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35. アニカ、帰還する。

 揺り篭の中でうつらうつらするような心地よさの中で、ずっと二人の他愛ない会話を聞いていた気がする。

 大きな喜びと小さな不安を乗せて沢山の質問を繰り返す男性の声と、返したりいなしたりする女性の声。そのどちらもが穏やかで、アニカのざわついて不安だった心を、不思議に落ち着かせてくれた。

 その中に時折知っているような声が混ざって、それを聞くたびにもう起きなくてはと、アニカは頭の片隅で思うのだ。

 声がどんどん遠くなるから。これ以上声が小さくなっては戻れないと、漠然と分かるから。

 けれど遠く彼らの声を聞きながら、アニカは確かに嬉しくなったり哀しくなったりしていた。それがどちらの・・・・感情なのかは、酷く曖昧だったけれども。


(……でも、怖くない)


 少しも、恐怖心は感じなかった。あんなにも逃げたいと、心の臓をギチギチと縛り上げるようだったのに。

 だからまぁいいかと、思考を手放し、再び揺籃のような会話に耳を傾ける。

 だが次に聞こえたのは、いないはずのアニカに向けられたものであった。


 ――そなたに伝言を託すぞ。……に気付いたら、必ず伝えておくれ。


 それはよく知っている声で、だから伝言の意味もすぐに分かった。


(……えぇ、もちろん)


 だから二つ返事で了承した。起きたくないなと、少しだけ名残惜しさが胸を掠めたけれども。それはとても大事なことだと、分かったから。


 遠く、声が頷く気配がする。目覚める時間だと、慈しみ深く導く。

 そして徐々に、体が重さを感じ始め――




「――――……カ! アニカ!」


 気が付くと、悲鳴のような怒号に名前を呼ばれていた。と同時に、両肩を強く握られて揺さぶられていると知る。

 まだはっきりとしない意識にどうにかしがみついて、瞼を押し上げる。けれど、自分の名を呼ぶ声が誰かは、その姿を見る前から分かっていた。


「……ラズ、さま」


「アニカ!」


 ぼんやりとながらも視界が開けた瞬間、大きな青灰色の瞳が、すぐ鼻先にあった。いつもの少し怒ったような顔ではなく、心から心配する色だった。


「アニカ、大丈夫か! 意識は、問題ないか!?」


 ラズの大きな手が、狼狽えながらもアニカの頬を手挟む。その感覚がとても気持ちよくて、アニカは目を細めて頷いた。


「うん、大丈夫……」


 何故か体中が鉛のように重くて気怠くて、まだ自力で体も起こせなかったけれど、それでも大丈夫だと答えた。

 クィルシェはもういない。アニカの中にはいても、表にはもう出てこない。だから、ラズの心配は大丈夫なのだ。


「姫様っ!」


「うおっ」


 ラズの手助けでどうにか上半身を引き起こしてもらっていると、そのラズを横に吹き飛ばして、ニコがその首に気遣いながら飛びついてきた。


「ニコ……」


「姫様、心配いたしました。もしお戻りになられなかったらと……」


 言いながら、ニコはどんどんアニカの首筋に顔を埋めて涙声になる。まるで顔是ない幼子が母にしがみつくようで、アニカはその背をとんとんと優しく撫でていた。いつもは常に冷静なニコが慰める役なのに、今日ばかりは逆転だと、少しばかりおかしく思う。


「いつも、心配かけて、ごめんね」


 色々な意味で、万感を込めて謝る。


「本当です」


 ぶすっとした顔で怒られた。年甲斐もなく抱き付いたのが、今さら気恥ずかしいようだ。


「何故こんなことになったのですか」


 ジト目で睨まれ、困り顔で視線を泳がせる。経緯は覚えているが、説明は難しいなと思ったのだ。

 言葉を返せないでいるうちに、詰問は居場所もなく佇立していたマルセルに飛び火した。


「それもこれも、あんたが……!」


「ち、違うのよ、ニコ!」


 城では決して使わない素の口調が出てきて、アニカは慌てて口を挟んだ。


「マルセル様は、その、助けてくれて……でも私が気を失ったから、クィルシェ様が代わりに助けてくれて」


 色々事情を省いてはいるものの、その説明が多分一番間違っていない。実際、クィルシェは男性耐性で限界を迎えたアニカを助けるために交替したようなものなのだ。

 けれどそんな説明で引き下がるニコでもなく。


「それも全てこの男が企んだことでしょう。姫様は完全な被害者なんですよ。何故庇うのですか!」


 びしり、と指をさして、もう肩身の狭くなっているマルセルを更に追い詰める。庇ったつもりはないのだが、そう言うとまた飛び火した怒りが返ってくるので、どうにかニコロズの怒りを鎮めるための言葉を探す。

 だがその前に、すぐそばに人の立つ気配がした。


「マルセル、テメェ!」


 振り仰ぐと、こちらに歩いてくるマルセルに対し、復活したラズが牙を剥いているところだった。そのさまは雄々しくて実に男らしいのだが、不思議と怖いとは感じない。

 ラズの警戒を受けながら、マルセルが二歩先で立ち止まる。そして深々と頭を下げた。


「アニカ姫……、その、申し訳ありませんでした」


 記憶が途切れる前のマルセルとはまるで別人のような印象に、アニカは目をしばたたいた。思えば、マルセルとの会話は全て迫られているものばかりで、普通の会話は恐らくこれが初めてだ。どう答えたものか、つい戸惑ってしまった。

 けれどクィルシェとの会話は全部聞こえていたし、マルセルの動機も知ってしまったあとでは、その表情はただ叱られるのを待つ子供にしか見えない。


「いえ。私も、母に認められたくて、武闘大会(コンヴェントシア)に出ているのですから……一緒ですね」


 ラトの面影もあるせいか、男性恐怖症もどもりもなく、素直にそう言えた。

 結局、みんな色んなことで悩み、苦しんでいる。その解決法は様々だし、時に衝突もしてしまうが、求めることはそう多くはないのだ。それを、ラウルとレヴィは武闘大会に求め、マルセルはアニカに求めた。どちらにしろ、アニカに真意を打ち明けなかったのは同じだ。


(私がもっときちんとみんなの話を聞いていれば、結果は変わっていたかもしれないのに)


 結局、ジーラと約束した相互理解は誰とも成し得なかった。そう思えば、半分は自分が招いたことのような気もするのだ。だから、マルセルを一方的に責める気持ちは湧かなかった。


「アニカ姫……」


 苦く笑み崩すと、マルセルがどこか呆けたように名を呼んだ。途端、何故かラズとニコの放つ怒りが一段増す。


(あれ?)


 また何か間違ったかなと首を捻っていると、今度は一層険しい顔をしたイアシュヴィリ伯爵がマルセルの横に並び立った。


「……あの、」


 やはりイアシュヴィリ伯爵だけは、五歳の時の印象が強くて尻込みしてしまう。大の大人数人に囲まれて手足を押さえ付けられ、術をかけりた記憶も思い出した分、尚更である。けれど発されたのは、予想したような強い言葉ではなく、思いもかけない謝罪であった。


「第二王女殿下。愚息の考え足らずの行動に巻き込んでしまい、大変申し訳ございませんでした」


「えっ? い、いえ、そんな……」


 マルセルよりも深く身を折ったイアシュヴィリ伯爵に、アニカは驚いて慌てて両手と首を振る。しかしイアシュヴィリ伯爵は顔を上げぬまま、更に続けた。


「クィルシェ女王陛下が目覚めぬためと、マルセルをお側につけようと考えておりましたのに、このような事態になってしまい……処分はいかようにもお受けいたします」


「父上!?」


 父の覚悟に、マルセルが面食らったように名を呼ぶ。しかし驚いたのはアニカも同様だった。まさかそんな話になるとは露も思っていなかった。

 しかし、クィルシェが外壁を壊してから時間も経ち、周囲には確認に来た者や神官や衛兵たちが徐々に集まり出している。何もなかったで済まされる状況でもなかった。

 アニカは必死に状況を整理したうえで、クィルシェが考えていたことをそのまま利用することにした。


「で、では、二つほど、お願いをしてもいいですか?」




       ◆




 アニカたちが円形競技場に戻ると、まだ準決勝の二回戦が始まらない、という話がちらほらと出ているところだった。

 ラズが客席から出てきた客を捕まえて聞くと、面の戦士が勝利したということだった。


「ラウルの奴、やりやがったな!」


 初めて見せる子供のような喜色を浮かべて、ラズが拳を握る。それからニコの手引きで、急いで選手の待合天幕に走った。

 二回戦はラズとラウルだ。ラウルが勝ったのなら、そのまま人払いをして天幕にいるはず、という予想は、レヴィのにこやかな笑みに迎えられて確信に変わった。


「レヴィ、やったな!」


「君もな」


 ラズが握った拳を突き出すと、レヴィがその掌で受け止めた。どうやら、アニカの知らぬ間に二人は随分と仲良しになったらしい。

 入り込めない雰囲気にあたふたしていると、その笑顔がラズの後ろにいたアニカにも向けられた。


「アニカ殿下も、無事お戻りで、何よりです」


「!」


 レヴィとラウルも、競技場に現れないアニカを心配して協力してくれていたことは、ラズから聞いていた。だがクィルシェのことは知らないはずだ。けれどまるでそのことを言われたように、アニカには思えた。

 一瞬顔を俯けて、それから意を決して頭を下げる。


「あのっ、ご心配をおかけして、すみませんでした」


「殿下。そこはお礼にした方が、男心を掴めますよ」


「へ?」


 予想の斜め上の言葉が返ってきて、アニカはつい間の抜けた声を上げた。顔を上げると、レヴィは変わらずにこにこしていた。


(や、やっぱり、何だか掴めない人だわ)


 どういう意味だろうかとアニカが真剣に悩みだす前に、「さ、中へ」と促された。

 全員で中に入ると、狭い天幕の奥に、負のオーラをこれでもかと振り撒いて、ラウルが椅子に腕を組んで座っていた。足は色とりどりの布を憎々しげに踏みつけ、その目は完全に据わっている。


「ラウル! やっぱりお前はやってくれると思ったよ」


 それにラズは一切構わず、満面の笑みで手を差し出した。バシィンッ、とけたたましい程の平手が友好の握手を弾き飛ばした。どう見ても怒っていた。


「……何がやってくれると思った、だ。貴様がレヴィにわけの分からん伝言をしたせいで、昔の下らん借りを散々引っ張り出されて……気付けば頭に孔雀のような紐を馬鹿みたいにつけられて……!」


「え、俺?」


 ラズが後ろのレヴィを振り返る。


「顔はともかく、髪色とか髪型とかはリボンで結構大袈裟に飾らないと、誤魔化せなかったからね」


 それに、ラズからの伝言とした方が怒りを抑えられそうだったから。と、レヴィが笑いを噛み殺しながら補足する。

 つまり、ラウルの足下にあるのは親の仇ではなく、一回戦でアニカに変装した際に使われた装飾品らしい。確かにその手には、アニカの狐の面が、今にも割られそうな勢いで握られている。

 と思ったら、目の前で怒りに任せて投げ捨てられそうになった。


「ふんっ」


「あっ、わっ、わ!」


 慌てて前のめりになって、面を両手で受け取る。

 怒り心頭に発しているラウルの目の前に出るのは怖かったが、面が壊れてはせっかく決勝に出られても全力を出し切れない。それでは、アニカのために頑張ってくれたラウルにも申し訳が立たない。

 アニカはレヴィの助言を胸に、深々と頭を下げた。


「ラウルさんも、あの、ありがとうございました」


 顔を赤くしながら、どうにか言う。それから恐る恐る見上げると、


「知るか」


 そう言って、ぶっきらぼうに吐き捨てられてしまった。しゅん、と落ち込む。

 ラウルにアニカを手助けする義理も理由もないと分かっているからこそ、こんな形でアニカを待っていてくれたことに最大限の感謝を伝えたかったのだが、中々伝わらない。

 結局、次に出てきたのはいつもの謝罪であった。


「あの……本当に、こんなご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。でも、ラウルさんがここにいてくださっただけでも、とっても嬉しいです」


 皆が、色んな形で助けてくれる。その気持ちが嬉しくて、にへら、と口許が綻ぶ。伝わらなくても、怒られても、この胸の温もりは確かだ。

 と思っていたら、みるみるうちにラウルの三白眼が驚きに見開かれた。目が合った、と思った刹那、


「……ふん!」


 と、そっぽを向かれてしまった。残念。

 肩を落とすアニカを助けるように、ラズが「でも」と話を切り替える。


「二回戦がまだってことは、俺が戻るまで引き延ばしてくれてたんだろ? 不戦勝を受け入れるとか言ってたくせに、ありがとな」


 目の前の激怒を軽やかに前向き変換して、ラズがニッと笑う。

 再びラウルの怒りが戻ってきた。


「こんな仕打ちを受けて、貴様を滅多打ちにしなけりゃ俺の気が済むか!」


「あぁ、成程。それなら受けて立たねぇとだな」


「えっ、でもラズ様は、お怪我が……」


 軽く請け負うラズに、アニカは思わず心配になって口を挟む。

 ラズはクィルシェに何度か吹き飛ばされて、あちこち傷を負っているはずだ。まだ医者にも見せていないし、無理をするのはよくないはずだ。

 だがラズはからりと笑って「平気だ」と答えた。


「それにラウルも連戦になるし、こんくらいの状態で五分になって丁度いいだろ」


「負けた時の言い訳にもなるしな」


 途端二人の間でバチバチと火花が散る。そんな二人を、レヴィがいつもの笑顔で追い出しながら、こう言った。


「では決勝の準備をして待っていてください」


 どちらが、決勝の舞台でアニカと見えるかを。


「はい」


 アニカは気を引き締めて、力強く頷いた。 



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