挑む事由
レースは終盤戦へと突入してゆき、事態が動き出してもおかしくないタイミングであった。
しかし本田千晶には動き出せない理由があり、先に仕掛けたのは追走する後続選手だった。
レースはいよいよ終盤戦に突入し、スタンドは先ほどよりも熱気に包まれている。誰がトップをとってもおかしくないデッドヒートが繰り広げられており、トップグループとセカンドグループとの差も僅かだ。現段階では、約8人の選手に勝利の栄冠を得る資格があると言ってよかった。
(はぁ……はぁ……)
本当ならば、ここからレースを動かす位置取りが求められる。
先頭を行く集団ならば、誰が飛び出し何処でラストスパートを掛けるのか、その為の駆け引きが顕著となる頃合いだろう。
第2集団以降は、これ以上引き離される訳にはいかない。早い段階で先頭に追い付かなければならないし、ラストスパートの為の〝脚〟も残しておく必要があり、逸る気持ちとの折り合いをつける作業に精神を削られるだろう。
無論、それ以降のライダーたちもジッとはしていられない。仮に勝利を得られない状況であっても、少しでも順位を上げるべく努力する必要があるのだ。
そしてそんな事は、セカンドグループの先頭を走る本田千晶にも重々理解できる話だった。実際彼女も、勝利の為に動き出さなければならない事は、誰に言われる必要もなく痛感していたのだから。……だが。
『おおっとおおぉぉっ! ここで、セカンドグループに動きがあったぞおおぉぉっ! ゼッケン13、入江選手だああぁぁっ!』
動きを見せたのは千晶ではなかった。彼女のすぐ後ろに控えていたSRC所属の第2ライダー入江綾子が第1コーナー手前で千晶を抜く素振りを見せたのだ。
(こんなところで、ウロウロしていられるもんですか! 早く前を……美沙を掴まえてやるんだから!)
焦りなのか、それとも英断か。綾子は今一つスピードに乗り切れていない千晶に見切りをつけ、第一集団を追随する動きを見せたのだった。
入江綾子は、チームメイトの岸本美沙よりも1年早くチーム入りしている。つまり、美沙の先輩と言うポジションだ。
チーム入りを果たした綾子は、そのままエースライダーの位置に収まった。無論、それまでエースだった選手を実力で押し退けての抜擢だった。
1年目の彼女の成績は、全日本GP総合13位。決して良かった訳では無いが、まだ新人であった事と、マシントラブルなどに悩まされる不運な1年を考えれば上出来だっただろう。
しかしそのポジションも、わずか1年で退く事になる。
翌年加入した美沙に、エースの座を明け渡したのだ。気の強い彼女は、当然無条件で受け入れるような事はしなかった。非公式ながら、美沙とレースにて勝負したのだ。
結果は……惨敗。
言い方は色々と変えられるだろうが、誰が見ても明らかに実力で負かされたのだった。
無論、綾子がそれでエースライダーの座を諦めた訳では無い。それほど諦めが良い性格ならば、ライダーなど向いてないと言えるだろう。そして彼女も、多分に漏れず負けず嫌いだった。
今季はエースの座を逃しても、来期は……いや、今の順位ではそれも難しいのだが、いずれはその座を奪い取ろうと考えていたのだった。
『入江選手ううぅっ! ここで一気にいいぃっ!』
(……え⁉)
『先行する本田選手おおぉっ、抜き去ったああぁっ!』
そして場内アナウンスが絶叫する通りに、綾子は前を行く千晶を、何ともあっさりと抜き去り第1コーナーへの進入を果たしたのだった。
その余りの呆気なさに、綾子は思わず拍子抜けして、更には疑問を覚えるほどであった。
本田千晶は未だ高校生なれど高い技術を持ち、この日本GPでも結果を出している。勝気な綾子ではあっても、千晶の実力の高さは認めるところだった。
そんな千晶が、綾子の攻勢を阻止するどころか、そんな素振りさえ見せずに抜かれるままだったのだ。綾子が不審に思うのも当然と言う話だろう。
そんな疑念を抱いたまま、綾子を先頭にした第二集団は次々と第1コーナーに突入していった。
一気に動きを見せ始めた第二集団を、各ライダーの所属するチーム、その担当者たちが注視している。レースにおいて、戦っているのは選手だけではないのだからこれは当然の話だろう。
だが、他のチームとは違った意味を持って目を向けている者がいた。それは、本田千晶が所属する翔紅学園のチーム、その監督役を務める菊池美里だった。
(千晶……。無理はしないでよ)
他チームとは異なる視線、それは……千晶を思い、心配する眼差しであった。
「……千晶と帆乃夏の様子はどう?」
不安を何とか押し隠し、美里は務めて冷静に各ライダーの状況を確認した。個人としては、親友でもある千晶の事が気になって仕方が無いのだが、チームを統括する立場を任されている限りは、彼女だけを気に掛けている場合ではないからだ。
「はい。本田先輩は第1コーナーで抜かれて6位に後退。帆乃夏は未だに9位と健闘中です」
問われたオペレーターは、努めて冷静な声音で返答した。それを聞いた美里は、特に何の指示を与える訳でもなく頷くだけだった。
新庄帆乃夏に関しては、本来ならばもっと発破を掛けたいところだった。彼女の実力をもってすれば、もっと上の順位で争っていてもおかしくないと美里は考えていたからだ。もっとも、そんな事をしても意味が無いとも理解している。だからこそ、彼女に関しては何の指示も与えずにいたのだ。
そして千晶に関しても、美里には何も言えない状況である事を解っているから、多くの言いたい事を飲み込んで言葉を発しなかったのだった。
「各ライダーの現状を確認しながら、何かあれば即座に対応するようにお願い」
だから彼女も、こんなありきたりで指示にもなっていない事を言うに留まったのだった。
(千晶……。まだ大丈夫なの?)
それでも、監督の役目を超えて千晶を心配してしまうのは、長年付き添った親友と言う間柄だからだろう。表情に出す事は出来なくとも、美里の心は千晶を憂う気持ちで占められていたのだった。
本田千晶の駆る〝NFR250Ⅱ〟は、新庄帆乃夏の乗るマシンとは大きく異なっている。その仕様は、新人戦にて一ノ瀬千迅の乗った〝NFR250Ⅱ改〟と同じものに換装されている。
千晶自身がコンセプトを立案し、本田技術工業のエンジニアが形にし組み上げたエンジンを搭載した、ある意味で異形のマシンだった。
そのじゃじゃ馬ぶりは、既に立証済みだ。……一ノ瀬千迅によって。
1レースを走り終えた千迅は、怪我の影響があったという事も然る事ながら、その消耗は常軌を逸していた。
そして千晶も何度か試乗を行ったが、テストコースを5周と走り切れずにリタイヤした経緯を持つ。それを踏まえれば、千晶がレースでこのマシンを使用する事は無謀とも考えられた。
それでも彼女がこのマシンを使用したのには、幾つかの理由があった。
その1つは無論、このレースに勝つ事だった。
メーカーより同じマシンを提供されたとしても、セッティングの際に使用されるパーツには大きな隔たりがある。またそれを行うメカニックの技術力、整備技術や設備にも雲泥の違いがあった。それを考えれば、ワークスチームにアマチュアチームが勝つことは不可能に近いとされる。
しかし千晶は、それを理由として負けを認めたくはなかった。だからこそ、多少の無理を押してでも、過激ながらも強力なマシンを作り上げたのだ。
出来上がったマシンは想像以上にピーキーであり、現状で扱いきれたのは千迅だけだった。天才と称される千晶でも、御し切れなかったのだ。
それでも今レースで千晶がこのマシンを選んだのは、偏に勝利を掴む為に他ならない。
普段は優等生であり大人しい印象のある千晶だが、やはり1人のライダーである事に変わりはないのだろう。
そして2つ目は、レーサーの可能性を知りたかったともいえる。
現状、WGPでトップを占めるのは、外国人レーサーが殆どである。日本の選手も参加しているのだが、残念ながらここ数年で年間3位以内に入り込んだ者はいない。
今年WGPに参加予定だった勲矢那美が期待されていたが、部類の強さを誇る彼女が参戦していても、はたして表彰台を得られたかどうかは不明だ。それほど、日本人には手の届かない高見だと言える。
そんな日本勢が世界を相手にするには、生中な覚悟や装備では太刀打ち出来ないと千晶は思い至ったのだった。それは、メーカーの技術力にだけ縋っていては意味がないとの結論でもあった。
そして3つ目……。
彼女にとっては、恐らくこれが一番の理由なのだろう。
(確か、楽しかった……だったわね)
訪れた病室で交わした千迅との会話を思い出して、千晶はヘルメットの下で苦し気に口角を持ち上げると、意を決して前方を睨みつけたのだった。
3つ目の理由。それを確認する為にも、千晶はマシンを前に進める。
速度を上げだした周囲を目に、千晶も覚悟を決めて前を凝視したのだった。




