32. クィルシェ、悔悟する。
◆
「家族は、沢山いるか」
それは、我ながらあまりに唐突な問いであった。殺気立って殺伐としたこの空間にはどこまでもそぐわない、気が抜けてしまうほどに場違いな聞き方で。
「…………は?」
指でつつけば緩んでしまいそうだった涙腺を引っ込めて、ラズが声を上げる。間が抜けていて、大層可愛かった。まるで白昼夢からたった今戻ってきたように、目が泳いでいる。
だからもう一度、脅すように「いるのか」と急かす。と、ラズは状況が呑み込めないという顔のまま「い、いるだろ」と答えた。
「殿下は確か、五人兄弟の真ん中だから」
「違う。そなたじゃ」
「……俺?」
自身を指さし、ぱちくり、と青灰色の瞳を瞬く。その色も、髪も雰囲気も、同じ所は一つもないのに、不思議とよく似ていた。懐かしむというには酷く痛む胸に、顔を顰める。
それをどう取ったのか、少年は意図が分からぬという顔をしながらも、
「うんざりするくらいいるよ」
と答えた。
「二人の兄貴は物心つく前から俺を剣で小突いてくる阿呆で、俺が大会に出るって話を聞きつけて、最近また『特訓だー!』って言って四六時中剣持って襲いかかってくるし」
絶対アラムがばらしたんだ、と眉尻を吊り上げながらも、その口元は優しく綻んでいる。
「三人の姉貴はいちいち嫁ぎ先から遊びにきては、こっそり俺用のリボンとかドレスを用意し出したとか言うし……毎日鬱陶しいくらいもみくちゃにされてる」
アラムの馬鹿が女に魂売りやがって、と嘆くように毒づく。
その様が年相応に幼くて、あぁ、きっと愛されたのだろうと思ってしまった。愛を知らずに現れた彼の者は、表面上の幼さに、時折酷く大人びた顔を見せたものだから。
(願いは、叶ったか)
『今生で無理でも、来世ではきっと叶います』
五百年の間に、何度願い、破れ、また願ったのかは知らないが、それでも奴は願いを叶えていた。
「家族は、愛しいか」
その問い方は、生前であれば真っ先に弱味を握るための脅迫の一手と取られただろう。実際に、そういう手段を取ったことも多くある。視界の端で、イアシュヴィリが激しく動揺したのが良い証拠だ。
だがラズの躊躇は、恐らくそういった類のものではなかっただろう。可愛らしい、ただの照れだと、その顔を見れば分かる。
「愛しいとか……親父は鍛えることしか考えてないし、お袋は花畑の住人だし、領地に留まる祖父母だけが俺の心の癒しだ」
はぐらかしながらも否定しないラズが「それが、どうかしたのか」と続ける。そのあまりの純朴さに、思わず笑みが零れた。
答える代わりに、もう一つ、肝心なことを聞く。
「そなたとの約束とはなんじゃ」
「今の質問は何だったんだよ……」
渋面で頭を掻きながらも、ラズはやはり誤魔化さずに答えてくれた。
「アニカとの約束は、その……もう一度真剣勝負をして、俺が勝つことだ」
「……勝敗まで、約束に組み込まれておるのか?」
「当たり前だ。今度は絶対勝つ」
思わぬ内容に呆れると、鼻息も荒く首肯された。何という独りよがりな約束であることか。
(だが、それで良い)
奴も、もっと我が儘で独善的に生きれば良かったのだ。周りの情勢など他人事と決め込み、誰の言葉にも耳を貸さず、ただ自分の望みのままに生きれば良かったのだ。
そうすれば、来世と言わずラト・ハハレイシヴィリのままで、願いを叶えられただろうに。
ついに堪えきれず、笑い声が漏れていた。生きていた間も、数回しか上げたことのないような笑い声だった。
「それでは、妾のままでは永遠に勝てぬではないか」
「……そんなことは」
ない、と言い切れない正直者に、笑みと共に言葉を続ける。最初から決めていた言葉を。
「では、体を返さねばな」
「…………な?」
ぽかん、という表現が最も合う顔で、ラズが口を開いた。それから妙な間を空けて、
「ほ、本当に? ですか?」
と続けるものだから、思わず生来の天の邪鬼で「やはりやめた」と言いそうだった。だから、無駄口をきく前に、最後の質問をする。
「その代わり、最後に教えておくれ。妾のために妾を殺すと、奴は言った。その本心は、なんじゃと思う?」
この問いには、やっと状況を呑み込めてきた三人が三様に慌てだした。回答を間違えたら、機嫌を損ねるとでも案じたのだろう。
だが案の定、ラズは彼らを見向きもせず、真っ直ぐな言葉でこう言った。
「知るか」
と。
「……そうか」
そして小さな憤りが、そこに芽生えた。その先は、今はもういない愚か者に向けられていて。
「そんな自分勝手で悲観的な根暗野郎の考え方なんか、分かりたくもない。誰かを殺すのは、誰かのためなんかじゃない。自分が弱くて守れないのを――救えないのを言い訳にした、自分のためのただの人殺しだ」
憤懣やるかたないと言わんばかりに、ラズが肩をいからせて続ける。その一方で、くゆる瞳はどこが自身を責めるかのように自虐的であった。
それがどう見ても本気で、やはり笑うしかなかった。
笑っていた、はずだった。けれど。
「だから、あんたがそんなことに囚われて、気に病む必要なんかない」
「!」
先程の制止とは違う、熱く意思を持った手が小さな少女の両手を包む。その熱はついぞ触れることのなかった穏やかな温かみに溢れていて、……分かってしまった。
この少年は、ラトの心など持っていないのに、魔女の心を労わったのだと。シルヴェストリ史上最悪の魔女と謳われた、最強の魔法の使い手を、心配して、励ましたのだと。
(……これは、難儀な男よな)
しかもそれを何の計算もなくするのだから、きっとこの男に惚れた女は苦労するだろうと、他愛もないことを考える。
そして、そんなことを考えたことに驚いた。
『貴女のために、貴女を殺します』
誰かのためなどという偽善的で無意味な言葉に、囚われているつもりなどなかった。
それにあの言葉の真意を、クィルシェはもうきちんと思い出していた。
『妾がいつ生きたいと言った?』
いつか、乾いた声でそう告げた。
一生言うつもりのない、けれどあの塔にいた頃から漠然と抱き続けていた思いであった。
ラトは、あの言葉を愚直なまでに信じただけだ。
実際クィルシェは、一度も生きたいと望んだことはなかった。
この胸に冷たい鋼が食い込んだ、あの瞬間まで。
◇
そこは、暗かった。
窓はあったが小さく、更に格子が嵌められていた。寒さよけの絨毯とタペストリーはあったが、どちらもボロボロに擦りきれて用はなさなかった。
そこに、クィルシェは四歳から住んだ。幽閉された、と言った方が正確ではあろうが。
『大丈夫じゃ。魔法の制御なぞ、クィルシェならきっとすぐ上達する。妾が保証しよう。だから挫けてはならぬ』
塔に入る直前、それまで離宮で一緒に暮らしていた祖母がそう言って涙を拭い、抱き締めてくれた。それが最後の人の温もりであった。
◇
八歳になる頃、祖母が死んだと聞かされた。葬儀などは、全て終わった後であった。
魔法の制御は、上達したのかさえ分からなかった。塔には魔法を極限まで無効化する術式が仕組まれていたからだ。
だから祖母の死を知ったとき、認めるしかなかった。
父は、クィルシェに何も期待などしていなかったのだと。
◇
十七歳の頃、婚約者だと言って男が一人現れた。食事を届ける以外に、初めて訪れた人間であった。
「セレと申します。宜しくお見知りおきを」
そう言って、男は笑った。
その男は、いわゆる余り物であった。
宰相である侯爵の庶子で、優秀ではあるが魔法が使えなかった。宮廷での仕事も閑職で、居場所がない。侯爵家の本妻が、体よく消すためだけに危険な王女の婚約者にさせられたのだと、後から知った。
けれど周りの思惑に反し、父王は戦死し、兄である唯一の王子も病死した。
十九歳の冬、やっと塔から出ることができた。父の葬儀参列のためであった。
◇
女王としての治世の始まりは、悪くなかったはずだ。父が戦死した戦に出陣し、陣頭指揮を取って勝利を収めた。だが魔女としては、恐らく最悪の始まりとなった。
宮廷に戻っても、私室にいても、誰もが怯えて目を逸らした。クィルシェの目を見ると消し炭になるという噂が、真しやかに流れていた。
「君が笑わないからじゃないかな?」
王配となったセレは、そう言って笑った。二人で寝室にこもる時間だけが、人間らしく息ができる唯一であった。
だがそれも、二月ともたなかった。
「クィルシェ……離れて……」
夜、寝室に二人でいた時、突然血を吐いて苦しみ出した。目は血走り、掻き毟る首筋の血管は今にも弾け飛びそうに浮き上がっていた。
「セレ! セレ!」
その時は訳がわからず、泣きながらしがみついた。体に触れれば、微力ながら魔力を感じた。それだけで、誰かが夫の体に時差的な魔法を仕込んだのだと知れた。けれど魔力の制御ばかりを学んでいたその時のクィルシェに、その魔法を打ち消す力はあっても知識がなかった。
何をしても、セレの体から流れる血は止まらなかった。二人が寝ていた大きな寝台はみるみるうちに鮮血が染み込み、ほとんどが赤く染まった。
びちゃっとシーツに倒れ込んだセレに、泣きながらすがった。
「いや……いやじゃ、セレ……置いていかないで……!」
馬鹿な願いであった。死ぬしか術のない人間に願うには、あまりに愚かでみっともない。
けれど夫は、笑ってくれた。
「クィルシェ……大丈夫……きっと、また、君を……」
そこで、温かな息は終えた。身体中の穴と言う穴から血が吹き出して、人相さえも変わっていた。
どんなに悲鳴を上げても泣いても、駆け付ける者はいなかった。
それが、一人目であった。
捜査はされたが、犯人は特定されなかった。陰では、夫に飽きた女王が殺したのではと囁かれた。だから自力で見つけ出して、裁いた。
前国王の末弟の派閥で、クィルシェに子供が出来ることを恐れたための犯行であった。見せしめに戦場に連れていき、突撃を命じて殺した。
それが一人目であった。
法と手順と体面を無視して、独断で奪った命の。
この時から、魔法について勉強し直した。力だけでは及ばない知識と技術を身に付け、隙を無くした。
二度と結婚はしないと誓ったのに、再び夫は宛がわれた。
近づかなければいい。
それだけのことであったが、ほぼ唯一私的な会話を交わす相手であれば、それも難しかった。
二番目の夫もまた、知らぬ間に気が触れて、気付けば離婚の手続きが済んでいた。離宮で暮らすと聞いたのに、経緯を調べさせている間に死亡した。
犯人は夫の父の政敵であった。
やはり殺した。
その後も何度か結婚は必要だと誰かが言ったが、その全てを一睨みで捻り潰した。しつこい奴がいても、天井を落とせば誰もが黙った。時に永遠に。
だが他者の意見を斟酌する必要などどこにもなかったのだと、気付いたときには全ては終わっていた。




