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7. アニカ、歓談する。

 朝は小鳥の囀りと、人の気配で目が覚めた。


(疲れた……)


 寝起きだというのに、頭が痛くて体が怠い。瞼が開けられそうになかった。何故だっけ、と考えながら寝返りを打つ。と、


「おはようございます。今日は爽やかな朝ですね」


 ごく近くから聞き慣れぬ低音がして、ぎょっと目を剥いた。と同時に昨日の出来事が刹那に脳内を駆け巡った。

 すわまた寝台の中かと、蛙のように飛んで逃げる。


「ままままたこんな所まで入ってきて……ッ」


 昨日と同じ部屋の角まで逃げて前掛けの下の短剣に手を伸ばーーそうとして、違う、と気付く。


(お仕着せ取り上げられてるんだったぁぁ!)


「あぁもうダメ逃げ場がないぃぃ」


「え、えっ? だ、大丈夫ですか?」


 頭を抱え込んで蹲るアニカに、まるでつられたように動揺した声が上がる。その声の調子に、アニカははたと気が付いた。よく聞けば、マルセルとは違う、優しげで穏やかな声のようである。


 そっと腕の隙間から改めて声の主を確認すると、寝台ではなく扉の近くに控えるように、一人の男性が立っていた。侍従のお仕着せを身に纏っている。


「…………どなた?」


 結局男には変わりがないので、アニカは兎のように縮こまったまま問う。すると男性は、返事があったことにとても満足したように破顔した。物腰柔らかく頭を下げる。


「失礼いたしました。ミリアン・ベルンシュテインと申します。メルア嬢から引き継ぎまして、本日よりアニカ様の身の回りのお世話をさせて頂きます」


 ゆっくりと頭を上げると、再びにこりと微笑まれた。

 父と同じだからだろうか、落ち着いた亜麻色の髪と瞳は、底抜けに優しそうに見える。しかしアニカは床に両手をついて愕然と項垂れた。


(ほ、本当にニコまでいなくなった……!)


 しかし一方で、残りの五人の中から侍従長を選ばずに済んで、僅かながら安堵してもいた。とは言っても、アニカはこんな人の好さそうな人でさえも、気を抜いて近寄ることが出来ない。


 どうしようかと困っていると、それをどうとったのか、ミリアンが慌てて言葉を足した。


「あ、でもお着替えや湯浴みなどに関しては、今まで通り侍女が対応させて頂きますので、ご安心くださいね」


「よ、良かったぁ……」


 その言葉に、一気に体から力が抜ける。

 しかし最もアニカを慰めたのは、男性に裸を見られる危険がなくなったことでも、男性が一時的にいなくなる時間ができたことでもなかった。


(じ、常識人がいたぁ~)


 はぁぁ、と心の中で両手を合わせる。この人のことは心のオアシスにしよう、と勝手に決める。


 それを微笑ましく見守ってから、ミリアンが物柔らかに言を繋ぐ。


「わたくしのことは、空気のように思っていただければ結構です。質問などはなるべく、はいいいえで答えられるようにお伺いさせていただきます。お返事もご無理をなさらず、首を振って頂ければ大丈夫ですよ」


「…………」


 泣くかと思った。感激で。


(常識人では足りなかったわ。天使ね)


 勝手に格上げする。それ程に、ミリアンの言葉は慈愛に満ちていた。と同時に、この人ならなんとかやっていけるのではと思う。


 ミリアンには、アニカが苦手とする男性特有の威圧感が微塵もなければ、儀礼的な雰囲気すら感じられない。もしこれが完璧な演技で、実は裏で何かを企んでいると言われても、表面的な部分の評価だけで許せそうな気さえする。


 まともに会話が出来ない失礼を補うように、必死で何度も首を縦に振る。その熱意が伝わったのか、ミリアンも福福と頷いてくれた。


「では、もしよろしければ朝のお食事をご用意させて頂きますが、いかがでしょうか?」


 こくこく、と再び頷くアニカ。そうして部屋の隅に縮こまっている間に、ミリアンは何度か部屋を出入りし、丸テーブルの上に朝食の用意を済ませた。


「では三十分後にお食事を下げに参りますね。その後に侍女を呼んで、身支度を手伝わさせて頂きます」


 そして言葉通り、アニカに一切の無理を強いることなく、ニコ不在の朝は何の問題もなく進捗しんちょくした。


 そして再び、昨日のような華やかで少女らしい淡黄色と若草色のドレスを着させられ。


(平和は終わった……)


 ニコが戻ってきた。例の婚約者候補たちを引き連れて。


(ミリアンさんの方が心が落ち着くって、どうなんだろう)


 もしやこれこそが母やニコの作戦だろうかとも勘繰って隣を盗み見るが、長年傍にいる侍女頭は相変わらず無情だった。


「本日は、ご婚約者候補の方々との相互理解を深めるため、お一方ずつ姫様とご歓談をして頂きます」


「はぁ……」


 ニコの誘導のもと、寝室から同じ階の談話室サロンに場所を移したアニカは、強制的に座らされた逃げ場のない一人掛けの椅子から、気のない返事をした。


 昨日、男性陣の仕事については話して決める、と聞かされていたため、昨日のように取り乱したりはしない。だが気乗りしないことに変わりはなかった。

 レヴィとマルティ以外の全員と話すのが今から億劫で、頭の中では会話よりもいつ逃げようかということばかりが頭を占めていた。


「では早速、マルティ様をお呼びして参ります」


 アニカの心の準備については一言の確認もないまま、ニコが早くも隣室で待つ婚約者候補を呼びに行く。


「マルティ様です」


 ニコがそう言って招き入れたのはしかし、少年一人だけではなかった。当然のようにミシェリがついてきている。


(やっぱり……)


 がっくりと項垂れながらも、ミシェリと二人きりで話すよりはましかと気持ちを切り替える。


 ニコに案内された二人は談話室の反対側の壁を背に、マルティが椅子に座り、その傍らにミシェリが直立した。

 談話室は寝室よりも広いのだが、こればっかりは何度もニコに念押しした。こうでもしないと、顔を見るどころかまともに会話が出来ないからである。


 辛うじて顔が判別できる距離で、まずマルティが口を開く。


「よろしく」


「よ、よろしくお願いします」


 昨夜ぶりなのだが、ミシェリがいるせいか、昨日よりも緊張度が高い。この状況で一体何を話したら、とニコを見ると、早くしろと言いたげに顎を動かされた。


(うぅぅ、帰りたい……)


 早くも涙目になりそうな自分をどうにか叱咤して、事前にニコと話したことを思い出す。まず、男たちにお願いする仕事は護衛が二人、侍従長補佐が二人と考えればいいとのことだった。


 次に、会話に困ったら、理想の結婚や夫婦像、結婚後の生活の希望について聞いてみると良いと言われた。


 早速困ったので、そのまま聞いてみる。


「あ、あの、け、結婚したら、どんな風に過ごそうとお考えですか?」


 唐突過ぎる質問に、九歳のマルティは碧い瞳を見開き、ミシェリは鋭い目つきを更に険しくした。


(それは、そうよねぇ)


 我ながら九歳に何ということを聞くのかと思うが、この時間を早く終わらせるには聞かないわけにもいかない。それはマルティも分かってくれたようで、一度頷いてから答えてくれた。


「結婚は、男として生まれた者の義務だと心得ている。家のためとはいえ、出来る限り相手の女性を第一に大事にしたい。なるべく一緒にいる時間を作って、お互いの理解に努めたいとも思っている」


「そ、そこまで考えているの? やっぱりマルティは立派ねぇ」


 一言目からグサッと来る内容ではあったが、その内容は将来をしっかりと見据え、よく考えられたものであった。すっかり親心が芽生えて、つい感心の声を上げてしまう。


 これに「勿論です」と胸を張って答えたのは、何故かというかまたもやミシェリであった。


「で――マルティ様は常に上に立つ者としての自覚を持ち、下の者に対する配慮も欠かしません。その心意気たるや、生まれた時から王者の風格。その上この奇跡のようにサラサラで美しい御髪おぐし! 太陽よりも眩しく輝く瞳! 頬ずりしたくなるような桃色の頬! その成長途中の未発達な体がもつ至高の美しさは、他にたとえようもな――」


「ディー、黙れ」


 舞台役者もかくやという程の身振りのついた長口上を、マルティが一言で捻り潰した。


「御意」


 と、ミシェリも何の抵抗もなく低頭する。どうやらよくあることらしい。


 と同時に思う。ミシェリの仕事はマルティの護衛以外にはなさそうである。


(これはもう、この人には聞かなくてもいい……よね?)


 という思いで、ちらりと扉の前に控えるニコを見る。当然のような顔をして首を横に振られた。悪魔め。


「ち、ちなみに、ミシェリさんは、結婚については……」


「世に言う結婚適齢期の人間は、既に美を放棄し始めている段階です。あり得ません」


「…………はぁ」


 よく意味が分からなかった。結婚するつもりはない、ということであろうか。だとしたら完全に候補者から外れたと考えていいであろう。


(良かったぁ。つまりこの人とはもう二度と話さなくていいってことよね?)


 全員の中で二番目に目つきが悪いと感じていたので、心底安心する。


「で、では、ミシェリさんにはマルティのことをよろしくお願いします」


 これで終わりとばかりに頭を下げる。


「言われなくとも死守致します」


 ミシェリも、しかつめらしい顔をして低頭した。


 ニコが扉を開けて二人を見送る。ホッと息をついたのも束の間、次の候補者はすぐに現れた。全員の中で一番に目つきの悪いラウルであった。


(早速この人っ? できれば二番目はレヴィ様が良かった……)


 難易度は徐々に上げていってもらいたかった。しかしラウルもまた、マルティと同じ椅子に座り、最長距離を取ってくれた。

 腕と足を組む姿はやはり威圧感が無駄に溢れているが、長時間直視しなければなんとかなるはずである。多分。


「ラウル・ヴィッテだ」


 座って一拍を置いてから、ラウルが腕組みをした姿勢のまま改めて名乗った。その意外に丁寧な物言いに、おや、と思う。どうやら、敵意や不満があるというよりは、その在り方は基本のようである。


 そう結論付けるまで十分にラウルを観察してから、アニカは先程の轍を踏まないよう、少し気になっていたことをまず聞いてみた。


「あの、ヴィッテ様は、アルベラーゼ様とお呼びした方が良いのでしょうか?」


「アルベラーゼの名は今後一切呼ぶな」


「は、はいっ」


 侯爵家三男との紹介なのに家の名を名乗らないのは何故だろうと思っていたが、どうやら触れてはならない話題であったようだ。びくっ、と亀のように首を引っ込めて押し黙る。


 それだけのことで、次の会話が怖くて切り出せなくなった。


(やっぱり本題から話せば良かった。どうしよう……)


 最早赤茶色の鋭利な瞳すらも見られず、自分の爪先ばかりを見つめていると、


「ラウルでいい」


 少し苛々した口調で、そう続けられた。

 はっと見ると、それまでずっとアニカを捉えていた瞳は気まずげに逸らされ、眉根も少しだけ困惑したように皺が寄っている。


(怒っている……のでは、ないのかしら)


 その感情をまだ上手く読み取れず、アニカも戸惑う。だがどうにか会話を続けられそうで、アニカは何とか本題への糸口を掴む。


「で、では、ラウル様」


「敬称も不要だ」


「ラ、ラウル……さん、は、結婚したら、家族とどのように過ごそうとお考えですか?」


 呼び捨ては無理だったので、すごすごとさんを付ける。だがラウルにはそれ以上に引っかかる単語があったらしい。


「家族……」


 すっと表情を翳らせ、呟く。逸らされたその横顔は、一時離れている家族を懐かしむ、というにはあまりに痛々しくて。


「家族との過ごし方……を、俺はよく知らない。近付くなと言うならそうする。要求は、出されれば可能な限り呑む」


 そう続けられた内容は、聞いているこちらまで哀しくなるようなものであった。ラウルが女性であれば、そっと手を取って「そんな悲しいことは言わないで」と慰められるのに。


 しかし眼前にいるのはどこからどう見ても男なので、それは不可能であった。代わりに、どうしても知りたいことを口にしていた。


「そ、それで、ラウルさんはその、寂しくは、ないのですか?」


 結婚後はずっと放置してくれるというのだから、アニカにとっては今のところ好物件なわけだが、それ以上にそのことが気になった。


 それは、常に仲睦まじい両親を見ているせいもあるかもしれない。けれど家督を継がないラウルが結婚すれば、王都か領地のどこかに夫婦二人で住むことは多分間違いない。それなのに、妻が希望すれば一切近付かないという宣言は、どうしても寂しいと思ってしまった。


 しかしラウルはその言葉が余程予想外だったのか、初めて仏頂面以外の顔をしてアニカを凝視した。


「えっ? あ、あの……」


 そんなに見ないでください。怖い。


「……そんな感情は、俺には無縁だ」


 思いが通じたのか、ラウルがやっと視線を外してそう答える。


 結局、それ以上会話をすることは出来なかった。


「ではラウル様には護衛をお願いするということでよろしいですね?」


 とニコが実質の終了を告げるまで、お互い黙していた。


 ずっとそばでラウルが睨みをきかしている姿を想像すると怖いばかりであったが、部屋から出なければ護衛は扉の外である。

 アニカは逡巡の末、「はい」と頷いた。


 そうしてニコに促されて立ち上がったラウルはしかし、談話室を出る寸前、立ち止まって振り返った。


「アニカ殿下」


「っはい」


「近寄るなと言うなら近寄らない。会話もしない。だから……俺を選べ」


「!」


 口調は命令に近いのに、その響きがまるで懇願に聞こえて、アニカは是も否も言えずただ見つめ返してしまった。

 しかしラウルはアニカの返事は求めていなかったようで、そのまま扉の向こうに消える。


(選べるものなら選びたいけれど……)


 ただ怖い、というだけで、彼の切なる要望に応えてあげられない。

 こういう時に、早く克服したい、と強く思う。

 その手立ては、いまだに分からないのだけれど。



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