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第一話 

 気づけば毎朝、同じ時間に家を出て、同じ通学路を歩き、似たような制服の群れの中に紛れこんでいる。

 染谷(そめや) (まもる)、十六歳。胸を張って語れる特技も、誰かに羨ましがられるような逸話もない。ただ、冷蔵庫にコーラが入っていると少しだけ幸せになる――そんな、どこにでもいるごく普通の高校生だ。


 背伸びして選んだわけでもない公立高校に通い、授業中は眠気と睨み合い、放課後は友達と他愛ない話をして笑い、家に帰れば録画したドラマを見て一日が終わる。


 僕は特別じゃない。平凡のど真ん中にいるような高校生だ。


 だからこそ、少しの変化で胸がざわつく。

 駅前の広告が変わっただけで、知らない転校生が来ただけで、教室の窓から見えた夕焼けがいつもより赤いだけで、自分の世界が動き出したように思える。

 何か特別なものに触れてしまうことを、どこかで期待している自分もいる――そんなところまで含めて、僕はやっぱり“普通”なのだ。


 だからこそ、いまだに思う。

 ――どうしてあんな無謀なことをしてしまったのか、と。


 帰り道。見通しの悪い交差点。手には赤いゴムボール。少女。車通りの多い時間帯。

 それらが揃ってしまったのは、事故が起きるべくして起きたのかもしれない。


 少女の手からボールが転がり落ち、追うように飛び出したその瞬間。

 横から迫っていたのは大型トラック。運転手が少女に気づいたときには、止まるための距離はもう残されていなかった。


 パァーッ、とクラクションが空気を裂く。


 ――轢かれる。


 思考より先に身体が動いた。僕一人でトラックを止められるわけがない。それでも、少女に覆いかぶさるように飛び込んでいた。

 せめて僕がクッションになって、この子だけでも助かればいい――。

 そう願い、迫る衝撃に備えて目を閉じたその刹那。


 最後に見えたのは。

 僕とまったく同じタイミングで飛び出し、今度は僕に覆いかぶさるように身を投げた、隣の席の田中の姿だった。


 ***


「マジに今から、異世界転生するんですか?」

「します」


 ソファに座る僕の前で、女神のような女性が紅茶を差し出してくる。

 香りは上品で、ほんの少し熱い。けれど今の状況では落ち着いて味わう余裕などなかった。


 ――世界が静かすぎたのだ。


 声だけが鮮明で、それ以外の音が何ひとつない。息遣いさえ遠く、床に座っているはずなのに、時折“地面がない”ような感覚に襲われる。

 足元には白でも黒でもない、色彩の概念から外れた光の膜が広がり、歩けば水面のように揺れる。

 空と呼べるのか迷う頭上には、星とも粒子ともつかない光が漂い、夜と朝の境界だけが永遠に続いているような景色が広がっていた。


「――あなた達は先ほど一度死にました。そして今、私の力でこの空間に留まってもらっています」


 女性の声は、胸の奥に直接届く。

 髪は光そのものが糸になったかのようにゆらぎ、目は深い湖の底みたいに静かだ。布か霞かわからない薄衣がふわりと広がり、風もないのに形を変える。

 神聖さよりも、触れれば吸いこまれてしまいそうな“異質さ”が勝っていた。


 そんな女神を前に、隣の“もう一人の転生者”が呟く。


「うわちゃー、まじで死んじまったか。俺も、染谷も」

 その男は本当に今の現状を理解しているのか、どこかあっけらかんとした表情でつぶやく。

 

 彼の名前は、田中——

 いわゆるクラスの人気者だ。

 整った顔立ちはしているが絶世のイケメンというわけでもないのに、誰とでも自然と会話が続いて、気付けば人の輪の中心にいるタイプ。授業の合間に先生と軽口を叩けば、周りがつられて笑い、体育の時間になれば運動神経の良さでさらに拍手が増える。


 昼休みには誰かの机に腰をかけて話を聞いてやっていて、放課後には「今日どこ寄る?」と誘われる声が必ず一つは飛んでくる。

 ムードメーカーという言葉が形になったみたいなやつで、正直、僕とはあまり接点のない、真逆の存在だった。


 そんな彼もまた、先ほどの少女を助けようと同じように駆け出し、この空間に連れてこられていたのだ。

 僕と田中を見つめ、女神は続ける。

 

「——あなたたち二人に……世界を救ってほしいのです」

 

 田中が「え?」と声を漏らし、僕は言葉を失った。

 女神の一挙手一投足ごとに、周囲の粒子が吸い寄せられ、ゆるく揺れながら漂っていく。


 「あなた達の魂はとても稀で強い力を秘めています。前へ進む力を持っています。迷わず、恐れず、仲間を引っ張る“陽”の力。あなたの魂は、どんな暗闇でも前に灯りをつける強さを持っている。この世界は、そんな力を必要としているのです」


 田中が一歩前に出た。

 普段教室では陽気で頼りがいがある“人気者”の顔が、そのまま迷いなく浮かんでいる。


 「世界を救うって……そういう話、嫌いじゃないっす。俺、やりますよ」


 僕は目を丸くする。

 マジかお前、思い切りよすぎないか。

 女神は微笑んだ。

 

 だが視線が僕に移った瞬間、胸の奥が妙にざわつく。

 「あなたは……どうしますか?」

 

 僕は答えられなかった。いや、正確には返事が喉の手前で凍った。

 救うべき“世界”なんて、見たこともない。選ばれた理由なんてわからないし、そもそも今日の帰り道に途中のパン屋で半額コロッケパンを買うつもりだった。

 そんな僕が、世界を救う?異世界で?ほんとに?

 

 田中が笑って、僕の背中を軽く叩いた。

 「なぁ、来いよ染谷! 二人って言われたし、それにお前も来てくれるなら心強いしさ!」

 

 その軽さが、逆に苦しかった。

 目の前で女神が静かに待っているその時間が、世界のすべてを押しつけてくる。

 

 「……いや、ちょっと待って。僕は……」

 渋る僕をよそに、田中はもう前に進む気満々で胸を張っている。

 女神は僕を見つめたまま、優しく、しかし逃げられない声音で言った。

 

 「この世界はあなたを必要としています。田中くんだけでは足りないのです」

 女神の合図により空間の光がふわりと揺れ、距離が縮まるように僕を包む。そしてその光はやがて僕の腕に集まりーー気づけば金色のブレスレットとしてすっかりその場に収まっていて、それは田中の腕にも同じように装着されていた。

 不思議そうに眺める僕と田中に女神が告げる。


「そのブレスレットを身に着けていれば、離れた場所にいてもお互いに会話する事ができます。何も50Gと棒だけをお渡しして世界を救えとは言いません。まずは最初の贈り物です」

「か、恰好良い~!」

 テンション高く眺める田中。そんな彼の姿と異世界のアイテムを見せられた僕は、否が応でも心が躍り始めるのを感じた。ゲームの世界じゃん、こんなの。思わず顔がにやける。


 そんな僕の顔を見て、田中は振り向いて言った。

 「大丈夫だって。俺がいて、お前がいりゃあ、なんとかなるだろ」

 頼りない僕と、真っすぐすぎる田中。

 その二人を見つめる女神の瞳は、どこまでも静かだった。

 

 僕は息をひとつ吸いこんだ。

 完全に覚悟が決まったわけではない、心の底からの言葉はまだ口にできなかった――。

 でも。

 

「分かった。やるだけやってみるよ」


 おう!と元気に笑った田中が握手を求めて手を差し出す。余りにもまっすぐな彼の瞳に少しの恥ずかしさを覚えながらも、僕は手を伸ばす。

 

 その瞬間――僕の身体が、ふわりと宙に浮いた。

 

「ん?」

「え?」

「……あ、電話」


 疑問符を浮かべる僕と田中。そして呼び出し音を聞いて電話に出る女神。いや、ここ電波入るんかい。

「ええ、ええ、はい。……あー、なるほどですね、え、これ私から言うんですか? あー、分かりましたぁ、了解でーす……」

 ピッ、と電話を切った女神はほんの少し首を傾げ考えたあと、罰の悪そうな顔で告僕に向き直った。

 

「……えーと、あのですね。たった今速報が入りまして! 大変、非常に言いづらい……いえ!喜ばしい事にですね。染谷さんは~……あの~……ですね……」


「……一命をとりとめたみたいです☆」


「いや、僕の覚悟返せ!」

 

 浮かびあがる身体にしがみつきながら叫ぶ僕を、女神は露骨に目をそらしながら手を振る。


「すみません!あのトラック、あの速度は確実だろうと思って思わず連れてきてしまいましたー!あ、でもでも、そのブレスレットは記念に渡しますのでー!参加賞って事で受け取ってください!それでは、また来世~!」

 「いい加減にしろ!!」

 

 大げさに手を振る女神に思いつく限りの罵詈雑言を浴びせる。

 というかさっきまでの威厳はどこにいった。

 なおも体は浮かびつづけ、気づけば二人は豆粒程の大きさになっていた。それと同時に徐々に意識が途切れはじめた頃、ふいにブレスレットから声が聞こえた。


「こっちの世界は俺に任せろ!そっちの世界はお前に任せた!」


 いや、どこまで純粋やねん……。

 薄れゆく意識の中で彼のこれからと、女神の落とし前をどうつけようか考えながら……僕の意識が完全に途切れた。

 

 ***

 

「……え! 物語始まらなくない!?」

「……病室では静かにお願いいたします」

「……すみません」

 

 そして僕は、病室のベッドで目を覚ました。

 

 染谷守(そめやまもる)、十六歳。

 異世界転生、失敗。

 参加賞、ブレスレット。

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