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知らない顔

作者: あやお
掲載日:2026/05/24


 

「なんだこれ、探しています?」


 電柱に貼られた色褪せたポスターに、目が留まる。

 何の変哲もない行方不明者のポスター。その筈なのに、屈託のない笑顔をこちらに向ける少年が、妙に気になった。

 

 その日は、嫌に蒸し暑い五月の午後だった。

 俺、風間翔太は、額から流れる汗をTシャツで拭いながら、引っ越し作業に追われていた。ダンボール数箱を運ぶだけだというのに、体に纏わりつく熱風が、息苦しさを覚えるほどだ。


「これで、最後っ」


 洋服の入ったダンボールを部屋の隅に置き、ドスンと大きな音と埃が舞う中、畳の上に倒れ込む。

 上京して二年目の春。俺は一年暮らした小綺麗なアパートから、家賃の安いこのアパートに引っ越した。

 築年数十年のアパートは、壁は薄いし、備え付けの蛍光灯は今どき円形だ。電気をつけても薄暗い室内を見渡していると、虫の羽音が耳元で聞こえ、耳の辺りを手で払う。最近、蝿とか蚊だとか、やけに多いのは季節柄なのだろうか。

 ここにいても、気が滅入るだけだ、とコンビニへ向かうことにしたその道中、アパート前の電柱で見つけたのが、例のポスターだ。

 その時は、それで終わりだと思っていた。よくある迷い猫のポスターみたいに、そのうち剥がされ、もう目にすることもないと。

 しかし、そのポスターとはすぐに再会することとなる。


「あれ? ここでも探してるのか……」


 そこは、バイト先の近くの電柱だった。自宅から数駅離れている居酒屋で働いて、いつものようにバイト上がりに喫煙所に向かう途中に、それは貼られていた。俺は首をかしげた。というのも、このポスターは大学の前にも、たまたま降りた駅にも貼られていたのだ。

 いつもほとんど素通りしていたが、足を止めて改めてポスターを見てみる。紙は色褪せ、貼られてから日が長いことは明らかだ。


 「可哀想だけど、死んじゃってるんだろうな。でも、もう何にも考えなくていいってのは、うらやましいなぁ」


 俺は写真の中の少年を、鼻で笑う。この子はこれからも、通り過ぎる人たちに笑顔を向け続けるんだろう。これからも、ずうっと。その表情が、見えなくなるまで。


 

 喫煙所に着くと、俺は煙草に火をつける。煙を深く吸い込んで、ふーと吐き出すと背後から声をかけられる。


「よっ、翔太も一服してると思ったわ」

「おー、勇希。参ったわ、最近先輩たちの当たりがきちーわ。気色悪いとか聞こえる声で言ってくるし」

「それはきちー。オマエ、キモイ陰キャ君に見えて、結構いいとこもあるのにな」


 バイト仲間の庄司勇希は俺の横に立つと、ポケットから煙草を取り出す。その様子を横目に俺は会話を続ける。


「行方不明者のポスター、最近よく見ないか?」


 勇希は俺に視線を向けながら煙草に火をつけ、ふーと煙を出してから、「そうかぁ?」と言いながらスマホを触る。


「なんか、子供のポスターなんだけどさ。俺らの住んでるアパートの前だろ。あと大学でも見たし、そこの電柱にもあったし」

「ん? すぐそこの電柱?」

「ああ」

「いや、あそこの電柱、貼り紙防止シートが貼られていてポスター貼れなくないか?」


 勇希の言葉に、俺は煙草を吸う手を止める。

 確かに見た、ついさっきのことだ。


「……いやいや、勇希の勘違いでしょ。吸い終わったら一緒に見に行くか?」


 誤魔化すように、茶化して煙草を消すと、勇希は大きく煙を吐いてから、不敵な笑みを向けて「いいね」と煙草を潰した。


 俺たちは連なって、すぐそばの電柱の前に向かう。

 ただ確認するだけだ。俺はゆっくりと、視線を向ける。


「……ない」


 ポスターがあった場所には、色褪せた貼り紙防止シートが貼られているだけだ。

 心臓の音が、妙に大きく聞こえて、周りの音が上手く聞こえない。

 

 そんな俺の肩に、勇希が腕を回して囁く。


「お前、とうとう呪われちゃったんじゃね?」


 その言葉に、喉が鳴る。

 俺たちには、心当たりがありすぎるからだ。


 

 俺たちの共通の趣味は、心霊スポット巡りだ。

 人によっては顔を顰められるような趣味だということは理解している。が、足を踏み入れた時の毛穴が全て開くような感覚がやめられず、時には泊まりがけで巡っている。そんな中、大学で出会ったのが勇希だ。

 一年目の春に出会ったのでかれこれ一年の付き合いだ。一緒にいることも増えて、今となっては、お互い何を思っているのか、次にどう行動するのかすらわかるほどだ。良いことだけじゃなく、嫌味すら、なのが玉にキズだが。

 

 勇希は玩具をみつけたような厭らしい顔をして、じぃっと俺の反応を伺っている。いつものことだが自然と口角が下がる。


「馬鹿、いままでどんだけ回ったと思ってんだよ。今さら……てか、だったらお前も呪われないとおかしいだろ」

「まぁ、それもそうだな」


 勇希は笑いながら、俺の肩を叩くと歩き出す。


「課題にバイトに、疲れてるんじゃね? あんま無理すんなよー……もしかしたら、もう先は長くないかもしれないけどな」


 ひらひらと手を振りながら去っていく勇希の背中を、視線だけは捉えていた。いつもなら気に障る弄りも気にならないほどに、俺の頭の中はポスターのことでいっぱいだった。

 何度見ても、やはりポスターは無い。

 ……ということは、見間違いだったのだろう。


 

 そうとしか、考えたく、ない。



 


 アパートに帰る道すがら、俺はなんとなく電柱を直視するのを避けていた。頭上で点滅している蛍光灯には、羽虫が群がり黒い斑点のように光を隠している。

 道の中央だけをまっすぐ見つめながら、ただ、歩く。夜になっても少し蒸し暑さが残っているのに、ジワリと滲んだ汗が体温を奪い、思わず身震いする。

 

 早く、帰りたい。アパートまでは、あと数メートル。


 足早になりながら、進む左足に、何かがべたりとまとわりつく感覚を覚える。それは、足から、離れない。

 俺は、ゆっくりと、視線を落としていく。


 それは、紙だ。日焼けで色褪せ、薄ピンク色に変わってしまった紙。それが何なのか、見たくない。けれど、何故か足をいくら振っても、取れない。


 ゆっくりと、腰をかがめ、紙を足から外す。

 さっきまでが嘘のように、簡単に取れたそれを、表向きにしないよう慎重に、道の端に落ちている石を乗せる。


 紙は、動かない。

 安堵のため息をつき、顔を上げる。

 

 目が、あった。


 男の子の細められた目と、俺の視線がぶつかる。

 あのポスターだ。気づくと、俺は電柱の前に立っていた。

 男の子は、笑っている。でも、こんなに、笑っていただろうか。口角をできうる一番高くまで上げたような不自然な笑顔で、俺を見ている。

 

 耳の内側に籠ったように、心臓の脈打つ音が激しく響く。

 瞼を強く瞑り、呟く。


 「……落ち着け。ただ、電柱に近づいたのに気づかなかった。それだけだ」


 そうして、ゆっくりと、薄く瞼を開いていく。

 少年の顎が見え、唇が見え、目が見える。徐々に焦点を合わせていく。

 少年の顔は、普通の笑顔だった。屈託のない笑顔の小学生だ。

 入っていた力が抜け、尻からその場に倒れ込む。ふっと笑いが込み上げてから、大きな声で笑う。

 そうして、俺は立ち上がると、思い切ってポスターに触る。カラカラに乾いた古い紙の感触が確かにあった。やはりポスターは実在している。

 いままで何となくしか見てこなかった少年をよくよく見てみる。

 小学校低学年くらいだろうか? 少し浅黒い肌をした少年がこちらに向かって微笑んでいる。白地に赤いボーダーのTシャツの上には、『探しています』と大きく書かれ、ポスターの下部には電話番号が記されている。

 気づくと、俺の指は、ゆっくりとその番号をネットで検索していた。


 表示されたサイトを上から順に目で追う。どれも該当しているというよりも、ひたすらに番号だけが羅列されているページがヒットしただけで、俺は舌打ちをする。そうしてスクロールしていくと、気になるサイトが目に飛び込んでくる。


 『未解決事件情報サイト』


 サイトをタップすると、真っ黒なページが表示される。その上から、ゆっくりと何かの画像が少しずつ表示されていく。解像度の高い画像なのだろうか、普段ならブラウザバックするところだが……俺はじぃっと表示されていく画像を見つめる。

 室内だろう、障子の格子、続いて仏壇が表示される。その前に誰かの髪の毛が見えてくる。男の子が、こちらを見ている。例のあの子だ。笑っている。顔が表示されたあたりで、一気に残りが表示される。


「ひっ」


 男の子は、こちらに向かって指を差していた。その下には、真っ赤な字で『ぼくをみつけてください』と書かれている。気味が悪いのは、その文字だった。フォントではない、まるで小さい子供が書いたような、文字。

 その下には、訪問者数を表すカウンターと、未解決事件情報サイトへようこそと書かれている。

 思わず舌打ちをしながら、下にスクロールしていく。

 放置されているサイトのようで、更新履歴が十年前で止まっているが、設置されている掲示板にはポツポツと最近も投稿がされている。

 内容は行方不明者はもう死んでいるだとか、どこぞの駅のホームで幽霊を見かけただの、不謹慎極まりない内容ばかりで、思わず失笑する。その中に、妙な書き込みがあった。


 『しょーくん、ぼくをみつけて』

 

 ちょうど一週間前の書き込みに、ぶるりと悪寒が走る。

 

 「翔くん……いや、違うか」

 

 偶然? そうに決まってる。

 俺のこと、なわけ……。


 

 突然、画面が電話の着信画面に変わる。俺は驚きのあまり、スマホを地面に落とし、ガンっと大きな音が立つ。

 胸の鼓動が速まる中、慌ててスマホを拾うと、勇希からの着信だった。

 大きく息を吐いてから、電話に出ると、勇希の声が聞こえてくる。

 


 

 「あ、翔太か? 今どこいる?」

 「アパートの前だよ」

 「お前、声震えてね? どうした」

 「……いや、別に」

 「ふぅん、まぁいいや。さっき話してたポスターの話、なんかどっかで聞いたことある気がしてさ。知り合いの人に聞いた話が似てたんだわ。送っとく」

 「似た話?」

 「ああ、んじゃ俺飲みの途中だから戻るわ。じゃあな」


 言いたいことだけ言って、勇希の電話は切れる。

 

 「……寒っ」


 気づけば、脇も手のひらも汗でびっしょりと濡れ、夜風に体温を奪われていたようだ。

 急に現実に戻ってきたような感覚に、俺は息を整え、その場を離れた。


 部屋に戻り、電気をつける。古い蛍光灯が鈍く点滅し、薄暗く部屋を照らす。

 座椅子の背にもたれながら、上を向いて大きく息を吐く。

 なんだか今日は妙に疲れた。それもこれも、あのポスターのせいだ。


 スマホを確認すると、勇希から一件の通知が来ていた。さっき話していた件だろう。

 俺は台所に向かい換気扇をつけて、煙草に火をつける。

 メッセージアプリを立ち上げると、一件のURLだけが送られてきていた。

 URLをタップすると、SNSの関連したスレッドをまとめたもののようで、『このポスター知りませんか』というタイトルだった。表示回数も百数回とそこまで多いわけでもない、そこまで話題にもなっていなさそうだが、ポスターという単語が気になり、読み進めてみる。


 『最近、俺の周りに、とある行方不明者のポスターが貼られているんだ。家の近く、職場近く、旅行先にまでだ。気が狂いそうなんだ』

 『もう、狂ってんじゃね?』

 『いや、まだ正気だよ。ギリギリね。これ、俺だけなのか? それともみんなも見る? 学生っぽいんだけど』

 『まったく見ない』

 『嘘乙。本当なら証拠上げろ』

 『わかった。一応目元隠してあげるわ』


 そのコメントには画像が添付されていて、クリックしてその画像を目にした時、思わず声が漏れた。


 「なんだ、これ」


 そこにあったのは、ただの電柱だった。その電柱の真ん中あたりに、画像加工で施された黒い目隠しが浮いている。


 『は??? 電柱しか映ってませんけど???』

 『嘘乙』

 『何? ホラー? 全然怖くないんだけど』

 『は? 映ってるじゃねぇか、小学校低学年ぐらいの女の子が。青色のTシャツ着てる子が! お前らふざけんのも大概にしろよ』


 そこから、少しの問答のあと、次にまとめられたコメントの日付は2週間後だった。


 『最近、ポスターだけじゃないんだ。あの子が、いる。いつも、近くにいて怖いんだ。誰か、助けてくれよ』

 『まだ続いてんの? その話。もう飽きたんだけど』

 『本当なんじゃない?』

 『近くにいるってどういうこと?』

 『ずっと見てるんだ。今もあの子の目を盗んでこれを書いてる。ずっと、窓の外だったり、ドアの隙間だったり、とにかく、目がずっとこっちを見て、手を伸ばしている。おかしくなりそうだ』

 『だから、元々おかしいってお前』

 『その子、知らない子なの?』

 『いや、もしかしたら知ってるのかもしれない。なんだか、見覚えがあるような気もしていて』

 『設定追加されましたー』

 『真剣に聞いてくれよ。誰か、こういう時どうしたらいいか知らないか?』

 『お祓いいけば?』

 『霊能力者とかにお願いするのがセオリーじゃね? こいつ、次そういう展開にすると思う』

 『返信くれたみんな、ありがとう。早速行ってみる』


 そこから一時間経った後、最後の書き込みがあった。



 『たーくん、みっけ』



「……っ熱!」


 煙草の灰が足の甲に落ち、慌てて灰を払い、冷蔵庫から出した保冷剤をヒリヒリ痛む場所に当てる。


「……」


 無心で保冷剤を見つめ、混乱する頭を整理しようとする。だが、それを待たずに言葉が漏れる。


「俺も、ああなるのか……?」


 色んな選択肢が浮かんだ。でも、出てきたのは、最悪の未来の提示だ。

 俺はTシャツの胸元を掴み、何度か深呼吸をして、もう一度まとめを読み直す。

 最初に気になったのは、行方不明者が違う点だ。俺が見るポスターは赤いボーダーの男の子。この人が見ていたのは青い服の女の子だ。

 それと、視線は感じていない。目の前にも現れてはいない。

 それに……見覚えがあるって? 俺は、見覚えがない。


 ない、はずだ。


「ふーー」


 大きなため息を吐いて、天井を見上げる。

 駄目だ、どう考えても無関係には思えない。しかも何も解決してないし、ただ恐怖心を植え付けられただけだ。勇希のやつ、こんなのどこから見つけてきたんだ。


 メッセージアプリに、『俺、こいつと同じかも』と書いて勇希に送る。すると、すぐに着信画面に切り替わる。


「同じって、お前も呪われたってこと?」

「多分。最初のほうと同じ状態。ポスターがそこら中にあるってとこ」

「うわーまじかよ……。これさ、文芸部の田村さんに教えてもらったんだよ。リアタイで見ていたらしくてさ」

「その人、もう少し情報持ってないかな。俺、死にたくねぇ」

「ははは! このままだと、マジで死ぬかもな、お前。明日文芸部行ってみようぜ。俺も話聞きたい」

「……わかった」


 そう言って、電話を切ると、ベッドに向かってスマホを放る。ボスっと布団の上に落ちたそれを、じっと見つめる。

 勇希のやつ、こんな時でもああなのかよ。そりゃ、俺も茶化したけど、もう少し気を遣えよ。

 そういうところが、きっと――。


 ぶうぅん。


 耳障りな音が聞こえ、周りを見渡すが、どうにもすばしっこいのか姿が見えない。


「……風呂は、明日にするか」


 そう言って、開きっぱなしだったカーテンに近づく。窓ガラスに自分の顔が反射して、体がびくりと震え、思わず舌打ちしながらカーテンを閉め、振り返ったとき。


 バン――。


 窓を叩くような音がした。

 嫌な、予感がした。

 窓に向き直り、思い切り、カーテンを開く。

 シャーっと音を立てて、外が見える。

 喉を鳴らしながら、よくよく見渡す。だが、何もない。

 安堵のため息を吐き、カーテンを閉めようと手をかけた時、腰の辺りに、窓の外に何かが見えた。


 赤いボーダーのTシャツと、そこから伸びる腕。

 それが、すっと窓から離れていく。


 ごくりと、喉が大きく鳴った。

 俺は、腕があったあたりに顔を近づけ、じっと外を凝視する。

 そこにはただ、真っ暗な空間が広がっているだけだ。


 ビタンっ。


 それは、唐突に見えた。そして、すぐに離れて見えなくなる。

 白い、それは、なんだ。


 ビタンっ。


 それは、こどもの腕だ。しなったそれは、確かに人間の腕だ。でも、その動きはまるで蛇のように、人間の可動域を超えた動きをしている。


「……や、やめてくれ!」

 

 そう叫ぶと、腕はゆっくりと離れて、もう現れることは無かった。

 

 俺は喉に溜まった唾液を、一気に飲み込む。

 ……時間は、思ったよりも、残されていないのかもしれない。

 

 




 

 「田村さん、いますかー?」

 

 翌日、勇希と大学で合流し文芸部の部室を訪れた。ドアを開けると、まず目に飛び込んできたのは壁一面を覆う本たちだ。それだけでは飽き足らず、机や床にまで本や冊子が積み上げられている。静かな空間にこぽこぽとお湯が沸く音だけが響く。音のほうに視線をやると、机の上には使い古した電気ケトルがあり、傍には、ティーバッグやインスタントコーヒーが乱雑にまとめられている。


 「おお、勇希か。待ってたよ」


 高く積まれた本の陰から現れた田村先輩は、黒ぶち眼鏡に伸びた髪。毛玉のついたポロシャツのいかにも外見に無頓着な風貌の、真面目そうな男だった。

 蒸し暑い中、彼は湯気の立ったコーヒーカップを片手に「飲むか?」と腕を上げる。断ると、彼は使い古されたソファへ座るよう促し、自分は近くに椅子を運んで座った。


 「それで、あのポスターの話だろ? あれは、確か一年ほど前のことだよ。たまたまおすすめ枠に表示されていて、なんとなくコメントを読んでいたんだ。電柱の画像あっただろ? なんだか、釣りにしては雑だなって。それにあのアカウント、ずっと前から動いてたのに、あの気持ち悪い投稿を最後に動かなくなってさ」


 矢継ぎ早に話すと、先輩は机の上にあったノートパソコンを手繰り寄せ「ああ、これだ」と画面をこちらに向ける。


 「アカウント主が特定されたんだ。あの投稿の直後に亡くなったらしい」

 

 『20代男性、マンションの自室から転落死。 死亡したのは林 拓郎さん(29歳)会社員で、自殺と見られ――』


 俺は息をのむ。本当に死んで――。


 「先輩。リアタイしていた時他に何か、関係ありそうな話なかったですか? なんでもいいんですけど」


 勇希が俺を横目に尋ねると、田村先輩は顎に指を当てて、うーんと唸る。


 「そんなに話題にもなっていなかったからなぁ……あ、でも特定されてから林を非難するコメントがいくつか書き込まれてたな」


 俺は思わず声を上げる。

 

 「え、自殺した側なのに?」

 「どうも、素行が悪かったみたいだね。色々暴露されてたけど、中々えぐいものもあったよ。自殺に追い込んだとか」

 「うわ……それじゃ、自業自得みたいなもんですね」


 俺たちがそんな会話を続けていると、横から勇希が話を振る。

 

 「そういや、翔太の前に現れたって子はどういう子なわけ?」

 「翔太? 現れた?」

 「こいつが翔太です。こいつ、あのスレと同じことが起きてるんです」

 「……え?」


 田村先輩の反応に苦笑いをしながら、スマホを取り出す。画面に表示されているのは例の未解決事件サイトだ。なるべく見ないようにしたのに、画面の男の子と目があったような気がして、ぞわりと鳥肌が立つ。

 

 「このサイトの、この子です。ポスターの電話番号を検索したら出てきたサイトなんですけど」

 

 何か言いたげな田村先輩に、半ば無理やりスマホを渡すと、勇希も覗き込み、二人は眉を顰める。

 

 「うわ、なんだこのサイト、こわ」

 「……悪趣味なサイトだな。一応目隠ししてあるとはいえ、親が掲載したとは思えないね。アフィリエイト目的でどこかから引っ張ってきたのかな」


 田村先輩の言葉に、俺は遅れて「えっ」と反応すると、勇希が不思議そうな顔を向ける。


「えっと、目隠し?」

「目隠ししてあんじゃん」

 

 田村先輩からスマホを受け取り、画像を見る。確かに、男の子の目には黒い目隠しがされている。

 

「……本当だ。いや、さっきスマホ渡した時は確かに」


 ゴトっ。

 

 会話を遮るように、田村先輩がコーヒーを机の上に置いた音が響き、部屋に静寂が訪れる。しばしの沈黙の後、田村先輩が口を開いた。

 

「……一応確認だけど、さっきからのそれ、冗談じゃ、ないんだよね?」


 レンズ越しの瞳が、じっと見透かすようにこちらを見つめている。


「あ、当たり前じゃないですか! こんな嘘つかないですよ!」


 慌てて否定したものの、声が上擦り嘘っぽくなってしまい心の中で舌打ちする。田村先輩は静かに、「そうか」とだけ返した。

 

 それきり、田村先輩は何も言わなかった。


 田村先輩にお礼を言って、文芸部を出る。

 一刻もその場から離れたくて、足早に中庭に向かう。いつもほとんど人のいないベンチに座ると、ようやく息ができた気がした。実際はため息だったが。

 黙ってついてきた勇希が、ようやく口を開いた。


「さっきの田村先輩、なんか変だったよな」

「俺の話を嘘だと思ってんだなきっと……クソっ本当なのに」


 俺が唇を噛むと、勇希が肩を組む。


「まぁまぁ、先輩もナーバスなんだよ。なんでも少し前に知り合いが死んだらしいし」

「……そうなのか?」

「ああ、だから機嫌が悪いんだ。俺もこの間怒られたよ。『勇希くんは、目先の嫌なことからすぐに逃げるけど、それじゃあ何も解決しないよ』って」

「ガチで怒られてんじゃん」

「正直、当たんないでほしいよなぁ」


 唇を尖らせながらそう言っていた勇希が、思い出したように悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「それで、この電話番号に電話はしてみたのか?」

「……いや、まだ」

「んだよ。してみれば? 今なら俺もいるし」

「お前は聞きたいだけだろ……わかった、かけてみる」

「おう」


 プルル……プルル……。


 電話のコール音が三、四回鳴った後、大人の女性の声が聞こえた。


 『もしもし』

 『あの、すみません。未解決事件情報サイトをみて、連絡したんですが』


 少しの沈黙が流れる。三十秒ほど経ったあたりで口を開こうとすると、女が話し出した。

 

 『ああ、はいはい。息子のことですね』

 『はい。それで、彼はまだ見つかってないのでしょうか』

 『まーくんはいつも私のそばにいますよ。ずっと離れません』

 『はい? えっと、行方不明なのでは』

 『……あなた、まーくんをとりあげるつもりなの』

 『はい? いや、違いますよ。見つかったなら、よかったです』

 『ゆるさないゆるさないゆるさないゆるさない……あああ!!!』


 電話の向こうで、つんざくような奇声と、皿のようなものが割れる音が何度も響きわたる。音がするたびに体がびくつくのに、耳に当てたスマホはびたりとくっ付いて離れない。しばらくして静かになった頃、泣き嗤うような声が聞こえてきた。

 

 『お前を絶対に許さない。今から行くからな』


 ブツっ――。


 通話が切れても、俺の体は一歩たりとも動かなかった。いや、動かせなかった。自分の体じゃないみたいに硬直して、勇希に声を掛けられてようやく声が出せた。

 

「翔太? どうした?」

「……今から、くるって」

「は?」

「なんか、今から来るって言ってたんだけど……」


 そう言う俺に、勇希は指を差し笑う。


「ははは! どうやってだよ。場所がわかるわけないし。まぁ、からかわれたな。こんなサイトに載ってる電話番号なんてそんなもんだろ」

「だよ、な。来れるわけないよな」

「あたりまえだろ。さてと、そろそろ講義の時間だ。また後でな」

「おう、ありがとうな」


 勇希と別れ、そのまま講義へ向かう。が、徐々に足取りが重くなり、一度喫煙所に向かうことにした。

 悪戯だろうことはわかっている。でも、この胸のざわつきのまま講義を受けるのは、嫌だった。


 喫煙所に入ろうとした時、急に腕を引っ張られ、そのまま壁に勢いよく押し付けられた。

 衝撃で顔が歪み、相手に怒鳴りつけようとすると、それは勇希の友人の板見だった。

 

 「また、ですか……」


 板見はここ一週間毎日のように『その目つきをやめろ』とか言って、突っかかってきた。

 以前から俺と勇希が親しくしているのが気に入らなかったようで、裏で愚痴を言っていたのは知っていたが、最近のこの男の執着は異常だ。


 「お前、なんなんだよ。ふざけるのも大概にしろって、言ってるよな」

 「だから、なんなんですか……何もふざけてなんかいないですって」

 「だから――!」


 ぶうぅん。


 まただ。この男と話していると、毎回のように蠅が寄ってくる。

 重なる羽音の向こうで聞こえる声を聞こうとするのに、それを邪魔するかのように、羽音は重なり続ける。口はぽかんとだらしなく開き、虚ろに空を見つめることしかできなくなる。

 そんな俺を見た板見は、俺の頬を思い切り殴り、頬が熱く感じるほどの痛みに、一瞬で引き戻される。


 「い゙っ! 何するんだよ!」


 見上げた板見の顔は、歪んでいた。

 

 歯を食いしばって、俺を見るその目は怖いものを見るように揺れている。

 目を見開く俺に、彼は震える声で呟いた。


 「……お前、本当におかしくなっちゃったのかよ」

 

 そう言って、板見は腕を離すと走り去っていった。

 俺は、ひりひりと痛む頬をさすりながら、黙ってその後姿を見つめた。


 「一体……なんなんだ?」


 苛立っているかと思えば、怖がっているようだったり。一体何が彼を駆り立てているのだろうか?

 俺と彼の関係に、なにかあるのだろうか。俺も知らない、関係が?


 ピピピピ――。


 その思考は、アラームの音で中断された。

 講義がもうすぐ始まってしまう。

 板見のせいで、煙草を吸う時間が取れなかったことに苛立ちつつ、俺は講義へ向かった。



 


 ブブッ――。

 

 講義中、机の上に置いておいたスマホが震え、画面に視線を落とす。そこにはSMSの通知が表示されていた。

 

 『今どこにいる』


 誰だ? そう思い送信元をみる。見覚えのある電話番号だ。いや、というよりも、これって……。

 心臓が激しく脈打ち、手のひらからジワリと汗が滲みだす。


 『わかった』


 『待ってろ』


 『もう近い』


 『どこに座ってる』


 スマホが震える度に、体がこわばっていく。淡々と続く教授の声にボールペンの音。こんな中で動揺しているのがばれたら。

 俺はなるべく自然に、シャツの襟を立て、前かがみになる。一方で、手元のノートは手汗でふやけ、文字は滲んでいく。

 

 ブブッ――。


 俺は目だけを動かし、スマホの画面を見る。


 『いた』


 それを読んだ瞬間、足元を何かが撫でた。


 ゆっくりと、視線を机の下に向ける。そこには、小さな手が俺のシャツをぎゅっと握りしめていた。赤いボーダーのTシャツから伸びた、手が。

 俺は思わずその手を払いのけようとするが、その手は離れないどころか、もう片方の手がさらにシャツの上に伸びてくる。

 立ち上がろうとするが、脚が根を張ったようにその場から動かず、ただ上半身をくねらせることしかできない。

 腕は徐々に上に伸び、そうして彼の口元が机の下から見えてくる。

 口角の上がりきった唇から覗く歯は、黄色く濁り、時折舌が見え隠れする。

 ゆっくりと鼻が見えて、目が見えそうになった時だった。急に、視界がぐるんと反転した。

 いつからか呼吸を忘れていた俺は、そのままそこで意識を手放していた。

 

 それとほぼ同時に、メッセージを受信した音が聞こえた。視界の端であの言葉が見えたきがした。

 

 『しょーくん、ぼくをみつけて』




 



 目覚めると、ベッドの上にいた。

 左右を見渡すと、カーテンで仕切られていて、あぁ、医務室に誰かが運んでくれたのかと、頭がゆっくりと理解していく。

 ベッドの横にはスポーツ飲料のペットボトルが置かれていた。勇希だろうか? ありがたく頂戴することにした。

 

 「おーい、大丈夫か? 翔太」

 「……ああ、なんとかな」


 スポーツ飲料を飲んでいると、勇希が顔を出した。


 「お前、思ってたより追いつめられてるみたいだな。ちょっと楽しんでたわ。ごめんな」

 「いや……いいよ、もう」


 珍しく反省している風の勇希に、少し戸惑う。

 妙な気分だ。医務室の窓から空を見上げれば、青い空に白い雲が浮かんでいる。いつもと変わらない、日常。なのに、俺の心の中は、ずっと翳りを帯びている。爪先でペットボトルの蓋を引っ掻きながら、俺は勇希に溢す。


 「勇希……俺さ」

 「ああ」

 「……死にたくない」


 自分の口からでた声が、思っていた以上に震えていて、こうも追い詰められているんだと実感した。

 勇希は黙って震える俺の肩をたたき、そのまま肩を組む。


 「まぁ、心霊スポット仲間が減るのは困る。手伝ってやるよ」

 「……ありがとう」


 しんみりとした空気が流れる中、勇希は悪戯っぽい笑みを浮かべて周辺を見渡した。

 

 「にしても、お前他に友達いないわけ? あんなに派手に倒れたのに見舞いに誰もこないのかよ」

 「うるせー、んなもんいねぇよ」

 

 そんな軽口を叩きながら、しばらくの間俺たちは談笑を続けた。

 

 大丈夫。俺には勇希がいるんだ。



 「よし、じゃあ作戦会議をしようか」

 「そうだな。中庭に行こうか、人通りも少ないし」

 「いいね」


 そんなやりとりをしながら中庭に向かっていると、急に声をかけられた。

 

 「勇希くん」


 俺たちが振り返ると、そこには勇希にまとわりついている女、伏見リナがいた。待ち伏せされてたりして困っていると勇希が言ってたっけ。

 少し面倒そうな顔をしたあと、勇希が笑顔を作る。


 「なに?」

 「……最近会ってくれないけど、何で?」

 「いや、忙しくて」

 「でも、風間くんと心霊スポット行ってたりしたよね。だからなのか、なんか……」


 急に名前を出され、俺は肩を小さく震わす。彼女は何度か口を開いては閉じてを繰り返し、ようやく言葉を発した。


 「最近の勇希くん、らしくないよ。もしそれが風間くんの影響なら――」

 「あのさぁ」


 勇希の冷たい声が、その場に響く。

 勇希らしくない、声。

 伏見リナの喉が、小さく動いたのが見えた。


 「お前が俺の何を知ってるわけ? 友人関係に口出ししてくるとか、うざいんだけど」

 「……」


 伏見リナは何か言いたげだったが、ぐっと唇を噛みしめて踵を返す。


 「リナなら、勇希くんのこと全部わかってあげられるし、なんでもしてあげるのに……もういい。勇希くんなんて、呪われちゃえばいい」


 そう言って、彼女は足早に去っていった。俺は首を傾げ、勇希に問いかける。

 

 「お前なんか、変わったか?」

 「わかんね。あるとしたら、翔太の陰気臭さがうつったかな」

 「うざ」


 いつも通りの悪態をつく勇希の横顔を、俺は見つめた。

 何も変わってない、いつも通りの勇希じゃないか。

 そう安堵したとき、手のひらが痛むことに気がつく。いつの間にか強く握っていた手のひら、くっきりと爪の跡が残り、ほんの少し血が滲んでいた。

 俺は首を傾げながら、しばらくその跡をじっと見つめていた。

 


 

 

 定位置となった中庭のベンチに座ると、俺は大きな溜息をついた。

 最近は本当にどうしちゃったんだろう。悪意ある言葉を投げ続けられ、その上幽霊にまで憑かれたなんて。

 少しぐったりとした俺の横に座ると、勇希は早速口を開いた。

 

 

 「それでさ、その幽霊は、僕を見つけてっていってるわけだろ? 死体がどこかにあるってことじゃないか?」

 「死体とかいうなよ……」

 「おいおい、心霊スポットさんざん言ってるくせに、びびんなよ」


 目を細めて笑う勇希に、俺は少しうんざりしていた。

 手伝ってくれるのは助かるが、疲れている時にこのノリはキツい。

 そもそも、スリルを味わうのと実際に自分に降りかかってるのでは恐怖の捉え方が全く違う。こいつはそれをわかっていないのだろうか。


 「それと、お前のことしょーくんて言ってたんだろ? 知り合いなんじゃね。心当たりはないわけ」

 「うーん……」


 重い頭をひねるが、どうにも心当たりがない。

 というか、記憶にモヤがかかったように、思い出せない。


 「その頃のこと、思い出せないわ……」

 「まじかよ! それって、その時絶対なんかやらかしてるだろ」


 大口を開いて笑う勇希の声が、妙に耳に障り、頭に熱が集まる。そうして反対に、指先は冷たくなっていく。

 

 「……やめろよ、そういうの。真面目に生き残ろうとしてるんだから」

 「いや、俺も真面目だから。お前が目を逸らしそうなことにも、ちゃんとつっこんでやってるんじゃん。てか、マジになんなよ」


 うるさい。


 「やめろって」

 「おいおい、呪われて心狭くなっちまったかー? いつものやりとりじゃねぇか」


 うるさい、うるさい。


 「黙れよ」

 「そんなだから陰キャって言われんだよ。お前、これからも一生見下されて生きていくのでいいわけ?」


 うるさい、うるさい、うるさい!


 「……お前はいいよな」

 「は?」

 「お前は、呪われてないもんなぁ!」


 怒声が静かな中庭に響く。

 勇希はポカンと口を開いたまま、俺を見つめている。

 その仕草すら、俺を逆撫でる。

 

 「お前だって、俺と一緒に心霊スポット巡って、それなのに、なんで俺だけ――!」


 そう声を荒げ、掴み掛かりそうになったところで、中庭に入ってきた人が視界に入り、俺はぐっとその場で持ち堪える。

 勇希は小さくため息を吐いて、立ち上がると校舎に続く扉に向かう。同時に何人かの学生が扉を開き、入ってくるのが見える。


 「少し冷静になれよ。じゃあ、またあとでな」

 

 勇希の後姿をじっと見つめながら、俺は呟いた。


 「……いいやつぶりやがって」


 俺の声をかき消すように、扉が閉まる音だけが、その場に響いた。

 


 


 雪が舞う季節。

 上京してから初めての冬だ。


 ワイヤレスイヤホンから、俺の好きな声が流れ込んでくる中、俺は大学に向かっていた。


 普段通りの格好で外出したものの、今日は特別寒くて、もっと厚手のコートが必要だったなと、腕をさすっていると肩を誰かに叩かれる。

 振り返ると、いつも通り明るい、側から見れば爽やかな笑顔の勇希がいた。切れ長の二重に、高い鼻。唇が上がり気味なのが、ぱっと見の印象を良くさせているな、と思う。でも、俺にはわかる。こいつは今もどうやって俺の顔を歪ませてやろうかと考えている。本人は弄ってるだけのつもりだろうが。

 

 そんな勇希のことを、俺は好きではない。

 

 「翔太、今日合コンやるけどくるかー? お前が話してたユミちゃんだっけ?その子も誘ってもらったぞ」

 「行く」

 「おけー。じゃあ、二十時に駅前なー」

 

 一年目の冬だというのに、ろくに友人もいない俺と違って、勇希には蛍光灯に群がる羽虫のように、自然とみんなが集まってくる。そんな便利な存在が俺を好いてくれているんだ。利用しない手はないだろう。

 

 対価はアイツの嫌味に付き合うこと。チクチク刺してくるのが散り積もってくると、結構くる。

 でも、ただそれだけといえばそうだ。

 少しだけ我慢すれば、得られるものは大きい。


 

 「ねぇ、勇希くんて、どんな子がタイプなのぉ? リナ、すっごく尽くすタイプだよぉ。好きな人のためならなんだってしてあげるんだからぁ」

 

 合コンが始まって三十分も経たないうちに、甘ったるい声で、伏見リナが勇希にもたれ掛かる。見た目は可愛いがいわゆるメンヘラだと大学でも有名な女だ。ご愁傷さまだな、勇希と心の中で笑いながら、フライドポテトを摘まむ。

 

 「好きになった子がタイプ。外見はあんまり関係ないかな」

 

 外行き用の笑顔で、勇希はハイボールをぐいっと飲む。

 

 「なんか、そういうのって素敵だね」

 

 アルコールのせいなのか、赤らんだ頬で微笑むユミちゃんに、心の中で今日はハズレだなと漏らし、ビールを一気に流し込み、口を拭う。

 早く、店を出て、あの声が聴きたい。

 聴くだけで、体のこわばりが解けていく、俺だけを見ているあの声を。



 翌日の昼。昼食を取ろうと廊下を歩いていると、少し前に勇希とその友人たちがダラダラと歩いていた。

 俺の苦手な、いわゆる陽キャの集団だ。

 あまり関わりたくなかった俺は、少し歩みを遅くするが、会話が耳に飛び込んでくる。

 

 「前から思ってたんだけど。お前さぁ、風間だっけ? なんで、あんな陰キャと一緒にいるわけ?」


 よく勇希と一緒にいる板見の声だ。

 心臓が跳ね、思わず身を顰め、聞き耳を立てる。

 

 「てか、勇希って、いつも陰キャと仲良くなってない?」

 「わかる。前は宮田? その前は梶原……だっけ?」

 「あれ、その二人って、休学してなかったっけ? 退学? 自殺未遂とか鬱とか、そんな噂聞いたけど」

 「ええっ、ちょっとぉ、勇希、なんかしたのぉ?」

 

 内容と温度差がある口調に眉を顰めつつ、聞き覚えのある名前だなと、記憶を辿る。

 宮田は同じ講義を取っているから知ってる。少し前に見かけた時、ガリガリに痩せてて、何かの病気かなとは思っていたが。

 まさか、あの豹変ぶりに、勇希が関わってるのか? そんなわけ……。

 

 「まぁ……」

 

 勇希が口を開く。

 

 「いじってたら俺のこと、友達だって勘違いしちゃって。面倒になったから、捨てただけ」

 

 なんでもないことのような、軽い口調。

 

 どっと笑いが起こり、女子たちの「勇希ひど~い」と声が聞こえるが、まるでずっと遠くから聞こえるみたいに、同じ空間にいないように感じる。


 立ち尽くす俺の近くで、別の女子たちがヒソヒソと話す。


「宮田、サークルでも居場所なくなっちゃったらしいよ。勇希くんがサークルに入ったらしくて」

「勇希くん優しいしかっこいいもんね〜」

「そう、勇希くん相手じゃ正直、ね」


 足元が、ぐらぐらと崩れていくような、感覚。

 サークルではないが、勇希は俺と同じバイト先で働き出した。宮田と、まったく同じじゃないか?


 一度、勇希と一緒にいるとき、宮田に会ったことがあった。

 何か言いたげな視線を向けていたが、勇希はまるでそこになにもないように、通り過ぎていった。だから、てっきり二人に関係はないと思っていたのに。

 

 ふらつく足でその場をそっと離れ、角を曲がったところで、しゃがみ込んだ。

 頭に熱が集まっていくのを、必死に払おうとする。


 大丈夫。宮田が上手くやらなかっただけ。

 あいつが、下手くそなだけ。


 動悸が治らない。はやく、聴かなければ。

 俺はポケットからイヤホンを取り出すが、焦ってそれは手からこぼれ落ちる。

 

 「風間君、大丈夫?」


 頭上から声をかけられ、顔をあげると、そこにはユミちゃんが心配そうに俺を見つめていた。

 

 「だ、大丈夫! それより、ユミちゃん、ど、どうしたの?」


 嚙みながらそう答えると、ユミちゃんは指先で髪の毛を弄りながら、ぽつりと言った。

 

 「その、さ、勇希くんて、今付き合ってる子とか、いるのかな」

 「……いや、いないんじゃないかな」

 

 俺ははやる鼓動に気づかないふりをして、そう答える。

 

 「そ、そっか。ありがとう」

 

 そう言って、髪をかき分けた彼女の首筋の、赤い跡をみるまでは。



 その瞬間、宮田に、自分の未来が重なった。そう、思ってしまった。

 

 

 胸の奥から湧き上がった黒い衝動は、いつかは溢れ出してしまうだろう。

 もう、無視はできない。

 奪われるくらいなら――。


 遠ざかるユミちゃんの背中を捉えながら、拾ったイヤホンを耳にはめる。

 いつも通りのあの声が聴こえる。


 『風間くん、ありがとう。風間くん、ありがとう』


 繰り返し聞こえる、俺だけのユミちゃん。

 俺だけの――。


 窓の外では白い雪が、はらはらと舞い落ち、地面をゆっくりと染めていった。


 

 


 

 勇希と言い争った日の夜、俺は夢を見た。

 

 「ここ、お前の地元なんだろ? ここらへんはよく来てたわけ」

 「たぶん」

 「たぶん、てなんだよ」

 「小さいころ住んでただけだから、あんま覚えてないんだよね」

 「ふぅん」


 これは……心霊スポットに、勇希と行った時か?


 「うへ、ここ病院だったんだよな? 落書きだらけだし、ゴミもめっちゃ捨てられてるし」

 「相当前に廃業したみたいだな。ネットでも結構有名な心霊スポットって書かれてたし、俺らみたいなのが結構来るんじゃん?」

 「なるほどなぁ」


 一階をぐるりと回り、二階に行こうとした時だった。


 ――チリン。

 

 何かを蹴っ飛ばした感覚と同時に鈴の音が響き渡る。足元をみると、イルカの形をしたキーホルダーが落ちている。


 「これ、俺らが小さいころやってたアニメのキャラクターだよな」

 「ああ、懐かしいな。小学校低学年の頃だよな」

 「結構好きだったな。よく友達と話して……うーん」

 「どした」

 「誰と話していたのか、思い出せない」

 「それ、友達っていうのかよ」


 そんな話をしながら笑っていると、受付の奥に一瞬赤い何かが見えた気がした。


 「あれ」

 「どうした?」

 「……いや、気のせいか」

 「は? 怖すぎだろ。やめろよ」

 「ごめんごめん」

 

 その後……何があったんだっけ、確か――。


 ぶうぅん。


 浮かび上がった記憶は、すぐさま羽音にかき消される。


 ぶうぅん。ぶうぅん。


 一匹じゃない、何匹もいる。煩い、煩い。

 考えるほどに体が震え、額から汗が滲み出る。あれ、なんでだっけ。なにがあったんだっけ?


 その時、耳元で、小さな男の子の声がはっきりと聞こえた。

 

 「しょーくん、ぼくをみつけて」

 

 ぞわぞわと体中の毛が逆立ち、俺は目を覚ました。

 体は汗でびっしょりと濡れていて、俺は激しく脈打つ心臓の音を黙って聞いていた。


 「……あそこに、何かあるのか?」

 

 ただの偶然とは思えない。

 それに、思い出せない記憶は、なんなんだ?

 一体なにが……?

 俺は指を口元に当て、答えの出ないまま、じっと考え続けた。



 

 翌日、俺は勇希を中庭に呼びだした。

 あんな怒鳴った後だ。どうにもバツは悪かったが、勇希はきっと許してくれるとわかっていた。


 「昨日はすまない。少しナイーブになってた」

 「いいって……許してやるよ」


 勇希は謝らない。これも、わかっていた。いつもこうだ。悪いのは俺。でも、それを許してるのも俺だ。

 

 「勇希、もう一度心霊スポットついてきてくれないか。覚えてるだろ? イルカのキーホルダーがあったあそこだ」

 「イルカの……ああ、あそこか。どうした?」

 「多分だけど、あそこに呪いを解く方法がある、と思う。少なくとも、俺が呪われたのはあそこだ」

 「……いいぜ、ついていくよ」

 「ありがとう、勇希……お前って本当にいいやつだよな」


 俺は勇希に笑いかける。

 呪われた場所なのに、ついてきてくれるなんて、普通じゃない。いかれてるのか、それともとんだお人よしか。

 恵まれたお前は後者なんだろうな。


 「翔太? どうした」

 「いや、なんでもない。明日は土曜だし、今夜からさっそく行かないか。俺、バイト短時間シフトだから、その後」

 「まぁ、いいよ。じゃあ、準備終わったら連絡するわ。車はいつもの駐車場に停めてあるから」

 「助かるよ。じゃあ、また後でな」


 そう話を切り上げようとした時だった。


 「勇希」


 そう声を掛けられ、俺たちは振り向く。そこには田村先輩がいた。何か言いたげだが、その視線は俺に向かっている。勇希が何か言おうとしていたが、それを制して俺が口を開く。


 「どうかしましたか」

 「その……話してた内容が、少し聞こえてしまって」

 「ああ……」


 田村さんは何度か口を開いては閉じ、視線を泳がせる。普段であればなんとも思わないが、今の俺には余裕がない。


 「何か言いたいことがあるなら言ってくださいよ。俺も暇じゃないんで」

 

 そう、ぶっきらぼうに返すと、彼は話し出した。


 「……僕はね、呪われるのには理由があると思っている」

「え?」


 唐突に始まった内容に眉を顰めるが、田村先輩はまるで気に留めず続ける。

 

 「僕の死んだ知人の話、しただろう。彼はね、武勇伝みたいに語っていたんだよ」

 「なにを?」


 「人を、殺したことがあるって」


 思わず喉がなる。

 田村先輩は、そんな俺をじっと見つめながら続ける。


 「林も言われてたろう、人を殺したって。もしかしたら……君も同じように、誰かを殺したのかな」


 レンズ越しの瞳は、俺を見透かそうとしているかのように食い入るように見つめている。

 その気配に押され、少し躊躇いがちに、俺は口を開く。


「もしそうなら、俺は無意識のうちに人を殺してたってことですかね。もしくは林のように追い詰めたか、それか――」


 視界の端で、嫌がる女の子をナンパする男たちが見える。無理やりに、手を引く姿に、口が勝手に言葉をこぼした。


「……誰かを見捨てたか」


 不安げにこちらを見つめる目。歪んだ唇。あれは、誰だったか。記憶の端に埋もれたそれが顔を出す。


 「僕はね、別に知人が死んだとき、悲しくはなかったんだ」


 田村先輩の話に、一瞬で俺は引き戻される。


 「え?」

 「ただね、少し興味がわいたんだ。同じ呪いを受けた二人の共通点はなんだろうと。でも、君の状況は少し特殊だ。君は自覚したくないようだが……より興味深い」


 田村さんの口角が、不自然に上がっているのをみて、思わず一歩下がる。


 「何かわかったことがあったら教えてくれないか」

 「あの……」

 「君が死ぬ前に」

 「は?」

 

 あまりにも不謹慎な発言に、田村先輩に怒鳴りつけてやろうとした瞬間、強い風が吹いた。そうして、風が止まった時、彼の笑顔は不審なものを見る目に変わっていた。

 不気味な笑みの陰もない。


 もしかして、また――。


 「うわぁぁあ」

 

 俺はその場にしゃがみ込み叫ぶ。

 みんながこちらを不思議そうな顔で見ながら通り過ぎていく。

 でも、その視線すら、もう本当に存在するのか、自信がない。

 わからない。

 もう。

 なにが、本当なのだろう。


 もう、何も見たくない。なにも。

 


 どうやって帰ったのかも覚えていない中、家の隅でうずくまる俺のスマホが震えた。薄ら目を開いて確認するとバイトの時間が迫っている。面倒だ、休んじゃおうか。でも、先日も休んじゃったっけ……俺はゆっくり体を起こし、重い足取りで、バイトに向かった。

 

 今日は最低限のことだけして、早く帰ろうと流しでやっていると、数回同じシフトになったことのある先輩に声をかけられた。

 

「あれ、今日のシフトって風間くんだっけ?」

「はい、お疲れ様です」

「なんか、少し雰囲気変わった?」

「? そうですかね」

「というか……君――」


 ぶうぅん。


 羽音は、先輩の音と重なり、彼の言葉をかき消していく。


「なんですか? よく、聞こえなくて」

「……いいや。3番卓よろしく」

「はい」


 そうして足早に立ち去る俺を、先輩は怪訝な表情で見つめ、呟く声が聞こえた。


「なんなのあれ……気持ちわる」


 まただ……最近悪口ばかり言われている。

 俺が一体、何をしたっていうんだ?

 俺は荒っぽくお盆を戻し、ひたすらに仕事を続けた。

 

 


 夜になり、俺は勇希からの連絡を待っていた。

 ガタガタと強風が窓を揺らし、木々の葉の揺らめく影がカーテンに落ちる。

 

 「クソっ、勇希のやつ、まだかよ」


 俺は何度もスマホに目をやり、連絡が来ていないことを確認すると、スマホをポケットにしまい台所に向かった。

 煙草を口にくわえ、火をつけようとするが、指が滑って中々つかない。

 じわりと背中に汗が滲み、指先も湿り気を帯びていく。

 自分の背後に、何かいるような嫌な緊張を紛らわすためにも、俺は何度もライターを着火させようとする。

 そうして、ようやく火が灯った時、急に部屋の灯りが消えた。

 

 「は? まじかよ、こんな時に……」


 焦ってライターの火を頼りに、ブレイカーを上げようと玄関に向かった時だった。

 

 「開けてくれー」


 そう、玄関から声がした。


 「勇希、来たのか」

 「開けてくれー」

 「ちょい待ってくれ」


 玄関前に立ち、ドアノブに触れた時、なにか、言い知れぬ嫌な予感がした。

 スマホを取り出したが、勇希からの通知はない。

 勇希はいつも駐車場の車に乗り込んだら連絡してくる。なのに、どうして玄関まで来た?


 「開けてくれー」


 俺は、強張る体を必死に動かし、物音を立てないように、ドアスコープを覗く。


 「開けてくれー」


 そこには、赤いボーダーの男の子が立っていた。彼はじっとこちらを見つめながら、口から勇希の声を出している。


 「開けてくれー」


 壊れたおもちゃのように、同じ言葉を何度も繰り返す。何度も、何度も。

 俺は耳を塞ぎ、布団の中に駆け込む。


 「嫌だ……もう、何も言わないでくれ……!」


 ぎゅうっと布団を握りしめ、祈るように何度も叫び続ける。喉が掠れ、握る力も緩み出した時、勇希の声が聞こえないことに気がついた。俺は、布団からゆっくりと顔を出し、左右を見渡す。


 ゴウゴウと、古い冷蔵庫の音だけが響き渡り、他には何の音もしない。


「行った、のか……?」


 俺は布団を完全に剥いで、ベッドから片足を床に下ろす。そうして、もう片方の足を布団から抜き出そうとした時、グンっと、何かに布団の中に足を引っ張られた。


 布団の中に、何か、いる。


 俺は自分の足を、何度も引く。しかし、布団の中の力は強く、脚から腿までもが引き摺り込まれる。

 焦りながら、俺は布団を思い切り剥いだ。


 何も、いない。


 布団の中には何もいない。ただ、足首に小さな手形が青紫色に残っている。痛みのあるそれをさすろうとした時、シーツの上に何か文字が書かれているのに気がつく。

 


『しょーくん。あの日、ぼくをみてたよね』


 さっきまでは、絶対になかったはずだ。

 アイツは、すぐ、そばにいる。

 全身の毛が逆立ったと同時に、俺の意識は遠のいた。


 どれぐらい経っただろう、気がつくと勇希から『着いた』とだけメッセージが届いていた。

 周りに気配もない。

 俺は鞄を持ち、ドアの前に立つ。

 ドアスコープを覗くと、そこにも少年はいなかった。俺は深呼吸してから足早にドアを開け、駐車場にむかった。車を見つけると勢いよく乗り込む。

 勇希は少し驚いた表情をしていたが、「じゃ、行くか」とだけ言って車を発進させた。


 心霊スポットまでは、車で一時間半ほどかかる。ずっと強張っていた体がようやく少しほぐれ大欠伸が出る。

 勇希はそんな様子の俺に、「お前つかれてそうだし、着くまで寝とけば」と促してくれ、言われるがままに目を閉じた。

 


 


『あの日、ぼくをみていたよね』


 ラジオから流れてくる曲の一節が、まことくんの言葉と同じだった。


 朦朧とする中、カチッと俺の記憶の蓋が開いたのが、分かった。

 


 遠い記憶。あの日は、茹だるように暑い日だった。

 

 「しょーくん、ばいばい」


 顔を上げると、そこにはあの赤いボーダーのTシャツの少年が立っていた。ポスターと同じ屈託のない笑顔で。ランドセルでは、イルカのキーホルダーが揺れている。

 

 「まことくん、ばいばい」


 俺は笑顔を作って手を振る。僕の好きな子がまことくんを好きだって聞いたばっかりだっていうのに。


 歩きながら、まことくんに勝てるところを考えた。勉強に運動、見た目も、どれも勝てない。

 ため息をついた時、唐突に計算ドリルを忘れたことに気づいた。宿題だから明日じゃ間に合わないと、慌てて元来た道を戻る。

 人通りが少ない道だ。周りは林に囲まれ、木のざわめきが不気味な道。

 

 そこには、まだ、まことくんがいた。

 

 彼は、見知らぬ男に手を引かれ、真っ青な顔をしていた。

 父親と呼ぶには少し若い男、それに彼の表情。今の俺なら明確に、どんな状況かわかる。

 彼は俺を見た。その瞳は、明確に助けを求めていた。

 唇は震え、視線だけで、必死に訴えかけていた。


 だけど、俺は、何もしなかった。

 

 男は俺に気づかず、まことくんの腕を引っ張っていった。道路からずれ、林の中に連れ込まれるまことくん。

 その様子をじっと見つめ、少しだけ、俺は目を細めた。


 まことくんは、帰ってくることは無かった。


 最後の目撃者が俺だということは、瞬く間に学校中で噂になった。同時に、まことくんはアイツのせいで拐われたとも。

 ただでさえ少なかった俺の口数はほとんどなくなり、それを心配した親は引っ越した。それでもしばらくの間塞ぎ込んだ。

 ある日、自分の中で、全部なかったことにした。

 そうしたら、心が軽くなった。

 それから、俺は辛くなった時は、そうすることにしている。

 全部、なかったことにすれば、いいんだって。

 



 

 「翔太、もうすぐ着くぞ」

 「……ああ」


 はぁっと大きなため息をつきながら、カーナビに視線を向ける。

 あと5分もあれば心霊スポットに着きそうだ。

 

 「俺、思い出したんだ。赤いボーダーの子のこと」

 「思い出したってことは、知り合いだったってことか?」

 「ああ、同級生だったまことくんだ」

 「……で、その子になにしたわけ?」

 「何もしてねぇよ。ただ、その子が行方不明になる前の最後の目撃者が俺だったんだよ」

 「ふうん」


 そのまましばしの無言が続き、勇希が「ついたぞ」と言って車が停まった。


 「まことくんを探せばいいんだよな……といっても、どこを探したらいいんだかなぁ」

 「多分、受付のところかも」

 「なんで?」

 「前、イルカのキーホルダー拾ったところあっただろ。あそこ、怪しい気がする」

 「ほぉ」


 シンと静まり返った廃病院。以前来た時はスリルを求めていたが、今回は導かれるように訪れたとなると、暗闇の広がる屋内の不気味さに拍車がかかる。

 


 歩くたび、床に散らばるゴミや、紙を踏む音が静寂の中響き渡る中、スマホのライトで照らしながら進むと、受付が見えてくる。

 蒸し暑さからなのか、この場所にきたからなのか、じんわりと汗が滲み、不快感を消すように手で拭う。


 キーホルダーがあった辺りをライトで照らすと、きらりと光ったものが見えた。


 「……まだ、あった」


 かがんで、キーホルダーを拾うと、ちりん、と鈴の音が響く。まことくんも好きだった、イルカのキーホルダーだ。勇希を見ると、彼は俺の方を見て黙って立っていた。

 

 「きっとこの辺りに、まことくんがいるはずだ」

 「死体ってことだよな」

 「ああ……きっと、彼を見つければ……」

 「そうだな。見つけようぜ」


 勇希は軽く俺の肩を叩き、辺りを探し始める。

 俺はそんな彼の後姿を、じっと見つめる。



 ここに着いた時から、違和感を感じていた。


 

 頭から足の爪の先まで、どう動くべきなのかを知っているみたいに、自然に動く。

 まるで、そうあるべきだと、どこかでみた映画のワンシーンを再現するかのように、動く。


 俺は吸い寄せられるように勇希の背後に立つ。ネイビーのTシャツから伸びる、首は白く、ほんのり汗ばんでいる。

 

 目を瞑れば、俺の指はその首に指先を押し付けている。

 目を開くと、俺はただ、その場に立ち尽くしている。


 視界が濁る。

 思考が濁る。


 勇希を殺さないといけない。そのためにここに来たんだと、頭の中で誰かが叫ぶ。

 

 勇希は俺を手助けしてくれてるのに?


 視界が黒く染まっていく。

 俺は、どうしてここに――。

 


 「なにか見つかったか? 翔太」


 勇希の声に、引き戻される。

 さっきまで目の前に居たはずの勇希は、少し離れた場所に座り込んでいる。

 頭の中では未だ声が鳴り止まない。気を逸らすように自分の手元に視線を送ると、無意識に漁っていたのであろう散乱した大判のファイルの下に、何かが見える。


 「これは……ゴミ袋か?」


 黒い大きなゴミ袋。周りは土埃で汚れていたり、色褪せているのに、それだけは比較的綺麗だった。

 そっと上から触れる。指の先が、丸みを帯びた硬い何かに触れる。

 これだ、と妙な確信があった。

 俺は硬く結ばれた袋を解き、ゆっくりと開く。

 そこには、小さな頭蓋骨があった。

 

 「まことくん……見つけた」


 自然と、言葉が零れた。

 両目の空洞をじっと見つめる。生前の彼とは、到底結び付かない姿。温かさのない、硬い頭に触れると、ゆっくりと指を這わせる。彼は、何故俺を呼んだのだろうか。

 

 頭上に気配を感じ、後ろを振り向くと、勇希と目が合う。

 

 「どうした?」

 「いや、人骨ってみたことないからさ……ちょっと見てみたくて」


 指先で頬を掻く勇希に、俺は微笑みかける。


 「お前らしいな。ほら、見てみろよ」

 「ああ」


 勇希はまことくんの前にしゃがんで、じっと彼を見つめる。


 「へぇ、あの写真の子が、この子なんだ」


 そう言って、まことくんの遺骨を突くその顔は、いつものあの顔だ。

 弱者を弄り、楽しそうに目を細める。

 屑の、顔。


 その顔を見たとき、俺は頭の声に抵抗するのをやめた。

 ()()好きなようにしようと、思った。

 

 俺は持っていたショルダーバッグを肩から外し、その肩紐を勇希の首にかけ、思い切り締め上げる。

 

 「っが――」


 声にならない声を上げる勇希の顔を、俺は見つめる。

 勇希は苦悶の表情を浮かべながら、その瞳は信じられないものを見るように、俺を見ている。

 

 「お前のこと、嫌いだったんだよね」


 ぐっと力を入れると、首の皮膚が軋む音がする。


 「だから、お前をここで、殺さないといけないんだっ」

 

 勇希は激しく動き回り、周りのゴミに手を、足を何度も打ち付ける。大人しくさせようと、思い切り紐を引っ張ると、喉に食い込んでいくのがわかった。

 必死に外そうと、首元をガリガリと掻きむしり、赤い血が滲んでいる。

 勇希の動きはだんだんと鈍くなり、しばらくすると腕をだらんと下げ、動かなくなる。


「ははは! 勇希を殺したぞ!」


 血が頭に昇り、感情のままに叫ぶ。

 この感情をどう表現したらいいのかわからない。何故そうしたかったかもよくわかってない。けれど、懇願していたことを成し遂げたんだ!

 

 徐々に息が整っていき、俺は動かなくなった勇希を一瞥した時だった。


 

 プルル……プルル……。

 

 俺のスマホが鳴る。

 画面を見ると、田村先輩からの着信だった。無視しようかと思ったが、止まない音が不愉快で、電話に出る。


「もしもし」

「今どこだい?」


 彼の声は少し荒い。


「今は外です」

「そうか、今日ね、伏見リナっていう子に話しかけられたんだよ。勇希と親しいですよねって」

「……」

「それで、以前君たちの合コンで撮った写真を見せてもらったんだ」

「その話、急ぎですか?」

「ああ。それで、ようやく合点がいったんだ。勇希の様子がおかしくなったこと。それに翔太くんのこと」

「……俺、忙しいんですけど」

「いや、今君は聞かないといけない。君はすぐに逃げようとするけれど、逃げ続けることはできないんだ。一体何をした? 何から逃げている? あの写真の少年が言っていたしょーくんは、一体誰のことなんだ? 君は――」



 田村先輩は一瞬言葉を切った後、はっきりと言った。

 

「今の君は、一体どっちなんだ」



 そう言ったと同時に、ブツリと、電話は急に途切れた。



 通話終了と表示される画面を、茫然と眺める。

 田村先輩は一体何が言いたい? どっちって、なんだ? 逃げるってなんだ?

 少しずつ、開いていく。閉じたはずの蓋が。

 開いたら、いけないはずなのに。



 突如、背後から生温い風が肌を撫でるように絡みつき、何かの気配を感じる。

 耳元に聞こえる息遣いは、まるで嘲笑っているかのように空気を震わせる。

 息を呑み、ゆっくりと、振り向く。

 そこには、まことくんがいた。上がった口角とは真反対に、真っ黒に濁った瞳で。

 

 その瞳と、視線が交差した瞬間、体中の穴という穴から汗が噴き出す。体ががくがくと震え出す。そして悟る。まことくんを見つけても、呪いは、解けていないと。

 

「……やめろ」


 俺は、じりじりと後ろに下がり、距離を取る。


「やめろ! くるな!」

 

 まことくんの首が、大きく横に倒れる。首が折れぴったりと肩に隙間なく重なり、目いっぱいに上がった口角で、ケタケタと笑う。


 「くるなよ!」


 大声で叫ぶと、走りだす。頭も、体も思ったように動かず、何度も転びそうになる。けれど、このままだと、俺は。

 後ろに視線をやると、まことくんは、その場で変わらず笑っている。

 俺は距離を取って、近くの部屋の机の陰に滑り込む。荒い息を隠すように口元を押さえ、息を整える。

 もとは病室だったであろう、その部屋は床が壊れ、地面が見えている。窓から月明かりが差し、その辺りを照らしている。


 ぺたり……ぺたり……。


 裸足で歩く、小さな足音が聞こえてきて、俺は息を潜める。

 定期的に止まる足音。そうして、また聞こえてくる。


 ぺたり……ぺたり……。

 

 一室ずつ、確認しているのか?


 鳥肌はずっとたちっぱなしで、震えそうになる体を必死に抑え込む。わずかな物音も立てたくない。

 

 俺がいる部屋の前で、足音が止まった。

 間髪入れず、俺は息を止めた。


 ぺたり……ぺたり……。


 足音はゆっくりと机に向かって近づいてくる。

 そうして机のすぐそばまで来て、足音が止まる。

 俺は目を強く瞑り、祈るような気持ちで耳を澄ます。


 ぺたり……ぺたり……。


 足音が、離れていく。

 足音が遠くなったのを確認してから、俺は何度も息継ぎのように、呼吸を繰り返す。ようやく整いかけた時、月明かりに黒い影が落ちる。 

 ちょうど、俺の頭上辺りの位置。


 

 「しょーくん、みっけ」


 

 しんと静まり返った部屋の中で、無垢な声と、俺の乱れた呼吸の音だけが響く。

 

 震える視線を声のほうに向けると、机の上から、まことくんがこちらを見つめていた。

 変わらない、あの奇妙な笑顔で。


 ゆっくりと、まことくんは俺に指を差す。

 

「えっ」


 体の力が急に抜け、俺は顔から地面に倒れ込む。

 立ち上がろうとしても、指の先すら動かない。唯一動くのは眼球と、口だけだ。


 「何をした! ふざけんな!」


 そう叫ぶ俺の前に、彼が近づき、目の前の土をかき分ける。

 

 「何のつもりだ……?」


 彼は気味の悪い声で、高笑いをする。そうして、俺の目を両手で覆う。俺の視界は闇で覆われ、聞こえるのは俺の息遣いだけ。

 ゆっくりと、まことくんは手をどけていく。

 

 悪臭が鼻をつき、胃の中にあるものがせり上げてくる。酸っぱいような、何かが腐った臭い。

 異臭の元に目を凝らすと、人間の指のようなものが見える。

 変色し、腐っているが人間の皮膚のようだ。形が、人の形をしているから。

 視線を顔があるであろう場所に向けると、濁った色の眼球に、蠅が停まっているのが見えた。

 

 ぶうぅん。

 

 顔が、見えた。

 そこにいるのは、間違いない。風間翔太――俺の爛れた顔だった。


 ぶうぅん。


 蝿の羽音がする。そうだ、この音。

 今ならわかる。これは警告だ。

 あの日のことを思い出してしまうからって。逃げられなくなってしまうからって。


 でも、もう、それも終わり。

 逃げられないんだ。

 

 羽音が消えていく。

 重なったヴェールが一枚ずつ剥がされていくように、みんなの言葉がクリアになっていく。


『一応確認だけど、さっきからのそれ、冗談じゃ、ないんだよね?』


『なんで風間の真似事なんてするんだよ! 元に戻れよ! 勇希!』


『今、君はどっちだ?』


『というか、君って風間くんじゃないよね?』


 俺は――。


 まことくんは俺に、割れた鏡の破片を渡す。俺はそれを覗き込む。

 そこには、勇希が映っていた。

 

 そうだ。俺は()()勇希だ。風間翔太じゃない。

 

 頭の奥底から、ずるずると、無理やりに記憶の根が引きずり出される。

 

 あの日、俺たちがここに来た日。

 翔太に急に襲われたんだ。

 

 『前から嫌いだったんだよ。お前のこと。死んじまえよ!』

 『やめろよ! なんでだよ! 翔太』

 『お前がユミちゃんと関係もってるの、俺が知らないとでもおもってるのか?』

 『ユミちゃん!? 誰……あ、お前が好きな子か? いやいや、勘違いだって!』

 『俺とお前の何が違う? ほとんど同じなのに、なんで俺だけ――!』

 『ぐっ……! やめろって!』


 ガンッ。


 掴みかかってきた翔太を離したい、ただそれだけだったのに。

 突き放した先で鈍い音が響き、ずるずると、翔太が倒れる。

 彼の後頭部からは、真っ赤な血が流れ、したたっていく。

 首に残る、痛みを伴う締め付け感と、翔太を押した時の感触が手のひらに残り、痙攣が止まらない。

 目の前には、呼吸の停まった、翔太がいる。

 人形のように、だらんと、手足を投げ出して、虚ろな瞳には、光はもはやない。


 記憶が波のように押し寄せ、何度も周囲を見渡す。

 この記憶は? 今と同じ場所で――。


 

 「……そうだ」


 俺は一週間前、ここで翔太を殺した。

 でもあれは、不可抗力だった。最初に殺そうとしてきたのは翔太だったんだ。俺は、身を守るために、しょうがなく。俺は悪くなんか……!


 あれ、でもどうして俺は、自分が翔太だと思ってたんだ?

 あの後、俺は何をしたんだ? 確か、あの後――。

 

 『嘘だろ、翔太……翔太!』

 

 何度呼び掛けても、体を擦っても、翔太は動かなかった。

 

 『お、俺が、翔太を……うっ』


 込み上げる吐き気を押さえられず、床に吐瀉物をまき散らす。酸っぱい臭いと、喉の焼けるような痛みが、クソみたいなこの状況が現実だと実感させていく。


 『……じ、自首? いや、でも正当防衛だって証拠なんて……。いや、だめだ、俺は、何も悪くないのに……!』


 爪を噛みながら、必死に考える。

 視線を右往左往し、動かない腕が視界に入り、思わず舌打ちをする。

 

 『……とりあえず、隠さないと』


 外に出たら、誰かに見つかるかもしれない。

 周りを見渡すと、床が崩れ、土が露出している場所が見えた。俺は翔太を、そこに埋めることにした。

 そのあたりにあった誰かが捨てた小さなスコップで、必死に穴を掘る。

 少しずつ、少しずつ。

 浅く、翔太に軽く土を被せられる程度まで掘ったところで、俺はスコップを手放した。

 すでに数時間が経っているのだろうか、Tシャツは汗でぐっしょりと濡れている。


 ぶうぅん。


 翔太の耳付近に、蠅が停まる。そいつらは一匹、二匹と増えていく。

 翔太が死んでいる現実をみろ、と言わんばかりに。

 俺は、腕を何とか持ち上げて必死に、払う。

 蝿は、それでも隙をついては翔太に群がり、俺は腕を下ろし、翔太を片付けることにする。

 ずるずると翔太を引きずり、くぼみに転がし入れる。翔太はごろっと転がり、不自然なポーズでその場に留まる。

 土をかけ続け、翔太の瞳が隠れると、俺はその場にしゃがみ込んだ。


 見るからに何かが埋まっているとわかる、歪な状態。でも、それでもよかった。俺は、翔太が今見えなければ、それで。


 その場には、何もない。

 ただ、静かな廃墟だ。

 汗と泥にまみれた体は疲労しきっていて、もう腕もほとんど上がらない。このまま眠りにつきたいのに、早くこの場を離れたい焦燥感が無理やり体を動かそうとする。


 『……もういやだ』


 俺は、小さく呟く。

 もう、全てが面倒だ。何もなかったことにしたい。それじゃだめなのか?

 

 

 その時、耳元で囁く声が、確かに聞こえた。

 

 『じゃあ、死んでないで、いいんじゃない』


 まるで天からの啓示のように、俺はそれを受け入れる。

 

 『……そうだよ。翔太が、死んでなければいいんだ』



 死んでいなければ、もう何もしなくて、考えなくていいんだ。

 

 

 俺は脱ぎ捨ててあった翔太のパーカーを羽織り、髪の毛を散らす。

 そうして、落ちている鏡の破片を覗き込む。

 そこには、翔太のような身なりの俺が映っていたが、瞬きすると、そこには翔太がいた。その横には、勇希もいる。


 『翔太、そこにいたんだ。……勇希こそ、そこにいたんだ。さぁ、帰ろう』


 つらつらと台詞が溢れ出る。

 ずっと一緒にいたから、彼がどう反応するか手に取るように分かる。でも、ひとつ忘れちゃいけない要素が残ってる。俺の知らなかった、翔太を構成する強い感情。


『俺は、殺したいほど勇希を憎んでいる。これは、忘れちゃダメだ』

 

 俺は、微笑み、ようやく、安堵した。

 もう、何も考えなくていい。

 

 その日から、俺はいつも通り勇希の生活に戻った。ただし、翔太として。

 翔太が生きていると、俺が感じられる程度に、事実を捻じ曲げて。

 翔太が殺したいほど憎んでいた俺を創り上げて。

 


 

 「はは……はははは」


 俺は自分の手で、目を覆い大笑いする。

 受け入れたくなかった現実が、一気に頭の中に流れ込んでくる。

 もう、駄目だ。もう、逃げることはできない。


 俺は、まことくんに視線を向ける。

 彼は笑顔のまま、ゆっくりと俺の手を握った。

 

 

 『しょーくん、ずっと一緒にいようねぇ』

 

 

 ああ、この声だ。翔太からの逃避を囁いた声は。


 『しょーくん』

 

 あの頃、まことくんが呼んでいた(ゆうき)のあだ名。

 そうか、俺を、ここに呼び寄せたのは、はじめから――。


 彼の小さい腕が、俺の体を抱きしめていく中、俺はゆっくりと、目を瞑った。

 




「伏見リナさん」


 声をかけられて、リナは振り向く。

 そこには田村先輩が立っていた。


「勇希くんのこと、残念だったね」

「……私が、呪われちゃえなんて言ったから、なんですかね」

「いや、きっとその頃にはもう……」


 彼は目を伏せ、言い淀む。

 沈黙が流れる。

 それを破ったのは、リナだった。

 

「先輩」

「なんだい」

「私、知ってたんです。勇希くんが何したのか」

「え?」

「風間くんのために、あんなに悩まなくてよかったのに。あんなぐちゃぐちゃになるまで悩んじゃって、そういうところもかわいいけど、まさか風間くんの真似事を始めるなんて」

「……待ってくれ、ちょっと状況がつかめない」

「リナは、勇希くんがかわいそうで。だから、手伝ってあげたんです」

「……一体、なにを?」

「風間くんが目を覚ましちゃったから、ちゃんと埋め直してあげたんです。もう、絶対起き上がれないように」

「……」

「リナに頼ってくれればよかったのに。そうすれば――」


 リナは、口角を目いっぱいにあげて笑った。


 「全部なかったことにしてあげたのに」





 

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