23. アニカ、自問する。
ラウルの右手が腰の剣帯に伸びる。
レヴィも片足を引き、戦闘態勢に入る――寸前。
「わっ、私は!」
「!」
「…………」
アニカは必死に大声を絞り出した。二人の視線が両頬に突き刺さる。
早くも逃げ出したくなったが、アニカはぎゅっと一度目を瞑ってから、決然と顔を上げた。
「私は、確かに家族の中でも意志が弱く、流されやすい性格だという自覚はあります」
ぎゅっと掴んでいたニコの服を手放し、前に出る。
今まで伝えられなかったことを何とか伝えようと、言葉を選ぶ。
「それでも結婚となれば、一生ご迷惑をおかけするかもしれない相手。言われるままに望まぬ人を選んで、その後ずっとその方を困らせたり苦しませたり、傷付けたくはないのです」
アニカは、たとえどんな良い人のもとに嫁いでも、今のままでは普通の女性のように寄り添って微笑んだり、一緒にパーティーに行ったりはきっと出来ない。
最初はそれで良くても、顔を見るたびに怯えたり距離を取ったりを続ければ、段々と嫌気が差すだろう。
自分が怖いという以上に、誰かにそんな思いをさせるのが、心苦しかった。
「……詭弁だな」
ラウルが、冷たく切り捨てる。その通りだと、アニカも思った。
結局、それすらも自分の良心の呵責を誤魔化すための言い訳なのだろうとも、思う。
「それも、重々承知しています。それでも、私の事情を承知した上で、私自身をちゃんと見て、見下さないで接してくださるラウルさんたちを、このまま治せないからと嫌いになりたくはなくて……」
男性というだけでアニカにとっては恐怖の対象なのだが、その人柄自体が怖いかと言うのはまた別だ。実際、彼らが全員女性であれば、ここまで極端に逃げたりはしなかっただろう。
もじもじと尻すぼみに弱くなったアニカに、ラウルも今度ばかりは言下に否定したりはしなかった。それでもラウルの無言が怖くて、最後には視線を落としてしまった。
と、かちん、と納剣の音がする。そして今度は、先程とは明らかに違う柔らかな笑声がそのあとを追ってきた。
「見下さない、だって」
レヴィが、先程までの殺気立った雰囲気が嘘のように、眉尻を下げて楽しげに笑っている。
「見た目と出自以上に、その態度の無愛想さに大抵の人間が腹を立ててあらぬ噂を流しては君を忌避するのに」
「……うるさい」
苦々しげに制止するラウルなどまるで気にも留めず、レヴィは堪えきれないという風に笑い続けている。
なぜそんなにも笑えるのかアニカにはさっぱりだったが、ひとしきり笑って満足したのか、レヴィは笑いを少しだけ引っ込めてから、
「君の負けだね」
と言った。
「はあ?」
「そろそろ、アニカ殿下のことは同族嫌悪だって認めて、睨むのもやめてあげれば?」
「ハッ、誰がこんな小娘に!」
にやにやと続けたレヴィに、ラウルが眉間のしわを本日最大数に増やしてくわりと反撃する。
(一応仮にも王女なのですが……)
小娘と呼ばれた当の本人は少しだけ思う所もあったが、不思議と訂正したいとは思わなかった。学校や城での一線を引いた、腫れ物に触るような扱いより、全然平気だ。
ラウルの裏表のない物言いのせいだろうか、不思議にすっきりした心地すらある。
そのせいか、つい芽生えた疑問が考えるよりも先に口から零れていた。
「もしかして、ラウルさんも、ご自分に自信が……?」
レヴィの言う同族嫌悪というと、思い当るのはそれくらいしかない。ニコ越しでなく、直接赤茶色の瞳を覗き込んでいると、
「……知るか!」
投げやりな一言で会話を打ち切って、競技場の中へと足早に去ってしまった。
(ま、またやってしまった……)
相変わらず勝手に動く口に自己嫌悪していると、まだおかしみが残るような表情でレヴィが頭を下げた。
「アニカ殿下。ありがとうございました」
「え……え?」
駄目出しされることはあっても、感謝されるような覚えはまるでない。間の抜けた顔で端麗な白貌を見上げると、にこり、と笑みを深くされた。
「我々の喧嘩を、仲裁していただき。殿下のお声がなければ、二回戦が始まる前に斬り合いになるところでした」
「あ……、いえ、そんな大層なことは、全然」
きらきらしい笑顔で真っ直ぐに見つめられ、アニカは頬が熱くなった。居心地が悪くなる。
早くこの場を離れたくて、アニカは思ったことを早口で捲し立てた。
「ただその、た、大切な人と喧嘩みたいになるのは、どんなに相手のためを思っていても、悲しいことですから」
言っているうちに恥ずかしさが増し、アニカは俯きながら両手を突き出して顔を隠す。だから、次の言葉がどんな表情でもたらされたのか、アニカには分からなかった。
「……同族嫌悪」
「え?」
再びの単語に、つられるように顔を上げる。と、どこか諦念の滲んだような新緑色の瞳と目が合った。
「私も、彼と似たようなものなのです。実の母親をこの世で最も嫌悪しているくせに……いつまでも囚われている」
「……それは」
「殿下の言葉はいつも純朴で、少しだけ救われます」
どういう意味、と問う前に、レヴィがいつもの鉄壁の笑顔に戻り、「失礼」と踵を返してしまった。背まで流れる赤みがかった茶髪が揺れるのを眺めながら、アニカは困惑してしまった。
レヴィが庶子であるという話は、本人から聞いた。家族仲は悪くないと言っていたが、思えば母のことは一切話題にしなかった。実の母と、育ての母。そこにある確執が容易でないのは当然だろう。
それでも、レヴィが少しでも自らのことを話してくれたのは、大きな一歩のようにも思えた。そのことに小さく感動していると、
「ベルンシュテイン殿に任せている間に、それぞれの殿方の事情を調べていたのですが」
ニコが二人を見送った視線のまま、おもむろにとんでもないことを言い出した。
「あっさりミリアンさんに仕事を丸投げしたと思ったら、そんなことしてたの?」
呆れながら問うと、やっとニコが振り返った。トゥヴェ宮に戻りながら話そうと、先を促される。
この意図が示す先にマルセルがいるのかと思い視線を巡らせるが、いつの間に消えたのか、金髪碧眼の美男子の姿はもうどこにもなかった。
「ラウル・ヴィッテ様がアルベラーゼ侯爵家を名乗らないのは、侯爵夫人の不義密通により生まれた子だからのようです」
南庭の人通りの少ない道を行きながら、ニコが抑えた声で言う。
「籍こそ侯爵家にあるようですが、父親や兄姉たちからは、出生が分かった時から疎まれ、召使のような扱いを受けていたようですね」
「だから家名を名乗りたがらなかったのね」
頷きながら、頭の中では、ラズと共に見てしまった女性とのやりとりを思い出す。姉と名乗りながらヒステリックに叫んでいた彼女は、きっとあの時と同じように今まで何度も無理難題を押し付けては困らせてきたのだろう。
(ひどい……と思うのは、私が片方の事情しか知らないからなんだろうけれど)
生まれた時からいる家で、自分の存在価値を根底から否定されることの恐怖は、アニカには想像も出来ない。
唯一の血縁と分かった母ですら、自分の複雑な生い立ちを作った原因だと思えば、アニカだったらどう接していいか、頭が焼き切れるくらい悩むだろう。
「ご母堂についても、家では腫れ物に触るような扱いで、誰とも接触せず、ここ最近は離れから一歩も出ていないとも聞いています。今回の参加はご当主からの命令のようですが、目的はどうやらご母堂の立場をどうにかしたくて受けられたようですね」
そんなごく個人的な情報まで一体どこから仕入れてきたのかと突っ込みたいが、実は城の人間と出入りする人間のほとんどは顔見知りだと、以前聞いたことがある。深くは追及するまい。
代わりに考えたのは、ラウルと最初に話した時、懇願するように『俺を選べ』と言った言葉。その裏に込められた深意に、アニカは眉尻を落とす。
「お母様が、とってもお好きなのね」
そして同時に、レヴィの言葉も思う。彼もまた、自身のことを庶子だと言っていた。だからこそ余計に、ラウルに共感を持って心配するのかもしれない。
好きだからこそ、悩む。好きな相手が自分の存在のために苦しんでいるのなら、その葛藤はいかばかりか。
「私は、勝つ意味があるのかな……」
誰かの強い意志に触れれば触れる程、自分の芯の弱さが浮き彫りになって嫌になる。
強くなりたいと、焦がれるように痛烈に思った。




