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いろいろ  作者: よむよむ
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不道徳な経済学 著:ウォルターブロック

●不道徳な経済学 転売屋は社会の役に立つ ウォルターブロック著 橘玲訳 早川書房●


読書中の本で気になったところと、考察などを書く。

大半が自分の考察というか連想したことの記録である。


どのような理屈で転売屋が社会に有用というロジックを組み立てるのかに関心を持ち購入した。

もっとも面白かった部分は橘玲氏が書いた序説の部分。


チンパンジーには、「自由」「平等」「共同体」というヒト同様の正義感覚があるとのこと。

つまり脳の本能の部分に、これらの価値観が生まれながらにしてインストールされているということになる。

ここで「平等」とは、自身が他の個体と同様に取り扱われるべきという感覚のことを指す。

他の個体が上等なエサを与えられたなら、自身も同等のエサを与えられるべきという感覚だ。

おそらく人間についても、同様の価値観が脳の本能の部分に書き込まれている。

そのような前提に立てば、格差がなぜこれほど人々の怒りをかきたてるかを理解しやすい。

理屈ではないのだ。

ただし、本能ではない可能性もありうる。群れから切り離して文化的に切り離して育てたチンパンジーの個体で比較実験して、一定のN数をもたせないと、本当に本能と言えるかは不明だ。


主義=イズムに関する項目がある。

すべての思想を同時に実現することはできず、トレードオフの関係にあるとこと。

経済におけるトリレンマのような関係にあるらしい。

右派や左派、保守や革新などわかるようなわからないような定義で、いまだに自分が何主義者であるかわかっていない。そこで、ネット上の無料のテストを用いて自分の政治思想な何なのかという点について調べた。


8つの政治的価値観テストによると、左翼ポピュリズムに近い価値観を持つ結果。

経済軸は平等>市場、外交軸では外交=世界、市民軸では自由>穏健、社会軸では伝統<進歩


価値観診断テストによると、リバタニアンで外交安保ではリアリズムという結果。


政党座標テストによると、11.1%左派(自由主義)、13.9%共同体主義

社会民主主義者らしい。


日本版ポリティカルコンパスによると保守左派。保守2.2、経済左派2.04。


てっきりバリバリの右という結果が出るかと思ったが、そうではなかった。

左右への偏りが少なく、ほぼほぼ中央に近い。質問の設定次第で結果が逆サイドへぶれるかもしれない。これらのテストの中には、米国人向けの政治的立場のテストも含まれるので、どうも日本にあわないように感じる。



平和が格差を拡大させ、そのメカニズムは平和が長く続いたことと、高齢化が進んだことでほぼ説明可能とのこと。

なるほどなと感じた。r>gである以上、投資を行う者と行わない者の格差は開くばかりである。

金融資産に限られるものではなく、人的資産への投資である学習やスキル取得も含まれるのだろう。

世界の多くの地域では、長く平和が続いているところから、世界各国で格差の拡大があるものと考えると、あまり良い未来像がでてこない。ジニ係数の高まりは戦争の可能性を高める。

厚労省のOECD主要国のグラフを見るとほぼ右肩上がりだ。


とてつもなくヒドイことが起こると、それまでの統治機構が崩壊して富裕層の富が失われて平等が実現するとのこと。

資産を持たない者が、戦争というガラガラポンを期待するのはわかる。

失う金融資産がない一方で平等という満足を得る可能性がある。

しかし、その場合、彼らが期待するべきなのは国土が荒廃するような敗戦である。

国土に指一本触れられることなく、勝利したのでは富裕層が富を失わない。

まぁ、命を失う可能性はあるが、得てして自分だけには弾は当たらないと思うものらしい。

敗戦直後は、日本国内は平等であった。

アメリカ人と日本人を比較すると大きな格差があっただろうが、日本から米国は観測不能だった。

ゆえに格差を知覚することができなかった。

世界がより通信網でよりグローバルにつながると、例えば日本と米国の間でも格差感情が生じるのだろうか。そのようなことだと、世界政府を作って世界レベルでの格差解消政策をうつ必要があるが、それはSFの世界か。日本とソマリアの間の格差解消とか、まぁ、自分の寿命の範囲ではなさそうな未来図だ。


客観的貧困と主観的貧困感情は別とのこと。

なるほどと思う。お前の家の芝も十分青いと言われても、隣の芝生がより青く見えると嫉妬、羨望、劣等感をもつものだ。

戦争や革命の生じる可能性を低減するには、長く平和が続くほど、より強い格差抑制の対策をうっていくとよい。

あまり蓄積しないようにこまめに打ったほうがいいのだろう。

格差が蓄積するほど解消時により大きな変動をもたらす。

まるで、地震発生のメカニズムのようだ。ひずみ量が大きくなるほど、そのひずみが解消されたときの振動が大きくなる。

そういえば、岸田首相が分配がどーのこーの言ってた気もする。こんど、確認しよう。

なんとなく、ロードス島戦記のカーラを思い出した。


この後の章では、売春婦やポン引き、シャブ中、恐喝者、ダフ屋などを擁護される。

まったく同意できない論旨が多いが、なぜ自分がそう感じるか、どうやって論破するかを考えると、どのように論理を組み立てるかが難しい。

感情的に気に食わない話であるが、じゃあどうするという話。

よくも、こんな本を書こうと思い立ち、その出版をしようとする編集者がいたものだ。

これも米国のソフトパワーの一端であろうか。

途中までしか読んでないので、通読せねばならぬ。


闇金業者の擁護の章を読んで

この章を闇金業者から奨学金(学生ローン)の擁護に書き換えると、とんでもなくヤバイ主張ができあがる。下記のごとし。

学生ローンからお金を借りた人は通常、業者と同意の上で契約している。

お金を返しますと約束しておいて、そのあとで契約を破棄しようとする人間を被害者と呼ぶのは不適当である。この場合の真の被害者は学生ローンの業者である。利息だけでなく元本まで帰ってこないとなると、彼のおかれた状況は泥棒にあったのと違いはない。


奨学金の話では、給付型奨学金を一流大学だろうとFランク大学だろうと平等にあたえるべきという話題が一時あったように思うがそれもおかしな話だ。Fランク大学に通学中の学生は、身分制度や国から強制されてFランク大学にはいったわけではない。彼らにも、毎年、一流大学に入る自由が開かれている。その点において、なんら不平等は生じていない。

給付型奨学金を国民から集めた税金を用いた投資という観点でみると、高い利回りを期待できる対象(一流大学の学生)に投資するのは当たり前である。納税者の立場でみたときに、国から利回りどころか元本割れする可能性がある対象にも投資しますなんていわれたら、阿呆を抜かせ、税金払わんぞ!とということになる。

いくら平等主義者であろうと、自ら株式投資するときに、ピカピカの高利回りが期待できる企業と、潰れて株券が紙屑になる可能性のある企業に平等に投資したりはしないだろう。

それを他人の金については、平等に投資しろなどというのは不道徳である。

ゾンビ企業が、わが社の株を優良企業と同等に購入しないのは平等主義に反すると言ったとしたら、それはそれでおもしろそうではある。


投資ではなく、福祉の立場から平等にFランク大の学生にも平等に給付型奨学金を与えるべきといえるだろうか?

そうであれば、私も定年退職後に生活費の足しに近所で交通費を安く抑えられる適当な大学に入って給付型奨学金をもらうのもありかもしれない。学業が振るわなくていいなら8年在学できる。

まさか、平等主義者は年齢制限をいれろなどとは言わないだろう。

うむ、すると何人にも平等に給付型奨学金を与えるべきというのが、私にとって最も得な主張ということだ。年齢という本人にはどうしようもない属性によって学習への道が閉ざされるのは、いわれなき差別というべきものであり、平等に取り扱うべきである!といった点を骨子にして主張を展開してみてもよさそうだ。

いや、せんけど。


ここまで書いてみて、こいつはヤバイ考えである。思考実験としては面白いが。

もし、自分がFランク学生なら上のような、自分に不利益なことは思いついても言わない。

自分に利益を誘導できる論旨を組み立てる。我田引水、針小棒大。

もし、政治家や文科省の役人がこのようなことを公言したりすると、大炎上間違いなしだ。

面白いが、やばすぎだ。クワバラクワバラ。


市場の見えざる手を高く評価しすぎている気がする。そこまで万能とは思えない。

前提となる論拠は、都合の良い要素を取り出して純化しているような違和感がある。

とはいえ、反論のロジックの組み立てができない。

すぐに突き崩されそうな気がする。

相手の論点に乗らず、情緒と感情論に訴え多数派を形成して押し切ったほうが勝てる気もする。


面白いフレーズ「同じ性格でも、私は意志強固で君は頑固者、そしてあいつはクソ野郎」。

バートランド・ラッセルの言葉とのこと。


市場経済化では、当たり前だが物は値段相応である。低品質な品は低価格で入手できる。


最低賃金法を順守しない経営者の擁護の章の違和感は、情報の偏在や、情報伝達の遅れ、労働力移動のタイムラグなどを除外して論利展開している?いわば、シミュレーションの境界条件の定め方が、計算過程の簡素化の方向にずれすぎていて、実実験結果から大きく外れるのと同類の感じ方だろうか。

ところで最近の飲食店の労働力不足は、賃金が見合わないから労働力があつまらないということかもしれない。新型コロナ禍により労働者は、飲食業界にリスクがあることを知り、他産業へ移動した。ニュースでは賃金を上げたが集まらないというものの、そのリスクを込みにし、さらに他産業から再移動するコストを加えた額に見合う賃金にしないと労働力は戻ってこない。結局、消費者に供される飲食物の値段は生産コストに見合った額になり上がる。内食と競合することになる。すると価格の中で味なりサービスなり技能的な部分で、内食と拮抗する価格競争力があるところが生き残る。これを無理やり生き残らせようとすると、税金を投入することなる。飲食業は多数の労働者が働く業界であるが、一方で労働者不足。価格に見合ったサービスを提供できない店の経営者の事業を税金で生き残らせることを、納税者に納得させられる理由を探せれば、生き残る。

ここ数十年ほどの日本のデフレには、どうも、日本社会には精神的な黙示のカルテルのようなものがあった気がする。これまで互いの低賃金で我慢する替わりに、価格不相応の高品質の商品やサービスを求めてきたからこそ、デフレになり、それゆえ外国との内外価格差によりインバウンド需要が爆発したといえるかもしれぬ。

うーむ、昨今話題の最低賃金のUPは、直接的に賃金をあげるというか、黙示的なカルテルを壊す、いわばラチェットのキーを外すような効果なのかもしれない。

あー、ロボット化か。ロボットのコストを上回る生産性が要求される時代か。


恐喝者の擁護の章の論理だては堅いなぁと感じた。

ちょっと、突き崩せない。


面白い本であった。

自分の中の基準、常識の合理性に揺さぶりをかける内容だった。

常識にとらわれるなというのは、よく聞く言説ではあるが、実際にそれを見て、それが自分の不利益になるにもかかわらず、論理的妥当性を否定する術をもたないという他所からみると笑えるが、自身にとっては不愉快だが知的には愉快ともいえる本である。


以上

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