私が支えられている生活
サーッというホワイトノイズで朝を迎える。
窓から見える外は霧がかかったように白くて小雨が降っていることを知らせている。壁に掛けられたアナログ時計に目をやると七時三十分を少し過ぎたあたりを指していた。枕元のモバイル端末に目を向けて報じられている朝のニュースに軽く目を通すが、眠気眼で文字が上手く読めない。
仕方がないので先に顔を洗うためにバスルームに足を運んだ。
水道から流れてくるぬるま湯で顔を洗い「ふぅ」とひとつ息をついて、肌の水滴を洗いたての柔らかいタオルで優しく拭う。そのタオルからはほんのりと花の香りがして、お気にいりの洗剤だとすぐに気づいた。バスルームの出窓に置かれている観葉植物に水をあげようと目をやると、ガラスにびっしりと結露がついている。暖かな室内からは気付くのが遅くなったが、外はとんでもなく寒そうだということが容易に想像できた。
バスルームには今日の気温に合わせた服がきちんと用意されていて、私の仕事はこれらの服に袖を通すことだけだ。ゆったりとしたキャラメル色のウールセーターに濃い色のスキニージーンズ。
それらを身に着けてから一階のキッチンへ行くために、階段を降りる。
築四十年も経つこの家は至る所に派手な壁紙が貼り付けられていて、いかにも前時代的な雰囲気を感じさせる。足元のカーペットもすっかり色褪せて、くたびれてしまっているのもそれに一層拍車をかけている。
このように家は古いが掃除はきちんと行き届いていて、高い場所にある窓の桟、天井に取り付けられた電気の傘、カーテンレールなど気を付けていないと見落としがちな場所の埃まできちんと取り払われてピカピカの状態に保たれている。
階段を降りた先の玄関には、昨日乱雑に置いたはずのコートも綺麗な状態できちんとハンガーに掛け直されている。
リビングへ抜けるドアを開けると中からいい匂いが漂ってきた。いい匂いの正体は……私の大好きなアランチーニだ。ダイニングテーブルの上に温かい食事が三人分と毎朝欠かせない紅茶が、ほとんどできたての状態で私の席に用意されていた。椅子に座るなりカップを手に取ると、その底に描かれた苺模様がはっきりと見えるほど優しく澄んだ色の紅茶を確かめる。……春摘みのダージリンかな。一口飲んで頬が緩んだ。
「母さん、おはよう」
その声にわたしがはっとして振り向くと、起きてきた娘のレベッカが私の向かい側の席に着こうとしていた。通り過ぎる際にちらりと見えたが、スカートの丈が短すぎる気がする。
席に着いて彼女の為に用意されたオレンジジュースを一口飲んでから「父さんは?」と私に聞いてきた。
「私が起きたときはまだ寝ていたけど……もう来るんじゃないかしら」
レベッカから仄かに匂う香水が繊細なダージリンのそれをかき消してしまい残念だ。「学校に行くだけなのに、香水なんか要らないでしょう」と言いたくなるが、ここは我慢する。そうこうしているうちにほどなくして夫のビルが大きな欠伸をしながらやってきた。
「おはよう、サム、レベッカ」
彼は眠気が取れていない顔で席に着いてから先ず温かいラテに手を伸ばし「うん、美味しい」と納得の表情で味を確かめてから次に食事へと手を伸ばす。
「ねぇ、父さん。うちは電化製品の一式を最新AI化しないの? 昨日友達のリサの家に行ったら全部リフォームされててびっくりしたんだから」
サラダに紛れたトマトを弾きながら家の改装についてレベッカが提案をしてくる。
「うーん、必要かなぁ? うちにはもう優秀なハウスキーパーがいるんじゃないか」
「優秀なって……あの子はもう四十年も前の型なんでしょう? この間修理に持っていったら生産中止になった最後のパーツだって言われて取り換えたんじゃない」
ビルとレベッカがそう話しているのを横で聞きながら、私は備え付けの充電ステーションに立っている、すらりとした我が家の家政婦に目を向ける。よく見ると何かをロードしているのか、読み込みを示す黄色いHDDのアクセスランプが細かく点いたり消えたりを繰り返している。
「きっともう寿命なんだよ」
レベッカのその言葉につんとした冷ややかな痛みと同時に心臓が一度大きく跳ねた。「そう……なのかな」と残念そうな声を漏らして、ここ数年間を思い出す。
言われてみればいつからか動いている姿を見ることがめっきり減った。いつも私たちが起きる前に全ての用意を済ませて、仕事に出かけている間に家事を終わらせる。週末は時折動いている姿を見せてくれるが、それも年々短くなってきている。
バッテリーの稼働率も五十パーセントを切っているそうで、充電ステーションにたどり着く前に止まってしまっている場面を年に数回見るようになった。
「シモーン、まだまだ一緒に居たいのにダメかな?」
別れの日は近いのだろうか。