千晶、急襲
嵐のようなスピードを見せる千晶は、いよいよトップグループへと追いついた。
彼女の前を走るのは、押しも押されぬ日本の頂点たち。
そんなライダー達を相手に、千晶の進撃はやまない。
最後方とは言え、先頭集団に追いついた千晶の走りは、正しく快進撃だと言える。
「はぁ……はぁ……はぁ……。……くっ!」
しかし当の千晶本人に、トップグループに追いついた喜色は浮かんでいなかった。それどころか呼吸は荒く、肉体的にも精神的にも余裕があるようには感じられなかったのだった。
(楽しむと言うのが……こんなに辛く……怖いものだなんて……!)
ここまでの行程で何度も考えていた事を、千晶は再度思い浮かべて焦燥し、恐怖していた。
楽しむと言う行為が、恐怖や焦りを生むと言うのもおかしな話であり、本来ならば同居するものでは無いかも知れない。もっともそれも、自身が楽しむなら……というお題目が付く。
先日、一ノ瀬千迅の病室で話をした際に聞いた、「楽しかった」と言う彼女の感想。そのままの言葉で理解したならば操縦が、レースが、その瞬間が楽しかったのだろうと推察できる。
だが、ライダーであればマシンを操縦するだけで、レースに参加するだけで、誰かと競い合うだけで、真剣勝負の舞台に身を置くだけで、大なり小なり「楽しい」と感じるだろう。だから千迅の話は、それだけでは参考にもならない。
(ここは、どうすれば楽しんでくれるのかしらっ!)
第1コーナー、第2コーナーを抜けてS字コーナー区間へ。ここで千晶は、前を行く間宮乃彩へと襲い掛かっていた。
(ここで仕掛けてくるのぉ⁉)
さすがにそれには、幼く見える容姿や言葉遣いに反して、達観した言動が特徴的な乃彩でさえも、思わず取り乱した思考を抱かざるを得なかった。
一般的にだが、前走者に追いついた際には、まずは前を走るライダーの挙動を観察し、隙を伺い、そこから抜きに掛かる動きを取るだろう。余程のスピード差があるなら迷いなく抜く事も考えられるが、千晶の前を走るのは全員が実力者で、これまでの走りでも彼女の上を行っていたのだから。
S字コーナーと言うのだから、左70Rから右70R、更に左コーナーと素早い切り返しとコース取りが必要となる。前を行く選手に隙が出来たならば話は変わるが、ここで仕掛けるには自分の得意とするコース取りを大きく外さなければならなくなる。普通に考えれば、そのようなリスクを負うような事はしないだろう。少なくとも、残り5周を残すこの段階では。
しかし千晶は、S字コーナー出口でアウト側にマシンを振ると、そのまま先に待ち構える右コーナー、通称「逆バンク」と呼ばれるコーナーで、一気にインを突きそのまま抜き去ったのだ。
『おおっとおぉっ! 本田選手の快進撃が止まらないいいぃっ! 逆バンクで、前を行く間宮選手を躱して4位に浮上おおぉっ!』
それを実況した場内アナウンスの絶叫を聞いて、モニターを見ていた観客も一斉に歓声を上げた。それはまるで怒号となり、観客スタンドを震わしているような熱狂だった。
観戦している客にしてみれば痛快な快進撃だろうが、関係者ともなれば必ずしも胸のすく思いだけとはいかない。快進撃と言えば聞こえは良いのだが、違う見方をすれば、それは千晶が相当の無理をしていると同義なのだ。
「先ほどの周も、本田部長はファステストラップを更新していますっ!」
「区間タイム計測中っ! この周も、ここまでで前周を上回っていますっ!」
明らかな異常事態に、ピットスタッフは蜂の巣を突いた様な騒ぎとなっていた。そこには、千晶のペースアップを好意的に見る者は誰一人としていない。
無論、千晶が順位を上げるのに嬉しくない者はいない。同じ戦場を転戦してきた、いわば同志であり戦友なのだ。千晶の活躍は、ひいては自分たちの高評価を意味するのだから、これに奮わない者は皆無だろう。
だからこそ分かる内情がある。現在千晶の使用しているマシンで、今のようなラップタイムを出したり大躍進を見せるなど、これまでの経緯からすればあり得ないのだ。
「落ち着いてっ! 冷静に千晶の観察を怠らぬようにして、異変があったらすぐに対応出来るようにっ! 帆乃夏の様子は?」
(千晶……。無理だけはしないでよ)
統括として、表面上は落ち着きリーダーシップを発揮する美里だが、内心は動揺を隠しきれないでいた。それでもそんな彼女の行動が功を奏して、ピット内の喧騒は若干の平静を見ていたのだった。
騒がしくなっているのは、何も翔紅学園のピットだけではない。千晶に追い抜かれたYRFのピット内は当然の事、後方に迫られたKMRのピットも騒然としていた。
「凛子には状況を伝えたか⁉」
「は……はいっ!」
「よし……! 後は、ライダーに任せるしかないな」
突然の急襲に、各チームの対応は後手に回っている。それも仕方のない話であり、千晶がペースアップしてからわずか2周での出来事なのだ。これでは、ライダーに何か作戦を指示する暇もない。
(あんなペースが最後まで保てるわけがない。いずれはペースも落ちるはず)
殆ど懇願のような思考しか浮かばずに、KMRチーム監督は歯噛みするしかなかったのだった。
恐るべきペースアップ。その煽りをもろに受けて、間宮乃彩は順位を1つ下げる結果となった。
(……な、なに⁉ 何なのよぉ⁉)
抜かれたとはいえ、それでレースが終わった訳では無い。隙あらば再び抜き返し、少しでも順位を上げようと努力するのがレースライダーというものだ。だから乃彩も千晶の後方について、彼女の走りを分析するように努めたのだが、彼女はその走りを目の当たりにして困惑する結果になった。
逆バンクを抜けて左100R、180Rを超えてデグナーカーブに。その間千晶は、おおよそ乃彩の想像を超える走りをして見せていた。とはいっても、理解し難い加速を見せていると言う訳では無い。納得出来ないのは、そのライン取りとコーナーワーク、そしてその旋回速度だった。
右にほぼ90°へと折れているデグナーカーブは、急激な減速を求められる。グリップ走行で丁寧に回り、先に控えているヘアピンカーブに備える必要があるのだが、ここで千晶は減速をせずに慣性ドリフトして見せたのだ。理論上は慣性ドリフトを行うのに、減速は最小限が望ましいだろう。速度があればあるほどに、前輪と後輪を同時に滑らせるテクニックには都合が良いからだ。しかしそれも、時と場所による。
減速を余儀なくされる低速コーナーで、あえてそうせずに慣性ドリフトを敢行すれば、うまい具合にドリフトが決まらず、結局はタイムロスに繋がる可能性がる。このコーナーだけに限らず、全てのコーナーには「適正」があるのは事実であり、あまり例外は適用されないのが現状だ。
(ここでドリフト……⁉ それで、ラインに乗せてる⁉)
だが千晶は慣性ドリフトを決めただけでなく、そのまま脱出ラインへと見事にマシンを乗せると、そのままスムーズに加速して見せたのだ。
減速が少なく無理をしていないのならば、加速が滑らかになるのは道理だ。もっともそれは、ライダーの永遠の課題でもあるのだが。
レースは1人で行うものでは無く、前を行くライダーは障害でしかない。その障害と接触しない為には、適度な加減速が求められる。場合によっては、ラインを変更する事さえ求められるだろう。
だが千晶に、そのような無理をしているようには感じられない。それどころか、先ほど見せた慣性ドリフトもその後の脱出ラインも、そして加速でさえ余りにもスムーズで、どこにもマシンに無理を強いている節が無かったのだ。
まるで一連の動きが定められた理想のように千晶は、マシンは加速して前を行く漆原凛子に襲い掛かろうとしていたのだった。
ただ只管に、「楽しむ」ことだけを考えて、心身を酷使続ける千晶。
そこには、この特殊なマシン「NFR250Ⅱ改」の特性と、千迅の特殊な思考が介在していた。
千晶はただ、それを体現するためだけに前へと走らせる。




