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人生2周目は、300万円で買ったゴミ山に引きこもります。〜世界崩壊まであと1ヶ月、私だけが知ってる『絶対安全地帯』〜  作者:


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第10話

 「いやぁああああ!! 私の……私の培養液がぁぁぁ!!」


 悲痛な叫び声を聞いた私たちは、4階への階段を駆け上がった。

 蒼が鼻を利かせ、迷うことなく廊下の奥へ走る。


「こっちだ! 404号室!」


 ドアの鍵は開いていた。

 というより、半開きだった。私たちはノックもせずに飛び込んだ。


「大丈夫ですかッ!?」


 部屋に入った瞬間、鼻を突いたのはツンとする薬品の刺激臭と、鉄錆のような血の臭いだ。

 狭い個室の床には、実験器具が散乱し、その中心で白衣の女性――御影みかげシノが座り込んでいた。


 その姿は、一言で言えば「魔女」だった。


 手入れされていない腰まであるボサボサの黒髪は、いま起きたばかりのように爆発しており、前髪の隙間から覗く瞳は、寝不足による充血と濃いくまで落ち窪んでいる。

 肌は太陽を知らない深海魚のように病的に白く、血管が透けて見えるほど薄い。


 そして何より異様なのは、彼女がまとっている白衣だ。

 元は白かったはずのその布地は、緑や紫の怪しげな薬品のシミで幾何学的なまだら模様を描き、所々が酸で焼けたように焦げ、穴が開いている。

 胸ポケットからはペンやメモ帳ではなく、鋭利なメスや、正体不明の紫色の液体が入ったアンプルが無造作にはみ出していた。


 狂気と知性、そして不潔さが同居する、強烈なヴィジュアル。

 彼女は床に広がった緑色の液体を、薬品焼けしてボロボロになった素手で掻き集めようとして、絶望に顔を歪めている。


「あ、ああっ……嘘でしょ……三ヶ月……三ヶ月かけてやっと安定したのに……」

「おい姉ちゃん、怪我はねぇか!?」


 ゲンタが声をかけるが、彼女の耳には入っていないようだ。

 分厚い瓶底メガネの奥で、焦点の定まらない瞳が濡れた床を見つめ続けている。


「終わりよ……。このストレインが死んだら、もう再現できない。私の理論が……世界を救う薬が……」


 ボロボロと涙を流すシノ。

 それは、研究者にとっての「死」を意味していた。

 不可逆な失敗。覆水盆に返らず。

 現代科学において、こぼれた液体を元に戻す技術なんて存在しない。


 ――そう、「科学」なら。


「……どいてください」


 私はシノの前に歩み出た。


「は……? 何よ、あなたたち……邪魔しないで……」

「いいから、手を離して。……まだ間に合う」


 私は彼女の手を強引に退け、床に散らばるガラス片と液体に掌をかざした。


(イメージしろ。時間は巻き戻らない。でも、物質の「状態」は定義できる)


 システムウィンドウを開く。

 MPの残量は十分。


 【対象:破損したフラスコ及び内容物】

 【修復コスト:80 MP】

 【生活魔法:修復リペア……実行】


 カッ、と掌が淡く発光した。


「え……?」


 シノが息を呑む。

 その目の前で、奇跡は起きた。


 シュルルルッ……!


 まるでビデオテープを逆再生するように。

 床に広がっていた緑色の液体が、重力に逆らって宙へ浮き上がる。

 同時に、粉々だったガラス片が集まり、一瞬で元のフラスコの形を取り戻す。

 液体がその中に収まり、最後にコルク栓がキュポンッと閉まった。


 時間にして、わずか3秒。

 そこには、傷一つないフラスコと、ゆらゆらと揺れる培養液があった。


「はい、元通り」


 私はフラスコを拾い上げ、呆然とするシノに手渡した。


「……あ、あ……」


 シノは震える手でそれを受け取った。

 液体の量、色、粘度。

 そしてガラスの質感。

 どこからどう見ても、割れる前の「それ」だった。


「……あり、えない……」


 彼女の瞳孔が限界まで開いた。

 涙も止まり、代わりに猛烈な戦慄せんりつが走る。


「エントロピーの減少……? 局所的な時間逆行……? いや、質量保存の法則はどうなってるの? エネルギー源は? 熱力学を無視してる……!」


 ブツブツと高速で独り言を呟き始めたかと思うと、彼女はガバッと私に掴みかかった。

 至近距離で見ると、彼女からは薬品の匂いに混じって、甘いカフェインと死臭のようなえた匂いがした。


「あなた! 何をしたの!? 今の光は何!? トリック? それとも未知の素粒子干渉!?」

「痛い痛い! 揺らさないで!」

「答えなさい! 今の現象を科学的に説明して!!」


 鬼気迫る形相だ。

 やはり、この女は生粋の「研究バカ(マッドサイエンティスト)」だ。

 私はニヤリと笑った。


「説明してほしい?」

「当たり前でしょ! あんな現象、今の物理学じゃありえないわ!」

「なら、私の拠点ウチに来て。……そこでなら、いくらでも研究させてあげる」


 私はゲンタに目配せをした。

 心得たゲンタが、廊下から「それ」を運び込む。


 ドスンッ。


 狭い入り口を塞ぐように置かれたのは、ピカピカに輝く「超低温フリーザー」だ。


「なっ……!?」

「これは手土産。もちろん中身は空っぽだから、あなたの培養液も、ウイルスも、全部入れ放題よ」


 さらに私は、リュックから100万円が入った分厚い封筒を取り出し、彼女の白衣のポケットにねじ込んだ。


「こっちは契約金。……これだけあれば、必要な試薬もガラス器具も、新品で揃えられるでしょ?」


 シノは、左手にフラスコ、右手にフリーザー、ポケットに大金という状況でフリーズした。

 情報の処理が追いついていないようだ。


「……あなた、何者なの? ただの大家じゃないわね?」

「私はマナ。……ただの『魔法使い』の大家さんよ」


 私は彼女の真っ直ぐな瞳を見つめ返した。


「御影シノ博士。私はあと一ヶ月で終わるこの世界で、生き残るための城を作ってる。そこには、あなたの『頭脳』が必要なの」

「……」

「来てくれたら、快適なラボと、この不思議な『魔法』の解析データを提供するわ。……どう?」


 シノは少しの間、沈黙した。

 彼女はフラスコを光にかざし、それから私の掌をじっと見た。

 その目にはもう、不信感はない。

 あるのは、狂気じみた「知的好奇心」だけだ。


「……私の時給、高いわよ?」

「出世払いでお願いできる?」

「ふふっ……いいわ」


 彼女は汚れた白衣を翻し、ニヤリと笑った。不敵で、背筋が凍るほど美しい笑みだった。


「採用よ、オーナー。……その『魔法』の原理、私が丸裸にしてあげる」


     ◇


 1時間後。

 私たちはシノの荷物を軽トラに積み込んでいた。

 荷物と言っても、服はほとんどない。大量の専門書と、怪しげな薬品の瓶、そして何より大事なPCデータだけだ。

 中にはホルマリン漬けにされた何かの臓器が入った瓶もあり、ゲンタが露骨に顔をしかめている。


「おいシノ、その『炭疽菌』とか書いてある箱、絶対に落とすなよ!? フリじゃねぇぞ!」

「うるさいわねゴリラ。これは弱毒化株よ。……多分ね」

「多分ってなんだオイ!」


 ゲンタとシノは、すでに漫才コンビのように騒がしい。


 積み込みが終わる。

 荷台には、鎮座する超低温フリーザーと、隙間に詰め込まれたシノの荷物。

 そして――


「……オーナー。まさかとは思うが」


 蒼が、ジト目で私と軽トラのキャビン(運転席)を交互に見ている。

 軽トラの定員は2名。

 ここには4人の人間がいる。


「来る時は3人で無理やり乗ったが……さすがに4人は物理的に入らないぞ」

「そうね。しかも今回は荷台に『フリーザー』と『危険な薬品』があるわ。誰かが支えてないと」


 私はニヤリと笑った。


「ジャンケンよ」

「……は?」

「勝った二人がエアコンの効いた車内。負けた二人は荷台でフリーザーの番。……公平でしょ?」


     * * *


 結果。


 春の風は、まだ少し冷たい。

 軽トラの荷台で、蒼は体育座りをしながら深く溜息をついた。隣には、フリーザーにへばりついてニヤニヤしている白衣の女がいる。


「……最悪だ。来る時は助手席でギチギチ、帰りは荷台かよ」

「あら、快適じゃない。換気もいいし」

「お前が放つ薬品の臭いがダイレクトに来るんだよ……」


 運転席にはゲンタ。助手席には私。

 そして荷台には、スナイパーとマッドサイエンティスト(とウイルス)。

 道交法もへったくれもない、完全なアウトロー集団だ。

 まあ、あと一ヶ月で法律なんて意味をなさなくなる。警察に見つかったら、裏道を使って逃げればいい。


 私はサイドミラー越しに、荷台で小さくなっている相棒を見ながら、クスリと笑った。


 手元の資金は、残り85万円。

 まだまだ戦える。


 【パーティメンバーが追加されました】

 御影シノ(Lv.1 毒薬師)


 建築のゲンタ。

 狙撃の蒼。

 解析のシノ。

 そして、生活魔法の私。


 拠点を守り、維持するための「技術班」は揃った。

 だが、まだ足りない。

 長期戦を生き抜くための「食料(農業)」と、世界を見渡す「目(情報)」が。


 カレンダーを見る。

 4月4日。


 世界崩壊パンデミックまで、あと27日。

 ここからが、私たちの本当の「城作り」だ。


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