第17話
昨日の「大穴掘り大会」から一夜明け、私たちは再びキャンプ場の外周ラインに立っていた。
目の前には、もはや「堀」と呼ぶには大きすぎる、地球の裂け目のような大渓谷が広がっている。
幅50メートル。深さ20メートル。
対岸が霞んで見えるほどの距離だ。
底の方には、地下水とシノが撒いた溶解液が混ざり合い、毒々しい緑色の霧がうっすらと漂っている。
「……いい眺めだ。この距離なら、どんな身体能力を持つ変異体が現れても、助走で飛び越えるのは物理的に不可能だ」
蒼が崖の縁に立ち、満足げに頷く。
「よし、野郎ども! 堀は完璧だ! 今日はこの内側に『壁』を建てるぞ!」
ヘルメットを被ったゲンタが、図面をバシッと叩いて号令をかけた。
彼の目の下には若干のクマがある。昨日の夜、興奮して「ゲートの設計図」を引いていたせいで寝不足らしい。まるで遠足前の小学生だ。
「材料はそこにある! 昨日、この巨大な堀を掘った時に出た『残土』だ!」
堀の内側には、掘り出された数十万トンにも及ぶ土砂が、巨大な山脈のように積み上げられている。
通常の工事現場なら、この残土処理だけで莫大な費用と時間がかかり、処分場を探すだけで数ヶ月は潰れる量だ。
だが、ここには最強の処理班がいる。
「モグ! 出番だぞ!」
「任せるモグ! 土なら友達モグ!」
私が呼びかけると、モグがトテトテと土の山によじ登った。
そして、短い両手を大きく天に掲げる。
「うぅぅぅ~~~……ふんっ!!」
ズゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!!
再び、地響きが森を揺らした。
山積みだった土砂が、まるで意志を持った粘土細工のように動き出す。
圧縮され、整形され、垂直にせり上がっていく。
高さ5メートル、10メートル……そして、目標の20メートルへ。
キャンプ場をぐるりと囲む全長数キロメートルのライン上に、天を衝くような分厚い「土の巨壁」が出現した。
「すげぇ……。万里の長城かよ」
「でも、これじゃただの土手よ。雨が降れば崩れるし、強度も足りない」
私が前に出る。
ここからは、私の仕事だ。
「仕上げるわよ。……ゲンタ、イメージして。核シェルターのコンクリートよりも硬く、古代の城塞のように美しい壁を!」
「おうよ! 俺の頭ん中には、難攻不落の『五稜郭』と、最新鋭の要塞が融合した最強のイメージがある!」
「採用!」
私は土壁に両手をつき、魔力を練り上げた。
ゲンタの脳内イメージを設計図として共有し、システムに干渉する。
【対象:超圧縮土壁】
【実行コマンド:生活魔法・超硬質化+石材変換+構造強化】
【消費MP:150】
「――城になれッ!!」
カッ!!
目を開けていられないほどの眩い光が、壁全体を走った。
バキバキバキッ!! という音と共に、茶色く脆かった土の表面が変質していく。
分子結合が組み変わり、密度が増し、鋼鉄のような硬度を持つ物質へ。
光が収まると、そこにはもう「土手」はなかった。
滑らかな灰色の表面を持つ、継ぎ目のない一枚岩の超巨大な壁。
高さ20メートル。厚さは底部で10メートル、上部でも5メートル。
上部は「鼠返し」のように外側に反り返っており、物理的に登攀不可能な形状になっている。
「……やりやがった。本当にやりやがったぞ」
ゲンタが壁に駆け寄り、頬ずりした。
「見てくれこの質感! コンクリじゃねぇ、花崗岩レベルの硬度だ! これならバンカーバスター《地中貫通弾》を撃ち込まれてもヒビひとつ入らねぇぞ!」
「ふぅ……MP半分持ってかれたわ」
私はフラフラと座り込んだ。
だが、見上げた壁の威容は、その疲れを吹き飛ばすほど頼もしかった。
これで、私たちは「檻」の中にいるのではない。「城」の中にいるのだ。
◇
午後は「監視塔」と「正門」の建設だ。
ここからは、ゲンタと蒼の職人技が光る。
「オーナー! 見張り台はどうする? 別でタワーを建てるか?」
「いいえ。この壁の上に『一体化』させる形でお願い。四隅に櫓を組んで、壁の上を走って移動できるようにしましょう」
私の提案に、蒼が強く同意した。
「それがいい。壁の上を通路にすれば、俺が狙撃ポイントを瞬時に変えられる。別々のタワーだと、いちいちハシゴを昇り降りしなきゃならないからな」
「よし、採用だ! 壁と一体化させれば強度も最強だ!」
ゲンタは魔改造した「ブラック・アーク」のウィンチを使い、鉄骨と木材を壁の上へと運び上げた。
高さ20メートルの高所作業だが、今の彼らに恐怖心はないらしい。
カンカンカンッ! ウィィィン!!
壁の四隅に、さらに5メートルほど突き出した「監視櫓」が組み上げられていく。
もちろん、屋根付きで雨風を防げ、銃眼からは360度狙撃が可能だ。
一方、最大の問題は「正門」だ。
幅50メートルの堀を渡る橋など、そう簡単には作れない。
「オーナー! 50メートルの一枚板なんて無理だぞ! 強度的に持たねぇ!」
「わかってる! だから『中洲』を使うの!」
私はモグに指示し、堀の中央に直径10メートルほどの土の柱を残しておいてもらっていた。
「ここを中継地点にするの。岸から中洲へ、中洲から対岸へ。それぞれ20メートル級の跳ね橋を二つ架ける『ダブル・ドローブリッジ』方式よ!」
「なるほど! それならイケる!」
ゲンタと私がウィンチを操作し、巨大な鉄骨の橋を設置する。
ギギギギギ……ッ!!
重厚なチェーンの音が響き、二つの橋がゆっくりと持ち上がる。
緊急時には、この二つの橋を上げれば、中洲だけが孤立し、敵は絶対に渡れなくなる仕組みだ。
「……完璧だ」
夕方。
すべての工事を終え、私たちは完成したばかりの城壁の上――地上20メートルの「武者走り」を歩いた。
心地よい春風が吹いている。
眼下には、幅50メートルの絶望的な谷底。そして、森の向こうの街並みまで見渡せる絶景。
「これだけの設備、業者に頼んだら数千億……いや、金があっても無理だな。法規制で絶対に許可が降りない」
蒼が愛銃のスコープ越しに外周を確認しながら呟く。
「俺たちの『聖域』は、日本の法律から独立したってことさ」
ゲンタが満足げに煙草をふかした。
その時。
壁の下から、シノが大声で呼んだ。
「ねえー! 上ばっかり楽しんでないで、こっちも見なさいよ! セキュリティシステムの設置が終わったわよ!」
私たちがハシゴを降りると、シノが得意げに壁を指差した。
そこには、無数のセンサーと配線が張り巡らされていた。
「廃材のスマホと人感センサーを組み合わせて、簡易的な『侵入警報システム』を作ったの。壁の周囲に熱源が近づいたら、研修棟のスピーカーが大音量で『第九』を流すように設定しておいたわ」
「なんで第九なのよ」
「絶望感があるでしょ? あと、壁の表面には『接触型・高圧電流発生装置』を仕込んでおいたわ。ソーラーパネルの余剰電力を流すから、触れたら黒焦げよ」
「……オーバーキルすぎるわね。味方が触らないように看板立てといてよ」
◇
日が暮れた頃、キャンプ場は完全に夜の闇に包まれた。
だが、私たちの心に不安はない。
目の前には、月明かりに照らされた白亜の城壁がそびえ立っているからだ。
【システム通知:拠点の防御レベルが Lv.3 → Lv.8(MAX付近) に上昇しました】
【称号:『鉄壁の城主』『魔王城の主』を獲得しました】
魔王城って……。
まあ、幅50メートルの毒沼付きの堀に、高さ20メートルの壁だ。
外から見れば、ラスボスの居城にしか見えないだろう。
「……腹減ったな」
「そうね。今日は重労働だったもの」
私たちは研修棟のホールに戻り、夕食の準備に取り掛かった。
今夜のメニューは、キャンプの定番にして最強のスタミナ食――「カレーライス」だ。
ただし、ただのカレーではない。
昨日収穫したモグの野菜(ナス、トマト、玉ねぎ、ジャガイモ)をふんだんに使い、A5ランク和牛の端材を限界まで煮込んだ「究極の要塞カレー」だ。
グツグツと鍋が煮える音と、クミンやコリアンダーのスパイスの香りがホールに充満する。
「うおぉぉ……匂いだけで飯が食える……」
「野菜の甘味が溶け込んでるな。……市販のルーとは格が違う」
ゲンタと蒼が皿を持って並んでいる。まるで給食当番を待つ子供だ。
シノも「脳の糖分補給が必要ね」と言いつつ、スプーンを持って待機している。
モグは「おいらのジャガイモ!」と飛び跳ねている。
「はい、大盛りね! お疲れ様、みんな!」
私は山盛りのカレーをよそい、テーブルに並べた。
全員で手を合わせる。
「「「いただきます!!」」」
一口食べた瞬間、爆発的な旨味が口の中に広がった。
野菜の甘味、肉の脂、スパイスの刺激。
労働の後の空腹という最高のスパイスも相まって、全身の細胞が歓喜の声を上げる。
「うめぇぇぇッ!! なんだこれ! 飲み物か!?」
「……これなら、毎日壁を作ってもいい」
「私の計算によると、このカレーの栄養価は点滴3本分に相当するわね。……おかわり」
「おいらのお野菜、最高モグ!」
笑顔でカレーを頬張る仲間たち。
窓の外には、私たちを守る最強の壁。
世界崩壊まで、あと22日。
外の世界では、少しずつ不穏なニュースが増え始めているだろう。
けれど、この壁の中だけは、暖かくて、美味しくて、絶対的に安全だ。
私はスプーンを置き、スマホの画面を見た。
SNSのトレンドには、『謎の風邪』『暴動』『通信障害』といった不穏なワードが上がり始めている。
そろそろだ。
物理的な壁はできた。食料もある。
あとは――この「外の世界」の情報を、安全圏から正確に把握するための「目」が必要だ。
「……明日はいよいよ、彼を迎えに行くわよ」
私はカレーを平らげ、宣言した。
「この要塞に『神の目』をもたらす、最後の仲間をね」




