第14話
翌朝。4月6日、月曜日。
世界の崩壊まで、あと25日。
私たちは、昨日手に入れたばかりの最強の移動要塞――装甲バンを拠点前の広場に鎮座させたまま、徒歩でキャンプ場の裏山を進んでいた。
目的地である「開かずの温室」は、車道すら存在しない深い原生林の奥にあるからだ。
「……おいオーナー。マジで道がねぇぞ」
先頭を歩くゲンタが、行く手を阻む巨大なシダ植物の壁を前にして、うんざりした声を上げた。
キャンプ場の敷地内とはいえ、この数十年放置されていた裏山エリアは、完全に日本の植生を逸脱した「ジャングル」と化している。
「文句言わないでよ。運動不足の解消になるでしょ?」
「俺は昨日、米俵を300キロ運んだんだぞ。筋肉痛なんだよ」
ゲンタは悪態をつきながら、昨日ホームセンターで衝動買いしたエンジン式チェーンソーのスターターロープを勢いよく引いた。
ブルルンッ……ブォォォォン!!
静かな森に、暴力的な排気音が響き渡る。
ゲンタはニヤリと笑い、回転する刃を眼前の植物の壁に突き立てた。
「へっ、ナタで切り開くより百倍楽だぜ! 文明の利器バンザイだ!」
バリバリバリッ!!
太い枝やツタが、まるでバターのように切断されていく。
木屑と緑色の樹液が飛び散り、私たちはゲンタという名の「人間ブルドーザー」の後ろを金魚のフンみたいについていく。
「……野蛮ね。自然破壊もいいところだわ」
「静かにしてシノ。……そろそろ着くはずよ」
最後尾を歩く蒼が、不意に足を止め、鼻をひくつかせた。
昨日のBBQで高級和牛を限界まで詰め込んだ彼は、顔色も見違えるほど良く、足取りも軽い。
その鋭い感覚が、異変を捉えたようだ。
「……匂うな」
「獣? 熊でもいるの?」
「いや、違う。……腐葉土と、濃密すぎる湿気。それと、何か甘ったるい、熟しすぎた果実のような……そう、強烈な腐敗臭がする」
蒼が眉をひそめて鼻を押さえる。
「うぇ、最悪。腐敗臭ってことは、カビの胞子が舞ってるってことじゃない」
シノが露骨に嫌な顔をして、ポケットから医療用のN95マスクを取り出し、二重に装着した。
さらにサングラスをかけ、フードを深く被る。完全防備だ。
「私の神聖な白衣にカビがついたらどうすんのよ。クリーニング代請求するわよオーナー」
「はいはい、出世払いね」
そんな軽口を叩き合いながら、ゲンタが切り開いた藪を抜けた瞬間――。
私たちの視界が急に開けた。
「……うわぁ」
全員が足を止め、絶句した。
そこには、森の木々さえ侵入を拒むような、異様な空間が広がっていた。
巨大なガラス張りのドーム。
かつてはバブル期に建てられた、近代的な「体験農園」の温室だったのだろう。
だが今は、その表面を血管のように這う極太のツタに覆われ、内部の様子はほとんど見えない。
ドーム全体がまるで一つの巨大な「内臓」のように脈打っているようにも見える。
割れたガラスの隙間からは、明らかに緑色に淀んだ空気が漏れ出していた。
周囲の木々が、その空気に触れた部分から枯れ落ちているのが分かる。
「あれが『開かずの温室』……。あの中に、野菜の神様がいるの?」
「ええ。……ただ、ちょっと『ご機嫌斜め』みたいだけど」
私が苦笑いした直後だった。
ズズズズズ……ッ!
地面が微振動した。
地震ではない。温室の入り口を塞いでいた極太のツタが、まるで意志を持った大蛇のように鎌首をもたげたのだ。
太さは大人の太ももくらいある。表面にはバラのような鋭いトゲがびっしりと生えており、先端からは粘液が滴っている。
「おいおい、植物があんな動きするかよ!?」
「来るぞッ!」
蒼の警告と同時に、ツタが空気を切り裂いて襲いかかってきた。
ヒュンッ!!
風切り音。直撃すれば骨など容易く砕く威力だ。
「させねぇよ!!」
ゲンタが前に出た。
彼の手には、まだアイドリング状態だったチェーンソーが握られている。
「オラァ! 雑草狩りの時間だ!!」
ブォォォォォォン!!
ゲンタはアクセル全開でチェーンソーを振り上げ、迫りくるツタを迎撃した。
ギャリリリリッ!! ブチブチブチッ!!
植物とは思えない、硬質な切断音と、肉が千切れるような不快な音が響く。
緑色の体液を噴水のように撒き散らしながら、切断されたツタが地面に落ちて、魚のようにのた打ち回った。
「うおっ、すげぇ汁だ! ……新品の刃がこぼれちまったぞ、なんて硬さだ!」
「ナイス、ゲンタ! ……怯んでる今がチャンスよ! 突入するわよ!」
私たちはゲンタがこじ開けた突破口から、緑の霧が立ち込める温室の内部へと滑り込んだ。
◇
温室の中は、サウナのような熱気と、肺にまとわりつくような重い湿気に満ちていた。
視界が悪い。眼鏡が曇る。
そして、そこはまさに「死の菜園」だった。
本来なら整然と並んでいるはずの畝は崩壊し、あらゆる植物が巨大化し、融合し、暴走していた。
人の頭ほどもある巨大なトマトが、熟れた赤色ではなく毒々しい紫色をしてぶら下がっている。
地面からは槍のように鋭利なタケノコが突き出し、天井からは食虫植物のような巨大な花が、消化液と思われる粘液を垂らしながらダラリと口を開けていた。
「……素晴らしいわ」
この地獄絵図を見て、一人だけ目を輝かせている変人がいた。
シノだ。
彼女は恐怖よりも知的好奇心が勝ったらしく、地面に転がっていた紫色のトマトにふらふらと近づいた。
「通常の植物の成長速度じゃないわ。細胞分裂のサイクルが異常に早いわ。これ、遺伝子組み換え? それとも高濃度の放射線による突然変異?」
「触らないでシノ! 噛まれるわよ!」
「は? トマトが噛むわけ……」
シノが指を伸ばした瞬間。
パカッ。
トマトの表面が裂け、中から鋭い牙が生えた口が現れた。
シャアアアアッ!!
トマトが威嚇音を上げ、シノの指を食いちぎろうと飛びかかった。
「ひぃぃッ!?」
シノが情けない声を上げて尻餅をつく。
その瞬間。
パンッ!
乾いた破裂音と共に、空中のトマトが弾け飛んだ。
紫色の果肉が飛び散る。
蒼だ。
彼はすでに愛銃を構え、油断なく周囲を警戒していた。
「……動くものは全て撃つ。野菜だろうが果物だろうが、俺の前では等しく標的だ」
「助かったわ! ……もう嫌ここ! サラダバーの逆襲じゃない! ベジタリアンになるわよ!」
シノが涙目で私の後ろに隠れる。
その時、温室の最奥から、空気を震わせるような「声」が響いた。
『……帰レ……ニンゲン……』
低い、地を這うような唸り声。
奥の茂みがガサガサと揺れ、巨大なシルエットが姿を現した。
それは、3メートルはある泥人形だった。
キャンプ場の肥沃な土と、無数の植物の根っこで構成されたその体は、鎧のように硬く、両腕は丸太のように太い。
そして、その泥人形の頭の上に――ちょこんと乗っている「本体」がいた。
体長30センチほどの、モグラのような、あるいは二足歩行のぬいぐるみのような生き物。
頭には双葉が生え、本来ならつぶらな瞳をしているはずのその生物は、今は目が真っ赤に充血し、口から黒い泡を吹いていた。
この森の管理者。土の精霊、モグだ。
「……モグ? 久しぶりね、私よ! マナよ!」
私が呼びかけるが、モグは虚ろな目で私を見ただけだった。
焦点が合っていない。意識が混濁しているようだ。
『……ウウゥ……痛イ……苦シイ……!! ニンゲン、嫌イ……壊ス……!!』
ドォォォン!!
モグが叫ぶと同時に、彼が操る泥人形が地面を殴りつけた。
衝撃波が走り、温室内の植物たちが一斉に活性化する。
無数のツタが、槍のように私たちに切っ先を向けた。
「オーナー! 知り合いか知らねぇが、会話が通じる相手じゃなさそうだぞ! 完全に殺る気だ!」
「あいつ、様子がおかしいわ。……シノ! 解析できる!?」
私が叫ぶと、シノは怯えながらも眼鏡の位置を直し、モグを凝視した。
科学者の目が、異常を捉える。
「……見えるわ。あいつの周りだけ、空間の歪みがひどい。それに、あの口から出てる黒い泡……ただの泥じゃないわ」
「何なの?」
「高濃度の『瘴気』よ! しかも、昨日私がラボで見たサンプルより遥かに活性化してる!」
「ウイルス!?」
「ええ! あいつ自身が病気にかかって暴走してるんだわ! 植物たちが凶暴化してるのも、あいつが撒き散らす毒素のせいよ!」
なるほど、そういうことか。
1周目の世界でも、精霊たちが「黒い霧」に侵されて狂暴化し、ダンジョンボスと化す現象はあった。
だが、まさかこんな初期段階から始まっているなんて。
本来なら森を守るはずの精霊が、汚染源になっている。
「倒すんじゃないわ! 『治療』するのよ!」
「治療だぁ!? あの暴れまわってる怪獣にか!?」
ゲンタが叫んだ瞬間、ゴーレムの巨大な泥の拳が彼に迫った。
風圧だけで吹き飛びそうな質量だ。
ゲンタは咄嗟にチェーンソーを背中に放り投げ、腰に下げていた解体用の「スレッジハンマー」を引き抜いた。
「チェーンソーじゃ刃が欠ける! こっちが本職だオラァッ!!」
ドォォォォン!!
金属と泥が激突する、重く鈍い音が響き渡る。
ゲンタは真正面からハンマーを振り抜き、質量差のあるゴーレムの拳を粉砕して弾き返した。
衝撃で足元のコンクリートが割れる。
さすがSTR特化の要塞建築士。パワーだけなら魔物とタメを張れる。
「私の生活魔法・浄化なら、瘴気を取り除けるはず。でも、射程が短いの!」
「つまり?」
「あいつに触れる距離まで近づかなきゃいけないってこと!」
無理ゲーだ。
モグの周りは、無数の殺人トマトと触手のようなツタ、そして暴れまわる泥のゴーレムが鉄壁の防御を敷いている。
一歩踏み込めば、ミンチにされて肥料行きだ。
「……道を開ければいいんだな?」
カシャッ。
蒼がボルトを操作し、次弾を装填した。
その瞳が、スナイパー特有の冷徹な光を帯びる。
「ゲンタ、ハンマーで前をこじ開けろ。俺が関節を撃ち抜いて体勢を崩す。……その一瞬の隙に、オーナーが飛び込め」
「おうよ! 任せろ! 一番キツい仕事じゃねぇか!」
「シノは!?」
「私は……ここで応援してるわ! がんばれー!」
シノが柱の陰から小声で叫ぶ。
「あんたも働きなさいよ! 私が突っ込んだあと、モグに『栄養剤』をぶっかけるの! 弱った体に鞭打つんだから、回復させなきゃ死んじゃうわ!」
私はシノに、昨日リペアで作った「特製栄養ドリンク」のアンプルを手渡した。
「いい? チャンスは一回よ。失敗したら全員トマトの餌!」
私は杖代わりのバールを握りしめ、前を見据えた。
目の前には、暴走する精霊と、死の植物群。
「いくわよ!!」
私の号令と共に、ゲンタが雄叫びを上げて突貫する。
私たちは死の菜園の真っ只中へと駆け出した。
目指すは暴走する精霊の懐。
今夜のサラダを勝ち取るための、命がけの収穫祭が始まった。




