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28. クィルシェ、蹂躙する。

 王室聖拝堂の正面入口は、春祭りカザクフリの最中だというのに閉じられていた。普段から立っている衛兵の姿も見当たらない。もしかしたら、マルセルが何事か言って離したのかもしれない。


 ラズは隣のニコに目配せをして、精緻な浮き彫りの施された美しい樫の扉に手をかける。堂内は、身廊の左右に整然と並んだ長椅子に、正面の薔薇窓と二階の高窓から差す光とが複雑な色彩を織り成して

幻想的に舞い降る、荘厳で静謐な空間――であるはずだった。

 だが今眼前に広がっていたのは、静謐とはかけ離れた、大きな破壊の痕跡であった。


(さっきの音は、これだったのか)


 慎重に身廊の奥へと足を運びながら、目の前の惨状をどうにか確認する。

 正面の数段高くなった祭壇と左の翼廊との間にあったはずの壁が、嵐の直撃でも受けたかのようにほとんど全面が無残に床に散らばっている。近くにあった長椅子の一部も、巨人が足で薙ぎ払ったかのようにあちこちに飛び散り、哀れに打ち砕かれている。


「なっ、何だこれは!」


 背後から、遅れて入ってきたニコロズの声が届く。そう叫びたくなるのも分かる、痛々しい光景であった。

 だがそれを嘆く余裕は、ラズにはなかった。光が埃に反射して視界の悪い中を、目を凝らしてアニカを探す。果たして、その小さな少女の姿は、光と瓦礫の向こうに見付けることが出来た。


「アニカ殿下!」


「姫様!」


 二人同時に名を呼んで駆けだす。一足早かったのはニコだった。そのまま飛びつくかと思われた勢いはけれど、その寸前でぴたり、と停止した。

 一瞬不審に思ったものの、とにかく安否が気がかりでその体に手を伸ばそうとして、


「マルセル! いるのか! これは一体何事だ?」


 出し抜けに背後から叫ばれて、意識をそちらに奪われた。ニコロズだ。確かに、アニカのそばにマルセルもいるはずだ。

 素早く視線を巡らせて優男の長躯を探す。が、その姿はどこにも見当たらなかった。


「マルセル、どこだ! 返事を」


 ニコロズが、瓦礫の山にもたつきながら、小聖堂だった空間に足を踏み入れようと進む。その声はけれど、真横から上がった凍えるような声音に遮られた。


「――イアシュヴィリ、だな」


「!?」


 ぎくりっ、とニコロズが全身で驚いて声のした方を振り返る。

 そこにいたのは、赤味の強い亜麻色の髪と白い肌を持った、十五歳の少女であった。

 けれどいつもの困り果てたように下がっていた眉は吊り上がり、唇は血の気を失う程かたく引き結ばれている。それだけで、受ける印象はまるで違った。

 だが決定的に違っていたのは、ニコロズを射殺すように鋭く細められた瞳の、その色。落陽を思わせるような、濃い金色をしていた。


「第二王女殿下……その、目の色は……」


 ニコロズが、戦慄くように声を震わせる。その意味を、ラズもお伽噺程度には知っていた。

 魔法の力が強ければ強い程、その瞳の色は金に近付く。伝説の女王クィルシェなどは純金の太陽のような瞳を持ち、誰もその瞳を直視できなかったという。


「アニカ殿下は、魔法の力に目覚めた、のか?」


 問いながらも、ラズでさえその存在感の異質さを認めないわけにはいかなかった。それを肯定するように、隣で固まったままだったニコがゆるゆると首を振る。


「……違う」


「殿下、マルセルに何をされたのですか」


 ニコロズが、恐れを抑え込むようにしてアニカに問う。けれど返るはずの弱々しい声は、ここにはなかった。


「殿下、とは妾のことか? 二度も敬称を間違えるとは、いい度胸じゃな」


「! では、やはり……」


 何がやはりなのか、ニコロズはアニカを凝視したままその先を口にすることはなかった。


「どういうことだ」


 焦れたラズが、困惑と苛立ちを半々にして説明を求める。

 ニコロズは、虚無を内包するような凍えた金の瞳を窺うように一瞥したあと、続きを口にした。


「覚醒、したのだ……。十年前に厳重にかけておいた封印の(まじな)いを壊され、クィルシェ女王陛下として」


 魔女クィルシェ。

 五百年前に、監視者ラト・イアシュヴィリに討たれて死んだ強王。国力を増やし、領土を広げるために、度重なる侵略戦争を指揮し、逆らう者を殺してきた独裁者。

 しかし晩年、膨れ上がるばかりの戦費と遊興費に快進撃は曇り、内憂外患は悪化の一途を辿った。だが彼女が弑逆されたきっかけは、当時、帝国の追撃軍が国内を通過したことであった。


 国境線の解放と食料の提供を求めた帝国軍に対し、クィルシェは伝令の使者を置き去りにして陣頭に立ち、これを撃退した。

 しかし相手は西大陸の覇者だ。翌年にも帝国は遠征軍を出し、国内を通過する際の和平協定を要求。しかしクィルシェはこれを断固拒否、再び陣頭に立って撃退すると宣言した。

 だがそれは、大陸随一の軍事力を有する帝国への宣戦布告である。宮廷中が反対した。ここで逆らえば、最終的には他の国のように併吞されるだけでなく、女王を始め重臣たちはことごとく処刑されるだろう、と。それよりも協定を受け入れ、結果的に従属国となってでも国を存続させるべきだと。


 あるいはクィルシェにならば、帝国の何万という軍隊でも勝利は不可能ではなかったかもしれない。だがクィルシェは強大な魔法の使い手ではあったが、不死ではなかった。

 クィルシェの死と同時に再び帝国がその牙を剥けば、シルヴェストリは一日ともたずに歴史からその姿を消していたであろう。

 結果として、宮廷は女王クィルシェを弑することで、帝国に恭順の意を示した。シルヴェストリ王国はそれから約百年以上、賢王ヴァシリー五世が帝国勢力を放逐するまで、植民地として支配された。

 それが。


「覚醒? でも、殿下は殿下だろ?」


 意味が分からなかった。瞳こそ金の色が強くなったようだが、ラズの目の前に立つのはどう見ても小柄な十五歳の少女でしかない。

 しかしそれに答えをくれたのは、横で顔を蒼褪めさせたニコであった。


「殿下の前世は、クィルシェ女王陛下だと、占断を……」


「!」


 その一言で、ラズは幾つかのことを理解した。

 実証もできない前世に関する占卜が、それでも連綿と続いてきたのは、それが少なからず当人に影響を与えるからに他ならない。中には前世を完全に思い出したと言って詳細な昔語りをする者や、前世での無念を晴らすと言って過去をなぞる者もあった。

 それがただの思い込みと鼻で笑われないのは、前例である一人目が賢王ヴァシリー五世であるから。彼は王――祖王アプシュルトスの生まれ変わりと言われていた。


 だからこそアニカは、五歳の時に王族籍を剥奪され降嫁することが決まっていたし、ニコロズはアニカに近付くなと言った。

 そして今、アニカの雰囲気が決定的に変わってしまったのも。


「じゃあ、今の殿下は……」


「そろそろ説明と理解は済んだか」


「!」


 すぐ目の前で、アニカの時よりも一段低くなった声が問う。その声に、全員が改めて瓦礫の上に立つ少女を見た。

 アニカなら絶対にしない睥睨するような鋭い目つきで、三人を順繰りに眺めている。そこから放たれる威圧感は、前世や魔法をお伽噺の中だけのものと思っているラズにすら、俄かに信じさせるほどの凄味があった。


(本当に、目の前の人物がアニカではなく、クィルシェ女王だとしたら……)


 だがラズがその先を心配して声を上げるよりも先に、ニコよりも青白い顔をしたニコロズが口を開いた。


「……陛下。マルセルは……陛下を呼び起こした男は、どこにいますか」


 僅かにラズを長く見ていたと思われた金の瞳が、ゆるりとニコロズに滑る。自身よりもはるか上にある顔を冷たく見下しながら、少女の姿を借りた女王は傲慢に「ふん」と鼻を鳴らした。


「無能者など、一族に不要ではなかったのか? 妾の機嫌を窺うよりも先に問う程重要なことには思えんな」


 暗に、跪いて覚醒を祝えとクィルシェが告げる。その右手が軽く持ち上げられ、ニコロズの周りにだけ風が起きている意味はつまり、しないのならば強引にでも跪かせようということか。

 しかしニコロズは、ラズの予想に反して頑強に膝をつこうとはしなかった。


「確かに、奴には占断の力もなく、問題しか起こしませんが……貴女に言われる筋合いはありませんし、ましてや無能でもありません」


 挑発的な物言いに、クィルシェの片眉がぴくりと上がる。だが続く声は、予想に反して実に大様であった。


「あぁ。解呪しか出来ぬと言っても、使い捨ての刺客としてなら送り込む価値は十分にあるものな」


 そしてくつくつと嗤う。その言葉には、それを実践してきた者の実感が色濃く出ていた。実際、今よりも魔法や戦乱が身近であった時代なら、解呪という手は無効化に似た力として重用されたかもしれない。

 だが。


「そんなことをさせるわけがない!」


 キッ、とそれまでずっと瞳の奥にあった畏怖を振り払って、ニコロズが強王を睨む。それは政策や保身を優先する政治家というよりも、子を守る父親としての顔に、ラズには見えた。

 クィルシェの眉間が、不愉快そうに皺を深くする。


「ほう? 間諜も暗殺もお家芸だったイアシュヴィリがそれを言うか」


「今は……そんな時代ではございません。我々の使命は、再び魔法による混沌を招かぬことのみ。陛下への処置も、今の平和を守るためなのです」


「それで泣き叫ぶ五歳の女児を大の大人が五人がかりで押さえ付けて呪を施すのも、仕方のないことだったと申すのじゃな?」


「な!?」


 実に愉快と言わんばかりに、クィルシェが冷笑する。驚いたのはラズとニコの方であった。一方、当事者であるニコロズは、罪悪感があるのかどうか。


「それは……」


「良いことを教えてやろうか」


 弱ったように視線を泳がせるニコロズの言葉を遮って、クィルシェの金の瞳がらんと輝く。


「妾が目覚めたのは、あの時じゃ!」


「ッ!」


 瞬間、ニコロズが背後に吹き飛んだ。小さな瓦礫とともに、翼廊の壁に背中から叩きつけられる。


「きゃあ!」


「イアシュヴィリ伯爵!」


 突然の事態に、思わずラズが叫ぶ。ニコも短い悲鳴を上げ、そのまま床に崩れ落ちたニコロズに駆け寄った。


「喜べ。これがそなたの息子の望みじゃ」


 ニコに助けられ、その場に上半身を起こすニコロズを虫けらのように見下ろして、クィルシェが嘲るように言う。


「……望み?」


 かはっ、と噎せながら、ニコロズが愕然と繰り返す。何のことか分からないと訝しむ声に、けれどクィルシェはまるで斟酌(しんしゃく)せずに淡々と頷いた。


「妾を目覚めさせることで、己を認めぬ者を排し、自身の価値を自身で作り上げる。昔から変わらぬ欲望じゃ」


「…………!」


 溜息交じりの語尾は最早、嘲笑を通り越して憐みすら感じさせた。その意味を都合よく理解しないでいられるほど、ニコロズも傲慢ではない。

 それはつまり、ニコロズが行ったアニカの封印を破壊し、父の意に反することで、父と弟によって抑え付けられてきた鬱屈を晴らすということに違いない。

 ニコロズがそのことを理解したのが、遠目にも分かった。がっしりとした体が微かに震えている。

 俯いた表情こそ窺えないが、そこにあるのは怒りか、悲しみか。


 けれどクィルシェは、まるでそんなものに興味はないように、もう一度ラズの目の前で右手を持ち上げる。その仕草に今見たばかりの風の威力を思い出し、ラズは咄嗟にクィルシェの眼前に飛び出していた。

 再び剣だこの出来始めた小さな手が、圧縮された空気の層でぐにゃりと歪む。そこを起点に、旋風の刃がラズめがけて迸った。


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