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遥かなるチェッカーの先へ LAP2  作者: 綾部 響
7.混迷の新人戦
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病室の千迅

怒涛と波乱含みであったインターハイ及び新人戦は終了した。

そんな最中に、病院へと運び込まれた千迅と紅音、亜沙美は診察を受けていた。

 病院へと担ぎ込まれた千迅、紅音、亜沙美は、それぞれ診察される事になった。随伴した千晶は、別室で詳しい状況を説明している。

 千迅の状態は微妙で、元々大怪我をしていた左足は更に悪化しており、場合によっては再手術が必要になる状態だった。意識が無いがこれは気絶しているのと同じ症状であり、自然に目覚めるのを待つ事になっている。


「それにしても、千迅のあの速さはなんだったの?」


 全身に痣を作り左足首を捻挫した紅音は、治療を行ったが入院するまでもなく、亜沙美の方はかすり傷も負っていなかった。無論、2人とも既に治療を終えており、今は待合室で千迅の診療結果を待っている状況だ。

 そんな待ち時間に、亜沙美は今日のレースで抱いた疑問を口にしていた。これは、同席している紅音への質疑ではなく、どちらかと言えば独白に近い。亜沙美でも理解できない千迅の走行に、紅音が答えられる訳がないとどこかで思っていた節もある。


「そう……ね。多分だけど、あれは本能だけで走っていたのかも知れないわね」


 しかしそんな事を思いも依らない紅音は、律儀に考えて、自分でも信じられない内容を口にしていたのだった。千迅の走りは、理論で考えても裏付ける要素が無い。ただ単純に、異常に速くなったとしか言えないのだ。

 そんな千迅の走りに敢えて理由を付けるなら、考えて理詰めで走っていたのではなく、ただ本能の赴くままに駆けていたと言うより他は無かったのだった。


「……本能」


 ただ、1人で考えていても思考の迷路に囚われて結論を出せない事であっても、複数人で考えれば意外な意見や結論が齎される事もある。「三人寄れば文殊の知恵」とまではいかなくとも、様々な角度からの捉え方と言うのは、新しいアプローチを齎す時もある。今回の場合は、亜沙美にとっての意外な思考と言ってもいいだろうか。


「でも、意識もなく本能だけで走る。……そんな事が可能なのかしら?」


 確かに、亜沙美にとってはこれまでにない視点であるのは間違いないのだが、だからと言ってそれを信じる事が出来るかと言えばその限りではなかった。

 常人にとってみれば、この亜沙美の考えこそが普通だろうか。


「古くから、意識が無いのに好成績を収めたり、競技中の記憶がないのに勝利したと言う話を聞いた事があるわ。千迅の場合も、もしかすればそれに近い状況だった……のかも」


 説明をする紅音だが、最後の方は彼女にも自信が無かったのだろう、だんだんと尻すぼみに小声となっていた。


「それは私も聞いた事があるわ。だけど……あの時の千迅が〝そう〟だと言うのかしら?」


 比較的有名な紅音の例えは、亜沙美も幾度か耳にした事がある。それどころか、一般人でも知っている話だろう。

 だが、レース時の千迅の変容は、ただ意識が無い、本能で走っていると言うだけでは納得出来ない雰囲気があったのだった。

 鬼気迫る……と言う訳では無い。怒気や焦燥を纏った気勢ならば、亜沙美も過去のレース中で何度も感じた事がある。それは紅音も同様だろう。

 敢えて言葉にするならば渇望……ただ貪欲に突き進むだけだった千迅の走りには、レースや勝負に挑んでいる姿勢すら感じられなかったのだ。


「……分からないわ。それこそ、千迅本人に聞く以外に分かりようがないんだけど……」


「……ええ。問題は、その千迅本人でさえ分かっているのかって話よね……」


 そしてここにきて、2人は同じ結論に至り黙り込んでしまったのだった。

 紅音が思い、亜沙美が口にした通り、このことを千迅に問い詰めたところで、恐らくは明確な答えなど返ってこないだろう。聞くまでもない、想像するだけで結果は分かっているのだ。

 だからこそ2人は沈黙し、そこからは無言の時が流れて行ったのだった。





 千迅が目覚めたのは、その翌日の夕方だった。


「……痛いよう」


 さすがに目覚めていきなり元気……と言う訳にはいかなかった。何せ心身の限界までも酷使して、まる1日以上眠っていたのだ。それで元気な方がどうかしている。


「もうっ、千迅はっ! 心配ばかり掛けないでよねっ!」


 か細く弱音を吐く千迅に、目を潤ませて抗議しているのは篠山貴峰だった。短く無い付き合いの貴峰は、この場の誰よりも感情を昂らせ、弱り切っている千迅に文句をつけている。


「ほんとにねぇ。今回ばかりは、フォローのしようがないわ」


 それに追随するのは、やはり長い付き合いである井上沙苗だった。常に客観的な立ち位置の彼女にしては、千迅を攻撃する貴峰に便乗するのは珍しい。それだけ、今回は心配の度合いが違ったのだろう。


「よ……よかったよぉ」


「……ごめんねぇ」


 そして、涙まみれの米田裕子の顔を見て、流石の千迅も謝る以外になかったのだった。


「まぁ、いっつも無茶ばかりしてるからね、千迅は。今更驚かないけどね」


 そんな中で、怒りもせず泣きもしていないのは、幼馴染である獅童鈴だった。もっとも彼女の鼻の頭はやや赤みがかっており、瞼も腫れぼったいのを見れば、敢えて詮索する必要もないだろう。


「みんな……ありがとぉ」


 殆ど身動きできない千迅は、それだけを言うのにも随分と体力を必要としていた。だから、この場にいない紅音が気になったのだが、そこを追及する事は無かった……のだが。


「千迅。あんた、紅音と木村選手にお礼を言いなよね」


 その事について、貴峰は聞かれる前に話したのだった。これは千迅の心情を察してなのだろうか、それとも単なる偶然だったのか。


「ゴールしても減速しないあんたを助けたのは、紅音と木村選手だったのよ。もしもこの2人が助けてくれなかったら……」


 千迅の視線で続きを促された沙苗が、冷静に状況を説明するのだが、流石に最後までは言い切れなかった。


『もしも2人が助けてくれなかったら、減速せずに走り続けた千迅は第1コーナーで大クラッシュを起こし、場合によっては命が危なかった』


 こんな話を、目覚めたばかりの重病人に話せるわけもなく、沙苗が自重した形だ。


「……うん。……分かった」


 告げられなかった内容を察したのか、答える千迅はいつになく殊勝だった。もしかすると、怪我で弱っていて素直なだけかもしれないが。

 その後僅かな会話を交わして、千迅が疲れを見せたのをきっかけに、友人たちは病室を後にしたのだった。




 精密検査の結果、心身ともに激しく消耗しているが、千迅に深刻な異常は見つからなかった。問題の左足もひどい状態だったが、再手術の必要性がないと判断された。もっとも、完治には2か月以上を要し、リハビリも必要だと言う見解となったのだが。

 肉体も精神も疲労困憊……だったが、そこは若い千迅である。肉体の回復だけを見れば、数日後には食事も問題ないまでに回復していた。


「……何に囚われていたか……ですか?」


 そんな千迅の病室には、本田千晶が菊池美里を伴って訪れていた。名目上は見舞いなのだが、内容はやはり、レース時の千迅の心理状態の確認だった。


「……ええ。あなたはあの時、何を求めていたの? いえ、何に支配されていたのかしら?」


 レース時の千迅は、ライディングだけで見れば千晶の想像以上だった。極端なセッティングのマシンの、その性能を十二分に引き出し、その時点での完璧なコントロールをして見せたのだ。そのマシン開発にも携わっている千晶が興味を惹かない訳がない。


「……すみません。……覚えていません」


 しかし千迅から帰ってきた答えは、ある意味で想像通りだった。


「おいおい、全く覚えていないって事は無いだろう?」


 そんな千迅の返事に、美里は半信半疑で再び問いかけた。例え意識を無くして走り続けていたとしても、その直前までは何かしら考えていたはずだろうと思ったからだ。


「うぅん……。負けたくないとか、走るのを止めたくないとか……?」


 答えを急かされて、千迅は疑問形の返答をした。それほど、自分の考えていたことに自信が無かったのだ。

 そして口にしたのは、ライダーならば誰でも考えそうな、ある意味でありふれた答えでしかない。


「……そう」


 そして千晶は、やけにあっさりと納得して見せたのだった。

 彼女にしてみても、〝千迅から〟〝明確に〟〝言葉で〟答えを得られるとは考えていなかったのだろう。


 千迅はどちらかと言えば、閃きで走る部類のライダーだ。その事を、千晶は十分に理解している。だからこの質問は、一縷の望みを期待していただけのものだったのだ。

 これ以上話しても、千迅を疲れさせるだけだと察した千晶が席を立とうとした時だった。


「あ、でも……。めちゃくちゃ楽しいって思っていた……かな? 今は痛いだけですけど」


 タハハと笑いを付けて口にした千迅の台詞を聞いて、千晶はなぜか十分に納得のいく答えを聞いた気がした。


「……わかったわ。ゆっくり休んで、確りと静養なさい」


 美里には分からない何かを得たのか、立ち上がった千晶の顔には満足そうな笑みが湛えられていたのだった。


千迅の答えを聞いて、何かを得心した千晶。

彼女の湛える笑みは、納得を表すと共に、何かを決意した様なものだった。

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