第13話
私たちは意気揚々と、森の奥にある「開かずの温室」へ向かおうとしていた。
だが、ログハウス前の広場を出てわずか数メートル。
世界を救うはずの英雄たちの足が、ピタリと止まった。
――グゥゥゥゥ……キュルルルル……。
まるで地底から響く地鳴りのような重低音が、静かな朝のキャンプ場に不協和音を奏でたからだ。
音源は、ゲンタと蒼の腹部である。
「……オーナー。無理だ。エネルギー切れだ」
巨漢のゲンタが、その場にガクリと膝をついた。
その顔色は、解体現場のコンクリートのように灰色だ。
「昨日のカップ麺一個じゃ、俺の筋肉を維持できねぇ……。足が鉛みてぇに重くて、一歩も動けねぇよ……」
「同感だ。……指先が震えて、トリガーが引けない」
元警視庁SATのエリート狙撃手である蒼も、愛銃のライフルを杖にして辛うじて立っている状態だった。
低血糖による手の震えは、スナイパーにとって致命的だ。今の彼では、百発百中どころか、至近距離の空き缶すら外すだろう。
「うぇぇ……日光が痛い……。紫外線が私の白肌を焦がしていくわ……」
シノに至っては、吸血鬼のように「太陽が怖い」と言って私の背中にヤモリのように張り付き、白衣で顔を覆って縮こまっている。
……ダメだ、こいつら。
廃人寸前だ。
こんなボロボロの状態で、あの「狂った精霊」が守る魔境のような温室に行っても、返り討ちに遭って肥料にされるのがオチだ。
「はぁ……わかったわ。作戦変更よ」
私は森の方角へ向けていた指を、くるりと反転させ、街の方角へと向け直した。
「まずは『機動力』と『カロリー』を確保するわ。……買い物に行くわよ」
「買い物だと? 車はどうするんだ。タクシーを呼ぶ金も惜しいぞ」
「だから、まずは『車』を買いに行くの。……そこにある軽トラに乗りなさい」
私が指差したのは、ゲンタの愛車である泥だらけの軽トラックだ。
定員は2名。
ここにいるのは、巨漢、マッドサイエンティスト、スナイパー、そして魔法使いの計4名。
「……おいオーナー。正気か?」
蒼が青ざめた顔で後ずさった。
「昨日、シノを回収して帰ってきた時の地獄を忘れたのか? 俺の尻と腰は、あの振動でまだ悲鳴を上げているんだぞ」
「嫌よ! 絶対嫌! 昨日の排気ガスの臭いがやっと取れたところなのよ! あんな家畜の輸送みたいな扱い、二度と御免だわ!」
シノも全力で拒否反応を示す。
無理もない。昨日の帰路は、フリーザーの隙間に挟まって数時間の山道ドライブだったのだ。トラウマになって当然である。
だが、私は無慈悲に彼らの背中を押した。
「四の五の言わない! じゃあ何? 空腹で死にかけのまま、片道20キロの山道を歩いて降りるの?」
「……くっ、悪魔か」
「覚えてなさいよオーナー……!」
◇
数十分後。
山道を下る軽トラの荷台には、デジャヴのような地獄絵図が広がっていた。
「いやぁぁぁッ!! やっぱり無理ぃぃ! 風が! 小石が飛んでくるぅぅ!!」
「……舌を噛むぞシノ。耐えろ、耐えるんだ……これは訓練だ……」
荷台に体育座りで乗せられた二人が、走行風に煽られて絶叫していた。
昨日と同じく、直射日光を避けるためにブルーシートを頭から被り、その姿は完全に「不法投棄される粗大ゴミ」だ。
運転席には、ハンドルにお腹がつきそうなほど窮屈そうなゲンタ。
助手席には、涼しい顔をした私。
「ちょ、ちょっとゲンタ! スピード出しすぎ! 荷台の二人が飛んでっちゃう!」
「うるせぇ! 警察に見つかったら一発免停だぞこれ! 裏道を突っ切るしかねぇ!」
キキーッ!!
軽トラは片輪走行ギリギリでカーブを曲がり、ガタガタと悪路を駆け抜けていく。
荷台から「ギャァァァ!」「昨日より揺れてるぅぅ!?」という断末魔が聞こえるが、聞こえないフリをした。
こうして命からがらたどり着いたのは、隣町の郊外にある怪しげな「中古車&スクラップ工場」だった。
軽トラが砂煙を上げて急停車すると、荷台からボロ雑巾のようになった二人が転がり落ちた。
「……おぇぇ。二日連続は……効く……」
「……三半規管が死滅した……。もう二度と……軽トラには乗らん……」
蒼とシノが地面に四つん這いになって嗚咽している。
そんな私たちを見て、事務所から出てきた油まみれの店主が、ドン引きしてタバコを落とした。
「……いらっしゃいませぇ? なんの集団だアンタら……」
店主の視線は、巨漢、白衣のボロ雑巾、ライフルを持った死人、そして平然とした少女に向けられている。完全にヤバい奴らだ。通報される前に商談を終わらせなければ。
「車を買いに来ました。そこの隅にある、黒い4WDのロングバン。あれを売っていただけます?」
私が指差したのは、工場の隅で雨ざらしになり、蔦が絡まりかけているボロボロのハイエースだ。
「あー? アレかい? アレは一応売り物だが……」
店主は警戒しながらも、商売っ気を出してニヤついた。
「車検こそ1年残ってるが、走行距離は30万キロオーバー。エンジンからは異音がするし、エアコンも効かねぇ『ほぼ廃車』だぜ? そのままで乗って帰るなら、まあ……現状渡しで30万ってとこか」
「構いません。ええ、買います。現金で」
私が財布からなけなしの30万円を数えて渡すと、店主は「マジかよ、このカモ」という顔で鍵を放り投げてきた。
「まいどありぃ。店を出た瞬間にエンストしても、返品・クレームは一切受け付けねぇからな!」
「構いません。……ゲンタ、ボンネット開けて」
私はニヤリと笑い、車の前に立った。
店主が嘲笑っている前で、私はボロボロの車体に両手を置く。
「見てなさい。これが私たちの『新しい足』よ」
システムウィンドウを展開。
【対象:車両(TOYOTA HIACE・重度破損)】
【実行コマンド:完全修復+剛性強化+悪路走破カスタム】
【消費MP:120】
――カッ!!
まばゆい光がバン全体を包み込んだ。
バキバキバキッ!!
金属が軋み、組み替わる音が工場に響き渡る。
錆びついたボディから赤錆が砂のように剥がれ落ち、凹んだフレームが生き物のように隆起して元の形を取り戻す。
光が収まると、そこには先ほどのスクラップの面影は微塵もなかった。
傷一つない、光を吸い込むような漆黒のマット塗装。
防弾ガラスのように強化された分厚いスモークウィンドウ。
車高は高くリフトアップされ、泥濘をも踏破するゴツいブロックタイヤを履いている。
屋根には巨大なルーフキャリアまで生成されていた。
「……な、な、なんだこりゃぁぁッ!? お前ら、何者だ!?」
店主が腰を抜かしてひっくり返った。
無理もない。30万の鉄くずが、瞬きする間に一千万円クラスの特注装甲車に化けたのだから。
「それじゃあ、良い取引をありがとう! 乗りなさい、野郎ども! 帰りはエアコン付きよ!」
「ヒャッハー! すげぇぜオーナー! 天国だ!」
ゲンタが狂喜して運転席に飛び乗る。
シノと蒼も、涙目で広々とした後部座席に雪崩れ込んだ。
「生き返った……。ふかふかのシート……文明の香り……」
「二度と軽トラの荷台には乗らん……」
私たちは呆然とする店主を置き去りにして、生まれ変わった「黒の相棒」と共に、スクラップ工場を後にした。
◇
そこからの私たちは、まさにタガが外れた猛獣だった。
隣町にある、倉庫のような大型会員制スーパーとホームセンターに特注装甲車を乗り付け、いよいよ本番の「買い出し」だ。
だが、入り口で最大の問題が発生した。
「おいオーナー。……俺の財布には3000円しかねぇぞ」
ゲンタが空っぽの財布を逆さにして振った。チャリ、と10円玉が落ちる。
「俺もだ。先週届いたライフルのカスタムパーツ代を振り込んだら、口座残高が三桁になった」
蒼が真顔で言った。
この男、住む場所も食う物もないくせに、稼いだ金の全てを銃の改造につぎ込んでいたらしい。生粋のガンマニアだ。救いようがない。
シノに至っては「私、ブラックリスト入りしてるからカード作れないわよ」と開き直っている。
私の手持ちも、車を買って残り55万円ほど。
これでは、4人分の数年分の食料なんて到底買えない。
だが、私はニヤリと笑い、二人の男に手を突き出した。
「現金はどうでもいいわ。……クレジットカード、持ってるでしょ?」
「あ? カードならあるが……キャッシング枠なんて知らねぇぞ」
「俺は元公務員だからな。ゴールドカードだが……何をする気だ?」
私はニコリと微笑み、彼らの財布から強制的にカードを抜き取った。
「いい? よく聞きなさい」
私は店内で、男たち(とシノ)を集めて円陣を組んだ。
「あと25日で、世界中の金融システムは完全に崩壊するの。銀行も、カード会社も、すべて消滅するわ」
「……つまり?」
「つまり、来月の『引き落とし日』なんて、永遠に来ないってことよ」
――ゴクリ。
ゲンタと蒼の顔に、悪魔的な理解が広がっていく。
そう、終末世界における最大の合法チート。
それは『返済義務のない借金』だ。
「限度額いっぱいまで使い切りなさい!! ショッピング枠もキャッシング枠も全部よ! どうせ払わなくていいんだから、一番高い肉と、一番高い酒を買い占めるのよ!!」
「うおおおおおッ!! マジかよ、夢みてぇだ!!」
「……背徳感がすごいな。だが、悪くない響きだ……!」
リミッターが外れた。
私たちは3枚のカード(シノは荷物持ち)を武器に、スーパーへ突撃した。
◇
それはもう、略奪に近い光景だった。
巨大なカート3台が山盛りになるほどの爆買い。
米300キロ、パスタ、大量の缶詰、レトルト食品。
A5ランク和牛のブロック肉、厚切りベーコン、ソーセージ。
蒼は「精神安定剤だ」と言って、カートン売りのタバコと高級コーヒー豆を。シノは「消毒用よ」と嘘をついて高級ワインとウイスキーをカゴに放り込んだ。
さらにホームセンターでは、ソーラーパネルやポータブル電源、エンジンカッターなどの高額商品を次々と購入。
レジでの会計は、総額350万円を超えた。
店員の手が震え、周囲の客がドン引きする中、私たちは涼しい顔で「カード、分割なしで」と言い放った。
パンパンに膨れ上がった装甲バンのサスペンションがきしむ。
だが、荷台の重みは、そのまま「生存への希望」の重みだった。
◇
その日の夜。
拠点前の広場には、パチパチと炭が爆ぜる音と、極上の脂が焼ける暴力的な匂いが充満していた。
「う、うめぇぇぇぇッ!! なんだこの肉! 口の中で溶けやがる!!」
「焦るなゲンタ、まだ焼けてない。……オーナー、岩塩を取ってくれ」
「ふふっ、今日は遠慮しなくていいわよ! たらふく食べなさい! 借金で買った肉の味は格別でしょ?」
買ってきたばかりの大型BBQコンロを囲み、私たちは狂ったように肉を貪った。
極限の空腹を満たしたことで、メンバー全員のHPとテンションが完全回復していく。
シノも、和牛を頬張りながら実験用ビーカーで高級赤ワインを煽っている。
「ふぅ……生きてるって感じがするわね。ミトコンドリアが活性化して、脳のシナプスが繋がっていくわ」
食後の高級コーヒーを啜りながら、シノが夜空を見上げて言った。
その顔には、朝の悲壮感はない。
「でもね、オーナー。これだけじゃダメよ」
「どういうこと?」
「肉と炭水化物は確保したわ。でも、缶詰やレトルトばかりの生活が続けば、数ヶ月で深刻なビタミン不足に陥る。壊血病で歯が抜けて、免疫が落ちて死ぬわよ」
シノの指摘はごもっともだ。
どんなに高級な肉があっても、ビタミンとミネラル、つまり「新鮮な野菜」がなければ人間は長く生きられない。
私は立ち上がり、裏山の真っ暗な森を見つめた。
腹は満ちた。車もある。武器も、道具も揃った。
戦う準備は、もう言い訳できないほどに整った。
「ええ、わかってるわ。……だから明日、新鮮な野菜を無限に作ってくれる『神様』を捕獲しに行くの」
世界崩壊まで、あと25日。
最高に美味しいBBQの余韻を腹に抱えながら、私たちは次なるターゲット――森の奥にある「開かずの温室」へと狙いを定めた。




