Ⅰ. 物好きな君はスピカ
「あ…もう起きなきゃ」
午前7時を少し過ぎた頃。
私、柊美冬はスマホのアラームに叩き起されて目を覚ます。
休日はいつも9時より少し前に起きているが今日は高校の入学式。いつもより早く起きないと電車に乗り遅れてしまう。
慣れない手つきで着替えてからまだ寝ぼけた頭で階段を降りると、ちょうど父と鉢合わせてしまった。
「朝飯出来てるぞ」
朝一番に父の声を聞くことになるなんて最悪だ、と思いながらその言葉を無視してリビングに向かう。
「あれ、今日は早いね。入学式だっけ?」
部屋に入った瞬間、聞き慣れた柔らかい声が静寂を斬った。
私の兄にして唯一の理解者、柊夏樹。
「うん。優しい人がいればいいけど…」
「そうだね。僕も良い出会いを願ってる」
しかし妙だ。違和感に従って部屋を見回してみると、母がいなかった。
何でも昨日父と喧嘩して出ていったのだ。
「そういえばお母さんはまだ帰ってきてないの?」
「うん、そうみたい。おかげで料理もできない僕がご飯作る羽目になったし」
料理ができない、と自虐する割に食卓から良い匂いがしてくるのは気のせいだろうか。
そんな皮肉を飲み込んで私と兄は食卓に着く。
やはり兄が作る料理は予想通り美味しい。
考えてみれば中学の給食以降こんなに美味しい料理を食べたのはいつぶりだろう。
少しだけ泣きそうになるのを堪えて一つ、また一つと口に運んでいく。
朝食を食べ終わって歯を磨き、一度リビングに戻ると再び兄の声が空気を揺らす。
「そうだ、もし良かったら駅まで送ってくよ」
「じゃあお言葉に甘えて…お願いしようかな」
鞄を持って忘れ物を確認する。必要な物は全て揃っていた。
入学式の後に買う教科書の代金も用意してあった。
普段なら実の子供の事を全く気に掛けないのに今更親らしくしたところで私の心に響くものは無い。
兄に送られて到着した駅から電車に乗り込む。
田舎ではあるが通勤通学ラッシュで意外と混んでいた。
学校の最寄り駅で降りて地図アプリを頼りに歩き始めると、20分もかからず辿り着いた。
まるで寝ぼけているような3分咲き程度の桜を横目に校門を通り、案内に従って控え室に向かう。
案内された教室には断絶の気配が潜んでいた。
ここでもきっと私は嫌われる。要らない事をするせいで。
自業自得なのに、どうせまた被害者面で逃げるんだろう。
良くない考えを頭に乗せて教室を見渡す。
どこか死んだような空間の中に、一つだけ眩くも惹かれる輝きを放つ一等星が目につく。
話しかけたい。だけど拒絶されたら。
そんな事を考えていて、眼前の星が触れられる程接近している事にさえ気付けなかった。
「あの…」
「!?」
「ごめん、考え事?」
やはり近くで見ると眩しい。
「いえ、こちらこそ無視したみたいになってすいません…!」
「わたし、筑紫小春。よろしくね。」
「えっと…柊美冬、です。よろしく、お願いします…」
緊張して少し挙動不審になる私を見て、小春と名乗る彼女は優しく笑ってみせた。
「あはは、緊張しなくても良いよ?今日からクラスメイトなんだし」
初対面なのにこんなに話せるなんて羨ましい。
もしかしてこの子なら、私のことを分かってくれるかな。
だけどそうやって調子に乗るから嫌われる。そのくらい知ってるけど、どうしてもその輝きに触れたいと思ってしまう。
「えっと…なら、タメでも大丈夫かな?」
「良いよ!もし良かったらわたしのことは小春って呼んで欲しいな」
「小春、で良いの…?じゃあ私は美冬ちゃんって呼んで」
「うん!改めてよろしく、美冬ちゃん!」
「こちらこそよろしく、小春」
小春の笑顔を見て、私は確信を持った。
きっと小春なら、私を理解してくれる。
小春は、私の心に色をくれる。
淡い期待を手の上で転がしながら、私は席に着いた。
◆◆◆
二週間ほど経ったある日。
無事入学式は終わり、小春以外にも友達ができた。
同じクラスの女子、松山馨。
小春を中心に馨とは話す機会が多かった。
しかし未だ不安は残る。
馨には同情できない闇があるような気がしてならない。
まだ断定はできないが、信じきれていない自分がいる。
もし彼女の闇が私に矛先を向けたら。
小春が傷つけられたら。
そう思う程に、私は小春を信頼していた。
帰ってきた母と父の喧嘩で起こされた事と嫌な予感でモヤモヤしながらも教室に入ると、いつも通り小春が挨拶してくれる。
「美冬ちゃん、おはよう!」
「おはよう、小春」
「あれ、なんか元気無いね。何かあった?言えそうなら話してみてよ」
「ちょっと嫌な事があっただけ。心配かけてごめんね、大した事じゃないから大丈夫だよ」
「そう?それなら良かったけど…」
ダメだな、私。信頼してるはずの小春に嘘をついた。
心臓が押し潰されるような辛さと申し訳なさが込み上げる。
「よっ、美冬!何しょげてんだよ」
強気な声の方に向き直ると、馨が立っていた。
「馨、おはよう。ちょっと嫌な事があっただけだから気にしないで」
次の瞬間、馨の口から信じ難い言葉が溢れた。
「そういえば小春に何かされてないか?」
「え…?されてないけど、どうして…?」
「あいつ、中学の時にアタシの陰口言ってたんだ。美冬も気をつけろよ」
「えっ、だけど…」
「じゃ、そういう事だから」
酷い。どうしてそんな事言うの?しかも私に。
それなら馨は人の事言えるの?
それに小春は陰口を言う程悪い人じゃない。
おかしいな。誰かに裏切られるのは慣れてるはずなのに、涙が私の視界を奪う。
泣いているのがバレないように、足早に教室を出るとちょうど戻ってきた小春と会ってしまった。
「あれ、美冬ちゃん?もしかして泣いてる?」
「ひっ…本当、本当にっ、大丈夫、だから…えぐっ、気に、しないでっ…」
「こんなに泣いてるのに気にしない方が無理だよ。ほら、おいで」
そう言うと小春は人の少ない所まで着いてきてくれた。
「ここなら人も居ないし落ち着くまで泣いても怒られないよ」
「ごめんっ、心配、ぐす、かけちゃって…うっ…」
「全然大丈夫だよ、泣けないと余計苦しくなっちゃうから」
どうしてだろう。もう誰かを信じるのはやめていたのに。
壊れた心が暖かくなって、抑えていた感情が溶けて溢れる。
もう二度と止まらないかも、と思いながら小春に心を委ねて泣き続けた。
◆◆◆
「良かったー、何とか間に合ったね」
「ごめん、私のせいでギリギリになっちゃった」
「全然良いよ!むしろ泣きたい時に泣かないとずっと泣けないままになっちゃうし」
やっぱり小春は優しいな。
全部は無理だろうけど私を受け入れてくれる。
一緒にいても苦しくないのはお兄ちゃん以外では初めてかも。
それに、何故か小春といると胸の奥が暖かくなる気がする。
この気持ち、何処かで感じたような気がする。
だけど、私の心がその記憶を思い出すことを拒絶する。
(まぁ、どうでもいいか)
そんな事を考えながら、私は起立の号令に合わせて腰を上げた。
◆◆◆
授業が終わり、皆が帰る準備を始めた頃。
「美冬ちゃん、お疲れ様!」
「お疲れ様。小春、今日はありがとう」
「大丈夫だよ!感謝されるような事してないし」
毎回思うが小春は人間として出来すぎている。
頭も良くて、コミュニケーション力もある。
それでいて性格も優しい。
私とはまるで大違いだ。
「そういえば美冬ちゃんは部活入る?」
「そういえばまだ決めてない…」
「わたしは天文部に入ろうかなって思ってるんだ。もし良かったら美冬ちゃんも一緒に入る?」
「天文部かぁ。自然は好きだし私も入ろうかな」
天文部に入れば小春と一緒にいられる時間が増える。
しかも相対的に家にいる時間は減る。
元から自然が好きな分私にはうってつけだ。
「そっか!じゃあ見学行こう!」
「お兄ちゃん達に連絡するからちょっと待ってて」
兄に部活の見学で帰りが遅くなることを伝えると「了解。気をつけてね」と返してくれた。
お父さんとお母さんにも伝えたが二人とも私の帰る時間はどうでも良さそうな反応だった。
少し傷ついたが今更どうでもいいと開き直って小春の元に向かう。
小春と同じ空の下で小春と同じ星を見る。
想像するだけで私の未来が少しだけ明るくなった気がした。
◆◆◆
私達は廊下に貼られた案内の紙を頼りに天文部が活動しているという屋上へ向かった。
「失礼します」
屋上に繋がるドアをノックし、挨拶と共に入ってみる。
「あ、もしかして見学?俺は穂坂秋哉。天文部の部長してるんだ。よろしく」
「あたし、清里瑠華。副部長なの。よろしくね」
部長の穂坂秋哉先輩と副部長の清里瑠華先輩に続いて次々と部員の先輩達が挨拶してくれる。
「筑紫小春です。よろしくお願いします」
「その、柊美冬です… よろしく、お願いします…!」
緊張で上手く声が出ない。
どうしよう。変な人だと思われてないかな。
「小春ちゃんと美冬ちゃんね。天文部に興味持ってくれて嬉しいわ」
「時間は遅くなるけど活動は結構緩いから気張らなくて大丈夫」
良かった。秋哉先輩も瑠華先輩も私達を歓迎してくれているようだ。
「天文部は天体観測がメインなんだ。とはいえ時間かかるから大分グダグダしてるけど」
冗談っぽく話す秋哉先輩につられて私達も笑ってしまった。
その後私達は秋哉先輩や瑠華先輩と一緒に雑談や天体観測に明け暮れた。
どうも。4度目ましての恋咲結愛です。
もう夏ですね。僕の地元では蝉のようななにかが騒ぎ始めました。
そのうち蝉と蛙がパーリナイすることでしょう。ミーンミーンゲロゲロ。
さて、今回ようやくずっと擦っていた百合小説の第一章が完成しました。
春の話を夏に上げるとはなさけない。
天文部の活動だけでなく語彙力も文章力もグダグダしている模様。
最初の時点でもう激重ですが第二章以降はこんなもんじゃありません。
美冬に降りかかる不幸の連鎖を想像するだけで言峰綺礼になれます。(愉悦)(歪んだ性癖)
喜べよ恋咲、貴様は愉悦の何たるかを理解したのだぞ。
諸事情によりまた暫く低浮上になりますが把握お願いします。元から僕は低浮上だろ。では。