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24. アニカ、失踪する。

 春祭り(ガザクフリ)はついに佳境となる最終日を迎え、朝から町のあちこちで歌や踊りの賑やかな声が青空を震わせていた。

 武闘大会(コンヴェントシア)も午前のうちに準決勝、決勝が行われる予定で、これには王族も臨席する。

 午後の行進(アフルミィ)には春の花嫁(パタルザリ)とともに優勝者が市中を練り歩く予定だ。

 そして夜には、町中の魔女の人形(ファジャ)を集めて一斉に焚き上げる。


「決勝まで行けば、相手はメトレベリ様かラウル様のどちらか勝った方となるはずです」


「うん……」


 自室でニコに手伝われていつもの衣装に袖を通しながら、アニカは嬉しくない追加情報に力なく頷く。

 今日、二回勝てば、アニカは母にお願いできる。衆人環視の中で発された言葉には、大きな影響力が宿る。


「あと二回で、終わる」


 終わったら、本当にみんな居なくなるのだろうか。マルティも訪れず、ミリアンもニコに戻り、婚約者候補たちは目的を遂げられないまま、家に戻るのだろうか。

 マルセルもレヴィも父の期待に応えられず、ラウルは母のために何もできず。ラズの真意を質す機会も、二度とやってこないまま。


(そして私は、またこの部屋に独り……)


 それが自分の望む最善。

 そう思うのに、気持ちは今までで一番沈んでいた。

 大した努力もせず、何の進歩も変化もなく、色んな人を巻き込むだけ巻き込んで迷惑をかけて、結局最後は全部の問題から逃げる。アニカが優勝するというのは、結局そう言うことだ。

 そして。


(私が勝っても、多分誰も喜ばない)


 きっと、自分自身も含めて。

 それが分かっているのに、アニカには他にどうすればいいか分からなかった。


「姫様」


 ニコが名を呼び、狐の面を差し出す。迷いながらも、それに手を伸ばしかけた時、

 コンコン、と扉がノックされた。


「…………」


「…………」


 思わず二人で見つめ合う。祭りの最終日に、朝から公務も与えられないような第二王女を訪れる者など、思いつかない。

 ニコが無言でアニカの了承を取ると、慎重に扉に近付き把手に手をかけた。




       ◆




 武闘大会本戦の最終日は、王族を円形競技場に迎えるところから始まる。行われる試合は三試合だけだが、その緊張感は前日までの比ではない。

 準決勝第一試合目の対戦者は早い時間から会場に入り、入念に試合に向けての準備を整えるのが常であった。のだが。


「アニカ殿下がまだ来ていない?」


 大会の受付で話を聞いたラズは、思わずそう繰り返していた。眉根を寄せ、ともについてきたアラムを振り返る。

 準決勝の二回戦はラズとラウルの対戦で、アニカのあとだ。まだというのは明らかにおかしい。


「いい加減、自分のやってることの無意味さに気付いたんだろ」


 隣で同じく受付を済ませていたラウルが、酷薄に言い捨てる。そちらを睨むと、同じく苛立ったような赤茶色の瞳とぶつかった。

 ラウルとは同じ護衛役としてしばらく同じ行動をしていたが、直接私的な会話を交わすのは、思えばこれが初めてであった。南庭で盗み見してしまったこともあり、何となく声を掛けづらいというのもあった。

 だが今は、そんな遠慮もなく反駁していた。


「殿下は、黙って勝手に放り投げたりするような性格じゃない」


「男が怖いってだけで、いつも逃げてるような女だ。怖いものからは、何だって逃げておしまいなんだろ」


「やめろ」


 ハッ、と鼻で嗤ったラウルの襟首を、衝動的に掴み上げていた。「ラズ様」とアラムが引き留めるが無視した。目つきの悪い男が二人、額をぶつけそうな勢いで睨みあう。


「あいつは、いつだって全力で頑張ってる。それでもどうにも出来ないくらい相手がデカいから、独りで苦しんでんだろ。お前、あいつが逃げて、その先で能天気に笑ってるとでも思ってんのか」


「……興味がない」


「んなもん、なくていい。ただお前にだって、抗いがたい何かがあるんじゃないのか。だから、あいつの前に現れて、今ここに立ってるんじゃないのか」


「分かったような口をきくな」


「だから、分かんねぇって。でもな、馬鹿みてぇに苦しんで足掻いてる奴が、同じように足掻いてる奴を嗤うなよ」


 低く唸るように話すラズの声は、怒鳴るというよりも、理解を求めるようだった。別にアニカが出来なかった「知ってもらう」ことを、代わりにしているつもりはない。だが、こんな形で誤解されるのはラズが嫌だった。


「……知るか」


 パシッ、とラズの腕をはたき落とし、ラウルが襟首を直す。しかしその目にも雰囲気にも苛立ちは消えていて、ラズは自分の手の早さを後悔せずに済んだ。


「俺は、殿下を探してくる」


 言うが早いか踵を返すと、「は?」とラウルの声が上がった。


「馬鹿か。一試合目が不戦敗で片付けば、次の出番はすぐだぞ」


 なるほど、辛辣(しんらつ)な物言いは基本なんだな、と思いながら、ラズは応える。


「陛下たちのお言葉もあるし、まだ開始までは時間がある。それまでには戻る」


「貴様が間に合わなくとも、俺は不戦勝を受け入れるぞ」


 再び険しい表情に戻ってラウルが宣言する。怒っているのとも違うその気配に、ラズはまた一つ得心する。


「心配してくれてんのか。ありがとう。大丈夫だ」


「バッ、誰が!」


「僕も行くよ」


 三白眼気味の目を見開いて怒鳴ろうとしたラウルを絶妙に遮って、聞き覚えのある声が割って入ってきた。レヴィである。昨日負けたはずだが、どうやら今日は観客として来ていたらしい。


「助かる。とりあえずまずは殿下の部屋を見てくる」


「分かった。ラウル。頼むよ」


「はぁっ? 俺は何も」


「ムゼ宮の方はどうする」


「話を聞け!」


 ラウルが何やら抗議していたが、レヴィが構わず話を進めていくので、ラズも時間を惜しんで同調しておく。


「そっちは、アラム、頼めるか」


「分かりました。入れる所だけでも先に見て回りましょう」


 背後にいたアラムが頷き、話が纏まる。


「こらっ、待て貴様ら――」


 と後方で叫ぶラウルの了承は置き去りに、三人はラマズフヴァル城に向かって駆けだした。





 アニカの部屋をノックしても、返事はなかった。ラズはきちんと説明と断りを入れてから扉を開けたが、案の定寝室には誰もいなかった。長椅子の足下に、アニカの狐の面が落ちている。


「どういうことだ? 殿下が面なしで大会に出るはずはないし」


「争った形跡まではないけど、何か予定外の事態が起きたのかもね」


 部屋を粗方検分しながら、レヴィが答える。確かに、部屋が荒らされた様子はなかった。とすると、アニカが自らの意思で部屋を出たことにはなるが、面を持っていないということは大会に出るためではなかった。


「何か、緊急事態でも起きたのか?」


「春祭りの続行に関しての何らかがあったとしても、アニカ殿下が呼ばれる必要性はない。殿下自身の緊急ということになるけど」


「家族に何か……ということになったら、陛下たちは競技場には来ないよな」


 レヴィと様々な可能性を出し合いながら話してみても、具体的な状況は思い浮かばなかった。ニコが一緒であれば、大会に遅れる旨を連絡するだろうし、ニコが甘んじて送り出したというのなら、危険な状況ではないとも考えられるのだが。


「嫌な予感がする」


 小さく呟くと、レヴィも深刻な顔で同意を示した。


「このままだと、殿下は本当に試合に出られないかもしれない」


「それはダメだ。あいつは、妃殿下に認めてほしくて、分かってほしくて頑張ってたんだ」


 婚約者候補の件を中止にしてほしいと願うのは、つまり母と正面から話し合いたいということだ。今までは母との約束を守れなかった後ろめたさと正論に気後れして話し出せなかったようだが、この機会を失ってほしくはなかった。


(あいつ、どこに行ったんだ)


 行き先の見当が皆目つかず、焦りを感じていると、何故かふっ、と笑われた。


「……何だよ」


「いや、随分親身になるんだなと思って」


 レヴィが、優しく微笑む。と見せかけて、それは兄や姉たちが見せるただの好奇心やお節介の色に似て、ラズはちょっとげんなりした。

 こいつは苦手かもしれない。


「何でもいいだろ。今はとにかく殿下の身の安全が第一だ」


「あと、試合の参加だね」


 誤魔化すように話を戻すと、レヴィも真顔に戻って頷く。それもまたどうしたものか、と考えていると、「貸して」と狐の面を促された。


「何をする気だ?」


「仮面だと、顔は見えないしね。髪に飾り紐でも巻いて隠せば、背が同じなら気付かれない」


 言いながら、レヴィが勝手にクロゼットを漁りだした。

 背丈が同じで腕が立つ奴って誰だ、と考えて、一人思い当る。いやそれは荒れるだろ、と言おうとしたところ、幾つかの服を避けていたレヴィの手が止まった。


「? どうした」


「これは……」


 レヴィが言葉を切り、くん、と狐の面の匂いを嗅ぐ。これがマルセルだったらすぐさま引っぺがすところだが、レヴィがこの状況で変態行為に走るとも思えない。


「ラズ。この匂いに覚えはないかい」


「はっ? 何す――」


 レヴィが面から顔を上げると、君も嗅げとばかりに面を顔に押し付けられた。一瞬、アニカがずっとつけていた印象のせいで咄嗟に赤面して身を引いてしまったが、鼻腔に嗅いだことのある香りがきて、ラズは合点がいった。


「これは、マルセルの奴の」


「男がつけるにはずいぶん甘ったるい香水だと思っていたから、恐らく間違いないだろう」


「そういうことか……!」


 瞬間、頭の隅がちかちか光るような理解と怒りが同時に沸騰した。

 参加を表明しないままアニカの練習を毎日眺めていた時もそうだ。ラウルやレヴィの出現率が下がり、アニカが一人になる時間を狙っていた。

 あの時はアニカのことが心配すぎて一発しか殴らなかったが、もう十発ぐらい殴って問い詰めておくべきだった。


(あんの垂れ目の軟派クソ野郎が!)


 アニカが優勝すれば、マルセルは父親の命令を果たせなくなる。それがどれほどマルセルを追い詰めるのかは知らないが、どこかの時点でアニカの邪魔をすることは十分考えられた。直前で大会の不参加を決めたのも、この時を狙っていたからか。


「あいつがアニカを連れ去りそうな場所は、どこか思い当るか?」


「いや……。祭りの最中はどこも来客が頻繁に出入りするから、城内の使用していない部屋と言っても隠れるには向かない。だが、人ひとりを抱えてこの賑やかな城や庭を移動するのは危険なはずだ」


「まだ城の中にいる可能性が高い、か」


「クロゼットの中には大会用の衣装もなかった。準備を全て整えた後にマルセルが来たのなら、時間もそう経っていないはずだ」


 となると、城の中で、来客用でなく、小階段奥の使用人が忙しなく行き来する辺りでもない場所は大分限られる。


「控えの間や衛兵や大使の間の周辺は、まずないよな」


「大階段辺りの動線も避けるはずだ」


「人がいないのは寝室とか、図書室とか、浴室とか……」


「それでも、入口には衛兵が少なからず詰めている」


 二人でああでもこうでもないと話す内にも、時間はどんどん過ぎていく。焦燥は募るばかりだった。


「とにかく、俺は手あたり次第探してみる」


「分かった。なら僕は先に試合の方を何とかしよう」


 言いながら、レヴィが面と幾つかのリボンや飾り布を持って部屋を出る。ラズも反対方向に走り出そうとした時、「ラズ」と呼び止められた。


「何だ」


「あの匂いには、気を付けた方がいい」


「……どういうことだ?」


「近付いた時、一瞬意識が揺らいだ。幻覚作用があるかもしれない」


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