表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

38/41

37. アニカ、奮闘する。

 狐の面を付け、競技場に足を踏み入れる。予想以上の歓声が蒼天をどよもし、アニカを迎え入れた。


(すごい人……)


 予選の時とは比べ物にならない数の観客が、階段状の客席を埋め尽くしていた。この大会が、春祭りカザクフリの目玉の一つであることは言わずもがなである。だが今は、その大衆にも、男性にも、心は動じなかった。


 視線は自然と、天幕の張られた王族の観戦席に吸い寄せられていた。中央には国王である父が、その左隣には王妃である母が、ぴくりとも笑わずに座っている。見れば王太子として兄と、末弟のラシャも、傍らに見たことのある人物を従えて並んでいた。

 ラシャの心配げな碧眼に思わず眉尻が下がるが、それも対戦相手の登場でスッと意識が切り替わる。


 競技場の反対側の入口に、長めの黒髪を三つ編みにした、精悍な顔立ちの青年が立っていた。アニカと同じように、腰の剣帯に幅のある長剣を吊るしている。服は先程よりも砂がつき、所々擦り切れているようだが、大きな怪我はないようだ。


(良かった)


 ラズが中央に歩み出るのに合わせて、アニカも同様に進む。審判の声に合わせて一礼し、王族席に向き直ってまた一礼する。

 父の明朗とした激励の声の陰で、「さっきの試合凄かったな」「気迫が違ったな」などと騒ぐ声が聞こえたが、全部閉めだした。


「構え」の声に合わせて両者が抜剣する。互いの獲物の先を二度打ち合わせ、互いの間合いの外に下がる。

 二本の剣の向こうに見える青灰色の瞳には、先程の子供のような笑顔はない。だがもう、今までのような単純な怖さは感じなかった。


「始め!」


 掛け声とともにザッ、と土を蹴り、一気にラズの懐に入り込む。体格差を活かして体を縮ませ、近付いた瞬間に伸びあがって横腹を切り上げる。


「!」


 が、呆気なく弾き返された。そのまま駆け抜けて、改めて間合いをはかる。と、緩く剣を握りながら、ラズがどこか愉快そうに呟いた。


「すげぇ重み……練習の時とは大違いだな」


 けれどその表情は、言葉とは裏腹に余裕たっぷりだ。


(そう簡単には、いかないよね)


 そんなラズを、酷く凪いだ心持ちで眺める。全身隙がないと思うのに、不思議と気持ちは軽やかだった。と、面の陰越しにラズと目が合う。ニッ、とその口元が上がり、視界の下で剣先がゆらり、と揺れる、と見えた刹那。


「!」


 ラズの体躯が滑るように突進してきた。反射的に刃を立てて力を削ぐ。そこからは、力押しの打ち合いだった。

 性格そのままに真正面から打ち込んでくるラズの剣筋を、アニカの柔軟な剣が受けては流す。それは王立全学校時代、アニカが最も得意としていた戦法であった。


 当時から最も小柄だったアニカでは、力と勢いで押された場合、まともに受けても押し負けるだけだ。脳天を狙って力任せに振り下ろされる剣を、刃先で曲線を描いて受け流しながら寸前で避ける。そして次撃に移る前、隙の出来た脇に打ち込むのだ。

 が。


(いなしきれない……ッ)


 何合も打ち合っては流す。その繰り返し。隙ができた所で反撃に移るのだが、ラズの動きはまるでそれを許さない。隙を見せる前に次の攻撃に移る。その速度も動きも無駄がなく、打ち込まれる度にアニカは後ろに下がらざるを得なかった。


(押し切られる……!)


 ギン! と二つの刃がアニカの目の前で鋭く重なる。ギギギッと迫る剣をどうにか角度をつけて払いながら、後方に飛びすさる――その足元を、薙ぐように風が襲う。面の死角だった。瞬間、アニカは本能的に飛び出していた。前へ。


「ッ」


 ラズが息を呑む気配が至近でする。その首元目がけて最小限の振りで剣を繰り出す。


(当たる!)


 勿論寸止めするつもりだった。それでも、その直前の勢いは強い。アニカが勝利を確信した、その瞬間。


「ッ!?」


 右手首に蹴り付けられるような強烈な痛みが走った。


(しまっ――)


 距離を、と思う間もなく、首筋にひやりと冷たいものが当たる。アニカの手に剣は……ない。


「勝負あり!」


 ガランッと鋼が大地に落ちる音のすぐあと。遠く、そう宣言する審判の声が高らかに競技場に響き渡った。

 瞬間、会場全体に歓声がどよもした。

 割れんばかりの歓声の中、ふぅ、とラズの深い吐息が頭上から降る。アニカは首筋の刃を辿るように視線を上げ、見事に背後を取ったラズを振り仰いだ。


「まさか、あの体勢から回し蹴りがくるなんて、びっくりです」


「こっちこそ、死角をついたはずなのにあんなにあっさり反撃されるとはびっくりだ」


 確かに、面はアニカの視界を制限するから、男性の圧迫感を減らす代わりに死角も増える。その不安はあったが、実際にはあまり不利には感じなかった。その理由は。


「ニコ・メルアのちょっかいはただの悪戯かと思ってたが、ちゃんと役に立ってたんだな」


「ニコは、いつも私のことを一番に考えてくれていますから」


 複雑そうな顔をするラズに、アニカは面の下で満面の笑みを作る。ニコはいつもアニカの自慢なのだ。

 パッパッと手と膝の砂を払いながら、その場に立ち上がる。


「でも……真っ正直な剣筋は変わらないと思ってましたけど、凄く力が強くなってて、驚きました」


 久しぶりに真剣に打ち合って、昔の稽古を思い出したアニカはしみじみと言う。胸の中にはまだ凄い形相で涙を我慢する男の子がいたのだが、目の前の男性を見れば、もうそんな少年は影もない。

 妙な感慨に苦笑していると、ラズがしまいかけた剣を取り落として、ぽかんと目と口を開けた。


「?」


「おま……」


 そう、ラズが何事か口にしかけた時、


「見事なり。勝者よ、名乗りを上げよ」


 観覧席の中央から、良く響く低い声がかけられた。ラズが慌てて剣を拾って仕舞い、片膝を付く。アニカも後方に下がってそれに倣った。


「メトレベリ公爵家三男、ラズ・メトレベリと申します」


「おぉ、ではおぬしがヴァノ・メトレベリの息子か。ではおぬしの願いも、父同様愛しき者への告白か?」


 ラズのしかつめらしい名乗りに、亜麻色の髪と瞳を持つ国王ネストル三世は、実に福福しい笑顔で聞いてきた。ラズが咄嗟に礼儀を忘れて顔を上げる。


「ち、違いますっ!」


 その顔は真っ赤であった。だが褒美の頓知問答が許されているとは言っても、あまりに気安ければ場を読めていないと優勝者としての品格を疑われるだけだ。

 ラズはすぐに我に返って再び平伏した。だがその下ではまだ赤い顔のまま声を殺して呻いていた。


「だから出たくなかったんだ……!」


「?」


 アニカは生まれる前のことだから知らないが、ラズの父ヴァノは大会に優勝した褒美に、一目惚れした公爵家美人三姉妹の長女ニーナに告白の場を頂きたいと願い出た。ニーナにとってはそれが初対面であったらしいが、「まあ」と一言、快諾したという。

 この逸話は一時期大きな話題となり、生まれてきた六人兄弟には良きにつけ悪しきにつけ、その話が付きまとった。特にラズなどは、剣が上達すればするほど、「大会で告白するのかー」などとからかわれたものだ。


 それはさておき。

 ラズは忌々しい脳筋の父を頭から追い払い、思考を切り替える。


「俺――私の願いは、妃殿下のお時間を頂きたく」


 視線は地面に向けたまま、意識だけを隣に座するエリザーベト王妃に向ける。後ろにいたアニカは、突拍子もない内容に思わず声が出そうな程驚いた。だが国王は春祭りの武闘大会ということもあり、怒ることはせず、代わりに「ほう」と面白がるような声を上げた。


「夫の目の前で宣言するとは、さすがヴァノの息子。中々肝の据わった男だな。――どうする?」


 最後の言葉は、沈黙を守る王妃に向けられていた。

 当の王妃はというと、もったいぶるように羽扇で顔を隠し、その陰からラズを値踏みするように注視する。そして、つぅ、と視線を夫に流して返したのは、様子見のような模範解答であった。


「わたくしの時間は、全て陛下のものにございます。陛下がお許しになられるなら、構いませんわ」


「うむ。たとえ小僧っこでも、愛しい妃を奪われるのは癪であるなぁ」


 いちゃつきだした。公衆の面前なのに。

 今度はアニカが赤面する番であった。


(穴があったら入りたい……)


 と思っていると、ラズの意外な発言がそれを押し留めた。


「と、思っておりましたが、どうもその必要はなくなったようですので、辞退いたします」


「え?」


 予想外過ぎて、ついにアニカの口から間の抜けた声が漏れていた。慌ててラズの背を見ていた視線を下向けるが、内心ではラズの目的が分からなくて疑問符が大量生産されていた。

 それは国王も同じらしく。


「……何と? もうこの時間だけで気が済んだということか?」


「私の願いは、妃殿下が第二王女殿下とお二人で話される時間を持っていただくことでした。けれどもう……私が出しゃばる必要はなくなったようですので」


「!」


 想像もしなかった内容に、アニカは驚いてラズの背を凝視していた。その視線を感じてか、ラズが肩越しにそっと振り返る。その青灰色の瞳は、今までで一番優しくアニカに語りかけていた。

 もう、自分で言えるだろう、と。


(そんなことを、考えていたなんて……)


 こんな所でラズの真意を知り、アニカは言葉にできない情動に胸が詰まった。アニカはずっと、自分のことばかりを考えていたのに。


「ふむ。では、優勝の褒美は、準優勝者に渡ることになるが」


 その異例の言葉に、会場中が先程よりも大きくざわつき出す。

 ラズが膝をついたまま後退する中、国王の――父の視線がアニカの頭上で止まる。アニカは久しぶりの父との対面に心臓が暴れる程だったが、決然とその場に立ち上がった。今にも不様に震えだしそうな手で、どうにか狐の面を外す。


 癖の強い赤茶色の髪の下、低い鼻に薄い唇が現れる。眉尻は決意を表すように上がり、瞳は強い意思のもと一点を見つめている。そこに、かつて何もかもに怯えていた弱気で自信のない少女の面影はない。

 だが何よりも変わったのは、ヘーゼルよりも濃く鮮やかになった、黄金色の双眸であった。


「……金、か」


 国王が穏やかだった相貌を僅かに動かし、口の中だけでそう呟いた声は、会場のざわめきに呆気なく掻き消える。

 だがまだかすかに幼さを残す少女の顔を見て、それが第二王女だと気付いたのは、果たして貴族の中でも何人いたか。

 だが王族席に、そのことで表情を変える者はいなかった。


「お母様」


 アニカは声を張り上げた。


「お願いを聞いていただく約束、果たしに参りました」


 心臓が破裂しそうな程緊張しながら、それでもアニカは言った。

 母が頷けば、そっとしておいてほしい、と続けるつもりだった。

 だが。


「ならぬ」


「え?」


 母はきっぱりと言った。思わず聞き返すと、母はぴくりとも表情を動かさずこう続けた。


「お前、準決勝に出ていないね」


「! き、気付いて……」


 アニカはうっかり忘れていたことを指摘され、思わず声を裏返した。そうだ。準決勝に出たのは狐の面をしたラウルである。仕上がりがどうだったかは分からないが……アニカでないことは事実だ。


「自分の娘くらい、変装していても分かる」


 呆れたように言う母に、アニカは抗う言葉もなかった。


「では……」


「代理人を立てて勝利した者に、褒美を受ける資格はありません」


 高らかに宣言する母に、三度会場中が戸惑いの声を上げる。それを止めたのは、王族席に座っていた小さな王子であった。


「お待ちください、母上!」


 声変わり前の高い声で、双子の弟ラシャが兄を押しのけて母の前に出る。


「姉様は、母上との約束を果たすために、一生懸命、」


「それでも、不正は不正です」


 言い募るラシャの声を、しかし母は容赦なく遮った。


「王族の出場も異例、その上このような不正を許したとあっては、もう二度と、この大会は開けなくなるでしょう」


「そんな……」


 それはどこまでも至論で、九歳の少年にそれに対抗する言葉のあるはずもなかった。項垂れる弟に、アニカは嬉しい気持ちを込めて声をかける。


「いいの、マル――」


 ティ、と言いそうになって、そう言えば今は婚約者候補ではなく、ちゃんと弟だったと言い直す。


「ラシャ。いいのよ。お母様は正しいわ。……それに、私」


 緩く首を振りながら、アニカはそっと後ろに下がったラズを見る。仮面越しでなく目が合っても、アニカはもう怖いとは感じなかった。


「ちゃんと言えるから」


 再び視線をラシャに戻し、にこりと笑う。それから母をもう一度見、父に視線を止める。そして深々と平伏した。


「陛下。私も、辞退いたします。褒美は次位の者にお願いいたします」


 その言葉に、会場のあちこちから戸惑いの声が上がり出す。視線は物量を持っているのかと思うほどの圧力でアニカを貫いたが、今まで感じていたような気後れも罪悪感も不思議なほど消えていた。


(ううん、むしろ清々しいくらい)


 ラウルがしてくれたことを無駄にしてしまうのは申し訳ないが、確かに不正の上で褒美を受け取ることはできない。これで良かったのだと、アニカは晴れ晴れしい気持ちで思った。


(ラウルさんには、あとできちんと謝ろう)


 そう思っていると、審判が戸惑いを強く残したまま、「で、では、三位決定戦を、」と口を開く。しかしこれを止めたのは、父の思いもよらぬ一言だった。


「その必要はない。優劣は、既についているはずだ」


「は……? それは、どういう……」


 状況を全く飲み込めていない審判が、答えを求めるように国王を見やる。その頭の上には、先程のアニカのように疑問符をいっぱい並べているのが見えるようだ。

 だが国王もまたラウルの変装に気付いていたとすれば、理由は明快だ。三位決定戦となるラウルの対戦相手は、変装したアニカ――つまりラウルに、既に負けている。


(そっか。ラウルさんの願いが叶う、のか)


 そのことに思い至り、いつかレヴィと二人、口論していたことを思い出す。審判がラウルを探しに行く背中を見送りながら、アニカはラウルの望みと父の答えが、アルベラーゼ侯爵家に良い風をもたらすことを願った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ