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 下駄  作者: 紫 李鳥
1/8

 


 八月某日の台風の夜、青梅(おうめ)に住む高利貸し、森崎俊次(62)の自宅に強盗が入り、一千二百万円が奪われた。


「……マスクをした小太りの男で、黒い帽子を被って作業着を着ていた。手袋をして懐中電灯を持っていた。……他に何か思い出しませんか」


 煙たそうに煙草を(くわ)えた山根拓也がボサボサの頭を掻いた。


「……熟睡してましたからね。もう、何が何だか」


 禿頭(とくとう)の森崎は腕組みをすると眉間に皺を寄せた。


「真夜中の二時じゃ、無理もありませんよ」


 山根も同じように腕組みをした。


「……そう言えば」


 その言葉に山根は咄嗟(とっさ)に森崎を見た。


「足元が妙だった……」


 森崎は記憶を辿(たど)っている様子だった。


「…………」


 山根はじーっとして、森崎の“あっ、そうだ!”と言う言葉を待った。


「……あれは、革靴でも地下足袋でもなく、かと言って運動靴や長靴でもなかった。……あっ、そうだ、下駄だ!」


「……下駄?」


 あっ、そうだ、まではよかったが、まさか、回答が下駄になるとは山根は予想だにしなかった。


 ……暴風雨の中を下駄を履いて強盗?


 山根は調書を取っていた、相棒の井川宣夫と顔を合わせた。


 ――台風の真夜中に出歩く者はいないだろうが、念のために山根は井川を伴って近所の聞き込みをした。


 三軒目の松島春代宅で、奇妙な話を耳にした。


「えっ、下駄を盗まれたんですか?」


 井川が興奮気味に(まく)し立てた。


「ええ。下駄だけじゃなくて、主人の作業着も」


 大女(おおおんな)の春代が迷惑そうな顔をした。


「どんな下駄ですか」


 井川が続けた。


「男物の、普通の。あ、持ってきましょうか?」


「……持ってくるって、盗まれたんじゃないんですか」


 井川が間の抜けた顔をした。


「ええ。盗まれたんですけど、台風の翌日に、裏庭に戻ってました」


 井川は合点のいかない顔を山根に向けた。


「どう言うことなんですかね?」


「分からんよ」


 井川の問いに山根は冷たく答えた。



 春代が持ってきたのは、綺麗に畳んだ作業着と、泥一つ付いてない下駄だった。


「……洗ったんですか」


 井川が嘆いた。


「だって、気持ち悪くて……」


 二人は落胆の表情をし合った。



 春代から下駄を借りると、鑑識に回した。


 結果、森崎宅の畳にあった、二の字の下駄の跡と春代宅の下駄の歯が一致した。つまり、強盗犯は、盗んだ春代宅の下駄を履いて森崎宅に侵入したと言うことになる。下駄の歯の痕跡から、五十キロ足らずの体重であることが判明した。かなりの小男(こおとこ)だ。


 山根は更に聞き込みを続けた。森崎宅から歩いて十分ほどの所にある、〈句会 撫子(なでしこ)〉と、毛筆で書かれた看板が山根の目に留まった。


「……俳句か。ちょっと訊いてみるか」


 山根は独言のように呟くと、井川を置いて、さっさと歩き出した。


 平屋の硝子戸を開けると、数足の履物が(そろ)えてあった。


「ごめんください!」


「はーい!」


 山根の呼び掛けに女の返事があると、玄関に近い一番手前の襖が開いた。


 そこから現れたのは、浅葱色(あさぎいろ)(しゃ)の小紋に白地の絽綴(ろつづ)れの名古屋帯をあしらった、(つや)っぽい女だった。


「あ、突然に申し訳ありません」


 山根は予期せぬ事態にしどろもどろしながら、内ポケットを(あさ)った。


 女は山根の手にした警察手帳を認めると、何か?と言った表情をした。


「え、あ、台風の夜、この先で強盗事件があったんですけど、ご存じですか」


「はい。ニュースで知ってます」


 女は簡潔だった。


「で、当夜、何か不審な物音とか、何か気付いたことはありませんでしたか」


「台風が来るのはテレビのニュースで知ってましたから、その日は午後の三時ぐらいから雨戸を閉めました。ですから、もし、何か物音がしてもすべて台風のせいにしたと思います」


 笑みを浮べて語る女の、その無駄を省いた言い回しは、まるで、刑事との受け答えを(あらかじ)めリハーサルしたかのように、山根には聞こえた。


「……そうですか。どうも、お忙しいところ、ご協力ありがとうございました」


 山根は軽く会釈をすると、戸を開けた。


 井川が名残惜しそうに、女に愛想笑いを向けていた。




「いい女ですね」


 井川がにやけた。


「……なんか、釈然としないな」


 山根が冴えない顔をしていた。


「えっ、そうですか?理路整然としてましたよ」


「だから、気に食わんのだよ。まるで、用意した台詞を読み上げたみたいだった」


「……そうですか?」




 翌日、山根は一人、〈句会 撫子〉に行った。昨日の小生意気な女に興味があった。


 看板の横の表札に〈広田〉とある玄関を開けると、今日は一足の履物も無く、廊下の片隅に置かれた織部焼(おりべやき)らしき壺が目を引いた。


「こんにちは!」


「はーいっ!」


 奥から女の声がすると、やがて、廊下を小走りでやって来る衣擦れの音がした。


 笑顔で待ち構えている山根を認めた途端、女は笑顔から一変してキツイ顔になった。


「まだ、何か?」


「いぇ。今日は俳句を教えてもらおうと思って」


 山根は揉み手(もみで)でもしそうなご機嫌伺いをした。


「……本気ですか」


 女は疑う目をした。


「ええ。お願いできますか」


 山根は下手(したて)に出た。


「もちろんです。さあ、どうぞ」


 女は俄然、愛想が良くなると、山根の前にスリッパを揃えた。

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