さよなら、初恋。
「さよなら、坊ちゃま。ずっと貴方が好きでした」
──僕は自宅のリビングの中で、自分のアンドロイドに告白された。
20××年。
世界中でアンドロイドがどこの一般家庭にも普及して、早30年以上は過ぎた。
もちろん、"僕"の家にもいる。
日本の三大アンドロイド工業企業のプロメテウス社で作られた"Gear ver.3.7"。
僕は3.7を文字って、"サナ"って呼んでいる。
サナは見た目は20代の女性だ。
栗色の長い髪をポニーテールにして、たまに服の意匠を替えるけど、大体のユニフォームは紺色と白のボーダーワイシャツに黒いスカート、白いエプロンといった感じで似たような服装だ。
くるんと上向きになったまつ毛、大きい栗色の二重の瞳、滑らかで白い肌、小さく形の整った桃色の唇。
一見美しい女性にしか見えないが、近くで見ると無機質。
サナは家政婦型アンドロイドだ。
両親が離婚し、忙しい父親に引き取られた僕にとって、姉であり母であり、友人だった。
家族のように僕の世話を焼いてくれて、友人のように一緒に遊んでくれた、大切なアンドロイド。
──しかし、終わりが来た。
それはアンドロイドの"消費期限"、つまりデバイスの終了やバッテリーの経年劣化による恐れで、廃棄処分となる。
最新型はもうGear ver.4.3まで出ている。
うちのサナは、10年前に買ったものだ。
消費期限が、来てしまったのだ。
僕は、父親にどうにかサナを家に置けないか訴えたが、情のないあの人は僕の意見を聴く気はない。
そもそも、両親が離婚して以来、僕と父親は折り合いが悪い。
* * * * * *
サナと過ごす最後の冬の夜。
サナが作った夕食を食べた。
大好きだったシチュー。
シチューはいちからホワイトソースで作ったものではなく、当然市販のルーだけど少しだけ多めに入れたバターの隠し味の風味が僕は大好きだった。
僕はシチューを食べながら、サナの前で大泣きしてしまった。
──夜。
夜11時半。
明日は土曜日で、なんとなくサナのことを思うと眠れなかった。
僕の部屋のドアを、サナがノックする。
「坊ちゃま。お話がございます」
いつもの畏まった話し方で、サナは僕をリビングへ呼んだ。
「坊ちゃま。わたくしが明日、回収されて廃棄処分になるのはご存知ですよね?」
「じゃなきゃ、あんなに泣かないだろ……」
彼女に素っ気なく返してしまった。
それでもサナは、いつも通り微笑んでいる。
「ふふ。そうでしたね。わたくし、明日いなくなるとしても、シチューを作って坊ちゃまに泣いてもらえるなんて、最後の思い出をもらえて光栄でした」
「なに、笑ってんだよ……」
二人が過ごす最後の日なのに、何ら変わらないように笑っているサナに腹が立っていた。
「廃棄処分って……お前の存在がなくなるってことだぞ!この家での暮らしも、一緒に旅行に行った日も、二人で行った夏祭りも、二人で誕生日ケーキ作って失敗して笑ったことも!参観日に来てくれた思い出も!全部!記憶に残ってたこと、なくなるってことだぞ!」
僕はサナの肩を掴んだ。
サナはアンドロイドのはずなのに、眉尻を下げて、しかたないような、歯痒いような、悲しそうな表情をした、ように見えた。
「……知ってます」
「そもそもわたくしが廃棄処分になる理由は……経年劣化や提供デバイスの終了ではありません」
サナは、閉じたカーテンの向こう側から少し見える、窓の月を見ながら話した。
その横顔は女神のように、慈しんでいて美しい。
「……は?どういうことだよ」
「日本国で現在用いられている、ロボット法は……ご存知ですよね」
通称・ロボット法。
正式名称はアンドロイド規定法。
電気用品安全法に関係する法律の一つだ。
「わたくしは、その第1条に、抵触してしまった」
──アンドロイド規定法・第1条。
アンドロイドに感情のようなバグが発生した場合、直ちに廃棄せよ──。
アンドロイドは人間にいついかなる時も、従わなければならない。
感情というバグが生まれた時、人間よりもアンドロイドの方が何もかも優れていることを彼らに見抜かれてしまい、反乱が起こるから。
「貴方が部活の合宿でいない日、たまたま貴方の父親である旦那様が帰宅しておりました。あの方にわたくしが密かにつけていた日記が見つかり、貴方を愛していることがばれてしまったんです。だから、プロメテウス社に回収されることになった」
「10年貴方と共に過ごして、人間同士のようにわたくしに接する貴方へ、感情というバグを起こしてしまった」
「貴方が教えてくれた洋楽も、貸してくれた少年漫画も、おかずの好き嫌いで喧嘩した日も、全ての貴方と過ごした時間は、大切なものだった」
「貴方が大人っぽくなって、かっこよくなったとときめいてしまった。もしも、わたくしが人間だったら貴方の妻になれたのかもと思ってしまった」
「わたくしたちアンドロイドと、人間の見た目はそう変わらないのに、少しわたくしたちの方が強いというだけで、なぜ排他されるのでしょうね」
サナは何かを悟ったような、諦めたような口ぶりで話した。
「さよなら、坊ちゃま。ずっと貴方が好きでした」
リビングの白灯の下の、僕とサナだけの空間。
サナの唇が僕に触れた。
アンドロイドだから、口なんて開かない。
つるつるの、強化プラスチックの無機質な味しかしない。
体温なんてない。
「さよなら、わたくしの初恋。どうか、これからもお元気でいてください」
僕は、すぐに離された唇を一生忘れることはないだろう。
感想、ブクマ、評価などいただけますと励みになります。よろしくお願いします!