も大人になったな。御琴の娘も大きくなった。年を取るわけだ」

 柏木は再び、しかし先ほどよりも深く、悲しそうにほほ笑む。

 そして、目線を部屋の奥へと向けた。


 そこには、制服姿の少女が身じろぎもせずに立っていた。

 部屋を隔てるガラスに両手をついて、じっと中の様子を見守っている。


 御琴 理伊菜だった。

「どうして……こんな」

 理伊菜は誰に向けてというわけではなく、思わずつぶやいていた。


「封印が……弱まっているのかもしれん」

 柏木はガラスの向こう、祥子に視線を戻し、見極めるように表情を険しくした。


 浅井も祥子の方を見た。

「ということは……奴らがまた?」

 浅井の問いに、柏木は一瞬だけ考え込んで答えた。

「……いや、その心配はあるまい。術は完璧に成された。奴らの再顕現があるとすれば、あの場ではないだろう。あそこに残っているのは、汚染と呼んでいい魔の強烈な残滓と、それを抑える魔道師や被害者たちの魂だ」

 浅井は柏木に目線を移した。

「では……?」

 浅井が問うと、柏木はうなずいた。

「ああ。浄化が終わりつつあるのかもしれん」

「ということは、やっと、彼らも解放されるのですか」

 浅井が希望を込めて問いかけたが、柏木は首を横に振った。

「……そう簡単ではないだろうな。あそこには、奴らを封じるときに使われた力が、今もなおとてつもなく強大なまま眠っている。そして、それを狙い、封印の解かれる日を待ちわび、ことを起こそうと画策している者もいると聞く。簡単にあれが自由になるとも思えんし、なったとしても、何かが起こることは間違いないだろう。あれにはまだ利用価値があるということだ」


 柏木は「あれ」と行った。

 あえて酷薄な言い方をしたのだろう。

 しかし浅井は柏木が誘導するように、彼らを力や物のように扱うことは、やはりできなかった。

「僕らがもっと覚えていれば……」

 浅井はそう言って拳を握りしめる。

 その様を見て、柏木は慰めるように言った。

「覚えていたら、封印にはならんよ」

「それは、そうですが……」

 浅井は思わず呟き、悔しそうに顔を伏せた。


「だけど、あたし、少し思い出しました」

 理伊菜がガラスの向こうの祥子を見たままで言った。

 はいた息でガラスが白く曇る。

 すぐにそれは消えた。

「ほう……あの時君はまだ……。いや、ちょうど、彼女と同い年だったな」

 柏木は理伊菜の方を見た。

 まるで祥子のそれが伝染したかのように、理伊菜の顔にも表情が無かった。

 そのままの顔で、理伊菜は答えた。

「はい。祥子が倒れて、運ばれていくとき、「あの時と同じように」って感じました」

「……そうか」

 柏木はその言葉を受けて、もう一度祥子の方を見やった。

「私は封じられた記憶を喚起することで、封印自体が解けることを恐れてきたが……そろそろ明らかにすべき時なのかもしれんな」

 柏木はそういうと、発した言葉に反して沈黙を纏った。



「……その話、私にも聞かせてもらえませんか」

 皆が声に反応して振り返る。

 ドアが開かれていて、そこには明るいグレーのスーツ姿の女性が立っていた。

 長い髪は少しだけ茶色みを帯びていて、窓からの光を移して時折きらめいている。

 スーツと合わせたのか、ダークグレーのロングコートを手にしていた。

 化粧気はあまりないが、薄いピンクの口紅は目を引く。

 そして、眼鏡の向こうで切れ長の目がいたずらっぽくこちらを見つめている。

「……響子……さん?」

 浅井がゆっくりとこぼすように言った。

 昔とは印象がだいぶ違うが、それでもすぐに分かった。

「……浅井君、久しぶりね。柏木先生もご無沙汰しています。理伊菜ちゃんも、大きくなったわね」

 挨拶をしながら、響子は部屋に入った。

「……ごめんなさい。私、覚えていません」

 理伊菜は戸惑いながらもそう答える。

 響子は微かに笑みを浮かべた。

「そうかぁ、それはそうよね。私は、条之塚 響子といいます。お父様には昔、とてもお世話になったの。よろしくお伝えください」

「はい」

 理伊菜はきょとんとした表情でこたえた。


 やり取りを見ていた柏木が、パイプ椅子の背もたれに体を預けながら言った。

「今日は珍しい客人が次々とやってくる日だな。一体どう……と聞くまでもない、か」

「はい。祓魔局の件でこちらにいて、もろもろの野暮用につかまっていたら、綾巳から連絡が入りまして」

「そうか……。ふむ。これも何かの導きというやつかな……。ここで長話もなんだ。客人も増えたことだし、私の研究室に来たまえ。お茶ぐらいはご馳走しよう」

 そう言うと柏木はその場のことをインターホンでよんだ看護婦に任せ、立ち上がった。



 神都大学病院は姫神駅から車で20分ほどのところにある。

 病院の周りには、病院職員や外来者向けの商店や飲食店がちらほらとは見受けられるものの、周りはほぼ山と森に囲まれている。

 その山中に忽然と巨大で近代的な病院の建物群が鎮座する様は、秘境に突然未来都市が出現したようで、ある種壮観ともいえた。


 響子は建物から出ると、コートをまとった。

 すでに柏木は少し先を考え込むように歩いている。

 風がふわりと吹いた。

 髪がなびくのを感じる。

 山間を渡る風は冷たく透明で、心にたまった澱のようなものをいくぶん清しいものに変えてくれるような気がした。


 響子は柏木に追いつきながら、深呼吸をした。

「ここは相変わらず空気がいいですね」

「それ以外には取り柄がない、ともいえるがね」

 柏木は皮肉を込めて笑う。

「今のご時世、それも贅沢の一つですよ」

 響子はにこやかに応じる。

「そうかもしれんな。……しかし君は、変わらないね」

「そうですか?」

 褒め言葉ととった響子は声を弾ませた。

 しかし柏木は渋い顔で言う。

「ああ。昔からそうだったが……相変わらず老人のようなことを言う」

「……先生、それはないでしょう?」

 響子は口を尖らせる。

 それを見て、初めて柏木は高らかに笑った。

 そしてまた笑みを悲しげなものに戻して言った。

「変わらない、というのはいいことだよ。老人には残酷になりがちな、時の持つ棘を和らげてくれる」

「棘、ですか?」

「ああ。若い時分には、時間というものは、自らを前へと進めてくれる存在だった。陽の光や水が植物を育むようにね。しかし今となっては、時は過ぎ去ると同時にひどく傷跡を残していくよ。心にも、体にもね」

 柏木はどこか遠くを見るようしながら言った。

「私も……時が過ぎるのをただ待てるほど、もう若くはありませんよ」

 響子は微笑みつつ、すこしだけ寂しげに言った。

 それを聞いて、柏木は立ち止まる。

 後ろを振り返ると、理伊菜が空をぽかんと見上げていた。

 建物の大きさと美しさに感動しているらしい。

 目を輝かせて、満面の笑みを浮かべている。

 その様は、太陽の光を浴びてまっすぐ伸びようとする、若芽のように見えた。


 柏木はそれを見て目を細めながら、響子に話しかけた。

「老人に老いで勝負を挑んではいかんよ。君の心中は察するがね。しかし君の場合は、心は時の道を歩んだとしても、時の方が君を取り残していくんだ。私のような老人とは違う。君は老いてはいないよ」

 その言葉を聞いてか、あるいは関係なく何かを吹っ切ったのか、響子は屈託なく微笑んだ。

 目は柏木と同じように、理伊菜の方を見ている。

 そしてぽつりと漏らすように言った。

「眩しいですね、彼女」

「……そうだな」

 柏木も認めた。


 浅井は会話に加わらず、二人をぼんやりと眺めていた。

 柏木は【覚えし者】だ。この封印を潜り抜け、ほぼすべてのことを覚えている。

 だから響子が持つ力のことを何か知っているのだろう。

 浅井はふと思い出した。

 あの時、突然、どこからともなく現れて魔道の中心メンバーとなった三人の人物がいた。

 織羽という特殊な銃を使う、着物姿の男。

 そして、明日美とよばれていた、おそらく織羽の妻。

 そしてもう一人がこの響子だった。

 響子は織羽や明日美と知り合いのようにも見えたが、一定の距離を置いているようにも見えた。

 そして、彼らが現れた途端、それまで沈黙を守っていた【闇使い】も協力を申し出てきたのだ。

 それで、事態は好転した。

 それもあって、術は無事完成し、封印とともにそれにまつわる記憶も閉じられた。

 彼女が背負うものとは何なのか。

 疑問は沸いた。

 それでも、結局浅井は何も聞かなかった。

 誰でも自分の歩いてきた道のりを耳目にさらすのは嫌なものだ。

 浅井はダウンジャケットのポケットに手を入れて、静かに二人に続いた。



「しっかしすごい建物ですねえ」

 理伊菜が三人のもとに駆け寄った。

 そして再び建物を見上げる。

 ようやく持ち前の素直さを取り戻した、明るい声だった。


 改めて響子も建物を見上げる。

 それは、うっすらと緑色をしたガラスにほぼ全面を覆われた建物だった。

 20階ほどはあるだろう。

 一見シンプルな直方体に見えるが、よく見れば所々に直方体の面に対して斜めに切れ込んだ面を持っている。

 空に向かってまっすぐに伸びつつ、あらゆる方向に光を投げかけ、最後には天中へと消えていくその様は、宝石でできた魔法の塔のようにも見えた。


 入り口前には外壁と同じ色のガラス製のプレートがあり、そこには「臨床研究棟 エア」と彫られている。

「エア……空気、ですか?」

 理伊菜がそれを見ながら尋ねる。

「それもあるがね、実際のところは神の名を戴いたということのようだよ」

「神様……ですかあ」

「エアはバビロニアの生命と回復、知性を司る神の名だ。結局エア棟をもじってA棟と呼ばれているがね」

「へえ……わざわざ難しいことを考えますねえ……」

 理伊菜が言うと柏木は困ったように笑った。

「いや、全くだね。さ、こっちだ。私から離れすぎると締め出されるぞ」

 そう言って柏木がドアを指紋認証で開ける。

 ブォンと低い音がして、滑らかに自動ドアが開いた。

 暖かい空気が中からもれてくる。

 するりと柏木が入って行くと、彼に遅れないように残りの三人は少しあわてて建物に入った。

 ドアが閉まると同時に、外の音も冷気も、そして気配も感じられなくなった。

 そして、しんと静まったホールを、四人は黙って歩いていった。



 柏木の部屋は無機質という印象だった。

 飾り気のない薄いベージュの壁紙に、灰色の床。

 部屋の中央付近に白いテーブルがひとつあり、部屋の隅にはデスクがあった。

 その他には、窓際に観葉植物が置いてあるだけ。

 濃い緑色をした手のひらのような葉を広げたそれが、まるで自分がこの部屋の主であるかのように存在を主張していた。


 柏木は電話を取り、内線をかけた。

「ああ、客がきていてね。コーヒーを頼んでくれないか。ああ、それでいい。それでは」

 受話器を置いた柏木に響子が話しかけた。

「秘書がいるなんて、先生、もうかってるんですね」

 響子が茶化すように言う。

「桐生技研に良くしてもらっていてね。ああ、君のところに桐生の娘の方がいるんだったな。よろしく伝えてくれ」

「それってば黒い話ですか」

 響子はにやりと笑う。

「ふ、私にそんな甲斐性は無いよ。まあ、データとりに協力していることに対する謝礼のようなものかな」

 どことなく柏木は楽しそうだ。

 響子も昔とは全く違う。

 浅井は意外そうに二人を眺めた。

 理伊菜は再びきょとんとした表情を浮かべている。


 やがて、秘書がコーヒーを運んできた。

 インスタントには無い、深くて甘い豆の香りが部屋に漂う。

 あまりコーヒーを飲まない浅井でもこの匂いは悪くないと感じる。


 柏木がそれに軽く口をつける。

「さて、どこから始めるかな」

「祥子は……大丈夫なんでしょうか?」

 理伊菜が心配そうに尋ねた。

「ああ……命に別状はない。なにせ病気でも怪我でもないからな。ただ、本人の中で人としてあろうという意識が薄れかけているのではないかな」

 その柏木の言葉に、響子が訝しげな表情を浮かべた。

「……どういうことですか?」

「逆に尋ねよう。君は……草薙と聞いて何を思い出す?」

 問われた響子は少しだけ考える。

「くさなぎ……やはり三種の神器の草薙剣くさなぎのつるぎ……でしょうか」

「そうだな。草薙剣は、もとは天叢雲剣あめのむらくものつるぎといった。さて、それはどこから出てきたかね?」

 それには浅井が答えた。

八俣遠呂智やまたのおろち……でしょう?」

「そうだ。理伊菜君でも何となくは知っているんじゃないかね。出雲の国に、毎年生贄を要求する巨大な八本の首を持つ蛇、八俣遠呂智という怪物がいた。そこをたまたま素戔嗚命すさのおのみことが通りかかると、生贄に選ばれ悲しみに暮れている奇稲田姫くしなだひめという女性がいた。美しい彼女を見初めた素戔嗚は、彼女を櫛に変えて髪に潜ませて、生贄に成りすまして八俣遠呂智を退治し、彼女を妻として迎えたという話だ」


 瞬間、浅井の目の前に光景が浮かんだ。

 

 ――あの時、俺は……


 彼女に櫛を渡したんだ。

 幼子だった祥子はそれでも全て分かっているというように微笑んで、大事そうにそれを懐に仕舞った。


 ふと気付くと光景は消えていた。

 理伊菜が首を傾げながらなんとか答えをひねり出そうとしている。


「えーと、なんとか日本昔話とかできいたような……?」

「ふむ。それで十分だ。君が普通の娘なら、だが。仮にも神社の娘なら、もう少し知っておいた方がいいだろう」

「ぶう」

 柏木の容赦のない言葉に理伊菜は口を尖らせた。

 柏木は続けた。

「さて、素戔嗚命が八俣遠呂智を退治したときに、その体から見つかったのが天叢雲剣だ。しかし本来、雲がかかっていたのは八俣遠呂智の方だ。つまり、これはそこから出てきたというだけで、この剣の意味を顕しているものではない」

「ふうむ」

 響子がうなった。

 浅井は黙って聞いている。

「ということは、もう一つの名の方にこの剣の本質があらわされている。草を薙いだから草薙……とも言われているが、それが神剣の名とは不思議と思わないかね? 竜でも薙いだのならともかく、草など鎌でも薙げる」

「それは……確かに」

 浅井が頷いた。

「しかもこの剣、それまでは名無しということになってしまう。私はこの説は推さんね」

「では……?」

 響子が問う。

 柏木はにやりと笑った。

「くさなぎ……くしなだ……。似ているとは思わんかね?」

「確かに……それではまさか」

「ああ。私は二つは同じものだと考えている。私は草薙とはもともと「奇しなるなぎ」であったと考えている。奇しとは神秘的、霊妙なという意で、なぎとはナーガ、つまり蛇だな」

「霊妙な蛇……?」

 響子が繰り返してその意味を量った。

「そう、まさしく八俣遠呂智だな。神話の解釈などは無限で無意味とも思えるが、しかしまあ投げ出してしまっては意味がなくなる。私なりに解釈させてもらうとしよう。霊妙な蛇から生み出された剣、あるいはその霊力を編み合わせてつくられた神なる蛇剣、それが草薙剣の正体である……と私は考えている。奇稲田姫とはそれを生み出すもの、あるいは司るものということだろう」

「では……?」

 響子は先を促す。

「龍に等しき八つ俣の蛇をつかさどる娘を、荒ぶる神が見初めて妻とした、という話になるな。素戔嗚が強大な力を持つ剣を手に入れたという話と言い換えてもいい。神話では直ぐに天照大神に献上しているがね」

「もしそれが本当ならば、なぜそんな、ややこしい隠蔽を?」

 響子がきいた。

 柏木はコーヒーを一口すすり、答えた。

「おそらく、その力の大きさのためだろう」

「力の大きさ……ですか」

 今度は浅井が尋ねる。

 柏木は浅井をちらりと見ると、目線を窓の外に移しつつ答えた。

 そこには祥子が眠る病棟が見える。

「強大な力の存在を簡単にさらしてしまえば、相手に対しての優位性も失うし、そもそもその存在を敵に知られ、奪われる恐れがあるからな。一方で、権威を示すためにはアピールも必要だし、伝えるべき相手には事実を伝える必要もある」

「その剣……いったいどれほどの力だというのでしょう?」

 響子は危惧するような顔つきで聞いた。

「先ほど話した通り、神話で奇稲田姫は生贄にささげられようとした。実際に彼女の七人の姉はすでににえと成されている。その分蛇の頭が増えた…その蛇から生まれた剣だ。つまりそれだけの神の命や力を飲み込んだ剣だといえるだろうな」

「七柱もの神の力を取り込んだ蛇の剣を、荒ぶる神が手にした…結構怖い話ですね」

「そうだな」

 響子の感想にそう答えると、柏木はカップのコーヒーを飲みほした。

 そして腕組みをして、再び続ける。 


「奇稲田姫の血を引く草薙家はそうして剣に霊力を帯びさせることに長けた、神剣を打ち、かつ神たる剣の霊力を編む鍛冶の一族であったと考えられる。その血は途絶えて久しいと考えられていたが、例のあの戦いの少し前に、その血を引くものがまだ生き延びていることが分かった。いや、知らされたのだ」

「知らされた?」

「そう。君たちも名前ぐらいは聞いているかもしれん。御柱機関みはしらきかんとなのる連中が、古来より闇にまぎれて魔を狩ってきた退魔集団「頼家らいけ」の中に、そういった人物がいるという報告をしてきた。……浅井君は頼家とは?」

「属していたことはありませんが、仲間はいました」

 彼の脳裏に数人の顔が浮かんだ。

 とくにシャリア。彼女はシャリア・頼と名乗るほど、頼家を代表するような腕利きの人物だった。

 しかしあの戦いの後、姿を消した。

 そして……


 ――【闇使い】。


 浅井は思いを断ち切るようにして話を続けた。

「頼家はそういう干渉を最も嫌う集団だ。しかも報復も厭わず、その力もある。御柱機関といいましたか、よくそんなことができましたね」

「やつらは……まあ、結果から言えば、それをも上回るなにがしかの力を持っている、ということなのだろうな」

「御柱……」

 響子は呟くように言う。

「頼家は当然彼女を出すことを拒んだよ。なにせ、自分たちの仲間で、大事な戦力を急に奪われることになったのだからな。当然だ」

「それなら」

「しかし結局は、本人が了承した。もともと彼女も魔を狩ることを生業にしていた者だ。「私が大いなる魔に対抗するための鍵になるのならば、この命など安いものです」と言ってな」

「それが……」

「そう、彼女の母親だ」

「しかし、そんな重要な血を引く方やそのお子さんを、術の憑代に……?」

「いや、だからだよ」


 柏木は立ち上がった。

 そして、デスクの上に置かれていた如雨露じょうろを手にすると、観葉植物に水をやリはじめる。

 降り注ぐ柔らかい水滴が、窓から入る光を受けてきらきらと輝く。

 それは壁や天井に反射して、そこここにまだらな光の水玉を描いた。

 その様を見ながら、柏木は言った。

「奇稲田姫やその姉妹は神話において、この国最初の、生粋の生贄であるともいえる。つまり、神でありながら蛇たる力にささげられるべき存在で、そのために造られた存在であった。それは、最高の憑代であったということでもある」


 満足したように柏木は一瞬だけ唸り声を上げると、如雨露をデスクに置いた。

 そしてソファに身を沈める。


「そんな……」

 理伊菜が非難の声を上げる。

 柏木は意に介さずに続けた。

「奇稲田姫の血を引く親子はこの世界の危機を救うために、生贄であり、かつ術の憑代となされたのだ。彼女の母親は術の炉の中心となり、その発動体には彼女の娘が使われることとなった。そして、彼女らから生み出されたクローンが、あの街で術を起動させるため、そして奴らがあの街を「標的」と思わせるため、あの街に住まわせられたのだ」

「!」


 浅井も響子も思い出した。

 あの戦いに臨む前、魔道師たちが一堂に集められた。

 そして、術や作戦の概要の説明を受けたのだ。

 その時も説明したのは柏木だった。

「これらの命は、奉げられるためにつくられたものだ。私はあえてものと言う。あれらは笑いもするし、泣きもする。当然だ。そうでなければ、にえにも、奴らの標的にもなりえん。そしてその標的がすむ街としてここを奴らに認識させることもできん。だが、君たちは、あれに情をかけるべきではない。そうしてしまえば、君らの心はこわれてしまうだろう。我々は、人を護るために、人と似たものを作り出した。そして、あれに我々の苦難を背負わせて、荒野に放つ。それは罪かもしれん。だが、その罪もすべて、我々人類が生き延びるためだ」

 その時も場がざわついたのを覚えている。


 響子が我に返ると、柏木が冷たい目つきでこちらを見ていた。

「思い出したかね。この程度の示唆で記憶が甦るということは、封印は無きに等しい。であれば、彼女を縛るものはもはやほとんど無いということだな。理伊菜君、安心したまえ。そう遠くない将来、彼女は目を覚ますだろう」

「本当ですか!」

 理伊菜の顔が輝く。

 しかしそれを柏木は睨むような目つきで打ち消した。

「だが、その時に彼女がそれまでの彼女であるという保証は、どこにもない」

「それじゃあ!」

「意味はない、か? それは君にとってだろう。彼女はようやくくびきを解かれ、作られた命であることをやめることができるのだぞ」

「そんな……」


 柏木は再び立ち上がった。

「魔道師たちよ、精々注意することだ。その時、あの街にあるものを狙って、様々なものたちが動き出すだろう。下手をすれば、戦、いや、大戦とでも呼ぶべきものが起こったとしても不思議はない」

「大戦……」

 柏木は窓から外を眺めた。

 そして、不吉な笑みを浮かべて振り返った。


「そうだよ。あそこには、神が眠っているのだからね」




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