川渡り問題の殺意
【問題】
川を隔てて、2つの岸があります。今、一方の岸に、羊3匹と狼3匹がいます。一隻の小舟を往復させて、羊3匹と狼3匹をすべて向こう岸に移動させてください。
ただし、船は最大2匹乗りで、最低でも羊か狼のいずれか1匹が乗っていないと動かすことができません。
また、岸にいる狼の数が羊の数よりも多いと、羊は狼に襲われて食べられてしまいます。
ある日の夜、羊たちは3匹で群れを作り、怯えていた。
同じ岸では3匹の狼がフラフラと歩き回っている。
いくら数的同数の状況では襲われる心配はないとはいえども、少しも安心することはできない。
こうして3匹で体を寄せ合っていないと、ふとはぐれてしまった瞬間を狙われて、狼たちに殺されかねないのだから。
「このパズルはなんて理不尽なんだ。僕ら羊は常に怯えていないといけないじゃないか」
羊Bが、そう遠くないところにいる狼たちに聞かれないように、こそこそ声で話す。
「そのとおりだね。無事に川を渡りきったところで、結局向こう岸でまた狼たちと落ち合うんだ。まさに無間地獄だよ」
羊Cが同調する。このパズルの登場キャラクターである羊たちには、永遠に安息が与えられないのである。
ミスをして数的少数になれば狼たちに殺される。他方でクリアしたところで、狼たちから逃れられるわけではない。居場所がこちら岸が向こう岸に変わったところで、狼たちと一緒にいなければならない状況には変わりがないのである。
「羊Bと羊C、実はね、僕にあるアイデアがあるんだ」
落ち込んで地面を見ていた2匹の視線が、一斉に羊Aの方に向く。
「アイデア? 一体何のアイデアだい?」
「もちろん、この状況を変えるためのアイデアさ。僕ら羊が、狼の監視の目から逃れ、悠々と暮らしていくための打開策だよ」
羊Aの言葉に目を輝かせた羊Bとは対照的に、羊Cは半信半疑だった。
「羊A、本当にそんなことができるのかい? 僕らは無力な羊なんだよ」
狼たちは事あるごとに、羊たちのことを「無力」と言ってバカにしていた。そのたびに羊たちは何かを言い返すこともできず、ただ唇を噛み締めていたのであった。
「本当にそんなことができるのかって? できるよ。ただし、上手くやりさえすればね。もちろん失敗するリスクもある。かといって何もせずにずっと狼に怯え続けているのは嫌だろ? 勇気を出して証明するんだ。僕らは決して無力なんかじゃないって」
翌朝、いつものように船を使った川渡りが始まった。
羊たちも狼たちも何度も何度もそれを繰り返しているから、最低の往復回数で全員を向こう岸に移動させるための手順も完璧に頭に入っている。
手順どおり、まずは狼2匹が船に乗り、向こう岸へと出発した。
「なあ、狼B、今日は羊たちの様子が少しおかしいと思わないか?」
小舟の後部座席に乗った狼Aが、オールを使って水を掻き分ける狼Bに話しかけた。
「様子がおかしいって何がだ? 俺は何も感じなかったが?」
「なんというか、普段と比べて堂々としているというか、俺らに対してビクビクしていないというか」
狼Bには、狼Aが言っていることはよく分からなかった。羊たちは羊たちであり、それ以上でもそれ以下でもない。
「俺にはよく分からないなあ。正直、あいつらにはあんまり興味がないからなあ」
狼Bは、羊たちの様子などというどうでもいいことを考えるよりも、向こう岸に向けて小舟を漕ぐことに必死だったのである。
「それもそうだな」
狼Aは、無力な羊のことを考える時間は自分にとっても勿体ない時間だということに気付き、違うことを考えることにした。
向こう岸に着くと、狼Aと狼Bは一旦岸に降りた。パズルの特性上、ずっと船に乗ったままでいるなどというズルはできなかったからである。
次の手順は、狼1匹を乗せ、こちら岸へと戻ることである。
狼Bは往路で船を漕いで疲れていたから、復路は狼Aに任せることにした。
「じゃあな、達者でな」
そう長い間会えなくなるわけではないのに、狼Bは大げさに狼Aを送った。
狼Bは岸で独りで過ごさなければならなかったが、生まれ持った性質上、狼Bは独りになることはむしろ好きだった。
狼Bは木陰で寝そべると、パズルの今後の展開を頭に浮かべていた。
今船を漕いでいる狼Aは、羊3匹と狼1匹がいるスタート地点の岸に到着する。
そして、パズルのセオリーによれば、今狼Bがいる岸にやってくるのは、狼Aと狼Cである。スタート地点とは逆側の岸に狼が3匹集まるのだ。
狼Bはいつの間にやら居眠りをしていた。
船が岸につくときの衝突音で目覚めた狼Bの前には、案の上、2匹の狼がいた。
「おかえり。ずいぶん長旅だったな」
寝ていたので実際にかかった時間は分からなかったが、狼Bは軽口を叩いた。
「どうしようか。次は誰が船に乗ろうか?」
セオリー通りの手順だと、3匹の狼のうち1匹が船に乗ることになる。
「俺が乗るよ」
そう名乗り出たのは、狼Aであった。狼Aは毛の色が他の2匹よりも少し薄く、グレーに近い色をしているから見分けやすい。
狼Bはてっきり岸で休んでいた自分に出番が回ってくるものと思っていたので、拍子抜けだったが、別に進んで羊が3匹待っている岸まで船を漕ぎたいという気持ちもなかったから、狼Aにオールを任せることにした。
「おい? どうした船酔いか?」
狼Aが岸を去った後、岸に残った狼Cが立ち止まったままほとんど動かなかったので、狼Bは心配して声をかけた。
よく見ると、狼Cは小刻みに震えているように見えた。
「狼C、大丈夫か? 熱でもあるのか?」
問いかけに対する狼Cの反応は悪く、しばらく経ってから、
「大丈夫」
と小声で一言答え、覚束ない足取りで日陰まで歩くと、寝転がり、目を瞑った。
狼Cはあまり具合が良さそうではないな、と悟った狼Bは、ゆっくりと寝かせてやるのが一番だ、と思い、そっと狼Cの近くから離れた。
すっかり眠気の覚めた狼Bは岸辺に立って遠吠えなどをして、船の到着を待った。セオリーによれば、次は羊を2匹乗せた船がやってくるはずである。
案の定、しばらくしてやってきた船には、羊が2匹乗っていた。
岸に到着した小舟から、羊が2匹順番に降りてくる。その様子をぼんやりと眺めていた狼Bの目に、あるものが映った。
「……血?」
2匹の羊の毛には、真っ赤な血がこびりついていたのである。
狼Bは警戒して身体中に力を入れる。
そして、狼Bは、この異常事態を狼Cに伝えるため、後ろを振り返った。
しかし、木陰で休んでいたはずの狼Cはそこにはいなかった。
代わりにそこいたのは、他の羊たちと同じように全身に真っ赤な血がこびりついたもう1匹の羊だったのである。
「これで圧倒的な数的優位だね」
木陰から出てきた血まみれの羊は、そう言って鼻で笑うと、狼Bに飛びかかってきた。
同時に、船から降りてきたばかりの2匹の羊も、狼Bへと飛びかかってくる。
羊たちは無力である。
しかし、いくら無力な羊たちを相手とはいえ、3対1の状況では、狼に勝つ術はなかった。
狼Bは3匹の羊から体当たりをされ、踏み潰され、そのまま事切れた。
「やったね!! ついに僕らは狼たちを全員殺すことに成功したんだね!!」
狼Bの死体の上で、羊Bが飛び跳ねて喜びを表現する。
「これも全部羊Aの作戦のおかげだよ」
羊Cは羊Bほど大げさには喜んでいなかったが、顔はニヤけていた。
「だから言っただろ。僕ら羊は無力じゃないって」
日陰に戻っていた羊Aは、鼻先で狼Cの毛皮を拾い上げると、自分の身体の上に被せた。
「これぞまさに『羊の皮を被った狼』ならぬ『狼の皮を被った羊』だな」
今朝の川渡りゲームも、いつもと同じ幕開けだった。すなわち、最初に狼2匹が船に乗り込み、向こう岸に向かったのである。
もっとも、この直後、羊たちはいつもとは違う勇気を振り絞った。
3対1という数的優位を生かして、狼に挑んだのである。
たとえ無力な羊であっても、3対1だったら狼に勝てるはず、というのが、羊Aの作戦の前提であった。
羊は狼より1匹でも少なければ殺される。
もっとも、羊は狼と同数ならば殺されない。
そこからさらに2匹も上回れば、逆に羊が狼を殺すことだって可能なはずだ、というのが羊Aの自信の根拠となる推論だった。
羊Bも羊Cもこのことに確信までは抱かなかったものの、狼たちに馬鹿にされ、怯えさせられ続ける日々から逃れるためには、信じてやるしかないと感じていた。
突然羊3匹に襲われた狼Cは、実にあっけなく羊たちに敗れ、命を落とした。
羊Aの推論は正しかったのである。
この後、セオリー通りいけば、1匹の狼が船に乗ってこちら岸に戻ってくるはずだった。
このときにこちら岸には羊3匹と狼1匹がいなければ、戻ってきた狼に怪しまれてしまう。
そこで、羊たちはある細工をした。
狼Cの死体から毛皮を剥ぎ、川の水で血を洗い流すと、それを羊Aがすっぽり被ったのである。
これによって、羊Aは狼になりすました。
そして、1匹減ってしまった羊の分の穴埋めをするために、岸中の自分たちの抜け毛を寄せ集め、一つの大きな毛の塊を作った。
それを羊に見立てたのである。
これで岸には「羊3匹」と「狼1匹」が揃った。
船に乗ってスタート地点の岸にたどり着いた狼Aは、羊Aが狼になりすましていることにも気が付かなかったし、毛の塊が羊であると勘違いした。
もしかすると、岸にたどり着き、少しでもゆっくりする時間があれば、目の前の光景がまやかしであることに気付いたかもしれない。
しかし、狼Aには考える猶予は一切与えられなかった。
上陸するや否や、羊Aは狼の毛皮を脱ぎ、羊たち3匹で一斉に狼Aに襲い掛かった。
狼Cを殺したときのように、狼Aも大した手応えもなくあっさり殺すことができた。
3対1の数的優位はこの世界では絶大なものだったのである。
セオリーによれば、次は狼2匹が岸を渡る番であった。
実際にはすでに生きている狼はこちら岸に1匹もいないが、セオリー通りに行動しないと狼Bに怪しまれてしまうだろう。
そう考えた羊たちは、狼Aの死体からも毛皮を剥ぐと、川の水で血を洗い流した後、それを羊Cに被せた。
そして、羊Aは再び狼Cの毛皮を身にまとった。
これで変装完了である。
向こう岸に着いた羊C(偽狼A)と羊A(偽狼C)は、向こう岸において、2対1の数的優位に立った。
とはいえ、2対1ではダメだ。3対1の展開に導かなければならない。
そのために、羊A(偽狼C)を置いて、羊C(偽狼A)はまた川を渡ることにした。
この作戦における最大のリスクがこの場面にあった。
すなわち、狼Cの毛皮を被った羊Aが、向こう岸で狼Bとしばらく2匹きりにならなければならなかったのである。
羊Aは、3匹の羊の中でもっとも勇敢であったが、変装がバレてしまうことの恐怖で、さすがにこの場面では身体が震え、思うように動けなかった。
しかし、これが怪我の功名となった。
狼Bは羊A(偽狼C)が具合が悪いのだと勘違いし、羊A(偽狼C)をそっと放っておいてくれたのである。
スタート地点の岸に到着した羊Cは、狼Aの毛皮を剥ぐと、羊Bとともに最後の船旅へと向かった。
そして、到着した岸で、3匹の羊で力を合わせ、狼Bを殺害したのである。
この羊たちの数的優位を生かした勇敢な戦いによって、羊たちには生まれて初めて平穏な日々が訪れたのであった。
今回の新連載は、菱川的には勝負です。
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