長い梅雨
一応、純文学をめざしていますが、皆様にはどう映るかはわかりません。読んでいただければありがたいです。
長い梅雨
空は夕暮れの時を迎えていた。僕はベランダの窓を開け、梅雨の晴れ間の初夏の風を感じていた。風の向こうに誰かがいるような気がしながらだった。顎に手をやり、少し伸びた髭の感触を確かめる。最近、人と話したのはいつだろうか、そんなことを考える。
太陽はいつもより大きく見えた。子供の頃、どこまでも、沈み行く夕日を追いかけていったことを思い出す。途中で、怖くなり、家への道を迷いながら、帰って行ったことが、昨日のことのようだ。僕は途中で、大人になれば、きっと、太陽に近づけると、今は帰る。そう言い聞かせて、泣きそうになりながら、来た道を、必死に思い出しながら、家路に着いた。今、太陽は、僕にとって、眩しすぎる遠くにある光にしか過ぎない。
誰も、太陽を捕まえることは出来ない。僕は窓を閉めた。オレンジ色の光は相変わらず、部屋を照らす。窓を閉め、ヤニに汚れたエアコンのリモコンスイッチを入れ、人工的な風を部屋に流し込む。僕は風を小さな空間では操ることが可能だ。そう、それは、ただ一人で、とても小さな空間でのことだが。
体が少し重い。僕は、パイプのベッドに横になる。体を横向きにし、夢の中に入っていきたいと思う。もし、いい夢なら、永遠にその中にいたいとも思う。ゆっくりと睡魔がやってくる。僕は目を瞑る。心が落ち着いていくのが分かる。
夢は見られなかった。デジタルの置時計に目をやると、一時間ほど時は過ぎていた。陽は暮れ、人工的な外の街灯の光が差し込む夜になっていた。
一日が終わってしまった。でも、一日とは、そもそも、なんだろうか、誰が、決めたのだろうか。僕は、誰にも縛られない、人生を夢想する。そんなことが可能だろうか、大学を中退し、この先、どうするのか全く分からない。今は親からの仕送りがあり、僕は何とか生活をしている。
喉が渇いた。僕はベッドから起き上がり、小さなキッチンへと向かう。冷蔵庫を開け、水道水を冷やしておいた、ペットボトルを取り出し、喉に流し込む。ひんやりとした感覚が、体にいきわたる。どうやら、僕は生きている。一応、世界の基準では、そうなっていると思う。
炊飯器で米をたく、腹が減ったので、飯を食うことにした。冷蔵庫の中には卵があった。
米が炊けるまで、僕はベッドの上で胡坐をかき、スマホをいじる。働かずに、食う方法を検索してみるが、中々、いい答えが見あたらない。
ラインの着信音が鳴った。大学の知り合いヒロトからだった。彼はたぶんぼくのことを友人だと思ってはいるだろうが、僕自身は、彼を友人という定義にはあてはめてはいないと思う。少し、躊躇ったが、着信ボタンを押した。
「おお、和也、お前、大学辞めたんだってな、いきなりなんだよ、これから、どうするつもりなんだ」
「いや、何も考えていないよ」
「やばいぜ、それ」ヒロトの声は少しうわずっていた。何だか僕の様子をうかがっている感じだ。
「で、何の用だ」
「人が心配して電話しているのに、そんな冷たくあしらうなよ」
「悪い、悪い」
「和也の送別会というか、お別れ会を開くことにしようと思ってな」
「そんなの別にいいよ」
「なにいってんだよ、主役のお前が、来なけりゃ始まらないじゃないか」少し口調が早口だ。
「いつだよ」 「明日の夜だよ、もちろん時間はあるだろ」
「まあな」本当に、僕は、そんなことはどうでもよかった。きっと、皆、何かにつけて騒ぎたいだけだろうとも思った。なんだか、どこか、遠くに旅に出たくなった。異国でもなく、大きな森林が頭の中に、イメージできた。
「皆、来るから、絶対来いよ、約束だからな、いいか、大学の駅前のローターリーに、六時だからな、約束だぞ」
「わかったよ」
「了解」そう言って、ライン通話は切られた。その後、丁寧に、悲しい顔をしたスタンプも送られてきた。
サッシを開けると、雨は降っておらず、生ぬるい風が部屋の中に流れた。僕は、少しばかり、どこからともなくやって来たイラつきに、心奪われた。ヒロトの強引さのせいか、生ぬるい風のせいかは、分からなかった。少し外の風にあたろうと思った。黒のジャージのズボンを脱ぎ、ブルージーンズをはく。上半身はジャージを着たままだった。玄関で、安物のスニーカーを履き、ドアノブに手をまわす。ガチャリという音が、いつもより大きく響いた。
階段を降り、踊り場にできた、水溜まりを避け、足早に階段を下りていった。
ぼろいマンションの隣には、小さめな公園があった。何だか、無性にタバコが吸いたくなった。
僕は公園に入り、携帯用灰皿をポケットから取り出し、セブンスターに火をつけた。
水銀灯の光に照らされて、紫煙が上昇していく。大きく煙を吐き、さっきまでのイラつきがなくなっていることに気が付く。感情っていったい何だろうと思ってしまう。ふと,空を見あげた。
どんよりとした雲の切れ間から,、薄いオレンジの三日月が見えた。まるで小さな川に架けられる前のアーチ状の橋に見えた。
公園の中に、柴犬だろうか、犬を連れた初老の男がやってきた。肩幅があり、背が高く、ちょっとイカツメの感じに思えた。リードを伸ばしているのか、柴犬は、僕の足元までやってきた。愛くるしい目をし、舌を出し、僕を見つめていた。
「お兄さん、悪いね」男はリードを狭めた。
「大丈夫です。僕、犬平気ですから」そう言うと男は水銀灯の光の下、にっこりと笑った。飼い犬と同じような目をしていた。
「犬は、いいもんだ」少しダミ声だった。男は犬の頭をなで、犬は嬉しそうに尻尾を振った。
「かわいいですね」僕は言った。
「こいつと、いると、心が落ち着くよ」ジャージ姿の男は少しばかり溜息混じりの声をだした。男も携帯灰皿を取り出した。長めのどこの銘柄かわからない高級そうな茶色の煙草だった。
「若いのに煙草を吸うのだね」煙草の香りが鼻腔をくすぐる。
「そうですね、吸えば落ち着きます」
「最近は、煙草を絶対悪だと思っている人が多いが、それだけじゃないと、私は思っている。
現に、今、こうして、話のネタにもなっているしね」どこか不思議な感じがした。話の分かる親戚の叔父さんに久しぶりに会ったみたいだった。
「まだ、学生か」男は言葉を続けた。
「いえ、ついこないだ大学を辞めたところです」
「そうか、それはいいことかもしれない。勿論、君の意志で辞めたんだね」
「そうです」
「じゃあ、悪くない選択だ」
悪くない選択、その言葉を僕は頭の中で反芻した。普通はという言葉もよぎった。見ず知らずの男に、将来の不安は言うことではない。ただ、今の僕を肯定してくれる言葉はありがたかった。柴犬が、クーンと鳴いた。
「じゃ、良い夜を」そう言って男はリードを短く絞り、煙草を吸い終え、ゆっくりとした足取りで、踵を返した。
「どうも」僕は軽く会釈した。
夜の公園に一人、僕はどこか取り残されたような気になった。空を見上げると、三日月か、なぜか、人の口元のように見え、薄笑いを浮かべているように思えた。
ふと、公園の出口を見ようとした。来た道を戻るように見た。一瞬、深い眩暈に襲われた。僕は自分の目をこすった。そして何度も瞬きをした。でも、何度見ても、公園には出口が無かった。
僕は夢の中にいるのだろうか、いや、そんなはずはないと思った。でも確かにあった。入口は、今はどこにもない。僕は歩き出した。さっき会ったと思われる入り口のほうに向かった。そこには植え込みがあり、その奥には、薄いグリーンのところどこらが、色の剥げた策があるだけだった。策の上には有刺鉄線幾が幾重にもはるか高く巻かれていた。
呆然とした気持ちで空を見上げた、三日月がこちらを見て、確かに笑っているように見えた。
ここから、もう、僕は出られないのか、いきなり、永遠の夜の中に閉じ込められたのか、僕は、辺りを見回した。赤茶けた滑り台、その周りに砂場、ベンチが一つ、そして、小さな公園なのに、トイレがあった。
夢なのか、僕は思いっ切り頭を左右に振った。何度も何度も、軽い耳鳴りがしたが、目の前の景色はいっこうに変化しなかった。
僕はベンチに腰掛けた。ジャージのポケットから、煙草を取り出し、火をつけた。
気持ちがわずかだが落ち着いた。犬を連れた初老の男と話をした。それは、ついさっきのことだ。僕はどうしてしまったのだろうか。どこからともなく犬の鳴き声が聞こえた。影のようなものが僕に近づいてくる。さっきの男が連れていた。柴犬だった。どこから入ってきたのだろう。犬は僕の足元にすり寄って来た。僕は不意に尿意をもよおした。犬の頭を撫で、僕はベンチから立ち上がり、トイレへ向かった。ちょうど水銀灯の真下にトイレはあり、暗めだったが、十分、人工的な光は届いていた。用を足し終わり、手を洗おうとした時、公衆トイレにしては、珍しく、鏡があることに気づいた。僕は自分の顔を見つめた。そこには、僕が僕だと思っている顔は無く、鏡の中には、さっきの初老の男の顔があった。僕は驚き、たじろいだ。犬が嬉しそうに吠えている声が聞こえる。僕はあの男になっているのか、とても、怖かったが、僕は鏡を凝視した。鏡の中の僕は口角を上げ、笑い出した。僕は決して笑ってはいない。
「お前は、おれだ」鏡の中の男はそう濁声で言った。僕は鏡の前から後ずさりした。僕はその場から逃げ出した。公園の中央まで走った。強い風が吹き抜けた。土の感触が柔らかく、スニーカーの底からつたわってきた。
意味が分からない。僕はやっぱり夢をみているのに違いない。右手で僕はとても強い力で、頬を張った。何度も、何度も。でも、目の前の、今ある風景は変わらず、目が覚めることはなかった。犬がこちらをじっと見ていた。僕はまた煙草に火をつけた。指先が震えていた。
水銀灯はもちろん、何も語らず、光を放つだけだった。ただ、一つ気づいたことがあった。監視カメラが、あることだった。何かには見られている。それは何か、僕にはわからないが、大きな、不気味なものに感じた。背筋に悪寒が走った。
ポツリ、ポツリと、雨が降り出した。次第に雨足は強くなり、激しく降り注いだ。僕は、意を決して、植え込みを抜け、高い策の前に立った。自分の動悸が激しくなっているのが分かる。
策に手をかけ、登りだした。何とか、この公園から抜け出そうとした。必死によじ登ろうとすればするほど、策も登った分だけ、高くなっていった。僕は泣きそうになり、力が入らなくなった両手を滑らせ、土の床の上に落ちてしまった。仰向けになり、激しい徒労感に襲われていると、策のむこうから、光が見えた。僕は顔を上げ、その光を見た。懐中電灯を持った。数人の人影が見えた。やがて、その人たちは策の手前までやってきた。
「大丈夫か、心配するな、私は君だ」そう言った。
大きな鋏のようなもので、男たちは、策を素早く、切っていった。人一人、通れる大きさのような、空間が開いた。
「急いで、この策の外側に出るんだ、早くしないと、策はまた閉じてしまう」男の一人が言った。僕は何とか立ち上がり、策に近づいて、確かに、切られた策はまるで、生きた植物が早回しで、成長するように、切られた場所が、触手のように伸びだしていた。僕は必至で、策を通り抜けた、途中、策の先端が、腕にあたり、軽い傷を負った。
策の向こう側に出ると空気感が変化しているのが分かった。まるで山の空気を強く吸い込んでいるようだ。
「なんとか、間にあったな」男の一人が、僕を懐中電灯で照らしながら言った。
「ここは、いったいどこなのですか」僕は男に質問した。
「それは、私たちにも理解出来ないところなんだ、ただ、君は私であることは正しいはずだ」
「どういう意味ですか」
「まあ、戸惑うのも仕方がない。もっとわかりやすく言えば、我々は何かの一部で、大切のものを共有しているということだ。今まで、君のいた世界では人間というカテゴリーにはいるが、人間は混沌とし、良く争う。また、他人という概念もある。ここでは、その概念はほとんどない」そういって、男は僕の傷口を見た。そうして、男は分厚い防護服のような服の袖を捲った。そこには、僕と同じ場所に傷があった。
「血はまだ赤い」そう言って男は安堵したように思えた。さらに懐中電灯を自分の顔にあてた。そこには、僕の顔があった。
現実を飲み込めない僕の頭は混乱していた。ただ、僕は、今は彼らに従うことが賢明だと思った。
「傷の手当てをしよう」彼らのうちの一人が言った。顔は見えないが、たぶん僕と同じ顔をしているはずだ。
彼らは黙ったまま歩き出した。彼らの後についていく。公園の外は僕が今まで見ていた世界と、まったく違っていた。まるで、車の走っていない、近未来的な高速道路なような道が長く続いていた。両端にはパイナップルの木のような塔が立ち、煌々と、道を照らしていた。
彼らの中には、僕ではない一人の女性が混じっていた。正確には、僕と同じ顔をし、灰色の防護服のようなものを着た二人と、長い髪を束ね、迷彩服に身を包んでいる女性だ。その横顔は、鼻筋が通り、色が白く、意志の強そうな目をしていた。どこか,懐かしさを感じてしまう顔をしていた。
「どうして、彼女は、僕ではないのですか」
「それは、彼女が君のパートナーだからだよ」男の一人が、僕の笑顔をして言った。ややこしいことだらけで、僕はどういう意味かという質問をすることもできなかった。
道が下り、広い海が目の前に開けた。潮の香がした。浜辺に、古びた木造の建物があった。
建物の中に入り、僕は彼女に傷口の手当てをしてもらう。とても澄んだ目をしている女性だと思った。
「あなたは、僕のパートナーなのですか」僕は思わず、さっき聞いた言葉を口にした。彼女は、じっと僕を見つめた。
「運命だからです。と周りは言うのです」そう彼女は言った。僕は真っすぐな視線にたじろいだ。
「そんなもの、あるのですか」僕は、真剣に問いかけた。
「私にも分かりません」きっぱりとした口調だった。傷口に包帯が巻かれ、僕は腕をゆっくりと伸ばした。
一人の男が、私のことをブルーと呼んでくれと言った。もう一人の男はレッドと呼んでほしいと笑顔を見せた。見分けがつかない僕の顔をどう判断するのか、そう思った。するとブルーのほうが、右手で目の上を指さした。そこには傷痕があった。僕にはそんなものはない。さらにレッドは口元を指さす。そこには、また、僕にない傷痕が合った。
「我々は、同じだ。だが、傷痕は違う。これで見分けはつくだろう」ブルーは白い歯を見せた。どこからともなく、犬の鳴き声が聞こえた。それは公園で聞いた声だった。
「あの犬も、どうやら、こちらに来たみたいだ」レッドが言った。
コンコン、掘立小屋を叩くような音が聞こえた。ブルーが扉を開ける。そこにはあの柴犬が一匹いた。僕の顔はしていなかったので安心した。
「あの男のカモフラージュもこれで、出来なくなる」レッドが言った。
「どういう意味ですか、あの男とはもしかして」
「そうだ、君が公園であった男だ。彼は君になろうとしただけだ。決して君ではない。君の無意識の中にある憎悪が呼び出したものだ。まあ、簡単にいってしまえば悪魔のようなものかもしれない。急いだほうがいい。あの男は、焦っているかもしれない。君が行動をうつす前に、ここにやってこられたらまずい」レッドが神妙な顔をした。
「一つ、確認しておきたい。君は元の世界に戻りたいか、人間の世界に。いい場所だと思うか、君がいた世界は」ブルーは少し難しい顔をした。
「いい場所とは思わないが、戻らなければいけないと思う」
「それは、正直な気持ちだな」ブルーの声は確認を求めているようだった。
「間違いない」
「よし、分かった。それを聞いて安心した」ブルーはそう言い、レッドと目を合わせ、頷いた。彼女は、じっと、部屋の中にある小窓から海を眺めていた。
「じゃあ、外に出よう、君は彼女と一緒に、海を渡らなければいけない。それは急がなければいけないことだ」レッドは顎に手をやりながら言った。そして、僕は彼女の方を見た。
「君の名前はなんていうのですか」僕は少し、体が熱くなるのを感じた。
「未希です」彼女は言った。
「運命なのですか」僕は問う。
「それは、分かりません、ただ、あなた次第のような気もします」未希は澄んだ目を僕にむける。
「急ごう、奴が、君の憎悪がやってこないうちに」レッドが言う。
「もしかして、あなたたちは」
「言わんとすることは分かる。私、ブルーは君の穏やかな心かもしれない」
「そして、私、レッドは君の情熱かもだ」レッドは微笑んだ。
僕たちは建物の外に出た。風は緩やかに吹いていた。浜辺には一隻の小舟があった。木造の、萎びた舟だった。一本だけ、比較手的、おおきな櫂があった。
浜辺を歩いていると、足の裏に、砂の感触があった。それは、何か足を取られるようなものだった。ふと、僕は振り帰った。そこにはあるはずの僕の足あとが無かった。
「ここでは、時として、真実が目に見えるのです。足あとというのは過去です。本当は過去などなく。時間という概念は勝手に人間が作って思い込んでいるもので、今がすべて、今しかないということを教えてくれているのです」未希はそう言って、初めて微笑んだ。今しかないという言葉が僕の胸の奥に深く沈んでいった。それは、とても静かに、澱が積もるようにだった。
僕たちは小船の傍らにいた。
「運命というものを信じるか」ブルーは未希に言った。
「まだ分からない」未希はまるで風によるかかるように、ふわりとしていた。
「この船に、乗ることに迷いがあるみたいだな」レッドは意味深げな顔をした。犬が小屋の方から走ってきた。激しく吠えた。
「急いだほうがいいな、憎悪がもうすぐそこまで来ている。未希、我々も運命というものがどういうものなのかは、はっきりとは理解していない。ただいえることは、今は君の決断が必要だということだ」ブルーは目の上の傷を右手で撫でた。
未希は暫く黙った。そして、強い目で僕を見た。僕には彼女が必要だとすごく感じ、見つめ返した。理由は分からない。未希は小さく頷き、僕に向かって右手をさしだした。僕も腕を伸ばし、手を重ねた。とても、小さな手で、温もりがあった。
「船に乗ります」未希は強く僕の手を握った。
ブルーとレッドが力強く、小舟を浜辺から、海へと押した。波は静かに小舟の周りを包み込むようだった。僕は櫂を持ち、小舟に乗った。未希も僕の後に続いた。
「また、会えるかもしれない、もう会わないかもしれない」ブルーは柔らかい笑みを浮かべた。
「分からないことだらけだろうが、今は真っすぐ海を渡るしかない」レッドも笑顔を見せる。
「分かりました」僕は櫂に力を込めて、船を進めだした。空には沢山の海鳥が飛んでいた。彼らは何のために、空を飛ぶのだろう。生きる為。そして僕は今、海を渡る。
振り返ると、ブルーとレッドはとても小さくなっていた。波の勢いは激しさを増し、小舟は大きく揺れた。未希は両膝を抱えこむように座っていた。
「大丈夫ですか」僕は言葉をかける。
「嫌な予感がする」未希の唇は少し青かった。僕はただ、必死に櫂を動かした。空はどんよりと曇り、風は強く吹きだしていた。
小舟は多きく揺れだし、強い雨が降り出した。僕は未希が巻いてくれた包帯が、雨に浸されていくのを感じていた。どこへ、向かっているのだろう。ものすごい不安が胸の中によぎる。
どれくらい時間がたっただろうか、他の船が、何隻か見えた。そこには安堵は無く、何か、不吉なものを感じた。船は徐々にこちらに近づいてくる。その数は、だんだん、増えていき、途轍もない数になった。全てが、今僕が乗っている小舟と同じくらいの大きさで、一人の男が乗っていた。
三日月が、また笑っていると思った時、船に乗る男たちの顔が見えて。それは、僕の顔だった。僕は体が震えているのが分かった。
「あなたが、運命なのか、どうか、私には分からない」未希がポツリと言った。僕の顔をした男たちはみな笑顔で、未希を手招きで誘っている。
一隻の小舟がこちらに体当たりしてきた。男の顔には、眉間に深い皺がよっている。怒っている僕だ。小舟はうねりを上げるように揺れた。僕も、未希も海に放りだされかけた。
小舟の横側の底に穴が開いた。海水は見る見る、船の中に入ってくる。男は未希を手招く。だが、体当たりしてきた男の船も、破船し、どんどん、沖のほうに流されていった。このままでは、船は沈没してしまう。周りには、僕の顔をした男達が漕ぐ船が集まってくる。
「このままでは船が沈む」後からやって来た男が言った。未希は僕の方を見た。
「行けばいい」もう、僕は疲れていた。
「乗れるのは、一人だけだが」男は少し申し訳なさそうな顔をした。
「それは分かっている」僕は空を見上げた。三日月が笑っていた。
海水はどんどん浸水し、僕は、なぜかしら、ライオンに獲物ととして囚われた草食動物を思い出した。どこか、大きな諦めの気持ちになった。
未希を乗せた舟は、どんどん、沖へと向かっていく。僕はぼんやりそれを眺めていた。
もう駄目だと思った。僕は静かに目を瞑る。人生に何の意味があるのだろうと思った時、
僕は目を開けた。
そこにはここに来る前にいた公園があった。僕はベンチに座っていた。
スマホが振動した。ヒロトからだった。
「もう一度、確認の電話だ。明日大丈夫なんだろうな」僕は公園の出口の方を見た。そこには、確かに出口があった。
「大丈夫だ」
「そうか、じゃあ、明日」そう言って電話は切られた。僕は、何を見ていたのだろう。まったく意味が分からない。
飲み会の当日、僕は少し遅れた。場所は、小さな居酒屋だった。店の名前はシップだった。
「よ、主役,登場」ヒロトが茶化して言う。
見覚えのあるメンバー達、僕は、ほんの少し、意識がどこかにいき、夢を見ていたのだろう。何だか、哀しい夢だったかもしれない。世の中は、よくわからないことがよくある。
ふと、一人の、女性に目がいった。僕は強烈に驚いた。未希だった。
「初めまして、関係ないのに来ちゃいました」未希は微笑んだ。
僕は、ただ、突っ立っていた。
了
読んでくれてありがとうがとうございました。感想を言っていただけると幸いです。