8月17日、逢いに行くね
「明日は、貴女の誕生日だね」
届いたLINEのメッセージには、そう書かれていた。
差出人は、数年前に死んだ、かつての恋人――
『シズカ』からだった。
――『8月17日、逢いに行くね』
*
《8月17日、既読》
『好きでした』
当時、同棲をしていた彼女が、そう言って、わたしの前から姿を消した。
わたしはその時、ちょっとした浮気心で、彼女とは別の女性と肌を重ねる関係になっていた。
要するに――二股というやつだ。
わたしは……馬鹿だった。本当に、大馬鹿野郎だった……。
軽い気持ちだった遊び心が、まさかあんな事態を引き起こしてしまうなんて、その時は夢にも思わなかった。
わたしの浮気が発覚した時の彼女は、なぜか今までにないくらい、まるで恵比寿様のように朗らかな顔で笑っていた。
だから、彼女がその後に姿を消し、のちに投身自殺をするなんて、夢にも思っていなかったんだ……。
“すべての行動には、良くも悪くも、必ず結果が伴う”
そこに、例外など一切ありえず、それは――必然というものだという。
わたしは彼女に、心の底から謝りたかった……。
自分の愚かな行為を、ずっと、ずっと、ずっと許してほしかった。
そのためなら、いっそ命を奪われても構わないとさえ思っていた。
しかし、時刻は午後十一時半。
わたしの誕生日は、何事もなく終わりを告げようとしていた。
わたしは、やるせない気持ちを抱えながら、床に着こうとする。
ベッドの中からリモコンで照明を消すと、部屋の中が暗闇に包まれた。
窓からは、月の光がそっと優しく差し込み、部屋の輪郭を浮かび上がらせている。
わたしは、ぼんやりと部屋の隅に目をやる。
すると、そこに“彼女”は、ぽつんと立っていた。
月の光で照らされているはずなのに、彼女の姿は影のように真っ黒で、その顔立ちはまったくといっていいほど見えない。
わたしはベッドから飛び起きると、なりふり構わず、“彼女”に思い切り抱きついた。
好きだった。好きだった。
心の底から、“好きだった”。
でも、あの時は――ほんのわずかだけ、“魔が差してしまった”んだ……。
「許してほしい、許してほしい!」
「今でも、好きだよ! 大好きだよ……! あの時のことは、わたしにとって本気じゃなかったんだ……!」
「今も昔も、わたしの中での最愛はシズカ、ただ一人だけ! 貴女以外の女なんて、今となってはもう絶対に考えられない! だから、お願いだよ……!」
「また、あの時の笑顔をわたしに見せてよ……」
「少しでいいんだよ……。そんな真っ黒い影なんか、早く取っ払っちゃってよ……。ねぇ、お願いだよ、シズカ……!」
わたしは、シズカに心の底から懇願する。
『……笑顔? アタシ、アナタの前で笑ったコト、あったカシラ?』
「な、何言ってるんだよ! あの時だって、恵比寿様のように笑っていたじゃないか……!」
シズカが本当はいつも笑っていなかった。
そんなことが信じられなくて、信じたくなくて、捲し立てるようにわたしはシズカの言葉を否定する。
時が止まったかのような沈黙。
痛いような沈黙が続く中、シズカはようやく口を開いた。
『ホントに……?』
「えっ?」
『アタシ以外の女なんて……』
『……考えられないの?』
わたしは影に抱きつきながら、迷いなく、思い切り「うん」と答えた。
「愛してる! シズカがそれでいいなら、わたしはもう……どうなったって!」
『アリガトウ』
『アタシも、好きよ』
『じゃ、じゃあ……!』
『……ウン』
シズカがわたしの腰に手を回してくる。
『ワタシもね、今でもアナタが大好き。ソレは、死んだってどうなったって、永遠に変わるコトはないわ』
わたしの腰に回された手に、万力のような強い力が加えられる。
「シ、シズ、カ……?」
『やめてよね』
『アナタを愛した女の名前を呼ぶなんて』
目の前の影を凝視する。
影は嗤った。確かに、嘲った。
――そこにいた影の正体は、
シズカの正体は……
『忘れたの? アタシの名前は『加奈子』よ』
『クケケケケ! 堕ちよう? 地獄に堕ちよう!? 地獄で、あの女も待ってるわよ!!』
『クケケケケケケケケ』
*
《8月17日、既読》
『もうすぐ、逢いに行くね』
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
ご覧いただき、心より感謝申し上げます。