小杉祐輔の呟き その6
Web拍手のお礼SSだったものです。
確かに宮本澄香は、一見すると「普通」だ。
殊更可愛いということもなく、美人だということもなく、だが不細工というわけでもない。服装はシンプルだが飾り気が無く、特に華やかな東樹里亜の隣にいると、地味に見える。
だが決してただ者ではないという確信が、俺の中にはある。
あの桧山恵美子をあしらう手際の良さや。
今まさに目の前で、「普通専」とやらの安田のあしらい方を見ていると。
何故その事に、他の連中は気がつかないのかと思うが。
恐らく、皆俺ほど人間を見る目がないからだろう。
いや、正確に言えば、女を見る目がない。
モテない男や数だけこなす男とは、俺は違うのだ。
俺は一度、タバコという口実で席を立ち、戻った時には澄香の斜め前に座った。
いや、正確に言えば、東樹里亜の前の席だ。
それに乗じて姫路が割り込んでくると、なし崩しに席のシャッフルが始まったが、俺たちの周囲の顔ぶれは変わらなかった。
一応席は替わったのだが、澄香が動くと何故か東と安田がくっついていき、東にくっついて姫路が動いたからだ。
勿論俺は、東にくっついてた。
姫路は譲らないと言ったが、東ほどの女をそうみすみす逃す手はないからだ。
ところが、その姫路ときたら、東と話すチャンスを尽く逸していた。
「東さんは、英文学だったよ。向こうの小説、原書で読むの?」
「スミちゃん、生春巻き食べる?」
「うん。ありがとう」
「み、宮本さんは史学科って言ってたよね。史学科ってどんなの? 発掘とかすんの?」
「なわけねえじゃん」
「なんで安田が答えるんだよっ」
「宮本さん、この変わりやっこ、美味しいよ」
「ありがとう、安田君。でも、スミちゃんは私のを分けてあげるから」
「東さん、冷や奴持ってないよね?」
「今から持つのよ!」
東はそう言って、姫路の前の冷や奴を何の断りもなく奪い、澄香の前に置いた。
「あ、東さん?」
姫路が東に声を掛けるも。
「何?」
と、澄香に振りまいていた笑顔など嘘のように、キッと睨み付けられて、スゴスゴと引き下がる。
安田も姫路も、東の意図が分からずに、どう対処していいか戸惑っているようだった。
俺はそんな二人を見て、バカだな、と思う。
東の狙いはあからさまだ。
澄香を使って甲斐甲斐しさをアピールしつつ、二人が眼中に無い事を示しているのだ。
じゃあ、どうして眼中に無い二人の前で甲斐甲斐しさをアピールするのか?
それは勿論、俺に対してだ。
俺には、女からの秋波が恐ろしいほどよく分かる。
けれど俺は、敢えて東は声を掛けようとはしなかった。
「小杉君、メアド教えて~」
東を無視する様に、隣の席の、癒し系の可愛い子の相手をしていた。
フワッと巻いた茶髪に、長い睫をやたらとパチパチさせてる子だった。
照れて肩を竦める度に、ちょっと大きい襟元からは、僅かに胸の谷間が見える。
天然系を装ってはいるが、確実に計算された仕草だろう。
百戦錬磨の俺には、その程度の「演技」が分からないはずもない。
けれど、俺はこういうあざとさは嫌いじゃない。
女って、よく男の前で態度が変わる女の事を嫌うけど。
異性の前と同性の前で、態度が違うのは当然だ。
何せ、目的が違うのだ。
「いいよ」
俺は気軽に答えながら、チラリと東の方を見た。
すると何故か、澄香と目が合ってしまった。
東の隣に澄香はいるのだから、別に奇妙な事でも何でもなかったのだが。
澄香は俺と目があって、そして瞠目した。
「あれ、小杉祐輔。いたんだ」
ゴトンッ。
俺は何故か携帯を落としていた。
コンパが始まってから、優に一時間は経っている。
なのに宮本澄香は、俺の存在に気づいていなかった。
そんなバカなことがあるか!
遅れてきた人間が注目を浴びるのは、世の常だろう!
そもそもこの俺が澄香に気がついて、澄香が俺に気がつかないなんてことがあっていいわけがないっ。
第一、もう既に七分二三秒は、澄香の斜め前にいるんだぞ?
となれば理由は一つ。
澄香は俺に気づいていながら、今の今まで気がつかなかったフリをしているのだ。
それは何故か?
それは勿論、俺が澄香に気づいていながら、声を掛けなかった事を拗ねているのだ。
しかも七分二三秒(既に七分四八秒にはなるが)も側にいて、俺はずっと隣のこれ見よがしにあざとい女に構ってばかりいるのだから、それも致し方がない事だ。
何せ、俺たちはつきあい始めて三日目なのだ。
その間、一度も会うどころか電話で話しすらしていなかったとしても。
いや寧ろ、だからこそ余計に拗ねるのだろう。
ふっ。
百戦錬磨の俺には、澄香の気持ちが手に取る様に分かる。
仕方がない。
優しい言葉でも掛けてやろう。
と思ったが。
困った事に、澄香の事を何と呼んで良いのか迷ってしまった。
俺はずっと、澄香の事を心の中では「澄香」と呼んではいたが、実際には澄香に澄香と呼びかけた事はない。というか、澄香に呼びかけたことすらない事に気がついた。
宮本さん?
いやいや仮にも恋人なのだ。それじゃあ余りにも他人行儀すぎるだろう。
しかし、いきなり「澄香」と呼ぶのも躊躇われる。
俺は過去を振り返り、今まで彼女の事を何と呼んでいたのか思い出す。
まさみ、ゆうか、りかこ、あゆみ、えりか、ようこ、さゆみ、かおり、あいり、めい、ちさ、れな、エリザベス。
漏れなく全員名前だ。
しかし何時から名前で呼ぶようになったのか?
困った事にその点に関しては、全く記憶になかった。
「………」
「………」
俺は澄香に掛ける言葉が見つからず、澄香は澄香で俺の言葉を、期待に満ちていなくもないと言えなくもない、例のよく分からない眼差しで、ひたすら待っている。
待たれていると思うと気持ちが酷く急いて、心臓の鼓動が早くなった。
ここは、言うしかない。
澄香、と。
言え、俺!
言うんだ! 俺!
「すっ」
俺の意を決した一言を、しかし東が遮った。
「スミちゃん、コイツ知り合い?」
「知り合いっていうか…」
「じゃあ、他人?」
「まあ、他人は他人だけど」
確かに、俺と澄香は他人だ。
まかり間違っても、血縁ではない。
澄香は間違ってはいない。
ただ、東の質問の仕方が悪いのだ。
普通、「他人か?」なんて質問をするだろうか。
何やらコイツには、桧山恵美子と同じ匂いがするのは気のせいか?
恐らく、澄香も東に質問に違和感を感じたのだろう。
目を見開いて、俺に何某かのアイサインを送ってきた。
どういうアイサインかは不明だが、澄香の視線の意味が分からないのはいつもの事だ。
勿論、澄香、俺には全部分かっている。
澄香の言葉に他意はないと。
「うわあ! どうした!? 小杉!」
姫路の突然の怒鳴り声に、俺は驚いた。
「どうかしたか? 姫路」
「どうかしたのはお前だろう!」
「何が?」
「何がって…。小杉、お前、なんで泣いてるわけ?」
ははは。おかしな事を言うな、姫路。俺が泣く分けないだろう。理由もないのに。
どうやら大分酔っているみたいだな。
そうだろう、澄香?
しかし俺も強か酔ったらしい。
やたらと視界が滲んで見える。
「ええと…」
澄香は戸惑う様に目を泳がせた後、俺を指差して言った。
「ジュンジュン、コレ、彼氏」
ジュンジュンとは東樹里亜のことらしい。
「うお! 凄いな! 小杉! 一瞬で涙が引っ込んだぞ! というか、文字通り引っ込んだな!! そんな特技があったとは! もう一回やってみてくれ!」
姫路が何やら訳の分からない事をわめいていたが、突然クリアになった視界に満足して、俺はジョッキを掲げた。
「澄香。君の瞳に乾杯」
澄香は感激の余りか、赤い顔をしてその場に突っ伏した。
「ふ、腹筋痛いっ」
照れすぎて腹筋が痛いとは、何とも奇妙な女である。
この涙のせいか、小杉君はお客様から「こすぎん」という愛称を頂きました。「ピクミン」みたいな感じで、お似合いですね(笑)。