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38. マルティ、謝罪する。

 大会優勝者と国王陛下との問答が終わると、春祭りカザクフリはいよいよ大詰めを迎える。

 円形競技場に集まっていた人々は大通りに流れ出し、隙間なく並んだ天幕(カセタ)に思い思いに顔を出す。国王王妃両陛下は臣下を率いて王室聖拝堂に戻り、春祭りの無事の終了と感謝を述べる。

 のだが、今年は春祭りの期間中に馬車に繋がれていた馬が突然暴れ出し、外れた車が外壁にぶつかったせいで一部が崩落、王室聖拝堂は現在立入禁止となっていた。


「イアシュヴィリ伯爵は、約束を守ってくれたみたいだな」


「はい」


 代わりとして、ムゼ宮正面の前庭で祭礼を執り行う両陛下を南庭の東屋(トティ)から眺めながら、ラズがそう言った。アニカは小さく頷きながら、クィルシェのことを思い出していた。


 クィルシェは最初から、ラズたちに危害を加えるつもりではなかった。最初の目覚めこそ力が暴走してしまったが、あれは覚醒した意識の時間軸が曖昧だったのと、力の加減がまだ体に馴染んでいなかったからだ。

 クィルシェはマルセルやイアシュヴィリ伯爵と対峙ながら、既に話の決着を決めていた。その時の落とし所も。だからそのまま終わって状況が不自然にならないように、外壁を破壊した。瓦礫などは風で内側に巻き上げ、原因が外的なものだと思えるように工作をして。


 他にも不自然さは色々とあるだろうが、それを誤魔化すぐらいの力は、イアシュヴィリ伯爵にはある。聖拝堂を出る際に合流したアラムにも、ラズから伯爵たちを手伝うようにと言ってくれた。

 アニカの占断を知る母もまた、伯爵を問い詰めて理由を知れば、王妃らしい力業の解決策を用意してくれるだろう。そのことについては、あまり心配はしていない。

 それが、アニカからイアシュヴィリ伯爵にした一つ目のお願いだった。

 そしてもう一つは。


「それよりも……本当に良かったのか?」


 以前にここで話した時と同じ位置に座りながら、ラズが少しの逡巡の末問う。それが何を指すか、アニカはすぐに分かった。

 イアシュヴィリ伯爵にしたもう一つのお願い、それは。


『クィルシェ様の再封印は、なさらないでほしいんです』


 クィルシェに復讐の意思はない。そのことをしっかりと説明した上で、アニカは我が儘と承知の上でそうお願いした。監視者であるイアシュヴィリ伯爵は勿論渋ったが、アニカはこればかりは譲れないと頑なに折れなかった。


「はい。クィルシェ様が出てくることはもうない気もしますが……それでも、封印されていない方が記憶の共有が鮮明になるのであれば、そうしたいと思って」


 封印があってもなくても、アニカの体感は変わらない。瞳の色こそ黄金色のままだが、魔法も使えないし、思考も影響を受けたりはしない。

 それなら、少しでもクィルシェに伝えたいと思ったのだ。

 憐れんでいるのかと問われれば、それは違うと答える。ただ、伝言を受けたからには、その結果くらいまでは、知る権利があるだろうと思うのだ。


「怖くないのか?」


 ラズの問いに、アニカは一瞬だけ瞠目してから、自分の胸に手を当ててみた。歴史上や伝説の中に見える女王は確かに恐ろしいが、ラトとの感情を教えてくれたクィルシェは、どこにでもいる、ただの不器用な女性だった。

 だから大丈夫だと、変わらず距離を空けて座ってくれるラズににこりと微笑む。


「怖くは、ありません」


「……そうか」


 それに、そう聞いてくれるということは、ラズは純粋にアニカを心配しているということだろう。そのことが、アニカはなぜか嬉しかった。


(やっぱり、ジーラさんのことだって、きっと悪意があったんじゃないわ)


 今を逃したら、きっと聞けなくなる。

 アニカは意を決して、ラズの瞳を見た。数秒見つめ合う。けれど青灰色の人見を見ているうちに、まるで舌が絡まってしまったかのように上手く言葉が出てこなかった。


(あ、あれ? こ、怖いわけでは、ないと思うんだけど……)


 再び自分の膝頭を見つめながら、内心で首を傾げる。心拍が妙に早い。

 病気だろうかと思っていると、ラズが「そう言えば」と口を開いた。


「マルティは、ラシャ殿下だったんだな」


「え? あ、あぁ……」


 突然の話題転換に驚きながらも、アニカは先程のことを思い出して頬を緩めた。

 ラウルと父との問答も終わり、会場を出ようとした所、ばつの悪そうな顔をしたラシャがディミトリー・ミシェリを後ろに従えて顔を見せたのだ。

 最初の一言は『ごめんなさい』だった。


『どうして謝るの?』


『それは……姉様を騙していたから』


『? 騙されては……ないけど……』


『……は?』


 辛そうな顔で謝るラシャにアニカの方が心苦しくなりながら、本音を言う。三年会っていなかったが、さすがに可愛い弟の顔を分からなくなったりはしない。


『でも、ぼくと話す時、すごく怯えて』


『そ、それは、ごめんねっ。男の子は、たった三年でも随分成長するなぁと思ったら、案外ダメで……』


 言い訳をすればするほど恥ずかしいとはこのことだと、六歳も下のしっかりした弟を前にアニカはつくづく思い知った。


『それでも、黙っていたことは事実だから』


 そう肩を落とすラシャのことも、アニカはもう怖くはなかった。第三王女サーシャの婚約の話を聞いた時から、ラシャの行動理由にもなんとなく見当はついていたから。


『お母様かお兄様に、自分からは言わないようにって、言われたのでしょ?』


『それも、知って……』


『ラシャは、サーシャが一番だものね。サーシャが幸せな結婚ができるように頑張っているんだろうなって思ったから、私も頑張れたから』


 母はともかく、兄ならば弟たちに意地悪な提案くらい笑ってしそうだ。そう言うと、『ご明察です』と可愛い苦笑が返ってきた。

 きっとあの後、ラシャは一目散にサーシャのもとへと帰ったに違いない。


「ラズ様は、弟たちの顔をご存じなかったんですね」


「あぁ。まだあまり表に出られていないだろう」


「二人ともお人形みたいに可愛くて、性格は正反対なのによく似ていて、可愛いんですよ」


「……そうか? 随分生意気な口の利き方だったと思うが……」


 微笑ましい後ろ姿を思い出してにこにこするアニカとは反対に、ラズはどこか納得のいかない顔をしている。

 ちなみに、ずっと後ろにいたミシェリはやはりラシャとサーシャの近侍らしいが、予想通りの双子至上主義らしく、アニカへの態度は変わらなかった。


「姫様」


 と、階段の下から声がかかる。少し場を外していたニコが戻ってきたのだ。


「ニコ。どうだった?」


「はい。テンギス・ベリーエフですが、医者に診せたところ、後遺症が残るような怪我はないとのことでした」


「そう。良かった……」


 ニコには祭礼が終わるのを待つ間、マルセルと共にクィルシェに飛ばされたらしいテンギス・ベリーエフの容態を確認してもらっていた。

 彼のしたことは、やはり怖いし、許せない。

 だが見方を変えれば、彼にとってはアニカこそが突然現れて人生を狂わせた悪役のようなものだろう。あの事件の代償は、アニカにとっては三年の引きこもりだったが、彼にとってはその後の長い人生に大きな影響を与えた。

 自業自得だとは今も思うが、同情の余地が全くないわけでもない。これ以上、何かの被害を与えたまま知らぬふりをしていたくはなかった。


「あと、これを」


 そう言って、ニコが階段を上がりながら両手を差し出す。色を濃くし始めた西日に照らされたそれを、アニカはぱちくり、と見た。


「お面? が、どうして?」


 その手には、白と赤で彩られた狐の面と、可愛らしい兎の面とが用意されていた。だが、もう用は済んだはずだ。意図が分からず小首を傾げると、そのままずいっと手渡された。


「どうぞお持ちください。今は、藁人形よりも、こちらの方が良いでしょう」


「?」


 それでも二つの面を持ちながら困惑していると、ニコが声を潜めてこう囁いた。


「ご武運を」


「!」


 ニコには、ラズとジーラのことは話していない。それでも、アニカがラズに何事か思うところがあることは、すでに気付いていたのだろう。

 アニカはぎゅっと面を握り締めると、ニコに頷きで返す。それから立ち上がって狐の面をつけると、キッとラズの方を振り向いた。戻ってきた狭い視界に助けられて、つかつかと歩み寄る。


「あ? な、なんだ今更?」


 突然の不審な行動に、ラズが座ったまま体を後ろに下げる。しかしアニカは構わず、手に持ったもう一つの面を、ラズの顔に合わせる位置に持ち上げた。


「ラ、ラズ様」


 呼びかけた声は上擦っていたけれど、今度は逃げずに、ラズを真っ直ぐに見られた。心臓はどくどくと激しく高鳴っていたが、可愛らしい兎の面が隠してくれたお陰で、どうにか次の言葉も出てくる。


「あのっ、王立全学校で、……あの時、ニコと一緒に私を助けてくれたと聞きました。すぐにお礼が言えず、申し訳ありませんでした」


「……は?」


 それは、テンギス・ベリーエフの言葉で気付いたことだった。

 アニカが身を硬くして必死に蹲っていた時、ニコと他の誰かがいたことには気付いていた。ずっと教師か誰かだろうと思っていたのだが、もしかして、と思い後でニコに確認を取ったところ、当たりだった。


「それに、私がいなくなったあとも、私のために怒ってくれたとも……」


 その時に込み上げた感情を、アニカは嬉しいような申し訳なような思いで噛み締めた。

 ラズの王立全学校での悪評については知らなかったが、それもアニカを思っての行動だったと知り、アニカが真っ先に抱いたのは罪悪感であった。アニカはそう感じるだろうからこそ、ずっと伝えなかったし、お互い知らぬ者同士としていたとも、ニコは明かした。


『だから、ご自分のためにと悔やまれるのではなく、姫様なりの感謝を、伝えてください』


 感謝なら、いっぱいある。罪悪感がなくなることはないだろうがも、それはこれから自分の中で折り合いをつけるものだと思った。だから今は素直に、お礼を言いたいと思った。

 ニコだけでなく、自分のために怒ってくれた人がいたことが――それがラズだったことが、体中が温かくなるほど嬉しかったから。


「その節は、ありがとうございました」


 目に見えぬ悪意がこの身を取り巻くように、目に見えぬ優しさもまた、身近にあるのだと。気付けなかっただけで、アニカは世界中の誰からも疎まれ、嫌われ、馬鹿にされていたわけではなかった。

 そんなささやかな事実が、アニカの心をそっと救う。

 本当はどこにもない恐怖に足を竦めて、一歩も踏み出せず、殻に籠ることで守るしかないと思い込んでいたアニカに、まだ優しさはあると、春が生まれるような小さな声で囁く。


「本当に……本当に、嬉しかった。ありがとうございます、ラズ様」


 ラズがいてくれて良かった。三年前のあの時も、今も。

 心の底から、そう思えた。


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