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なし  作者: 織羽 聡之介
Ⅰ 電子の海に舞う花(さくら)
2/8

一九九九年 七月五日 一九時一四分

本章は残酷な描写があります。

苦手な方はご注意ください。



 七月だというのに、風は冷たい。


 それが本当に冷たい空気なのか、それとも恐れや慄きの心がそう思わせているのか、草津 君則には分からなかった。

 すでに、陽の光はない。

 まだ明るくていい時間のはずだが、あたりはすっかり闇に閉ざされていた。

 昼過ぎに降った雨がつくった水たまりが、そこかしこで闇色に口を開いている。

 暑くないにも関わらずじっとりした空気は重苦しく、息をするたびに胸が悪くなる気がした。


 草津はコンクリートの壁に背を預けて息をついていた。

 もう随分こうしている気がする。

 草津はさらにもうひとつ、大きく息をついた。

 左腕に受けた傷がじんじんと痛み始めている。


「草津君、そっちはどうだい」

 その草津に向けて、鋭い声が響く。

「何とか持っています」

 草津は左腕を抑えながら答えた。

 上着に血がにじんでいる。

 力が思うように入らないが、不自由というほどでもない。


「そうか……」

 声を発した男は右手に大き目のハンドガンをまるでぶら下げるように持っている。

 着物姿にブーツといういでたちは、まるで文明開化あたりの文人か何かのようだ。

「ここにもそう長くはいられないだろうね。守っていては、いずれ力が尽きる」

 男が言う。そして続ける。

「それで……何人残っている?」

 草津は手元の端末を見る。

 桐生技研の技術者から配られたそれは、まるで紙のように薄い。

 それが、普通に出回っているような代物ではないのは、機械音痴の草津でも分かった。

 端末の画面には、この辺りの地図が表示されている。

 そして、その右上に大きく数字がある。


 六〇。


 それぞれの魔道師は事前に渡されたブレスレット型の装置でバイタルサインをモニタリングされている。

 それによって得られた情報から、まだ活動している魔道師の数が大きく表示されていた。

 自分が死んだら、五九になるのだろう。

 草津は少し悲しい気持ちになったが、言葉にはその気持ちを載せないように注意して言った。

「六〇人です。……それでも、半数ほどは残っています。流石…というべきでしょう」

「そうか…一流の魔道師でも半数か…」

 男は嘆息する。


 草津はそれでも僥倖だと思う。

 あの強大な力を受けて、まだこれほど残っている。

「ぎりぎりで焦点をずらせたのは幸甚でした。やはり予言は当たっていたんですね……」

「そうだな。あれが無ければ、帝都……いや、東京は壊滅していただろう」

「しかし、彼らが良く協力してくれましたね」

 草津が言うと、男は皮肉そうな笑みを浮かべた。

「まあ、奴らの顕現を許せば闇もへったくれもないからね」

 男は言ったと同時に、ハンドガンを両手に構えなおし、表情を鋭くして言った。

「来るぞ」



 刹那、水たまりを走る獣の足音が聞こえた。

 ぴちゃぴちゃという音と、アスファルトを柔らかいものが打つひたひたというような音が、立て続けにこだまする。

 視界を影が横切った。

 とっさに銃を構えた男は、ポイントと同時に連射する。

 タンタンタンッ。

 銃声が小気味よく響いた。

 三連全てが頭部にヒット。

 のけぞり、吹っ飛ぶ獣。

 


 それは夜の闇ですら隠すことができないような、異様な姿だった。

 犬のような姿をしているが、体毛はほとんどなく、足が全部で八本。

 土蜘蛛、と言われるタイプだ。

 奴らが犬に寄生したのか、そもそも移動のためにこの姿をとったのかは分からない。


 頭部を破壊された土蜘蛛は、それでもまだ体を起こそうと手足を震わせている。

 そこに向けて今度は草津が刀印を結んだ右手を振り下ろす。

 目に見えぬ刃が獣を捕え、地面に打ち据えられる。

 ぐしゃりと鈍い音がした。

 背骨か、それにあたる部分が叩き潰されたのだろう。

「神の剣でも切れぬとは! もはや霊体ではないのか」

 草津が驚愕する。

「十分さ」

 男は安心させるようにつぶやく。


「それはどうでしょうね」

 不意に闇から現れた男が、右手を獣にかざす。

 そこから生まれた闇の刃が獣を刺し貫く。

 蒸発して獣は消えた。


「……あなたが甘いのは、相変わらずだ」

 闇の刃を霧散させながら男が言った。


 暗闇そのものを自在に使いこなす男がいるとは聞いていた。

 古来より、この大和の国には、草津のような血の霊力や修練により修めた霊力とは違う、独自の系統の魔道の力をもつものがいるという。そして、この男はその中でもこう呼ばれている。


 ――【闇使い】。


 その闇使いに向けて、男は頭をかきながらすまなさそうに声をかけた。

「京極君か……すまんな」

 その闇使いは京極という名らしい。

 もっと人間離れした存在かと思ったが、自分たちとそれほどかけ離れた存在には見えなかった。

「あなたともあろう人が仕留め損ねるとは。腕が鈍っているんじゃありませんか」

 京極はどこか皮肉を交えたような口調で言った。

 その言葉の端には憐れむような雰囲気も漂っていたし、口元にはうっすらと笑みすら浮かんでいた。

 男はやれやれと言った口調で答えた。

「言っておくが、僕を魔道に数えないでもらいたいね。所詮人数合わせの帳尻合わせだ。水名淵の著書なんぞを信じる方がどうかしてる。はっきり言うが、あいつはどの時代においても完全に馬鹿だ」

 そういえば、この男もその二つ名を持つらしい。

 それは……


 草津が思い至る前に、京極が話を進めた。

「水名淵さんが馬鹿なのは否定しませんが……、まあ狙ってやってるんでしょうし」

 そういって京極はさらに一瞬だけ微笑むと、表情に闇を纏わせる。

「だとしても、そんなに簡単に片付く代物じゃないのは、あなたのほうがよく知っているはず。あたかも偶然起こったような出来事は、結局そうなるべくしてなったんですよ」

「ふん……長生きすると、人は饒舌になるね」

 男は嫌気がさしたように目線を外した。

 京極は肩をすくめる。


「前線はどうなってます?」

 この男と京極とは旧知の仲らしい。

 草津には彼らの会話は完全には理解できない。

 だが、この会話の流れには、なんとなく重苦しい、不穏といってもいい空気を感じた。

 それで、あえて話題を変えるように聞いた。

 その草津の問いに、京極が答えた。

「……大倉野君と賀茂君が良く持ちこたえている。二人とも優秀ですね。浅井や稲葉の手の者もよくやっている。まあ、水名淵は相変わらずだ。奴が素人で馬鹿なのは昔から変わらないからね。それから……響子さんがよくサポートしています」

 その名前を聞くと、男の顔が陰った。

「そうか……。明日美は……?」

「残念ですが……、今のところは、不明、です」

 京極が重い声で言う。

「右側面から奇襲をかけた綾小路と御琴の班が、返り討ちを食らって撤収したようです。その際に援護に回ったというところまでは姿を確認されています。バイタルは生きていますから、無事であるとは思いますが」

「いずれにせよ、時間はあまりないな」

 男は決意を込めたように言う。

「そうですね」

 京極はうなずく。


 しかし、京極の考えと男の考えは違っていた。

 男の右手は細かく震えていた。

 おそらく本人にしかわからないほど細かく。

「高津君がいればな…」

 男が呟く。


 京極はなんとなく憐みを覚えて、男の名を呼んだ。

「織羽さん……」

「すまない」

 織羽と呼ばれた男は振り払うように言うと、明るい声で言った。

「行こう。僕らじゃあ大八極炉を成す手助けは出来ないが、それでも援護ぐらいはできる」

「そうですね」

 京極は答えた。

 草津もうなずく。

 三人は夜の闇の中を駆けた。



 音が聞こえた。


 くちゃくちゃくちゃくちゃ

 びちゃびちゃびちゃびちゃ


 たぶん、やつらが、だれかに聞かせるためにあえて音を立てているのだ。


 あれは、おそらく咀嚼音だ。

 三人は嫌な予感に気を重くしながら、それでも歩みを進めた。


 三人は人気ひとけのない商店街に来ていた。

 まったく営業していた雰囲気がない理髪店と思しき建物のところで角を曲がり、路地に入る。


 そこで、道路の真ん中に横たわっている顔と目が合った。

 こちらを青い顔で瞬きもせずに見ている。


 正確には、その目は何も見ていなかった。

 転がった頭。

 だらりと伸びた四肢。


 その上に、先ほどよりも手足の長い土蜘蛛が覆いかぶさっている。

 そして、頭を人間の腹に突っ込んで、その中身を食らっていた。

 食われているのは、どうやら男らしい。

 傍らには、その男の連れなのだろうか、若い女性が悲鳴も上げることができずにわなないていた。

 ひとしきり食らって満足したのか、土蜘蛛が男の腹から顔を上げる。

 そして新たな獲物を見つけて、口をかぱりとひらく。


 まるで、笑っているかのように。

 

 いや、実際そうなのだろう。

 奴らは人類の天敵だ。そのぐらいのことはする。

 その証拠に、土蜘蛛は次の瞬間、自らの体を透明にしてみせた。



 ――食ったものが透けて見えた。



 それを見て、女はたがが外れた。

「アハ、アハ、アハハハハハハハハ!」

 女は口をあらん限り大きく開いて、指をさして笑った。



「ちっ」

 織羽が短く舌打ちすると、ハンドガンを両手で素早く構え、まず四発、土蜘蛛の足に打ち込んだ。

 動きが取れなくなったそれは、ぼちゃんと男の腹に再び顔を突っ込む。

 そこに京極と草津が走りこみ、まず京極が右手の闇の刃を振り下ろす。

 女を食らわんと開いた口が、今度はその意に反して真っ二つに裂けた。

 そこに草津が懐から札を取り出し、投げつけるようにして唱えた。

生魂いくたま足魂たるたま玉留魂たまとるたま!」

 そうして剣印に結んだ右手に天沼矛あめのぬぼこを意識しながら、全霊をかけて振り下ろした。


 その手が振り下ろされると同時に、札が張り付いて土蜘蛛の表面を焼く。

 そこを目に見えぬ霊矛の一撃が刺し貫き、土蜘蛛は四散した。

 ぼとりぼとりと肉が降る。


 あたりにはまだ女の笑い声が響いていた。

 その眼には、むしろ先ほどまでより強い光があった。

 人としての境界を越えたものが宿す眼の光。


 ――女はこわれていた。

 おそらく、もはや戻れないだろう。

 それに気づいて、草津は苦虫を噛み潰したような顔をした。



 織羽は表情もなく女の前に立ち、ハンドガンを構えた。

 しかし、京極がそれを制し、右手を振り下ろす。


 ころん、と女の首が落ちた。

 少し遅れて、女の体が糸の切れた操り人形のようにかくかくと崩れ落ちていく。


 また一つ水たまりが増えた。

 その色までは見えないのが幸いだった。


 京極がぼそりという。

「この役目は、私が担いましょう。少なくともしばらくの間は。それが闇に足を踏み入れた者の務めですから」

「……すまん」

 織羽は目を伏せて詫びる。


 草津は、その様子を離れて見ていた。

 両手が震えるのがわかる。

 やがて、歯を食いしばったまま、絞り出すように言った。


「――こんなことが、本当に、必要なんでしょうか」


 それには織羽が答えた。


「迷うと……引かれるぞ」


「ですが!」

 草津はほとんど叫んでいた。



「――彼らは贄です。いずれ、捧げられる命だ。われらにできるのは、せめて苦しまぬように送ってやること」

 京極は淡々と言った。

 草津はこぶしを握り締める。

「だとしたら……」

 絞り出すように言う。


「――人は、こうまでして、生きながらえていいのでしょうか。生きる価値があるのでしょうか」


 その問いには、織羽が答えた。

「それに、人として答えを出すことはできないよ。僕らにできるのは、もがき苦しみ、はいつくばって方法を探して、生きることだけだ。それが間違っているというのなら、いずれ罰が下るだろう」


 草津はその言葉を聞きながらも、震える手を合わせて、なんとか合掌した。

 草津は両部神道の流れを汲む草津神道の開祖である。

 彼にとって神と仏は同時に存在しえた。

 草津は亡骸を見ながら、その魂の救済を神仏に祈る。

 しかし、救済されるべき魂が彼らに本当に存在していたのかどうかは、草津にもわからなかった。

 そして、……もし彼らに魂がなかったら?


 ……魂のない存在が、果たして贄になりうるのだろうか?

 草津はそれにも答えを見いだせなかった。

 そもそも自分自身の中にすら、魂があるかどうかを証明することなどできはしない。


 草津はまだ震えている両手を離しながら言った。

「――これ自体が、その罰なのではないですか?」


 その言葉に、織羽が目つきを険しくした。

 何度も自問してきたのかもしれない。

 それでも、織羽は迷いなく言った。

「ならば、それにも抗うさ」

 織羽はハンドガンのマガジンを入れ替えながら言葉を継いだ。

「それが人だ」


 草津は唇をかみしめ、端末を見た。


 ――六〇。


 減ってはいない。

 数にも入らない命だというのか。


 顔を上げると二人は草津をおもんばかりながらも、歩みを進み始めていた。


 まだだ、まだここでやめるわけにはいかない。

 草津も二人の後を追った。



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