外伝Ⅱ 煌きの罪
外伝。本編より二、三前のお話です。
「何か、悩み事でもあるのですか?」
心を見透かされたようにどきりとして振り向く。そう声をかけてきた女性は、いつものように穏やかな微笑みを浮かべていた。
「……何故、このような所に。」
伯爵家の屋敷の一角。それも、当主や家族の私室より使用人の区画に近い。それでも遜色なく美しい装飾で彩られ、隅々まで行き届いているのは、この屋敷の主の人柄故だろうか。
午後のけだるい光が窓から廊下の奥の方まで射し込んでいる。その光の届かぬ物陰に、その人は佇んでいた。
「ここは、私たちの屋敷ですもの。それに私には華やかすぎるものより、こちらの方が落ち着くの。皆さんのお仕事の邪魔になる所へは行かないようにしていますけれど。」
そう言ってその女性……先代伯爵夫人サヤ=ダンヴェリアルは、無垢な娘のような表情でふわりと微笑んだ。
「何か、悩み事でもあるのですか、オニキス? 難しい顔をして。」
「……何でもございません。奥方様のお邪魔をしては申し訳ないので、私はこれで失礼致します。」
やや早口で言い、素早く立ち去ろうとする髪の長い騎士。その背を呼び止めるともなくサヤは呟いた。
「修練所でイリスが倒れたと聞きました。」
オニキスの足がぴたりと止まった。
「具合はどうなのでしょう。詳しくは聞いていないの。」
「もしや、それを心配されてこちらへいらしたのですか?」
少し驚いて尋ねると、サヤは曖昧に小首を傾げただけで答えなかった。少しも揺らがない微笑みは仮面のようで、たとえ裏が本心が別だったとしても透かし見ることは出来そうにない。
同じく騎士であるイリスがオニキスの目の前で倒れたのはつい先程のことだ。屋外で剣を振るっている最中に立ちくらみを起こし、たまたま一番近くにいたオニキスがそれを抱きとめた。受け答えはしていたが、かなり意識が朦朧としている様子だったので、念のため医師に診せて休ませたのだった。
「イリスは心配ありません。ただ、軽い貧血を起こしたようです。」
答えながらオニキスはその時のことをありありと思い出してしまい、思わず顔をしかめた。
「そうですか。大事ないのでしたら良かった。……それで、あなたはイリスに何か思うところがあるのね?」
「……。」
先程からどきりとさせられる。それは、サヤの言うことが的を射ている為に他ならなかった。
しかし、このことを打ち明けてしまっていいものか。
「私は、伯爵家に忠誠を誓っております。ですからミカエル様と奥方様に嘘を申すことは出来ません。しかし、こればかりは……自分が知ったことを申し上げるべきか、迷っているのです。改めて確かめるまで、お待ちいただく事はできませんか。」
腕の中に倒れかかるイリスの感覚が、まだ残っている。見るからに華奢な肩は見かけよりさらに脆そうで柔らかく、軽かった。
服を選び、振る舞いで隠してはいても、触れてしまえば誤魔化しようがなかった。あれは……男性の体では有り得ない。
「イリス本人に確かめもせず、告げ口のようなことをするのは気が進みません。それに、これはイリス自身の口から申し上げるべきだと思うのです。」
サヤが口を挟まず、じっとこちらを見ているのは分かっていた。でもオニキスは彼女の顔を真っ直ぐに見ることが出来なかった。サヤがゆっくりひと呼吸あけて口を開いた時、彼は身を固くした。まるで叱られることを覚悟した子どものように。
しかし、叱責や厳しい言葉は出なかった。
「あなたも、気付いたのですね。イリスが女だと。」
「え……。」
サヤの口から出たあまりに意外な言葉に、オニキスはぽかんとして彼女を見つめていた。
「奥方様、ご存知だったのですか。」
「女の体のことは、女同士の方がよく分かりますから。」
張っていた気が緩んだようで、オニキスの肩からすとんと力が抜けた。
「それでは、私が気を揉むことではなかったのですね。奥方様も、ミカエル様もご存知で……」
そう言うと、サヤは意外にも首を横に振った。
「あの子は、ミックは気付いていませんよ。これは私だけの秘密。イリス本人すら私が気付いていることを知りません。」
「何故です?」
サヤはふんわりと、しかしどこか寂しそうに微笑んで答えた。
「分かる気がするのです、イリスが己を偽っている理由が。だからオニキス、イリスと話すのもミックに話すのも、少しだけ待ってもらえないかしら。あなたにも感じてほしいの。それでも話すべきと思ったのなら、私は止めません。」
オニキスは答えなかった。考え込むように俯き、サヤが立ち去った後もそこに佇んでいた。
その翌日、イリスはまたいつものように修練所へ姿を見せた。
「イリス! 具合はどう?」
真っ先に声を掛けた少女に、イリスは笑顔で応じる。
「すっかり何ともないよ。ありがとう、ガーネット。あれくらいで倒れるなんて情けない所を見せてしまった。」
「本当よ、訓練が足りていないわ。手合せくらいつきあうわよ。」
「ガーネットは間合いに入るのが上手いからなあ。お手柔らかに頼むよ。」
ふたりは仲良さそうに話しながら身体を動かしている。当然ながら周りは男ばかりだが、女騎士であるガーネットでも特別扱いをされることもなく一緒に剣を取り鍛練を積んでいるのだ。ましてイリスは完全に男たちと同じにみなされている。それを、オニキスはなんだか不思議な気分で見守っていた。
イリスが女性だと知っているのは自分ひとり。だから、自分が気遣って守ってやらなければならない。そう思うと同時に、イリス自身は守られることを望みはしないだろうということにも気付いていた。男性として生きるイリスは、偽りの姿であるとはいえ、不幸であるとは思えなかった。
だから、思う。特別扱いして包み込むように守るのではなく、イリスが今のままでいられるように守ろうと。今の姿は彼女の望んでいるものなのだから。
「オニキスにも手合せを願います。今日は負けませんよ!」
彼女の笑顔は眩しかった。




