大人のたしなみ ビジネス理論一夜漬け講座 著:渋井真帆
●大人のたしなみ ビジネス理論一夜漬け講座 著:渋井真帆 レーベル:宝島社文庫 定価:本体438円+税●
タイトルに惹かれて購入した。本書はビジネス理論の名著をまとめて紹介した解説本である。「ブルー・オーシャン戦略」「ザ・ゴール」「ビジョナリーカンパニー2」「ウェブ進化論」「ネクスト・ソサエティ」「ネクスト・マーケット」「富の未来」の7つの理論が紹介されている。文庫本サイズで、1つの理論あたり30ページ弱でコンパクトにまとめられている。
これらのうち「ブルー・オーシャン戦略」と「富の未来」が印象深かったので、私の知識の定着をはかる目的で書いてみたいと思う。
【ブルー・オーシャン戦略】
ブルーオーシャンはよく聞く言葉である。私はこれまで、ブルーオーシャン戦略とは、これまで世に存在しなかった新事業領域や新製品開発のネタを探索する理論のことだろうと思っていた。しかし、そうではなかった。
本書によると「ブルー・オーシャン戦略とは、今までにない、新たな需要を創出することで競争のない市場を作ることを目的とした戦略」と紹介されている。この一文だけ読むと、やっぱり完全に新規な事業領域を作ることではないかとお思いかもしれない。だが、この戦略は事業領域が新規か既存かを問わない。
私なりにまとめると、ブルーオーシャン戦略の要点は消費者に提供する価値のバランスを変えることあると言える。
先にレッドオーシャンがどのような状態なのかを明らかにすることで、ブルーオーシャンの創造に必要なことが理解しやすい。まずレッドオーシャンの状態を説明しよう。レッドオーシャンでは、需要よりも供給が過剰な状態となり、競合プレーヤー間の争いは値下げ競争に陥っている。このとき、各プレーヤーが重視するポイントは似通っている。
より具体的に説明しよう。例えば散髪屋を考えてみて欲しい。もし、競争するポイントが、待ち時間短縮、サービスの種類、接客、店舗の豪華さ、価格の5つであったとする。そして廉価戦略をとる第1プレーヤーと、差別化戦略をとる第2プレーヤーがいたとしよう。このとき第1プレーヤーの各ポイントへの力の入れ具合が下記であったとする。
待ち時間短縮:サービスの種類:接客:店舗の豪華さ:価格=8:6:4:2:1
そして、第2プレーヤーの力の入れ具合がどうなっているかというと下記のようになっている。
待ち時間短縮:サービスの種類:接客:店舗の豪華さ:価格=18:16:14:12:11
よく見ると、第1プレーヤーの力の入れ具合にそれぞれ10を足すと、第2プレーヤーの力の入れ具合になっていることがわかるだろう。第1プレーヤーと第2プレーヤーで、力の入れ具合のバランスは同じだ。実際の市場では、第1プレーヤーと第2プレーヤーの間に、第3、第4・・・・・・・と無数のプレーヤーがいる。第2プレーヤーは差別化戦略をとっているといいつつも、その実、価格相応に質の高いサービスを提供しているだけである。提供している価値バランスが同じであるので、違いは価格のみである。待ち時間やサービスの種類などの質を落とさず、価格が安いところが勝つ。価格を下げようとすると、理容師の賃金を下げるなど、生き残りをかけた血みどろの争いとなる。
このようなレッドオーシャンからの状況を脱却するには、力の入れ具合のバランスを変えていくとよい。これがブルーオーシャン戦略だ。例えば、力の入れ具合を下記のように変更する。
待ち時間短縮:サービスの種類:接客:店舗の豪華さ:価格=1:8:3:8:1
この場合は、滅茶苦茶待たされるが安くて豪華な店舗の散髪屋ということになる。
このように消費者に提供する価値のバランスを変えることで、例えば従来、美容院をつかっていた客層の取り込みを図ることができる。これが「今までにない、新たな需要を創出することで競争のない市場を作る」という、ブルー・オーシャン戦略の要諦のようだ。
余談になるが、最近のエッセイで「近ごろ投稿されている小説は文章がうまくなった。しかし、同じような話ばかりなので、毛色のちがった話を期待したい。」というものがあった。(曖昧な記憶で申し訳ない。)これも企業間競争と似たような話で、テンプレのストーリー展開を使うことで、必然的に同じ価値バランスで争うことになり、小説の差別化ポイントが文章のうまさに収斂されつつあるのではと思った。生き残るには、文章をより洗練するか、新たなテンプレを見出してブルーオーシャンに乗り出していくしかないのだろうと感じた。
【富の未来】
富の未来の章を読んで、私が考えたことを以下に記す。本の内容からかなりずれたことを推測してしまった。本書の要約ではない点にご注意いただきたい。
社会の移り変わりを三つの波で表すことができるという。第一の波は農業社会、第二の波は製造社会、第三の波は知識社会だ。そして、世界は第三の波に乗りつつあるという。
第二の波、すなわち製造社会のころは、どの人が作業した場合であっても、時間当たりの成果に大きな違いはなかったという。例えば工場の製造ラインで、私とベテラン作業者とが並んで作業したとする。ここが分業化が進んだ工場であり、各人が作業のごく一部の分担し、同じ動作を繰り返すとき、私とベテラン作業者を比較しても、生み出す価値に大きな違いはない。そして製造社会では、成果が労働時間に比例して増える性質をもつ。つまり能力差に伴う成果の差を、時間をかけることで埋めることができる。
ところが、第三の波、すなわち知識社会に入ると、短時間で目覚ましい成果を上げる人がいる一方で、いくら時間をかけても成果をあげられない人がいる。これは知能やそれを生かすスキルが労働の成果に大きな影響を与えるためだ。
例えば、私が1時間かけて書いた企画書と、一流コンサルタントが1時間かけて書いた企画書があったとする。一流コンサルタントは、大学などで専門教育を受けて、様々なビジネス理論や業界知識、成功事例、失敗事例に通じているだろう。仮に企画通りの事業がおこなわれたときに、私の企画が生み出す富と、トップコンサルタントの企画が生み出す富との間には大きな差がでてくるものと想像できる。もし私が10倍の時間をかけて企画を作ったとしても、素人が頑張りました程度の富しか生み出さないだろう。このように時間をかけても能力差に伴う成果の差を埋めることができない。
知識社会では、知能差によって生み出す価値の差が極めて大きくなり、さらに労働成果は労働時間に比例しなくなる。残業で労働成果を積み増しできなくなる。一生懸命が通用しにくい社会だ。
このことから懸念されるのは、知識社会では格差が拡大しやすくなるのではないかということだ。すなわち製造社会と知識社会を比較したときに、知識社会のほうが、個人間の能力差が収入に大きく反映されるのではないか。
知識社会における富の源泉は情報である。この情報という点も格差拡大を加速させる性質をもつものと推測できる。それは情報が非競合財であることに由来する。
競合財とは、一人の人がつかっているときに、他の人が使えない資産や資源のことをさす。例えば、鉄は競合財である。
一方で非競合財は同時に何人もの人が使え、何回つかっても減らない性質をもつ資産や資源をさす。例えば技術ノウハウだ。
鉄は誰かに売ったり、自分で使ったりするとなくなってしまう。ところが、技術ノウハウは何度も売ることができ、誰かが使っても消えたりしない。
つまり数多くの人が欲しがる情報を1つ作り出すことができれば、それを世界中の人に何度も売ることができ、多くの富を得られる。
情報が非競合財であるという特徴が、GAFAが大きく成長した理由だろう。GAFAの取り扱う情報という財は、何度も売ることができ、何度も対価を得ることができる。
この文脈で日本が埋没しつつある理由も説明できる。それは日本が知識社会に適応しそこなったことだ。日本が得意とする製造業は、鉄などの競合財を原料として製造される。例えば製造された品が自動車であったとする。自動車も競合財だ。自動車は一度売り渡してしまうとなくなる。もう一度売るには、もう一度作らなくてはならない。このように非競合財と競合財とでは、富の拡大スピードが全く違うのだ。
また、別の問題は多くの人が欲しがるような情報を作り出すには、人並外れた高い知能が必要だということだ。情報化社会は、世界中の商品に序列がつけることが可能な社会だ。皆が欲しがる情報は序列が上位の情報である。序列が下位の情報は見向きもされない。
かくして知識社会では、能力の差が大きな収入差として現れて、より格差が拡大しやすい社会ではないか。
日本の格差がアメリカのそれよりも少ないのは、幸いにも(?)日本が知識社会への変化に乗り遅れたからかもしれない。しかし、いつまでも乗り遅れっぱなしということはないだろう。
「強いもの、賢いものが生き残るのではない、変化できるものが生き残るのだ」という有名な言葉がある。知識社会に適応するために個人ができる対策は、後天的に獲得可能なスキルを磨くことぐらいだろうか。
以上が「富の未来」の章を読んで、私が感じたことだ。
【感想】
この本の発行年は2007年だ。いまさら15年も昔に流行ったビジネス理論を読んでも学ぶところがあるだろうかと疑いつつ読んだが、予想に反して、たくさんのことを学ぶことができた。とくにブルー・オーシャン戦略は、たいへん興味深いものであるとともに、14年経っても陳腐化しておらず、今でも十分に通用する理論と感じた。
実は、この本は古本屋で安く買ったものだ。費用対効果の高い買い物だった。




