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いろいろ  作者: よむよむ
26/27

異邦人 著:カミュ

●異邦人 著:カミュ 訳:窪田啓作 レーベル:新潮文庫


 名著を読もうかと思い、衝動買いしてしまった本である。しばらく積読したが、ようやく読了した。


 まず、著者の略歴から説明しよう。

 

 著者のカミュは、1913年にフランスからの入植者の家系に生まれたアルジェリア人である。彼が1歳のときに第一次世界大戦が勃発し、父親はアルジェリア兵として招集され戦死している。しかし、彼は奨学金を受けるなどして勉学に励み、アルジェリア大学へ入学し文学士号を取得した。そして29歳(1940年)のときに本書「異邦人」を、34歳(1947年)のときに「ペスト」を刊行した。さらに彼が44歳(1957年)のときにノーベル文学賞を受賞した。

 

 おおよそ文学作品全般に言えることかもしれないが、カミュを取り巻く環境が本作に大きな影響を与えているのではないかと感じた。そこで彼が生きた時代や生活した国について簡単に説明しよう。


 まず、彼が生きたころに起きた出来事について列挙しよう。1914年に第一次世界大戦が勃発し、1917年にロシア革命が起こり、1922年にソビエト連邦が成立、1933年にヒトラーが政権を掌握し、1939年の第二次世界大戦が勃発したという動乱の時代である。


 次に 彼が生活した国について説明しよう。アルジェリアは地中海を挟んでフランスの対岸に位置する、アフリカ北部の地中海沿岸諸国の一つである。夏場の気温は東京とほぼ同じだが、降水量は約8分の1未満である。青い空、青い海、地面は乾燥し、ヤシやソテツが疎らに立っている光景を想像していただければと思う。当時、アルジェリアはフランスの植民地であった。


 カミュが生きた時代は、帝国主義や全体主義、共産主義などがせめぎあい、次に何が起こるのか見通しにくいかなり不安定でな時代だったといえるだろう。


 本書「異邦人」はカミュの処女作であり、カミュを文壇の寵児まで引き上げた傑作とのことだ。




 本書は二部から構成される。

 第一部では、主人公が母親の葬式へと出かけるシーンで始まる。そして日常に戻り、殺人を犯してしまうまでの経緯が語られる。第二部では、主人公が判事から殺人事件についての取り調べを受けて、死刑判決をうけるまでの経緯が語られ、独房で自らの生や死について考えを巡らすシーンで終わる。




 タイトルの「異邦人」は、世間の人々と考え方のスタンスが違うという意味が含まれているらしい。本書の特徴の一つは、この考え方の対立を描いた点だろう。

 主人公の性格について理解するために、本書から括弧書きで引用してみよう。


 「自分のせいではないのだ、と彼女にいいたかったが、同じことを主人にもいったことを考えて、止めた。それは何ものをも意味しない。」

 「すると主人は、生活の変化ということに興味がないのか、と尋ねた。誰だって生活を変えるなんてことは決してありえないし、どんな場合だって、生活というのは似たりよったりだし、ここので自分の生活は少しも不愉快なことはない、と私は答えた。」


 このような具合で、主人公は仮に何かを考えていても、それを口に出さない、万事に対して斜に構えたキャラクタして描かれている。もう少し彼の性質を細かく言うと、生物的な食欲や性欲に従った行動はするものの、出来事に対する感情の励起が小さく、また自身の感情に無自覚かつ無関心な人物である。また、無神論者でもある。


 作中では主人公と対立するキャラクタとして判事が登場する。この判事の物語上の役割は、主人公の特徴や世間からの乖離を際立たせることである。

 判事は、直情的で(おそらく)当時の伝統的な価値観を持ったキャラクタとして描かれている。ここで伝統的な価値観とは敬虔なキリスト教徒としての価値観である。判事のキャラクタもわかりやすく示すために本書から少し引用してみよう。


 「すると彼は、大そう早口に激した調子で、自分は神を信じているといい、神様がお許しにならないほど罪深い人間は一人もいないが、そのためには、人間は悔悛によって、子供のようになり、魂をむなしくして、一切を迎えうるように準備しなければならないという、彼の信念を述べたてた。」


 「異邦人」が大きな反響を呼んだ一つの理由は、時代の雰囲気を良く捉えていたからではないかと思う。

 私の想像にすぎないが、第一次世界大戦後のヨーロッパでは、中高年世代と青少年世代の間に考え方の違いがあったのではないかと感じる。

 カミュの略歴を見ると共産主義運動に参加している。おそらく1930年後のヨーロッパには、伝統的な価値観を維持しようとする中高年世代と、共産主義運動などを通じて平等をえようとする青少年世代の間のギャップがあり、青少年世代が世間や時代から遊離しているかのような疎外感を感じていたのではないかと感じた。




 また、本書のもう一つの特徴は、自分の意志から外れたところで物事が進んでいく浮遊感を描いている点だと思う。


 第一部の最後で、主人公は殺人事件をおこしてしまう。その経緯について説明しよう。


 一人で歩いていた主人公は偶然、敵と出会ってしまう。二人は向かい合って立ち止まる。彼らのうち、いずれか一方が後ずされば、何事も起きることなく、お互いに別々の方向に歩き去ることになっただろう。主人公は争いを望んではいなかった。だが、主人公はなぜか一歩前に踏み出してしまい、そこから争いになり、主人公は敵を銃殺してしまう。


 厄介事が起きたときに振り返って考えると、何故あのとき、あのようなことをしてしまったのかと思うことが在るのではないかと思う。それは感情の昂ぶりのせいかもしれないし、酷く暑かったり寒かったりして思考が鈍ったせいかもしれない。このシーンでは、それが巧みに描かれていると感じた。


 例えば、酷く暑い夏の日の部屋の中で、窓の隙間からさす光で照らされた空気の中を舞う埃の動きをみていると、頭がうまく働かず、時おり窓の外から入る音は、フィルターごしに聞いた音のように鈍って聞こえてくるといった瞬間、このようなときに自覚的に自身がなにをやっているか良く理解せずに行動している様子と言えば、なんとなくわかっていただけるだろうか。


 

 また、第二部の後半では、被告人たる主人公を中心人物とする裁判が、まるで主人公が部外者であるかのように進んでいく。主人公の意志と離れたところで裁判官や判事、陪審員らが次々と登場して審理が進んでいくのである。


 あえて現代人が似たような感情を抱く状況を挙げるのであれば、手術をうけに手術室に向かう瞬間だろうか。


 手術を受けることが決まると色々と考える。なんとか手術を避けられないだろうかとか、ああしておけば、こうしておけばと、どうしても考えてしまうのである。しかし、時は手術の瞬間にむかって、停まることなく進んでいく。そして手術日の朝になると看護師が車いすを押して迎えにくる。 私は全く歩けるにも関わらず、車いすに乗せられ、車いすは看護師におされて手術室に向かって進んでいく。車いすを止めたいと思うものの、そうした私の思惑と関係なく車いすは看護師におされて進んでいく。あたかも、とてもゆっくりと走るジェットコースターに乗せられているかの様な気分になる。例えば、このとき感じる浮遊感、落下感である。


 「異邦人」が大きな反響を呼んだもう一つの理由はここにあるのではないかと思った。本書が刊行された頃のことを考えてみると、戦間期のヨーロッパという急激な変化の起きつつある時代だった。当時の若者たちは、自分たちが当事者であるにもかかわらず、自分たちの意志から外れたところで物事が次つぎと変わっていくという、時代からの浮遊感や遊離感を感じていたのではないかと感じた。



 本書は、今の時代にベストセラーになるような本ではないかもしれない。しかし、読者の感情を揺り動かし、読者に対して自覚的に自身の感情をみつめさせるという点で傑作だと思った。執筆から80年を超えても、遠い異国の本屋に並んでいる理由がわかった。

 もし、あなたが新刊本に物足りなさを感じているようであれば、目先を変える意味で本書を読んでみてはいかがだろうか。



以上

 

 色々と思う所はあったが、うまく表現できなかった。

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