3. ラズ、女装する。
◆
(やっぱり、こんなことやってられるか)
第二王女の小私室に向かう足を止め、ラズ・メトレベリはついに決断した。
父からの圧力と姉たちの脅迫まがいに負けて城まで足を運んでみたものの、結局納得は出来なかった。
男性恐怖症で結婚を嫌がる女性の部屋に、複数の男が突然結婚を迫って押し掛けるなど、最悪の恐怖であろう。とても、この先何十年と連れ添おうという女性に対する仕打ちではない。
「アラム。やっぱり帰るぞ」
背中まである乱雑な三つ編みを揺らして、ラズは背後に付き従っていた男に告げた。生家では乳兄弟として、今は城の下男として行動を共にするアラムである。
基本的に何事も真正直に行動する性格ゆえの宣言だったのだが、後で考えずともそれは失敗であった。
「なりません」
一つ年上のアラムが、呆れたような声で反対する。
ラズはムッとなって背後を振り返った。
「お前はおかしいと思わないのか? 男が怖いって言ってる女のところに男が押し掛けるなんて、どう考えても嫌がらせ以外の何物でもない」
「王妃殿下にも旦那様にも、我々には及びもつかない遠大な計画があるのでしょう。まずは従いましょうよ」
王妃の考えなどラズに分かるはずもないが、父であるメトレベリ公爵に関しては、多分絶対深い考えなどない。父の頭は九割筋肉だ。
お、丁度いいなーと思ったくらいだ、絶対。
「婚約するどころか、一瞬で嫌われるぞ」
「それを嫌われないようにするのが、貴方の腕の見せ所でしょう」
「剣しか取り柄がないのは、家族全員承知のはずだ。それを分かってて行かせるのなんか、兄姉全員面白がってるだけだ」
今回、最も末弟を行かせたがったのは、二人の兄よりも三人の姉の方であった。きゃっきゃと言いながらラズの服を仕立て、王女の落とし方をああでもないこうでもないと楽しげに議論していた。
あれは完全に新しい玩具を見付けた時の顔であった。
「ですが奥様は、心から貴方の幸せを願っておいでです。今回の話が上手くいけば、奥様はどんなにお喜びになられるか!」
「熱の入れる場所が明らかにおかしいぞ」
両手を組んで突然恍惚と目を輝かせ出したアラムに、ラズが冷めた口調で指摘する。だが、内容はあながち的外れとも言えなかった。
メトレベリ家唯一の良心、それが母である。
子供たちのことを理解しようという姿勢を、母からは毎日ひしひしと感じる。感じるのはいいのだが、いかんせん箱入りお嬢様時代の気質が抜けず、自由で話が通じない。
今回も、
「嫌です」
と真っ向から断ったら、
「まぁ、照れちゃって」
とにこにこと嬉しそうに返された。
そしてアラムもまた同じ末っ子として散々姉たちに玩具にされてきたくせに、何故かいまだに姉と母には絶対服従なのであった。
「お前、いざとなったら俺と母上、どっちの命令を優先するつもりだ」
今後の行動に不安をきたし、念のための確認をする。しかし悲しいかな、答えはあまりに予想通りであった。
「勿論奥様です!」
何を今更、という顔で断言された。
この熟女好きが、と心の中で舌打ちする。
「とにかく、俺は帰る。この話は断って――ッ」
しかし言葉は最後まで続かなかった。
踵を返したラズの左肩関節と手首を、アラムが後ろから押さえにきたのである。
「アラム、てめえッ」
ぐっと首を捻って背後のアラムを睨む。
だがアラムは至って平静であった。
「力づくでも連れて行けと、旦那様に言われておりますので」
「実行する奴があるかッ」
「ここにいます」
「見りゃ分からぁ!」
阿呆な問答に腹を立てながら、ラズは肩の力を抜く。そして一瞬できた緩みに体を捻ると、右足を大きく振り上げた。
「!」
どん、と軽い手応えのあと、拘束が外れる。だが二歩分距離を空けたアラムは、軽く右肩を押さえるだけであった。
剣技はラズの方が上だが、読みが上手いのはアラムの方なのだ。だが目的は致命傷を与えることではない。
この隙に、ラズは一気に駆けだしてその場を離脱した。
「ラズ!」
アラムが走り出す前に角を曲がり、近くの部屋に入って姿を晦ます。それから部屋同士を繋ぐ扉を何度も通り、居場所を攪乱する。
(さて、このあとどうやって逃げるか)
アラムとは、子供の頃からこんな鬼ごっこばかり繰り返している。見つけられるのは時間の問題である。
何か身を隠す物は、と周りを見た時、何故か侍女のお仕着せがソファに雑然と置かれてあるのが目に留まった。
(何でこんな所に……)
不自然ではあったが、使えるかも、とも思う。
子供の頃、姉たちの遊びの一環でしょっちゅう女物の服を着させられたせいで、着方は分かる。十六歳になってさすがに無理があるのは分かるが、アラムの目を誤魔化す時間稼ぎにはなるであろう。
最善手に思えたが、過去の苦い記憶がそれを実行するのを躊躇わせた。
(女装なんか二度とするか)
やっぱり却下だ、と別案を考えようとした時、
「ラーズー様、逃げても無駄ですよー」
アラムの本気かどうか分からない捜し声が近付いてきた。
まずい、と思うと同時に、慌てて服の上からお仕着せをかぶっていた。それからまた隣の部屋に逃げ、三つ編みにしていた黒髪を乱暴に解く。
そこから今度は回廊に出て、それらしい顔をして静かに歩いた。
「ラズ様ー。もうお時間ですよー」
すると前方から、あまりやる気の感じられないアラムの呼び声が聞こえてきた。顔を俯け、気付くなよ、と念じながらすれ違う。
(……成功した!)
アラムが視界の後方に消えて数秒、心の中で拳を握りしめる。
その直後であった。
「ラズ様?」
アラムが振り返る気配がした。と気付いた瞬間、手近な窓から身を乗り出していた。迷わず二階の窓枠を蹴る。
「ラズ!」
そうしてアラムが確信した時には、ラズは見事地上に逃げおおせていた。
アラムは律儀に階段を回ってくるであろう。その間に逃げて、お仕着せも脱ぐ。
捕まるよりも何よりもまず、お仕着せ姿を見られるのが嫌だった。絶対姉たちに報告される。
しかしすぐさま走り出そうとした瞬間、上から妙に大きな影がかかった。
ふっと顔を上げて見えたものに、ラズは思わず叫んでいた。
「バッ、何やって――!」
◆
「ぐえっ」
「きゃあっ」
二つの悲鳴が、同じ場所から上がった。
アニカは相手の声の低さから男だと思い、考えるよりも前にその場から逃げようとして、
「え、あれ?」
下敷きにしたのが見慣れたお仕着せだと気付き、途中で思いとどまった。アニカの代わりに尻餅をつく羽目になった侍女に、慌てて駆け戻る。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか? ちゃんと下を確認して、誰もいないと思って飛んだんですけど……」
「飛んだ? 俺はてっきり落っこちたのか、と――!」
お仕着せのドレスにもたつくような仕草の彼女に手を貸し顔を覗き込むと、同じく顔を上げた侍女と至近距離で目が合った。その青灰色の瞳が、ぎょっと目を剥く。
(あら。見ない顔だけど、私の顔は知っていたのかしら)
この三年で、随分認知度は落ちたものと思っていたが、勤勉な者もいたものである。しかもどうやら、ぶつかったのはアニカが間違って転落したのだと思って、助けようとしてくれたかららしい。
ニコであれば黙って放置されるところなので、久しぶりの親切にちょっと感動してしまった。
「それは親切にありがとうございます。でも慣れているので大丈夫ですよ」
「慣れてって……」
アニカの説明に困惑する侍女の声は、やはり男性のように低い。だが侍女のお仕着せを着る男性がこの城内にいるはずもない。
何より目の前の彼女は、美しい瞳こそ少しきつい印象はあるが、綺麗な黒髪は背中近くまであり、可憐に波打っている。
アニカは素直な疑問として零していた。
「それにしても、随分低いお声ですけど、お風邪でも、」
「っげふがふ!」
「まあっ、大丈夫ですか?」
召されたのですか、と続けようとしたのをやめて、慌てて背中をさする。と、「大丈夫だ」と押し返された。どうやら謙虚な人物のようである。
「声は、その……元々低くて、今は風邪もこじらせてて、だから……気になさらないでくださいませ、ほほほっ」
意外に大きな手で口元を隠し、上品に笑う侍女。しかしアニカは笑い事ではなかった。風邪引きを心配させた上に、下敷きにしてしまったのだ。風邪が悪化したらアニカのせいである。
「ご、ごめんなさい。体調の悪い方に、突然体当たりのような真似をして」
改めて頭を下げる。
何かしらの謝罪をしたいと思ったが、いかんせん今は逃げ始めたばかりである。ゆっくりしていたら、いつどこからニコが現れるか分かったものではない。
「謝罪に何かしたいのですけど、今ちょっと取り込んでて」
「いや、そんなものはいい」
アニカの言を遮って、侍女が手を振ってとっとと立ち去ろうとする。アニカはそれを、慌てて手を掴んで引き留めた。
「いいえ、そういうわけにはいきませんっ。後で……いえ、職場と、お名前を教えてください。また機会を作ってご挨拶に行きますから」
「そこまで!? あんた王女だろうに」
「挨拶と礼儀に身分は関係ないと、母から徹底的に教え込まれていますので」
過去の教育課程を思い出して少し蒼褪めるアニカに、侍女が少しだけ憐憫の眼差しを向ける。
「……だが、やっぱりそんなものはいい。お――ワタシが勝手に着地点に入ってしまったようだし」
「でも、お怪我がーー」
と食い下がろうとした言葉はけれど、遠く聞こえてきた呼び声に、ぴたりと止まった。
「げっ、ニコ・メルア!」
「え?」
先にその名を呼んだのは、何故か侍女の方であった。と同時にバッと顔を背ける。
その仕草を不審がりながら、アニカも侍女が先程まで見ていた方を振り返る。と、確かにこちらに走ってくるニコの姿があった。
「「見付かった!」」
思わず上げた声が重なり、反射的にまた隣を見る。と、侍女が振り向いた先を見てまた慌てていた。どうやら、お互いワケありのようである。
「そ、それではっ」
「あぁ、じゃあな!」
お互いこれ以上の会話は無用とばかりに、二人同時に反対方向へと走り出す。背後で侍女が距離を空けてニコとすれ違う瞬間、アニカも下男の恰好をした男性と大分距離を空けてすれ違った。




