33. クィルシェ、邂逅する。
「ラト・イアシュヴィリと申します」
威圧するためだけの装飾に無駄な金をかけた寒々しい謁見の間で、イアシュヴィリ伯爵がそう述べた。隣には、呆けたようにシルヴェストリの魔女と恐れられる女王を真っ直ぐに見上げる青年がいる。
(度胸があるのか、阿呆なのか)
謁見の間に侍った他の重臣の誰もが女王クィルシェの金の瞳を直視できない中、青年の漆黒の眼差しは明らかな違和があった。
青臭い、と思いながら視線を伯爵に戻す。
「そなたに、そんな名の子供や孫がいた記憶はないが?」
「分家の子供を引き取りました」
「ほう。妾を殺すためにか」
「め、滅相もございません。我々はただ、一族に与えられた職分を」
あくまでも淡々とした問いかけに、イアシュヴィリ伯爵が声を裏返して頭を低くする。それだけで笑えてきてしまった。これが当代の監視者だというのだから、イアシュヴィリの威厳も衰えたものだ。
「あぁ、よい。妾が暴走した時、そなたらの力が必要なのは分かっておる。……期待しておるぞ」
は、とイアシュヴィリが低頭する。それで、新しい監視者の御披露目は仕舞いだ。これからは四六時中、この黒い目が後をついて回る。誰も咎めず、意識にも入れず、宮廷では存在さえ認知されぬまま。
(憐れな傀儡よ)
そう、同情でもなく男を見た時であった。
男が何を思ったのか、ふらふらと歩み寄ってきた。
(ふむ)
さて、周りはどう動くか、と思案した所、端に控えていた近衛がまともに仕事をした。男を床に張り付かせる。どうやら、まだ買収はされていないようだ。
そうして、男はそのまま拘束されて視界から姿を消した。
ふっ、と笑いが漏れた。誰もが蒼白になって震えていた。久しぶりにこの広間を壊してやろうかと思ったが、面倒なので止めた。
◇
次に見たのは、執務室であった。
「陛下。この者ですが……」
近衛が、男の処遇に困って助言を求める。監視者は宰相でもなければどこぞの長官でもないが、その処遇を決めることができるのは宮廷魔法士長と王だけであった。
「よい。そこら辺に転がしておけ」
書類から顔も上げずにそう告げる。それだけで、王の身を守るはずの近衛は素直に引き下がった。
そのまま書類にサインをし続けること、二時間。
やっと一山片付けて顔を上げると、扉の前に正座したままの男が、なんとも情けない顔をしてこちらを見ていた。
(……またじゃ)
困ったような申し訳ないような顔で眉尻を下げながらも、クィルシェの金の瞳を真っ直ぐに見つめている。
漆黒の瞳は、全てを飲み込む孤独な無に通じているという。この男が近年現れなかった魔法の無効化を身に付けているのは疑いようのない事実であろう。
それが無謀な自信に繋がっているかと思うと、青臭い過ぎてうんざりした。
クィルシェはペン立てに羽ペンを戻すと、嘆息一つ、頬杖をつく。
「不意打ちの先手は失敗したようよな。次にやる時は、もう少し早く動くことじゃ」
「……え?」
イアシュヴィリ家の当主に何を吹き込まれたかは知らないが、大方殺せば英雄とでも言われたのであろう。でなければ、謁見の間で突然近寄ろうとする理由がない。
呆ける操り人形への興味は、それでもう尽きた。
手元のベルを鳴らす。ものの数秒で扉が開き、侍従が無言のうちにテーブルに紅茶の用意を済ませていく。そして最後に「失礼致します」と頭を下げた時、
「ち、違います!」
唐突に男が喋りだし、侍従がびくっと肩を揺らす。その様子にまだまだだなと思いながら、クィルシェは執務机を離れ、テーブルにつく。
男がしつこく弁明する。
「俺、そんなつもりじゃ全然なくて! ただあんまりにも綺麗なものだから、ついふらふらっと!」
困り出した侍従に手を振って下がらせてから、カップに手を伸ばす。それから、ちらりと男の顔を盗み見た。
(どうせ、殺すなら閨に入るのが一番とでも言われたのだろう)
そういう人間は、大抵蒼白になって言い訳するのだ。情緒の欠片もない、と思ったのだが。
「い、いや今のは忘れてください! あっ、でも嘘とかじゃなくて! ただあの、えっと、えっと……!」
真っ赤であった。両手で顔を隠しても、はみ出した耳まで真っ赤であった。
「…………」
思わず紅茶を飲む手が止まる。
(なんじゃ、この生娘のような初さは?)
久しぶりに、疑問符が大量に発生した。それが、クィルシェの印象に残った初めての場面であった。
◇
その日から、仕事も身分もない暇人は、女王の背後に金魚の糞のようについて回った。
食事も仕事も公私なく近くに侍り、湯浴みの時も、寝る時でさえ、扉一枚を隔てて存在を主張した。
鬱陶しいだけの存在とも思わなかったものに、利用価値を見出だしたのは、三日も経った頃であった。
「もうそろそろお茶をもらってきましょうか? 俺淹れてきます」
この書類を片付けたらベルを鳴らそうと思った頃、唐突に立ち上がってそう告げた。それが三度も続けば、成る程とは思う。
(監視者は、そんなことも仕込むようになったのか?)
怪訝ではあったが、些事であった。大抵の毒なら感知できるし、分解できる。
肌寒い日には上掛けを、汗ばむ日には扇を持って戻ってくる。呼べばいつも三秒以内。いつの間に用品の場所を把握したのかとは思うし、多少不気味なほどでもあったが、やはり些事であった。
(便利な犬じゃ)
ただ、湯浴みの時だけは顔を真っ赤にして部屋の隅に逃げるので、仕方なく自分でタオルを取った。魔法で水分を吹き飛ばすものぐさは、緊急時以外はしないと決めている。
そうして半年も過ぎれば、男は風景と化した。城の誰も男を咎めないし、クィルシェもまた呼び掛けたりはしなかった。
時折妙な質問をされることもあったが、仕事に関係のあることではなく、全てを無視した。
ただ、寝室に他の男を入れる時だけ、男の顔が歪むのは妙だった。
◇
「わ、私に、ひ、一晩だけで良いので、陛下のご寵愛を賜りたく……!」
今にも泣きそうな顔で言われても萎えるばかりではあったが、興が乗れば招き入れた。地位が欲しいのか、命令なのか、はたまた次王の父になりたいのかは知らないが、人肌に変わりはなかった。
「魔法が使えるのは服ではない。裸にしても、そなたの致死率は変わらぬぞ?」
明度を落とした部屋で裸身を晒して薄ら寒く笑えば、誰もが青褪めた。愉快であった。
「そ、それでも、私のこの気持ちに、い、偽りはありません……!」
「健気なだけの男は好かぬ。……疾く来よ」
自分よりも体躯の良い男が、震えながら上に覆い被さる。鎖骨に触れた唇がぬめぬめと気持ち悪く、目眩がした。
◇
「ま、毎回お相手が変わるのは、な、何故ですか?」
一年も経った頃、男が唐突に切り出した。そう言えば昨夜も誰かと枕を共にしたなと、後から思い出す。それから、価値のない問いだと無視をした。
いつもであればそれで終わるのに、何故か今回は諦めなかった。
「お、想い人でいらっしゃるなら、か、構いません。ですが、同じ人を見た記憶が、俺にはありません。もし、その……」
「死にたいと言う奴がおらんからじゃ」
黙っているといつまでも続きそうな声に、仕方なく言葉を返す。男はハッと目を見開いてから、すぐに何かに気づいたように不満そうな顔をした。
「……俺は、真剣に聞いているんです」
「妾も真剣に答えてやったではないか」
「え? でも、そんな、死ぬなんて……」
「監視者のくせに知らぬのか? 妾の最初の夫は死に、二人目も離婚後すぐに死んだ。つまり、そういうことじゃ」
まごつく男に苛立ち、親切に教えてやる。そもそも隠すようなことでもない。
すると男は珍しく必死に思考を巡らして、それから何かを決意するように口を開いた。
「だったら……」
だったら自分にしてくれと言うのだろうか。時にそんな男もいた。自信家は嫌いではない。
だが続いた言葉は予想外のもので。
「だったら、泣きそうな顔で寝室に入らないでください」
カッと目を見開く。感情に連動するように巻き起こった強風が扉を叩き開け、耐えられずにそのままぶっ飛んで壁にぶつかって粉砕した。木っ端が舞う部屋で、黒い目の男は変わらず立っていた。
(これが、無効化の力)
「す、好きな人となら、俺、諦めます……。でも、そうでないなら、お願いします。嫌なら、止めてください」
今しがた半殺しにされかけたと理解しているのかどうか、まるで自分が苦しいかのように、男が言う。だから笑ってしまった。
まるで会話が噛み合わない。
「嫌なものか。男を手玉に取るのは愉快じゃ。そなた、女に遊ばれたことはないのか?」
「ない、ですけど……」
「だったら分かるまい。餓鬼は引っ込んでおれ」
「分かりますよ。時々、無性に誰かの温もりが欲しくなることは」
悄然と睫毛を伏せる姿は、まるで何かを思い出すように切なげで。
「!」
無言でその横っ面を引っぱたいていた。
◇
その日から、男の態度はくるくる変わった。
次の日に死にそうな顔で現れたと思えば、更に次の日は神妙な顔でまたとんちきな質問をした。更に次の日は一日中黙って過ごし、更に次の日には満面の笑顔で朝から出迎えられた。
そこからは、時折妙な質問が会話に付加されることが増えた。
「陛下の好みはどんな男ですか?」
「陛下は……生涯誰とも添い遂げないというのは、本当ですか?」
「陛下はご自分よりもお強い男が好みと噂で聞いたのですが……腕相撲とかでもいいですか?」
意味が分からなかった。
何故腕を倒し合うことで男女の色恋が生まれるのか。何故毎日政治とも軍事とも金とも人脈とも違うことばかりを聞くのか。何故、この黄金色の目をまっすぐに見て無邪気に微笑めるのか。
男が自分について聞き回っていることには気付いていたが、それがこの質問に結び付いているのかどうかも分からない。
とにかく、全ての行動が理解しがたい。
苛立って魔法で吹き飛ばしても、水をぶっかけても、全て効果がないのが余計に腹立たしかった。雷を落としても、雷の方が避けるのだ。
それでも監視者というだけで部屋から出すわけにもいかず、茶菓子は最適なタイミングで出すものだから、遠ざけるにも面倒であった。
だが、最も面倒なのは夜であった。
言い寄ってきた男を寝室に連れて行こうとしたら、扉の前で仁王立ちされた。
「いけません」
「退け」
「退きません」
「ならばくたばれ!」
怒声とともに嵐が吹き荒れる。連れてきた男だけが壁に埋まり、黒目の男は相変わらず髪もそよがせず立ったまま。
そこまでが一連であった。
これが四度も続けば、嫌気もさす。
「そなた……名をなんと言ったか」
五度目の夜、さっさと男が逃げたあとでついに名を聞いた。謁見の間で聞いてはいたが、その日に忘れていた。
「ラト・ハハレイシヴィリです!」
満面の笑みでそう答えた阿呆に、クィルシェも莞爾と微笑んで続けた。
「ではラトよ。今宵はそなたが妾の相手をしてくれるのか?」
「えっ!?」
案の定、顔を真っ赤にして飛び退いた。その足を横払いで崩し、体勢が傾いた所で腕を取って背負い投げの要領で窓ガラスに叩き付けた。ばりんっ、と派手な破砕音を立てて割れ、そのまま外に落下する。
数秒後、ばっしゃーん、と小気味のいい音が聞こえた。想定通り、城の北側の噴水に落ちたようだ。ちなみに、王の寝室は三階である。
(あー、スッキリした)
ぱっぱと手を払う。そのまま一人寝をしようと寝室に手をかけた時、外から「ぐふふふふ……っ」と気持ち悪い声が聞こえてきた。久しぶりに気持ち悪さで背筋が冷えた。
回想が、もう一話続きます。




