ヒトラーと第三帝国 編者:歴史群像編集部
夏休みの読書感想文を提出します。
●ヒトラーと第三帝国 オールカラー決定版 編者:歴史群像編集部 Gakken 定価:本体\560●
半年ほど前に古本で購入した。
表紙にかかれた文言は、「なぜ国民はこの男を選んでしまったのか!?」。
たしかに気になる。なぜ、あのようなちょび髭のおかしな男を選んだのか?
当時は、そうは思われていなかったからではあろうが。
もう一つ気になるのが、ドイツ国民は周辺国への侵攻初期にどのように感じていたかである。
第二次世界大戦について、日本ではヒトラーとナチス一党だけに帰すべき責任であるかのように報じられることが多い。
本当に当時のドイツ国民は、ヒトラーに騙されただけなのか、それとも初期は積極的に支持していたにもかかわらず、敗戦となった後に態度を翻しただけなのか?
そのあたりのことを知りたくて、購入した本である。
【ナチ党の誕生】
・ヒトラーはWW1後にドイツ労働党の調査を担当する諜報員であった。しかし、党首の誘いを受けて入党し、弁舌の才により実質的指導者である第一議長にまで出世した。また、労働党は「国家社会主義労働党」と改称。突撃隊を擁しており、敵対政党を暴力的にたたく組織であった。
【ミュンヘン一揆】
・フランス軍が、ドイツ政府の賠償金支払い遅延を理由としてルール工業地帯を占領したことに端を発する騒動。ドイツはフランスに対して労働者のサボタージュで抵抗したが、インフレ激化を招き、国民不満の増大や右翼団体の暴発を招くことになった。
WW1の敗戦で莫大な賠償金を課されたことが、WW2の一因であったことは知っていたが、その一環か。国民の不満がどんどんたまっていく過程があったわけだが、莫大な賠償金で身動きできないドイツ政府にとれる選択肢は多くなく、しかも取りうる対抗策であるサボタージュは副作用をともなうものであったということか。
【我が闘争】
・書かれている内容は民族主義、反ユダヤ主義、プロパガンダの効果と方法、ロシア批判と東方からの征服など。1000万部越え。
つまり、上記の内容について関心をもち共感する人々が多かったということ。
当時のドイツ国内に身を置いたといえるだけの当時の環境について仔細に知らねば、本当にところはなかなかわからないのやもしれぬ。
例え、後世の人々が我らの熱狂を奇異に思えども、我らにはそうすべきであった相応の理由あり、といったところか。
【ナチ党、第一党へ】
・ナチスは、政府の失策批判、反共主義、反ユダヤ主義、他政党の批判を繰り返した。
・ナチ党の選挙ポスターに書かれた文字
Wir bauen auf! 構築中です!
flrbeit 仕事
freicheit 自由
Brot パン
左派的な主張をして党勢を伸ばして第一党まで躍進したのか。ドイツ国会選挙の党別議席推移をみると1933年では上から順にナチス(国家社会主義)、ドイツ社会民主党、共産党、ドイツ国家人民党となっている。上位を社会主義や共産主義が席巻している印象だ。
私の中では、社会主義と共産主義について、そこまで大きな違いがないと捉えているが、ナチスが共産主義を強く批判しているところをみると大きな違いがあるのか?
それとも、ソ連への敵対意識が反共主義につながっているのか。
いずれにしろ、ドイツ国民は選挙という正しい手続きの中でナチスを支持して、ナチス政権を誕生させたということになる。
つまり、ヒトラーの東方征服や反ユダヤ主義という主張を知ったうえで支持したということか。
敗戦したからといって、騙されたというのはちょっとおかしいな。
航路を明示されたうえで同意して乗った船が、実は泥船でしたということであって、航路そのものには同意しているのではないか?
【党大会】
・写真 1927年 ニュルンベルク第3回党大会
ヒトラーがオープンカーの上に立ち、その車の周囲を取り巻く党幹部らしき人物たち。全員がナチス式敬礼をしている。さらに近くにはナチス式敬礼をしつつ行進する党員たち。全員が茶色のナチ党のせいふくであろうか、そろいのコスチュームをしている。それを周囲のビルディングの窓から鈴なりになって見物する人たちや行進する党員たちに手を振る人々。
おそらく当時のドイツの人々は、このような写真をみて、ナチ党が、WW1で屈辱的かつ困窮した状況を払拭してくれる力強い存在と感じて胸の高まりを感じたのであろう。
【独裁体制の確立】
・1933年に国家社会主義労働党と野党第四党 ドイツ国家人民党との連立内閣を組閣。当初は憲法と基本的人権の順守、平和外交を宣言。その後、野党第二党 共産党への弾圧を開始。全権委任法を成立させて独裁体制が固められた。
当初は、憲法、人権、平和外交を宣言し、のち独裁に変わっていくところなどはプーチンを彷彿とさせるな。
独裁に移り変わっていく過程は、やはり「我に正義あり」と思うが故、いまで言う「正義病」みたいな話であろうか。
我に正義があるが故に、いかなる超法規的行為も許容され、その崇高たる目的はあらゆる手段を肯定するといった。
【長いナイフの夜】
・1934年 制御がきかなくなった突撃隊幹部を中心に100名以上を粛清。勢力の拡大につれて党の指導に従わないことが多くなっており、それを憂慮したヒトラーが粛清をおこなった。
極左の内ゲバみたいなものだろうか。我に絶対の正義があるが故にささいな差も許容できないと言った類の。
いや、もう少し違うか。
協力して外敵を打倒して政権樹立した次は、内部の主導権争いに移行したのと同様であろうか。
現在放送中の鎌倉の13人みたいな話。
ちょっと、習近平と人民解放軍との関係を思い起こさせる部分もあるな。
中国の場合は今のところうまく制御できているようであるが。
【ドイツの再軍備】
・1935年 WW1の敗戦時の講和条約(ヴェルサイユ条約)を破棄し、軍備制限を解消。軍事費は拡大一方になり、徴兵制がしかれた。
陸海空の三軍の軍事予算は、1934年から1939年の間に約4倍に拡大している。
ヴェルサイユ条約について少し調べてみたが、賠償金額の大きさは想像以上だ。200億マルク以上の支払い能力がないところに、1320億金マルクとは。億金マルクの意味がよくわからんが、支払い能力の6倍以上であり、その結果、1兆倍のハイパーインフレーションが生じている。
経済政策の失敗ではなく、敗戦によるものなのだ。
このような経緯をみると、ドイツ国民が軍事費の拡大を許容した理由は理解できる。
敗戦による賠償金のコストに比べて、軍事費のほうが圧倒的に安い。
【周辺諸国の併合】
・戦争をちらつかせた恫喝外交で領土を拡大していった。ラインラント進駐、ズデーデン、オーストリア、チェコ併合。
1939年のドイツの快進撃。このあたりが日本世論が「バスに乗り遅れるな」と大騒ぎしたころだろうか。
ちょっと調べると「バスに乗り遅れるな」は、朝日新聞が初出とのこと。
戦前からろくでもない連中であるな。
国家を誤らせることにかけては、昨今の問題が初犯ではなく、前科持ちである。まぁ、昔から知っていたが。
バスに乗り遅れるなは、1940年ごろの話らしい。1938年から1939年のドイツ快進撃をみて半年から1年後ぐらいにメディアが煽りネタにつかったらしい。
さぞかし、新聞が売れたことであろう。
日独伊の三国同盟締結をメディアがしきりに主張したようだ。
期間を区切ることで冷静な判断能力を奪おうとする、期間限定詐欺みたいな話だ。
【ポーランド侵攻】
・ソ連との密約による侵攻作戦が世界大戦の扉を開いた
1939年のことである。ポーランドと相互援助条約を結んでいた英仏はドイツへ宣戦布告し、WW2の幕が切って落とされた。
当時のポーランドが、今のウクライナと重なってくるな。
ヒトラーにとっては、WW1でポーランド領となった旧ドイツ領の回復が積年の望みであったとのこと。
この点は、ロシアからみたウクライナや、中国からみた台湾も類似のものを感じる。歴史のアナロジーか。
縄張りに対する狂おしいまでの執着?
旧ドイツ領の回復という背景があるなら、ドイツの人々はポーランド侵攻に対して提灯行列をしたのではないか?
ポーランド侵攻当日のドイツの新聞にはどのように書かれていたのであろう?
さぞかし、勇ましい文言が紙面を飾ったのではないか。
さて、ウクライナとポーランドの違いは、相互援助条約がないことであり、現代は西欧諸国がいきなりロシアに対して宣戦布告していないところだ。
また、独ソの密約とは、独ソ不可侵条約とのこと。
はてさて、この条約は独ソのいずれが破棄してスターリングラードの戦いなどに進展していったのだろう。読み進めてみよう。
確か日ソ不可侵条約もあったな。
WW2末期に一方的に破棄されて北方領土まで取られてしまったが。
【西方電撃戦】
・ポーランド西半分を占領後に、ノルウェー、デンマークへ侵攻、ついでフランス北部を占領し、フランスは降伏した。休戦協定調印にはWW1のドイツ敗戦時の舞台である古い列車車両が用いられた。ついで英本土進攻を企てたが甚大な被害を被りとん挫した。
1940年の出来事。
WW1の戦勝国への復讐的な側面があるな。
無理難題の賠償金により、1兆倍のハイパーインフレを経験させられたら復讐したくなる気持ちは理解できる。
出口戦略を予め定めて、勝っているうちに手じまいすればよかったのであろうが、世界全てを占領しようと暴走している感があるな。
【ナチス支配下のヨーロッパ】
・ドイツの最大版図はイギリス、スペイン、ソ連を除いた欧州大陸大半を占めている。
ここまで版図を広げた後に、よく巻き返されたなと思うが、おそらく版図とはいいつつも統治がいきわたらずにスカスカの状態であったのではないか?米国の参戦はいつからであろうか。
【独ソ戦勃発】
・1941年にソ連への侵攻開始。バルバロッサ作戦。
この年の12月8日に日本は真珠湾攻撃をしている。つまりドイツ快進撃の攻勢限界のぎりぎり手前で、地獄行きのバスに乗り遅れることなく飛び乗ったわけだ。
また、1941年12月にドイツがアメリカへ宣戦布告している。
【連合軍の反攻】
・1943年スターリングラードでドイツ軍降伏。さかのぼる1942年11月にも北アフリカ軍団が撤退。1944年のノルマンディー上陸で東西から挟み撃ちにあったドイツの終焉が見えてくる状況にいたった。
ふーむ、自軍の攻勢限界を把握して、十分な余裕をもって手じまいにする出口戦略をたてて、それに従って行動していれば世界の歴史は変わったのであろうが、それも下司の後思案というべきものだろう。
西ポーランドを占領した当たりで、いったん手じまいにして統治地域として確立して補給元として機能をさせてから、改めてフランス等へ侵攻すれば違った未来があったのであろうが、渦中の人々にはそのようなことは見通せなかったということか。
【第三帝国の終焉】
・ドレスデン爆撃により廃墟になった市中には、まるで911の壁のように崩れ残ったビルディングの壁が林立している。
・1945年5月7日 ドイツ降伏
この時点にいたってはヒトラーの支持率はほぼなかったのではないか?
かつて熱狂的にヒトラーを支持した人々は、生き残りは口を拭い、死人は何ら語ることはなかったといった話だろう。
かくしてWW2は、ヒトラーという狂人を主犯とする国家社会主義党の凶行として記憶されることになったわけか。
【ホロコースト】
・ホロコースト関連地図によるとアウシュビッツに代表される絶滅収容所が8か所あったようだ。
・ユダヤ人の大量虐殺のみではなく、ドイツに不服従の人々や戦争捕虜が対象であった。
・ユダヤ人の死者は600万人
日本の場合は軍人約200万人、民間人50~100万人。人口における犠牲者数は4%前後で、約25人に一人程度が犠牲になったということになる。この点を踏まえるとユダヤ人の死者数は莫大である。参考までに2020年のイスラエル人口は921万人。
また、ドイツにおける死者数は、550~690万人で人口の8~10%程度。
凄まじい人数だ。これらの犠牲者のかなりの割合が、殺意をもった人により殺されたのだと考えると、これをなしうるのが人という動物であるか。いかん、気分が落ち込んできた。ホテルルワンダを思い出してしまった。
【ヒトラーとは何者か】
・ヒトラーの特徴
・決断までは逡巡し多くの時間を要する
・決断後はぶれることなく断固貫徹
・破壊と建設の両方に快感をおぼえる
・自分の関心事が最優先であり、関心のないことは例えそれが重大な案件であっても後回し
・自分の望むことを実現するには奮闘努力
・自分の理想実現のためには他人の犠牲に関心はない
・カリスマ性
・興味のない学科では落第を繰り返す
・占領軍(米軍)によるドイツ人の意識調査で、敗戦直後でも40%のヒトラー支持が残っていた。
この特徴からみると反社会性パーソナリティ障害にあてはまる態様が多い。
若干、別の要素も混じっている感じはあるが、平均値からは大きく外れた人物には違いない。
また、本文中では大衆を前にしたカリスマ的演説により熱狂的支持を獲得したものであって、芸能人の手法に近いとの言及がある。これは写真や肖像などを介した偶像崇拝とは異なる信仰獲得手段である。
サイコパスの特徴として極めて魅力的に見えて人を惹きつけるというものもあるので、そうした点からもサイコパス的といえるかもしれない。ただ、これは私の印象であって、専門家による診断がなければ確たるところは言えない話である。
【ナチスのロケット兵器】
・開発スタートは、1927年の宇宙旅行協会
・協会メンバー ヴェルナー・フォン・ブラウン 在籍
・V2ロケット 射程320キロ、時速マッハ4.7、1.25トンの弾頭搭載
WW1が、1914~1918年なので、終戦9年後に設立。
ドイツのハイパーインフレが1921~1923年。
グラフをみると、1922,7.1で2マルクから3マルクへ50%のインフレだが、それが1923年11月には10の8乗マルクというとてつもない数字になっている。
ふーむ、こうしてみると終戦後ただちにハイパーインフレに突入したわけではなく、4年ほどタイムラグがあったのか。
インフレ率50%時点で、例えばマルクを金や外国の株券にできれば資産フライトが可能だったのか。
あるいは、当時のドイツの状況で一般人にそのような動きをとれる経路はなかったのか。
世界大恐慌が1929年なので、2年まえということで、アメリカでは投機が大ブームになり、空前の活況を呈していたころのようだ。
フォン・ブラウンとオッペンハイマーを混同していた。
核兵器開発のリーダーではなかった。
マッハ4.7は、ものすごいな。いったいどうやって速度を計測したのか?
2地点間の距離と時間? 速度変化はざっくり考慮に入れた感じ?
【ナチスの原爆開発】
・ドイツにおける原爆開発はすべて計画どまりだった。主に資金不足。
・開発主担当のハイゼンベルクは、爆弾を航空機に積むだけの小型化は不可能と考えていた。
・それにもかかわらず、開発継続と資金確保のために、軍需相に可能性を問われて、2年以内に可能と回答した。
結構、適当な人もいるんだな。
なお、アメリカのマンハッタン計画承認が1942年10月、広島への原爆投下が1945年8月。約2年10か月で計画から実戦投入まで進んでいる。おそるべき開発スピードだ。
【東方生存圏】
・東ヨーロッパをドイツ存続に必要な生存圏として設定した。東ヨーロッパの占領地にドイツ農民を移植し、元の住民であるポーランド人やスラブ人を絶滅または辺境の地へ移住させる東部総合計画があった。
大東亜共栄圏のや八紘一宇ほうが、まだ建前じみており、多神教にある種々のものを包摂しようという宗教的な源流があるように感じる。
一方で、勝者は敗者を絶滅させることを考えることを前提とするのが、世界史からみた普通だろうか。
あるいは一神教によくある、味方か悪魔かという二元論的な感性からくるものか。
敗者の立場に立たされると、争う前はまさかそこまでしないであろうと思っていたことが、本当に行われるやもしれん。
たしかに、地球上に人間が快適に生きられる土地は限られている。
その土地から取れる食料等の資源は限られており、建前のしては分け合って仲良くであるが、実際は分け合っていると不足のため共倒れ。
かくして、生存をかけた争いになる。
ウクライナの人々が、ロシアに降伏しないのは、こうしたことを庶民が肌身に感じる歴史体験があってのことだろう。
日本の場合、アメリカという特殊な征服者であったが故に、敗戦や降伏に対して考え方が甘くなっているのかもしれない。
【ナチスの犯罪とドイツの戦後】
・ホロコーストは、国家によりユダヤ人の絶滅を目的として計画的に実行された。
なぜ、ヨーロッパ諸国がチベットをあれほど問題にするのか不思議におもっていた。
彼らは、自分の利益にならないことに冷淡だとおもっているからだ。
しかし、ナチスを絶対悪として設定するヨーロッパからみると、中国がチベットに対して行っている政策はホロコーストと同様に見えるということか。
日本における穢れと類似の捉え方をされているのだろうか。
このため、ある種の宗教のようなもので絶対譲れない線となっているかもしれない。
【欧州の反ユダヤ主義の源流と、ヒトラーが反ユダヤ主義となった背景】
・欧州の反ユダヤ主義の源流はキリスト教。
・ヒトラーに影響を与えたもの ① 社会風潮 ② エッカルト ③ ワーグナー
・ワーグナーは、論文で反ユダヤ観を表明
キリスト教については、敵対者を設定して、それに対して結束を呼び掛けるという感想をもった。
つまり敵対者が、あなたを搾取しているという内容だ。
それは、私の善悪判断基準では、正義に反する教義だ。
ヒトラーの反ユダヤ主義も類似のものだ。
人民の嫉妬対象となる敵対者を設定し、あなたが苦しんでいるのは敵対者があながた得るべきものを奪っているためだと、正義(嫉妬、憎悪)の怒りをかきたてたということか。
現代のヘイトスピーチに通じるものがある。
今後も扇動者は、このような言説を広めることで、自らの支持を得ていこうとするだろう。
そのような、愚かなことに巻き込まれないことが大切だ。
【ナチスのプロパガンダ】
・ナチスは既存政党の宣伝を嘘と断言し攻撃
・これにより不況にあえぐ労働者、農民の支持を取り付け、WW1敗戦で失われた民族意識を高めて支持を広げていった
・真実は立場により変わる。ナチスは自らの「正義」を訴え、大衆はそれを信じた。
・ヒトラーは、ヴェルサイユ条約は屈辱的であり、その責任はユダヤ人と共産主義者にあると叫んで支持を広げた。
今、世界に広がっているポピュリズムに通じるものがある。
【ナチス人物ファイル】
読んでいるうちに、オウム真理教の主要メンバーの経歴リストを読んでいるかのような印象をうけた。
ヒトラーの演説に魅入られて入党したという人物が多いのだ。
こうしたところから言うと、ナチスというのはカルト宗教的な側面があると言えるのかもしれない。
うーん、ヒトラーと麻原彰晃は、似ていると言えば似ているかもしれん。
ヒトラーのほうが、はるかに大物ではあるが。
【読後感】
ナチスをカルト宗教と捉えれば、狂騒に一定の理解をすることができる。
政治にありがちなグダグダした交渉や妥協、損得勘定というよりは、オウム真理教のごときカルト宗教のような突き抜けた感じをうけるのだ。
一方で、ナチスやヒトラーさえいなければ、ドイツの第二次世界大戦は生じなかったかというと、それはどうだろうか?
WW1の戦後賠償で生じたハイパーインフレによる国民の困窮、失った領土、傷ついた民族意識といったドイツを取り巻く背景は、ナチスの有無にかかわらず存在した。
WW1の戦勝国側は、譲歩する気もなかったので、ドイツ国内側からの解決は困難だった。
ナチスが存在しなくとも、いずれは上記の不満の受け皿となる類似の組織(ポピュリズム政党)が結成されて、戦争に至った可能性は高いのではないかと感じた。
つまり、大衆の願望の中にナチスを生み出し、かつそれを受け入れる素地があったのだ。
色々と考えさせられる本であった。