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27. クィルシェ、覚醒する。

噂の(何が?)クィルシェさん、ついに登場します。

 目の前の景色が、やけに鮮やかに見えた。


 壁に叩きつけられ折れた燭台の銀色。飛んだ祭壇のせいで割れたフレスコ画の、鷹の赤茶色や緑色の破片。風圧で崩れて入口の用を失った壁の向こうから降る、金に輝く光の柱。その向こうで幻想的に輝く薔薇窓のステンドグラスは、血のような赤が特に印象的であった。


(久方ぶりに、生身の目で見ているからか)


 呼吸器を意識しながらじかに吸う空気は、あちこちが崩れたせいか随分埃っぽい。清々しい気分とは言い難かった。

 それに気のせいか、魔法の力も弱い。それでも、五感全てで感じる自然の在り様は、死ぬ前と何ら変わりない。それで十分であった。


(さて、次は誰にしようか)


 爪の先から髪の一本まで、自身に触れる全ての存在をゆっくりと噛み締めるように確かめてから、ふらりと足を踏み出す。がしゃり、と瓦礫を踏んだ時、「ぅ……っ」と呻くような声が足元から上がった。

 踏んだ足は上げぬまま、瓦礫の間にある足のようなものを見る。そのまま視線を右にずらすと、金髪碧眼の男が額から血を流して倒れていた。


(死んではおらなんだか)


 淡々と、思う。

 目覚めたばかりで、力がまだ完全に戻り切っていなかったせいかと、瓦礫を睨む。玩具を掌で(もてあそ)ぶ感覚で、瓦礫を風で包み、持ち上げ、その顔面に叩き落す――寸前、


「ふふ……っ」


 と笑声が響いた。瓦礫が、その高い鼻梁(びりょう)のすぐ上で止まる。

 風の加減を変え、瓦礫を耳のすぐ横に落とす。そしてまた風を操り、顔にかかった金髪を避けた。


「はは……本当に、風に生気を感じる……」


 自身こそ生気のない碧眼をこちらに向けながら、男がどこか愉快そうに笑う。こんな風に笑ってくる者もまたいなかったなと、毛ほどの興味が男を観察する。そして気付く。


「ほぅ。妾の封印を壊したのは、そなたか」


 この身にかけられた薄膜のような、鬱陶しい枷を外した術者の力を感じ、皮肉げに口端を上げる。


「そうですよ。クィルシェ女王陛下。……あぁ、本当に、太陽のように輝いている」


 十五歳の少女の矮躯に向けて、男が恍惚と呟く。その感嘆がこの双眸に向けられていることは、(あやま)たず分かった。聞き飽きた賛辞である。途端、興が失せる。


「至貴ぞ。褒美に、捻り殺してやろう」


 呼び寄せた風を握って圧縮するようにして、男の体を床から持ち上げる。そこら中打ち身で機能しないのか、男の四肢はだらりと垂れ下がっていた。

 だというのに、男は更に顔を歪ませて、息も切れ切れに嗤った。


「おかしいなァ。陛下は、美しい男が好物だと、伝え聞いていたんだけど」


「男など、この世で最も嫌いじゃ」


「シルヴェストリ史上、もっとも多くの愛人を作った貴方が?」


「愛人だと、妾が呼んだか? これだから男は嫌いじゃ」


 この状態でよく舌が回るものだと、小さく呆れる。そして最低の伝聞を残した連中に改めて殺意が湧く。


 クィルシェは確かに二度結婚し、一度目は死別、二度目は離婚している。だがしつこく夫を宛がってきたのは周りの宰相をはじめとする老臣どもだし、離婚を成立させたのも奴らだ。

 我こそは女王の寵を得ていると勝手に触れ回っていたのも、権力争いが三度の飯よりも好きな男どもで、その中から適当に相手を選んでも、二晩と続いた輩はいない。

 愛した者など、どこにもいない。


「確かに……。では、男嫌いは、貴方のせいでしたか」


 誰の、とは言わなかったが、察しはついた。何百年と経ってもひとの思考は変わらぬかと、いい加減呆れの溜息が出る。


「どいつもこいつも、妾のせいにするのが好きよな。自分の意思が他人に負けていると、なぜ自ら認めたがるのか。理解に苦しむ」


「意思が、他人に負けてる……?」


「そうであろう。自分の意思が誰かに左右されていると考える時点で、負けを認めていることに相違なかろう」


 逆に言えば、強固な意志を持ち続けるには、全ての行いも結果も自身の実力だと受け止める度量がいる。だがそれは、人の上に立つ者として、当たり前の前提条件だ。

 そのどこに感銘を受けるものがあったか知らないが、男は「あぁ」と吐息をもらした。


「結局、僕が跡継になれないのは、感覚だけで動く弟のせいじゃなくて、弟のせいにした僕のせいか……」


 そろそろ、体を取り巻く風のせいで呼吸もしづらくなってきたらしい。男が喘ぐように諦念を色濃くする。今まで何度も見てきた、生を手放す顔だ。


(わざわざ手を下すもなしか)


 肩慣らしにもならぬと、男を持ち上げていた風の塊を解放する。

 ががしゃっ、と下の瓦礫が追撃を喰らって文句を言った。


「殺さないのですか? 阻害者は、全て殺してきた貴方が」


 けほっ、と声を掠れさせながら、男が心底不思議そうな声を上げる。まるで殺してほしそうな声である。応える必要すらない問いであった。

 無視して次の目的へと歩き出す。と、男の声が縋るように追ってきた。


「せっかく目覚めたのですから、ついでに復讐でもしませんか」


 追従するようなその声は、けれど野心を秘めていた家臣たちとは少し違っていた。まるで、一緒に破滅への道行きを誘うような、懇願するような声音。


(憐れな男よ)


 それでも、構うものではないと更に先に進む。


「監視者の一族も、まだ生きていますよ」


 その声に、ぴたりと足が止まった。


「……小うるさい爺どもか」


 卑しい笑みで諫言と甘言を繰り返してはコバエのようにたかってきた男たちの顔が甦り、顔を顰める。だが、


「そして、陛下を殺したラト・イアシュヴィリも、陛下と同様に今に生まれ変わっています」


 続いた言葉に、振り向かざるを得なかった。と同時に、一つの疑問が口をつく。


「……イアシュヴィリ? 奴の名前はラト・ハハレイシヴィリじゃろう」


「ハハ……? あぁ、それは多分生家の名前ですね。もう途絶えた分家の」


 やっと違う反応が引き出せたことが嬉しいように、男が満足そうに答える。だが反対に、一瞬見開かれた金の瞳は、ゆるゆると虚空をさまよった。そして少しの時間を空けてから、一言。


「……途絶えたか」


 そう、小さく呟いた。

 それはそうであろうと、内心では頷いていた。ラトの母はラトを産んだために亡くなり、父も唯一の子を本家に召し上げられた。跡継のない分家など、潰れて当然だ。

 だが反面、蘇るのは無邪気に笑って語っていた、愚かな夢物語で。


『夢は、毎日たくさんの家族に囲まれて、朝から晩までわいわい遊んで騒いで、退屈する時間なんかひとつもない暮らしをすることです!』


 生家の名で残っていないということは、新しい家族も作れず、本家に元の名を握り潰されたということ。つまり。


(使い捨てられたか)


『貴女のために、貴女を殺します』


 そう言ったくせに、殺した後、自分のためには生きなかったのか。生きられなかったのか。


(あの裏切者めが)


 ちろり、と形容できない怒りが胸の底に小さく湧く。

 最後に見た顔が、感情の最も深い所で苦く燻っていた。

 死の間際に感じた情動が、探さねば、と矮躯を急かす。


「……どこにいる」


 瓦礫に倒れたままの男を一瞥する。感情が制御できず、輝くような赤髪が視界の端でゆらゆらと広がっていた。

 それをまた男は愉悦を浮かべて見上げながら、ははと笑った。


「探さずとも、もうすぐ来ますよ」


 企図した通りに動いたとでも思ったのであろうか。だが他人の思惑など、どうでも良かった。


 ラト・ハハレイシヴィリとまみえる。

 それだけで、既に一度は止まったはずの胸が高鳴る。

 その感情の名前を静かに探しながら、死にかけの男と二、三の言葉を交わす。

 新たな人物が飛び込んできたのは、その時であった。


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