アンガジェマン
対戦よろしくお願いします
天使の出現によって人類は、警察、軍隊、協会の3つに分裂した。
その軍隊───特別自衛組織「バリケード」の本部は、第5東京中央区画のど真ん中に存在している。
本来は軍事基地のはずであったが、天使に’’海の水’’を避ける性質があると判明した際に、大幅な改築を施した。
各フロアから海水が流れ施設を囲んでいるその様は、さながら、アクアリウムである……。
「遅い……」
現在の第5バリケード支部長、浅倉は呟く。
沈黙の支部長室。
「……」
壁掛けの時計を見る。
腕時計を見る。
通信機の時間を見る。
どれもがどれも、狂っていない。
つまり、自分の方がおかしいわけではない。
「綾瀬のヤツ……どこで油売ってやがんのさ……」
であるとするなら、
この綾瀬という女───本日付で軍に復帰する片桐綾瀬・元特務中佐が1時間の遅刻をしている、
……ということになる。
「舐めているな……正直言って、俺を舐めてる」
浅倉の額から汗が垂れる。
「まぁまぁ、綾瀬ちゃんといえば遅刻常習犯ですし……」
「いや、そうなんだけどねぇ、うーん」
部屋中央の長椅子に腰掛けているシスターの鹿目がなだめる。
鹿目はかつて綾瀬とチームを組んでおり、比較的親しい仲にあった。
彼女がいれば、3年ぶりの気まずさは解消されるだろうという魂胆での同席になる。
顔見知りという点で言えば浅倉もそうでもあるのだが……
「………」
あまりいい記憶がない。
思い返せば思い返すほど、片桐綾瀬は遅刻をする、ということに妙に納得してきてしまっていた。
「支部長、気長に待ちましょうよ。ほら、トランプとか、ありますよ」
「鹿目君ね……トランプしてる時に綾瀬が来たらどうするつもりさ?アイツのことだ」
「私も混ぜろよ!とか言う」
「バーカね。一生いじられるに決まっているよ」
「それはそれでって感じかな」
「気楽だな………しかし、最悪来ないなんてことは……ないよな」
浅倉は、一末の不安を吐露する。
事実、バリケードは綾瀬にはここ2年間に渡って幾度となく勧誘を続けていた。
そしてその殆どは無視されていたのだ。
しかし先月。
彼女の方から軍に戻りたいという要請があり、浅倉は二つ返事で了承した。
ここに来て彼女が折れた……というのは勝ち組の言い分だろう。
彼女にも、何か目的があるのだろうが……。
「それはないと思いますよ?」
シスター鹿目は、キッパリと言う。
「なんでさ」
「ほら綾瀬ちゃんって雑な人ですけど、約束は守りますから」
「こんなに遅刻してるのに?」
「こんなに遅刻しても、です」
鹿目には、確かな自信があるようだった。
かく言う浅倉も、何となくはそう思っていた。
「ふむ……ま、真剣衰弱かな」
「いいですね、真剣衰弱。私強いですよ」
そう言って鹿目が立ち上がったその時。
『緊急連絡です!!』
浅倉の手元にあった通信機が声をあげた。
2人に緊張が走る。
「何があった!」
『第5東京行きの列車に、天使が出現したようで……!』
「列車だと……よし、3番隊を出せ。近隣のホームも全て封鎖だ!全てだ!」
『いえ!あの……それが』
「なんだ」
『天使は、既に倒されているようなんです……』
「何……?」
浅倉は、立ったまま静止する鹿目と顔を見合わせる。
何か、嫌な予感がする。
「倒されただと?誰にだ?まさか警察か?部隊を出撃させた記憶はないぞ」
『あの……それが、通信部にアギトの使用許諾が届いておりまして、ですね…』
冷や汗が伝う。
恐る恐る、浅倉は問う。
「………それは、誰からだ」
『片桐綾瀬・元特務中佐、と───』
◇
太陽がちょうど真上に来た時間。
レーザービームの如き日差しが、列車に差し込む。
時期ということもあり、かなりの蒸し暑さだ。
何せ、車両に穴が空いているのだから……
警官・半田淳平は手庇を作り、その暑さに抗っていた。
「凄まじいな……」
「暑くなってきたねぇ、こりゃたまらん」
独り言だったのだが、聞かれていたらしい。
同じく手庇を作った軍人・綾瀬が車両の反対側から歩いてきた。
「一応、軍には通報しといたから。その内やってくると思うよ」
「あぁ……」
淳平は、あちー、と手でパタパタと仰ぐ綾瀬を見つめる。
『この女が、天使を殺したんだよな……』
改めて、その情景が脳裏を過ぎる。
自分からアギトを受け取った後、なんの躊躇いも無く、天井を崩落させ天使と対面。
そして、その後は……まさしく神業と言えよう。
淳平が乗客を車両の更に後ろへ誘導した隙に、
彼女はたったの3発で、天使を無力化していたのだ。
全人類が彼女だったら、天使なんて瞬く間に殲滅できただろう……そう思ってしまうほどであった。
結局、そのまま近隣のホームに停車し、一部を除いた乗客を全員下ろした。
淳平の部下はその誘導を担当し、一足先に帰投させた。
これが、一連の流れだ。
天使の死体処理や列車の移動などは全て軍が取り行う。
彼らが来るまでは、しばらくは暇だ。
「……何ジロジロ見てんの?スケベ刑事」
「一体どこからあんな力が出るのか不思議でね。……天使って、人の2倍くらいの筋力、あるんだろう?」
「そりゃ個体差よ。今回のは小さいし、やろうと思えば1発で殺せたかも。」
サラッと恐ろしいことを言いながら、綾瀬は天使の死体に目をやった。
頭がひしゃげ、弾痕が2つ。
そして、心臓に1つ、穴が開いている。
人と違うのは、天使の死体に蝿は近寄らない。
「まるで超人だな……。まさかお前、祝福者じゃないよな?」
「……サイテーね。私をあんな貴族もどきと一緒にするんだ?」
「悪い、ちょっとした比喩さ。君があの連中と違うのは、何かこう、肌で感じているよ」
「はは、どーも」
綾瀬が笑う。
淳平も、ふっと笑った。
警察と軍人、お互い敵対しているものの、彼らには不思議な感情が芽生えていた。
天使という第3の脅威がそうさせるのか、そう考えざるを得ない。
ブロロロロロ………
遠くに走行音を認める。
どうやら、軍の連中が到着したようであった。
「んじゃ、俺もそろそろ逃げるかな……」
「おう、気をつけろよ」
「……こんなこと言っても無駄なんだろうが」
「なによ?どした?」
「告げ口、するなよ」
「安心しろって!そこんとこはさ」
綾瀬は淳平の肩をポンポンと叩く。
「馴れ馴れしくするな。次会った時は、また敵同士だ。じゃあな」
まるでお決まりのような言葉を放ち、淳平は去ろうとする。
その時、綾瀬は思わず口を開いていた。
「なぁ、どうして私のことを信用したんだ?」
「……」
「軍人を見逃してくれる警察なんて、聞いた事ないぜ」
「お前が言ったんだろう、それが最善策だと」
淳平は、いかにもな答えを言う。
が、本心でないことは何となく感じられた。
「それだけじゃないだろ、きっと。お前からは感じられないんだよな、なんかこう、警察特有の傲慢さというか……」
綾瀬は、自分が感じた印象を必死に言語化する。
何故かと問われれば、それこそ言語抽出に時間を有する問題ではあるのだが、
彼女は直感で感じていた。
この男は、私の”崇高なる目的”において必要不可欠な存在だ、と。
「なぁあんたは、」
「俺がお前を見逃したのは、ひとえに、お前が警察の不祥事を抱え込んだ爆弾だからだ。」
「……そうか……」
「まぁ、それか───」
「───俺が、今の腐った警察に疑問を抱いているから、かもな……」
それはまるで自分に言い聞かすように、呟いた。
何せそれは己の組織への宣戦布告。
反逆罪に等しい発言。
しかし
「───」
それが、綾瀬の感じた直感を更に加速させた。
「これ以上は知らん。後者の方は、ことにな……」
「……いいね」
「あ……?」
「半田淳平、あんた最高だ。あんたみたいな存在を探してたぜ」
風が、吹く。
ブロロロロロ………
装甲車の音が大きくなる。
列車の窓の向こうには、既にその姿を認めていた。
しかし、故にこそ。
綾瀬は敵である淳平に手を差し伸べる。
「なぁ、淳平。お前──」
それは天使の囁きか、
或いは悪魔の……
「手を組もうぜ、あたしと」
対戦ありがとうございました