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2. アニカ、逃亡する。

 翌日は、一日寝台の中で夢の世界に逃げた。

 そして更に翌日。

 恐怖は朝からやってきた。


「姫様、おはようございます。そしてさようならにございます」


「…………ふぇ?」


 寝台を囲んで下がる薄絹の天蓋の向こうで、ニコがいつもの挨拶と、初めて聞く挨拶を述べた。母に千尋の谷に突き落とされる悪夢を見ていたアニカは、一瞬まだ夢の中にいるのかと思った。


 呆けたままの主には構わず、今朝は第二王女付きの侍女全員を引き連れた侍女頭が続ける。


「本日を持ちまして、王妃殿下との約束の期日となりました」


「え……あぁ、それは、」


「我々侍女一同は、本日限りでアニカ王女殿下のお世話係を外されましたので、朝のお着替え、お食事が終わりましたら、速やかに退出させて頂きます」


「そうな……えっ!?」


 予想外の発言に、まだ寝ぼけていた頭が一気に覚める。慌てて掛布を跳ね除けると、当たり前のように侍女たちに誘導されて鏡台の前に座らされた。


「あれ? え、え?」


「身支度を終えられたあとは、殿下のお世話係として新たに任命された者が順次この部屋に到着予定です」


「ちょ、ちょっと待っ、」


「全員妃殿下が直々に選定、下知げちした方々で、家柄、人柄などについてのご心配はいりません」


 ニコは元々伯爵家の令嬢で、礼儀見習いとしてラマズフヴァル城に上がっている。そのニコが「方々」というということは、生家は伯爵以上ということだろうか。

 だが身分などよりも、今まで慣れ親しんだ侍女たちを入れ替える理由の方が、アニカには心配であった。

 もしや、侍女と言いつつ全員矯正役の貴婦人が寄越されるのであろうか。


 しかしニコはアニカの不安にも答える気はないようで、どんどん事務報告を進めていく。


「なお、今回の人員入れ替えにつきましては、侍女に限らず殿下に関わる全ての者を対象に行われます」


「え?」


「近衛を筆頭に、侍従長も給仕も小間使いも伝令も掃除夫も下男も、全員本日から交替します」


「…………え?」


 思考が、一瞬停止した。


 近衛は少ないながら男女ともにいるが、侍従と言えば男性を指す言葉だ。同様に、掃除夫も下男も、男性にしか使わない。


(……聞き間違い、よね)


 いつも完璧なニコにしては珍しいが、きっと言い間違えたのだ。

 椅子に座って髪をとかれながら、アニカはどくどくと高鳴る胸を押さえて、慎重に言葉を探す。


「えっと、ニコ? 私の聞き間違いだと思うのだけれど、今入れ替えるって言ったのは、」


「全員、男で」


「ぃやぁぁああああああっ!」


 す、と言い切る前に悲鳴が上がっていた。

 折角艶やかにとかした赤みがかった栗色の髪が、ものの数秒で荒れ果てる。


「無理! 無理無理無理無理絶対無理!」


「しかし既に決められたことです」


「死んじゃう! 一日で死んじゃうわッ」


「妃殿下の決定です。誰にもくつがえせません」


「それは分かってるけど無理なものは無理なの! 治す前に死んだら元も子もないでしょ!?」


「ですが、本日の交替以降、殿下と口をきいた女は左遷させん候補と言われておりますので」


「そんなところで恐怖政治が!?」


 椅子から逃げるように寝台まで後退し、頬に両手を当てて蒼褪めるアニカ。

 よくよく見れば、ニコの後ろに控えた侍女たちは皆一様に表情が強張っている。つまりそれ程に母は本気だということだ。母はいつだって全力で本気なのだが。


「そんなことを言っている間にも、殿方たちは着実にこの部屋に近付いております」


「恐怖が! 恐怖が這い寄って来てるわ!」


 ひぃぃっ、と寝台に逃げ込み、先程はいだばかりの掛布の中に潜り込む。最早身支度どうこう以前の問題であった。


 寝台の中で子リスのように震えるアニカに、しかしニコは容赦なく追い打ちをかける。


「今日以降、そのように、声高に怖い怖いと連呼なさりませんように」


「だって、怖いものは怖いのだから仕方ないじゃないぃっ」


「ですが、本日殿下にご挨拶申し上げるうちの数人は、殿下のご婚約者候補でもあります。あまり失礼があってはなりません」


 今度は、思考が完全に停止した。


「…………こん、やく?」


 何だろうそれ美味しいやつかな、と考えたのが最後だった。

 悲鳴を上げた気もするけれど、結局布団から引きずり出され、気付けば着替えも食事も終わっていた。




       ◆




 パタン、という扉の開閉音がして、アニカは我に返った。

 そして真っ先に思考したのは、


(……逃げなければ!)


 であった。


 衝動的に立ち上がって、扉と窓のどちらから、と考える。そして足を踏み出した瞬間、服が重い、と気付く。

 いつも着ているような、フリルもリボンも少ないのっぺりとしたドレスではない。

 余計に貧相に見えるからと、いつもハイネックを選んでいたはずの首元は鎖骨があらわになり、腰は必要以上に締め上げられている。幅広の飾り帯には赤や金の刺繍がふんだんに施され、膝下まで優雅に垂らされている。


 略式の時にしか着用しない上着には、胸元にきらきらしい大ぶりの留め飾り。ゆったりとした作りの袖には内側に大きく切れ込みが入り、肘から下がちらりと見える仕様である。


 去年、姉が他国に嫁いだ時に見たきりの淑女が、姿見の中にいた。全身、淡くも華やかな桃色に身を包んでいる。


(目がちかちかする……ッ)


 完璧な淑女レディーと言われ、社交界の華であった姉ならまだしも、家族の中で一番地味な自分がしていい恰好ではなかった。

 あまりの場違いさに、一気に羞恥心に顔が赤くなる。アニカは逃げるのも忘れてその場に蹲った。


 アニカは、自分の容姿も中身も、全てが嫌いだった。父譲りのはずの亜麻色の髪は日に焼けて赤くくすんでいくし、母譲りのはずの癖毛も全然母のように美しく波打たない。

 背が高くないのは姉と同じだが、姉のような可憐さも豊かな胸もない。社交性に至っては、双子の弟妹よりも劣ると自覚していた。


(こんなダメな人間が、誰かと結婚なんて……)


 喜ぶ人間などいるはずがない。

 きっと誰も彼も王妃の権力に逆らえず、嫌々やってくるに違いないのだ。そんな男たちと、これから関わらないといけないなんて――。


「――――ッ」


 男、と考えただけで、羞恥に熱くなっていた体が一瞬で冷やされた。背筋を這った冷たい感覚に、ヒュッと息を呑む。

 恐ろしさに、声も出なかった。考えてはいけないと自分に何度も言い聞かせても、震えは止まらない。


 母は、どういうつもりなのであろうか。

 強制的に男性と接触する機会を増やせば、勝手に治るとでも思っているのであろうか。それとも単純に、結婚の適齢期が来たから相手をあてがおうと考えただけであろうか。


(……無理です、お母様)


 母がいつこの計画に無理があると気付くのかは分からないが、それまで無事生き延びる自信は、自慢ではないがほぼ皆無であった。


「……取りあえず、着替えよう」


 自己嫌悪と恐怖心をどうにか心の片隅に追いやって、思考を切り替える。何をするにもこの格好では難しい。

 そそくさとクロゼットに駆け寄って戸を開け、いつものお仕着せを探す。


 空であった。


「…………え、えっ?」


 今までなら、文句を言いながらも侍女のお仕着せが取り上げられることはなかったし、一人で着られる簡易ドレスも数着は常備してあったはずだ。

 しかし今は何もかかっていない。しかも。


「なっ、ない!」


 最も大事な短剣も帯も、心の拠り所でもあった藁人形一式もなくなっていた。


「私の藁人形ツァヴィが!」


 ひぇぇっ、と死にそうな悲鳴が零れる。頭が真っ白になった。


「どどどどうしようっ」


 頭を抱えてその場でうろうろし、寝台に行き、窓辺に行き、またクロゼットの前に戻ってくる。そして、涙目で項垂れながら、考えた。


 とにかく、この格好では扉からしか出られない。どの位呆けていたのかは分からないが、誰かが来る前にこの部屋から逃げなければ。

 決意し、続き部屋である小私室への扉に手をかけて。


(…………いる)


 人の気配が、した。しかも一人ではない。

 一瞬、心配したニコが待っていてくれたのかと思ったが、すぐに違う、と思い直す。


(危険だわ)


 やっぱり、服を少し汚してでも窓から逃げよう、と踵を返す。そして窓に手をかけ、窓一つ分しかない狭いバルコニーに出る。


 アニカの部屋は、王族の居住空間である西側のトゥヴェ宮二階にあり、そのまま飛び降りるにはさすがに高すぎる。だが柵の外側に出て、壁面の装飾に足をかけて少し高度を落とせば、アニカには不可能ではなかった。

 子供の頃にはよく飛び降りて、下の階の兄の部屋まで遊びに行ったものである。閉じこもっていた間も、強引な商人から逃げるために何度か飛び降りている。


(ドレスが邪魔だけど、背に腹はかえられない)


 ぐっと身を乗り出すと、風に乗って外の喧騒がよく聞こえた。逃げられて、とか、服が、とか聞こえるが、判然としない。

 どちらにしろ、内容など無事降りてから考えればいい。


 アニカはドレスの裾を右手でたくし上げると、下着が丸見えになるのも構わず左手で柵を掴み跨ぎ超えた。しゃがんで柵の下部を掴み、壁に足をかけ、数段下がった位置で勢いよく壁を蹴る。


(成功っ)


 心の中で喝采する。だがそれは少しばかり早すぎた。


「バッ、何やって――!」


 下から、あるはずのない声が上り。

 え、と声を上げる間もなく、着地と同時に誰かにぶつかった――。



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