第16話
4月8日、水曜日。
世界の崩壊まで、あと23日。
「死の菜園」での激闘から二日が経った。
昨日は一日、全員で泥のように眠り、傷を癒やし、英気を養った。
おかげで今朝の目覚めは最高だ。
爽やかな朝の光が差し込む「研修棟」のホールで、私たちは作戦会議を開いていた。
かつて林間学校の生徒たちがカレーを食べていた広い食堂は、私が生活魔法でリフォームしたおかげで、ピカピカのフローリングと高い天井を持つ、開放的なミーティングルームへと生まれ変わっている。
中央の長机には、モグが育てた採れたてレタスと、一昨日爆買いした厚切りベーコンのサンドイッチ。そして、湯気を立てる淹れたてのコーヒー。
その横に、キャンプ場全体の「測量図」が広げられている。
「……いいかオーナー。城を作るなら、まずは『整地』と『区画整理』だ」
ゲンタがプロの顔つきで、赤ペンを地図に走らせた。
彼は昨日、私たちが休んでいる間に、一人でキャンプ場内を歩き回り、地形や地盤の固さを徹底的に調査してくれたらしい。
さすが元現場監督だ。図面には、等高線や地盤のデータまで細かく書き込まれている。
「このキャンプ場は、北側が急斜面の山、南側が唯一の侵入ルートである『一本道』に面している。天然の要害だが、逆に言えば南側を突破されたら逃げ場がねぇ」
ゲンタが地図の南側――入り口ゲート付近を指で叩く。
そこは現在、朽ちかけた木のゲートと、ゲンタが到着初日に作った高さ3メートルの丸太の柵があるだけだ。
「現在あるのは、俺が即席で作った丸太のバリケードだけだ。……ハッキリ言うぞ。これじゃあ、暴走した4トントラックに突っ込まれたら終わりだ」
「トラック……」
「ああ。パニックになった暴徒が、車でバリケード突破を図るケースは想定内だろ? それに、ゾンビの群れが数万単位で押し寄せたら、質量だけで押し潰される」
その通りだ。
ゾンビだけじゃない。極限状態の人間こそが、最も恐ろしい敵になる。
食料や安全を求めて、なりふり構わず突っ込んでくる暴徒たち。彼らを止めるには、「中途半端な柵」では意味がない。
そこで、腕を組んで黙って聞いていた蒼が口を開いた。
彼もまた、昨日の休息で完全に体力を回復させていた。その瞳は、獲物を狙うスナイパーのように鋭い。
「俺からも提案がある。……今の配置は、防衛上最悪だ」
「えっ、最悪?」
「ああ。建物が点在しすぎていて、死角が多すぎる。敵が侵入した場合、どこに隠れられるかわからない。……射線を通すために、不要な樹木は伐採し、見通しを確保すべきだ」
蒼は冷徹に、地図上のいくつかの木々に×印をつけていく。
「それに、入り口は一つに絞るべきだ。敵を一点に集中させ、そこを十字砲火で殲滅する『キルゾーン』を作る」
「うわぁ、エグいこと言うわね……」
シノがサンドイッチを頬張りながら、少し引いている。
だが、否定はしないあたり、彼女も合理的だ。
「生存戦略だ。甘い考えは捨てろ。……ここは戦場になるんだぞ」
蒼の言葉に、場の空気が引き締まる。
建築のプロと、防衛のプロ。
二人の意見を統合すると、やるべきことは山積みだった。
1. 外壁の強化:丸太ではなく、車も防げる強固な壁。
2. 堀の作成: 壁の手前に、侵入を防ぐ物理的な溝。
3. 監視塔の設置 : 四方を監視し、狙撃できる高い場所。
4. 居住区の整備 : ライフラインの安定確保と、籠城用の備蓄倉庫。
「……理想はわかるわ。でもゲンタ、それを作るのにどれくらいかかるの?」
「重機と資材が潤沢にあれば半年。……だが、俺たちにはユンボもクレーンもねぇ。スコップと人力じゃ、壁を作るだけで10年はかかるぞ」
ゲンタがお手上げだ、という風に肩をすくめる。
人力では限界がある。
世界崩壊まで、あと23日。
どう考えても間に合わない。
だが、私はニヤリと笑った。
常識で考えれば無理だ。
しかし、ここには常識外れの戦力がいる。
「だから、彼にお願いするのよ」
「モグ?」
「そう。……モグ、ちょっと来て」
私は足元でレタスの芯を齧っていた「小さな相棒」を抱き上げ、地図の上に乗せた。
彼は一昨日の泥だらけの姿から一変し、今は私が洗ってあげたおかげで毛並みがフサフサだ。
「モグ、この赤い線のところ。……土を動かして、深い穴を掘れる?」
「穴掘り? 得意モグ! おいらは土の精霊モグよ!」
モグが自信満々に小さな胸を張る。
頭の双葉がピコピコと揺れている。
ゲンタと蒼は「おいおい、こんなマスコットに何ができるんだ?」という顔で見ている。
「ふふっ。……じゃあ、ちょっと実演してもらいましょうか」
◇
私たちは外に出た。
場所は、キャンプ場の入り口ゲート付近。
ここを第一防衛ラインとする予定地だ。
春の日差しが森の木々を照らし、鳥のさえずりが聞こえる。今はまだ平和な風景だ。
「俺の計算だと、ゾンビや暴徒の侵入を防ぐには、最低でも幅5メートル、深さ3メートルは欲しい。……これなら普通車は飛び越せねぇし、人間なら落ちたら這い上がれねぇ」
ゲンタは自信満々に言った。
確かに、日本の城郭や現代の工事現場の常識で言えば、十分な規模だ。
しかし。
「……甘いわね、ゲンタ」
「あ?」
私は腕組みをして、首を横に振った。
「幅5メートル? そんなの、助走をつけたスポーツカーなら飛び越えるわよ。それに、ゾンビが数万体で押し寄せてきたら? 死体の山ができれば、3メートルなんて一瞬で埋まるわ」
私はニヤリと笑い、足元のモグを見た。
これから私たちが相手にするのは、常識を超えた「終末」だ。
ならば、対抗策も常識を超えていなければならない。
「やるなら徹底的に。……『絶望』が見えるくらいの穴じゃなきゃ意味がないわ」
「お、おい……まさか」
私はモグを抱き上げ、森を指差した。
「モグ、全力でいいわ。……やりなさい」
「わかったモグ! おいら、本気出すモグ!!」
モグが短い両手を掲げ、その小さな体からは想像もできないほどの、膨大な魔力が噴き出した。
大地の精霊としての本能が覚醒する。
「うぅぅぅ~~~……ふんっ!!!」
ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!!!!
世界が揺れた。
地震ではない。地殻変動レベルのエネルギーが、地面を引き裂いたのだ。
バリバリバリバリッ!!
木々が根こそぎなぎ倒され、岩盤が砕け散る音が轟く。
ゲンタと蒼、そしてシノが悲鳴を上げて尻餅をつく。
もうもうと立ち込める土煙。
それが晴れた後。
そこにあったのは、「堀」などという生易しいものではなかった。
「……な、なんだこりゃぁぁぁッ!?」
ゲンタが絶叫した。
無理もない。
目の前に出現したのは、幅50メートル、深さ20メートルの、底が見えないほどの巨大な「峡谷」だったからだ。
幅50メートル。
断崖絶壁。落ちれば即死。
もはや重機云々のレベルではない。地図が変わるレベルの地形操作だ。
「……これなら、戦車でも渡れないな」
蒼が崖の縁から恐る恐る下を覗き込み、顔を引きつらせた。
「深さ20メートル……ビル6階建て相当か。ゾンビが何万体来ようが、ここを埋めるには東京中の死体が必要になるぞ」
「でしょ? これくらい派手じゃないと『聖域』とは呼べないわ」
私は満足げに頷いた。
底の方では、地下水脈が破れたのか、水がチョロチョロと湧き出し始めている。
「これが土の精霊の力よ。……彼がいれば、ブルドーザーもショベルカーも要らないわ」
私は呆然とするゲンタの肩を叩いた。
「さあ、現場監督。最強の重機は用意したわ。……あなたの設計図通りに、この森を改造しなさい」
ゲンタの目が、徐々に輝きを取り戻す。
いや、それは「建築バカ」としての狂気を帯びた輝きだった。
「……マジかよ。使い放題か?」
「ええ。燃料は私の魔力と、美味しい野菜だけよ」
「……クックッ、ハハハハ!! 最高じゃねぇか!!」
ゲンタは笑い出し、バシッと自分のヘルメットを被り直した。
スイッチが入ったようだ。
「おい蒼! 測量の手伝いだ! 杭を持って走れ!」
「俺は警備だと言ったはずだが……」
「うるせぇ! こんな面白いオモチャを見せられて、指くわえて見てられるか! お前の言う『キルゾーン』を作るんだろ? 射線を通すなら、お前が指示しねぇと意味がねぇぞ!」
「……チッ。人使いの荒い現場監督だ」
蒼は文句を言いながらも、まんざらでもない顔で杭の束を受け取った。
自分の理想とする「最強の狙撃ポイント」が作れるのだ。職人として燃えないわけがない。
「おいモグ! まずは外周だ! ここに幅50メートル、深さ20メートルの『峡谷』を掘れ! 排土は内側に積み上げろ! それを土台にして、明日は『城壁』を作る!」
「わかったモグ! 掘るモグー!」
ゲンタの指示で、モグが猛然と地面を掘り進む。
いや、掘るのではない。土が勝手に避けていくのだ。
ズゴゴゴゴゴ……ッ!!
まるでモーゼの海割れのように、キャンプ場の周囲に巨大な断層が形成されていく。
「すげぇ……! これなら一日で基礎工事が終わるぞ……!」
「オーナー、木が邪魔だ。射線が通らない」
「わかったわ! 伐採班、出動!」
私はチェーンソーを構えたゲンタに指示を出す。
ウィィィィン!!
巨木が次々と倒され、視界が開けていく。
倒れた木材は、私が生活魔法で【乾燥】させ、【加工】して、建材へと変える。
システムウィンドウ展開。
【対象:丸太(杉・檜)】
【実行コマンド:生活魔法・乾燥+切断+防腐加工】
【消費MP:50】
シュゥゥゥ……。
切り倒されたばかりの生木から水分が抜け、数秒で製材所から出荷されたばかりのような角材へと変わる。
それをゲンタが受け取り、次なる防衛設備の材料にする。
完璧な連携。
建築士、精霊、魔法使い、そして元SAT。
それぞれのスキルが噛み合い、何もない荒野に、少しずつ「要塞」の輪郭が浮かび上がっていく。
その様子を、シノが離れた場所から眺めていた。
「……ねえオーナー。私にも何か手伝わせなさいよ」
「あら、珍しい。研究以外のことに興味あるの?」
「暇なのよ。それに、私の城を守る壁なんでしょ? ……少しは貢献してあげるわ」
シノはビーカーに入った紫色の怪しげな液体を振った。
「峡谷の底に、これを撒いておいて。私が調合した『強酸性・溶解スライム』の培養液よ」
「……えぐいことするわね」
「侵入者が底に落ちたら、まずは酸で皮膚がただれる。そしてスライムが肉を消化する。……骨も残らないから、死体処理の手間が省けるでしょ?」
「採用。……ただし、絶対に味方が落ちないように看板を立てておいてね」
恐ろしい女だ。
だが、頼もしい。
夕方になる頃には、キャンプ場の外周には見事な「大峡谷」が完成していた。
幅50メートル、深さ20メートル。
底にはシノ特製の溶解液と、ゲンタが作った鋭利なスパイクがびっしりと並んでいる。
落ちたら最後、生きては出られない「死の谷」だ。
「……壮観だな」
仮組みした見張り台の上で、蒼が夕日を見ながら言った。
「これだけの土木工事、国がやれば数千億はかかる。重機を入れても数年はかかる作業だ。それをたった半日で……」
「俺たちの腕と、オーナーのチートのおかげだな。ガハハ!」
ゲンタが泥だらけの顔で笑う。
その顔は、充実感に満ちていた。
「100年保つ家しか作らない」と言って干された男が、今、誰にも邪魔されずに「最強の城」を作っているのだ。
私は完成した峡谷を見下ろし、小さく息を吐いた。
【システム通知:拠点の防御レベルが Lv.1 → Lv.3 に上昇しました】
レベル3。
まだ基礎工事が終わっただけだ。
明日は、この内側に掘り出した数十万トンの土を使って、巨大な「城壁」を築く。
そして、その壁の上に、難攻不落の「監視塔」を一体化させて建設するのだ。
世界が終わるまで、あと23日。
私たちの「聖域」作りは、まだ始まったばかりだ。
それは、大人の本気の秘密基地作り。
絶望的な未来が待っているからこそ、今この瞬間だけは、最高に楽しく、熱い時間だった。




