最終戦争論 著:石原莞爾
夏休みの読書感想文を提出します。
●最終戦争論 著:石原莞爾 中公文庫 定価:本体552円●
書店内をぐるぐると回り続けて、次の本を選びかねた末に、若干の興味が湧いたこの本を手に購入した。
石原莞爾は、第二次世界大戦を舞台としたフィクションで名前を見かける人物ではある。しかし、彼にどのような事績があり、どのような主張をしていたかをよく知らなかったためだ。
読む前の段階で石原莞爾に知っていることは、当時の日本帝国軍の有識者で、米国との開戦に反対のスタンスであったことと、第二次世界大戦の前後ぐらいには予備役になっていたこととぐらいである。
本書は、昭和十五年五月二十九日 京都義方会における公演速記に若干追補したものであるとのこと。また、Wikiで少し調べると、石原莞爾は、太平洋戦争開戦に対して反対の立場であった。このあたりのことが関係してフィクションでは、良識派っぽい立ち位置で登場しているのかもしれない。なお、巻末の本の紹介では、彼はナショナリストとリアリストの側面を持つ人物であったとして紹介されている。
以下の文章で点を打った後の文は、書籍の中で類似のことが言及されているものである。
冒頭に点を打ってない文は、私の考察や調査メモである。思ったことを思ったように書いただけである。私の考察には、誤りを含む可能性があるので、正しくは本著を購入して各自で調べて考察することをお勧めする。
【第一部 最終戦争論」
【第一章 戦争史観】
・鉄砲が発達してくると、射撃をしやすくするためと、味方の損害を減ずるために、隊形が横広で深さを減ずるようになった。
・長年養って商売化した兵隊は非常に高価。このため持久戦争の傾向が強くなってきた。
持久戦争とは、敵国との政治的駆け引きと小競り合いが混ざった状態の戦争を指すようだ。決戦戦争とは、政治的交渉をすることなく、互いの軍事力行使により勝敗を決する戦争のことのようだ。
・戦術の移り変わりは、おおまかに密集陣、騎士の個人的戦闘、横隊戦術、散兵戦術、要点に兵力を集め敵線突破
ナポレオンの戦争は、いまでいうなら創造的破壊とでもいうべきものだったようだ。従来の戦術同士で優劣を競ったのではなく、新規の戦術で旧来の戦術破ったことらしい。
それは要点に兵力を集中して、一点突破し瓦解した敵軍を追撃する戦術と記載されている。ちょっと文章ではよくわからんが、重点を形成したレウクトラの戦いと同じような戦術のように読める。しかし、兵力を集中したレウクトラの戦いは、紀元前371年だからずいぶんと昔からある戦術である。ナポレオンのおこなったアウステリッツの戦いを調べると、囮戦術により兵力を分断する作戦だったようで、石原の述べている内容と異なる。
囮戦術を用いた違う戦いがあり、そのことについて言っているのか、不明だ。内線作戦に言及していないところをみると、戦前の戦史研究内容と現代とでは少し違いがあるのかもしれない。ドイツ軍の戦術への言及が多いのは、日本帝国陸軍がドイツの戦術をモデルとしているためだろうか。また石原は、小モルトケのシュリーフェンプラン改悪伝説に言及している。
・第一次欧州大戦は緊張が四年半続いた。なぜ、持久戦争になったか。
このような記述からみると、持久戦争は国家総力戦の含む概念のようである。しかし、中世の持久戦争とはかなり毛色が異なるので、同じ持久戦争という言葉で一括りにすべき概念でもない気がする。
・数線陣地の思想から面識の縦深防御の新方式がでてきた。
このあたりは、第一次世界大戦の塹壕戦に対する言及の様である。用兵思想の基本的なところを予備知識として知っていないと、聴衆はなんのことやら理解できなかったのではないか?京都義方会というのは、軍学校の関係者の集まり?調べてみると義方会というのは武道団体かつ思想団体だったとのこと。ある程度、用兵思想に通じた聴衆だったのかもしれない。
・各兵の自由意思を抑えて盲従をさせるものとは根本において相違し、各部隊、各兵の自主的積極的、独断的活動を可能にするために明確な目標を設定し。
このあたりは、大モルトケの委任戦術への言及のようだ。
・第二次欧州大戦の初期にも誰もが持久戦争になるだろうかと考えていましたが、最近はドイツ軍の大成功により大きな疑問も生じてまいりました。
この言及からすると、ズデーデン、チェコ、オーストリアを併合し、ポーランド西部へ電撃的に侵攻(1939年)した後の話のようだ。昭和十五年(1940年)五月二十九日の公演ということなので、ドイツがオランダを降伏させた直後ぐらいだ。
その後、九月二十九日の日独伊三国同盟が調印されているので、それこそ日本でバスに乗り遅れるなと大騒ぎがあったころだろう。
これを大成功と見ているのは、真珠湾攻撃による早期講話論につながる雰囲気を感じる記述である。すなわち、ドイツの短期決戦の戦果を横目でみて、資源量の差で対米戦争が持久戦争になったら勝てない点を慮外におく誘惑を感じていたのが、当時の日本の世相だったのかもしれないと感じた。
・(ドイツの周辺国への侵攻を指して)フランスへの見事な決戦戦争を遂行したのであります。しからば、果たしてこれが今日の戦争の本質であるかと申せば、私は、あえて否と答えます。
つまり、この時代の戦争は持久戦争になるものだと答えている。
・今次の戦争は全くの互角の勝負ではなく、連合側の物心両面の甚だしい劣勢が必然的にこの結果を招いたのであります。そもそも持久戦争は大体互角の戦争力を有する相手の間に於いてのみ行われるものです。
・十分の戦備と決心を以て戦う敵線の突破は今日も依然として至難で、戦争持久に陥る公算が多く、まだ持久戦争の時代であると観察されます。
決戦戦争とは、軍事力の行使のみによる短期決戦を指して語られている。1940年5月の時点の日本世論では、ドイツがこのまま押し切ると考えられていたようである。このあたりを読むと、継続中のロシア・ウクライナ間の戦争を連想する。
今の状況をみると、未だに持久戦争の時代は続いているようである。
いや、クウェート侵攻や湾岸戦争を見ると、決戦戦争の時代に移り変わっている?
ロシア・ウクライナ間の戦争が特殊なのか。
核兵器を用いれば決戦戦争となるのだが、あまりに威力が大きいため、双方の絶滅のトリガーとなりかねないため使えないというのが、現在の世界のコンセンサスであるのだろう。このコンセンサスが崩れたのが、伊藤計劃の虐殺器官の舞台だったか。核兵器が使える兵器であると気づいてしまった世界というのが設定だったと思う。SFは時代を先取りすることがあるとはいえ、虐殺器官の世界で生きるのはご勘弁願いたいものだ。
開戦当初のロシアは、短期決戦を企図したようであるが、持久戦争となっており、総力戦体制の様相を呈してきている。ロシア側にしてみると、短期に首都陥落をできなかった点と、ウクライナ世論を読み誤った点に失敗の原因があるのだろう。
一方でウクライナ側にしてみると、持久戦争に持ち込めたことは今のところ成功である。なにをもって成功と判断するかは難しいところだが。
仮に自由や国家の存続よりも、死者数が少ないほうが良いという観点でみると、ウクライナの方針が成功だったかはまた違った話になるのだろうが、何を基準に成功を判断するかは外野がいうべきことではないだろう。
たしか、プーチンに上がっていた情報は、プーチンが好む情報のみだったとのこと。失敗原因は、旧日本帝国軍と同様で、見たいものだけ見て開戦したことだ。
ここで、もう一つ考えるのは、中国がこの戦争から何を学ぶかだ。中国は、おそらく台湾侵攻計画を策定していると思う。
当然、中国短期決戦を考えてくるのであろう。この点、十分な対策が必要だが、日米韓ともに時刻の国内問題で手一杯のように見えてはなはだ心配である。
【第二章 最終戦争】
・戦争発達の極限が戦争を不可能にする。
・兵器の発達が世の中を泰平にしているのです。この次の、すごい決戦戦争で、人類はもうとても戦争をやることはできないということになる。
・そこで初めて世界の人類が長くあこがれていた本当の平和に到着するのであります。
・要するに世界の一地方を根拠とする武力が、世界の至るところに対し迅速にその威力を発揮し、抵抗するものを屈服しうるようになれば、世界は自然に統一することとなります。
このあたりの話は、核兵器とアメリカ合衆国によるパックスアメリカーナを連想するな。現在は、パックスアメリカーナの黄昏とでもいうべき時期であるが。
・一番遠い太平洋を挟んで空軍による決戦の行われる時が、人類最後の一大決勝戦のときであります。
・飛行機は無着陸で世界をぐるぐる廻る。例えば今日戦争になって次の朝、夜が明けてみると敵国の首府や主要都市は徹底的に破壊されている。その代わり大阪も、東京も、北京も、上海も廃墟になっておりましょう。そのぐらいの破壊力のものであろうと思います。
現代からみると大陸間弾道弾の描写としか思えない。しかし、この公演は昭和15年(1940年)、アインシュタインの米国大統領への核兵器開発を促す信書がだされたのが1939年、マンハッタン計画開始が1942年。ドイツで核分裂反応を確認したのが1938年1月、兵器化の議論が行われて1939年9月末に実験開始。日本の帝国陸軍では1940年4月に核兵器の実現性の調査命令が下りたばかり。
ICBMももう一つの構成要素であるロケットについてであるが、ドイツのV2ロケット開発中で1942年3月時点でも、兵器として使える状態にはなかったようだ。
公演の時点では海のものとも山のものとも知れない、見る人によっては絵空事のように見える話しかなかったということになる。このあたりからみると、爆薬開発による威力の増大や、航空機の進歩といった1940年の従来技術の延長線上にICBMのようなものを連想したということか。
ほぼ未来を言い当てている点からして石原莞爾は興味深い人物であったようだ。
【第三章 世界の統一】
・トルコ駐在のドイツ大使が新聞記者にドイツの戦争目的如何という質問を受けた。ナチでないのでありますから、比較的慎重な態度を採らねばならぬ大使が、言下に「ドイツが勝ったならばヨーロッパ連盟を作るのだ」と申しました。ナチスの世界観である「運命共同体」を指導原理とするヨーロッパ連盟を作るのが、ヒットラーの理想であるだろうと思います。フランスの屈伏後に於けるドイツの態度からみてもこのことは間違いない信ぜられます。第一次欧州大戦が終わりましてからオーストリアのクーデンホーフが汎ヨーロッパということを唱導しまして、フランスのブリアン、ドイツのストレーゼマンという政治家も、その実現に熱意を見せたものでありますが、とうとうそこまでいかないでウヤムヤになったのです。
どうみてもEUの話のように見える。それがナチスが描いた理想と重なってくるとなると、穏やかではない。フランスやオーストリアの政治家も熱意を示した点をみると、ナチスに限らず欧州の政治家にはそのような理想があったということだろうか?おそらく、問題となったのは、それを作るのは良いとして、どの国が主導権をとるかという点だったのではないか。
現在のEUをみると、どうみてもドイツの大勝利である。
エマニュエル・トッド著の「ドイツ帝国が世界を破滅させる」を思い出した。前に読んだときは、ピンとこなかったが、こうした歴史的経緯の予備知識をもってみれば、なにか違った見え方をしてくるのだろうか。あの本はどこへ置いたかな。
・今日から二十数年、まあ三十年内外で次の決勝戦争、即ち最終戦争の時期に入るだろう
石原氏は、1970年ごろに大きな戦争が起きるという予測をしてたようだが大きく外れている。日本が、この公演から1年半後には真珠湾攻撃に踏み切ることなど、全く予想の埒外においているような講演内容である。
この公演時が五月二十九日に行われた。遡ること五月十日にドイツ軍はオランダ、ベルギー、ルクセンブルクに開始し、公演日までにオランダ、ベルギーを降伏させている。すでに第二次世界大戦が始まっていたのだが、この公演の様子を聞くと、それ以上に大きな戦争にはならないと捉えていたのかもしれない。
史実では公演の約二週間後の六月十四日には、ドイツ軍がパリに入場した。
当時の日本では、第二次欧州戦争の行方をどのように予想していたのかが、気になるところだ。
振り返って現代の日本で考えると、ロシア・ウクライナ戦争の行方を予想するのと同じような話かもしれない。私には、あの戦争がどこにいつ行きつくのか全く予測ができないし、あの状況の影響をうけて世界のほか地域でこれからどのような出来事が起きるのかわからない。
今日から70年後ぐらいの後世の人が振り返って、の当然の成り行きのように感じる出来事であっても、今を生きる私にはまったく見通せない話なのだ。
1940年当時の新聞、雑誌を入手して、その判断材料だけから半年後に起きることを予測しうるかを試してみるのは、未来を予測する訓練として面白いかもしれない。
・もう一つ大英帝国というブロックが現実にはあるのであります。…しかし、私はこれは問題にならないとみております。あれは十九世紀に終わったのです。強大な実力を有する国家がヨーロッパしかない時代に、…、さらにヨーロッパの強国同士を絶えず喧嘩させて、自分の安全性を高めて世界を支配していたのです。…一世紀の間、世界の覇者になっていた英国は、最後にドイツ民族との決勝戦を迎えたのであります。英国は第一次欧州戦争の勝利により、欧州国家の争覇戦に於ける全勝の明洋を獲得しました。しかしこの名誉を得たときが実は、おしまいであったのです。
いくつか興味深い点がある。戦前の段階ですでにイギリスについて以下のように評価されている点である。
イギリス覇権が19世紀で終わったと認識されている点。
イギリスがヨーロッパの国同士を争わせて漁夫の利をあげる腹黒国と見られている点。
第一次世界大戦がイギリス覇権の終点であるとみなされている点。
また、米国覇権はまだ成立しておらず、一勢力とみなされている点。
次のヨーロッパ地域における覇権国をドイツとみている点。
このあたりは、2022年における認識と同じで、当時からすでにそのように感じられていた点が興味深い。さらに、1940年の世界では、世間の認識として次の覇権国が明らかになっていなかった。今さらだが第二次世界大戦は覇権国争いであったのだなと感じた。
【第四章 昭和維新】
・私は第一次欧州大戦によって展開された自由主義から統制主義への革新、即ち昭和維新の急進展と見るのであります。
統制主義とはなんだろう。ネット検索ではでてこなかった。似た言葉で統制社会は、「政府が国民の動向を監視し、外部からの情報を遮断することで成り立つ社会」のことらしいが、どうも文脈からするとこうした意味とは違うようである。
全体主義のことだろうか?全体主義について調べると、「個人の権利や利益を国家全体の利害と一致するように統制を行う体制」とされているので、どうも全体主義と同義の言葉らしい。
本書では、統制主義への革新といっていることから、自由主義から全体主義への変化についてポジティブな変化と捉えていたようだ。
ところで、お近くの某国は統制社会で全体主義の語義に当てはまる国ではないか?これに帝国主義的傾向までついてきており、東西に極のうちの一極なのであるから、1940年代の再来みたいなご時世である。
後の方で、統制とは「自由」と「専制」とを総合発展したものだという解説がでてきた。なんのことやらである。
【第五章 仏教の予言】
・非科学的な予言へのわれわれのあこがれが宗教の大きな問題であります。しかし人間は科学的判断、つまり理性のみを以てしては満足安心できないものがあって、そこに予言や見通しに対する強いあこがれがあるのであります。今の日本国民は、この時局をどういうふうにして解決するか、見通しが欲しいのです。
現代でもこうしたことはいえるな。しかし、こうした予言は新興宗教につきものの話であって、ちょっとぐらい未来の話を言い当てたからといって、うっかり騙されないことが大切だろう。未来予想の話は、大好物なので油断なきよう気をつけねば。
この第五章は、さっぱりよくわからなかった。とりあえず、昔の偉い人がよくわからん未来予測をやって、後世の人がそれを苦心惨憺して年代のつじつま合わせをやって、ああなるこうなるという具合にやっているようだ。
で、100年ぐらい経ってみると、また別の人が、あいつの解釈が間違っていたのだといって、また昔の予言を引っ張り出してきてああなるこうなると辻褄あわせをやっているようだ。実に人間らしい。
【第六章 むすび】
どうも、大破局ののちに世界統一と安定の時代がくるという考えのようである。第三章ぐらいまでは、わりと面白い内容だったが、後の方は宗教じみた話で終わった印象だ。
【第二部 「最終戦争論」に関する質疑回答】
・また統制主義を人類文化の最高方式の如く思う人も少なくないようであるが、私はそれには賛成できない。
・決して長く永続するべきものではないと確信する。今日の世界の大勢は、各国をして、その最高能率を発揮して戦争に備えるために否が応でも、また安全性を犠牲にしてまでも統制主義にならざるを得ざらしめるのである。だから私は、統制主義は武道選手の決勝戦前の合宿のようなものだと思う。
当時の日本を全体主義国家と批判する話を聞くときに、市民は何の利点を感じて全体主義を支持したのかと不思議に思っていた。当時の不安定な世界情勢の中で安全確保のためにやむを得ないという認識であったのだと捉えると腑に落ちる。
おそらく、全体主義は一時的なものであって、世の中が安定すると自由主義に回帰するものという考えだったのだろう。そのように考えを進めていくと、自由主義というものを維持するには相応の国力が必要であり、国力が不足するほど周辺国から身を守るために全体主義へと傾いていかざるを得ないのかもしれない。
そもそも、社会的傾向がどのぐらいの閾値になったら全体主義といえるのかというのが難しい。新型コロナに伴う、マスクや外出自粛なども全体主義的であるといえる。だからといって、この2,3年のドイツやフランス、日本が、全体主義国家とはいえないだろう。
・困難ではあるが、われらは必ず二十年以内に米州を凌駕する戦争力を養いえるだろう。
この文からすると、当時の陸軍内でもアメリカが日本を上回る軍事力をもっているという認識であったようだ。さらに、日本がアメリカの軍事力を上回るのに精神論を加味して二十年と語っているということは、相当の差があるという認識だったのではないか。
・ここで注意すべきことは、持久戦争時代の勝敗を決するものは主として量の問題であるが、決戦戦争時代には主として質が問題となることである。しかし我らが断然新しい決戦兵器を創作し得たならば、今日までの立ち遅れを一挙に回復することも敢えて難事ではない。
量では勝てないので、質で上回る。その質によって短期決戦に持ち込み、量の違いを無効化しようという考えのようだ。そして、当時の日本は、そのような短期決戦に持ち込める決戦兵器を所有していない。
当然、量が重要な要素となる持久戦争になるのであり、しかも上記の二十年という文言からすると、アメリカに対して二十年程度の遅れがあると考えていたことになる。
すると太平洋戦争開戦などしたら、当然負けると予想するべきと思うが、開戦して敗北している。
【読後感】
戦前の日本人の世界情勢に対する認識を知ることができて面白かった。
決戦戦争などは、短期決戦でなくては勝てないので、短期決戦になるストーリーを考えたという話であり、見たいものだけを見るような危うさを感じた。また、将来の世界や技術の見通しという点では、ある程度正しい部分があった。
一方で、日蓮聖人がどうのとか、釈尊がどうのとか言う話は、さっぱり興味が持てず、目が滑って仕方がなかった。